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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
189/359

魔王の力



 “魔界の一部”という響きには似つかわしくないほど、忘却の大樹とその周辺は美しく平和な場所だった。自然に恵まれた雄大な景観。大樹の枝で羽を休める鳥や草の上に体を伏せる動物たちの姿……それらをひと目見れば、この辺り一帯が普段から戦いや破壊とは無縁な地であることが分かる。


 だからこそ、ベルフェゴールが放った強烈な怒気と、樹流徒が撃った火炎砲の爆発音は、大樹周辺に居合わせた悪魔たちを驚かせたに違いない。

 火炎砲の直撃を受けてベルフェゴールの洋式便座が派手に吹き飛ぶと、大樹の根元で寝そべっていた悪魔が崖から突き落とされたような顔で絶叫した。呼応するように、ほかの悪魔たちがわっと騒ぎ出す。平和な地が一転、恐怖と混乱のるつぼと化した。


 その辺を行き交っていた悪魔も、自然の中でくつろいでいた悪魔も皆、我先にと逃げ出す。まるでライオンの接近を察知した草食動物のように。

 樹流徒とベルフェゴールの殺気がそうさせたのだ。でなければ、いくら大樹周辺が本来平和な地であることを考慮しても、悪魔たちの異常なまでの驚きようと怯えようは説明がつかなかった。


 戦闘の巻き添えを食ってはたまらないといった様子で、悪魔たちは脇目も振らず逃げる。ある者はもと来た道を引き返し、ある者は遠方の空に消え、またある者は大樹の内部に駆け込む。これから始まる戦いの目撃者になろうとする物見高い悪魔は誰もいない。樹流徒とベルフェゴールだけを残して無人の戦場が完成するまで、大して時間はかからなかった。


 茂みの上に散らばった便座の残骸を瞳に映し、ベルフェゴールは口元を歪める。

「首狩りキルトが悪魔の能力を奪うという噂を耳にしたときは半信半疑だったが、事実だったか」

 忌々しさを隠し切れないといった顔で樹流徒を一瞥すると、後ろ向きにスーッと宙を滑って大樹から離れていった。戦場を移すつもりなのだろう。


 ベルフェゴールの後を追って樹流徒は走り出した。

 大地を覆う深い茂みを抜け出し、芝生の中をずっと駆けてゆくと、その上空でベルフェゴールは待機していた。

 辺り一面は平坦な原っぱで、身を隠せる場所はひとつもない。ベルフェゴールは、誰の邪魔も入らず、相手がどこにも逃げられない場所での戦いを希望しているようだ。それは樹流徒としても望むところだった。


 戦いのゴングは、先ほどすでに打ち鳴らされている。上空のベルフェゴールを狙って、樹流徒は火炎弾を放った。口内から飛び出した小さな炎の塊が赤い光芒を引いて空へ駆け上ってゆく。


 ベルフェゴールは気負いの感じられない自然な立ち姿で宙に浮かんでいた。その姿勢を全く崩さず、体の位置を真横にずらして火炎弾をあっさりと避ける。

 その動きも速かったが、反撃に移るのはもっと速かった。回避の動作が完了するとほぼ同時、ベルフェゴールは細い腕を横に振り払って、前方に六本の氷の矢を出現させる。横一列に並んだ矢は端から一本ずつ順番に放たれ、樹流徒を襲った。


 風のように飛んでくる矢を、樹流徒は斜め前方にダッシュしてかわす。それを助走代わりにして大地を蹴り、空に飛び立った。

 氷の矢は、地面に刺さった途端に冷気へと昇華して周囲の草花を瞬時に凍りつかせる。恐ろしい攻撃だった。もしこの矢が人体に命中したら、たとえ矢そのものが急所を外したとしても、そのあと広がった冷気が体内を氷漬けにするだろう。魔人の体とて致命傷を受ける恐れは十分にあった。


 空に舞い上がった樹流徒は、宙で大きく旋回して氷の矢を避けながら方向を修正し、ベルフェゴールを狙う。

 最後に飛んだ氷の矢が樹流徒の肩をかすめて通り過ぎると、ベルフェゴールは後退を始めた。それでも飛行速度は樹流徒のほうが勝っているようだ。間もなく両者は接近した。


 敵に追いついた樹流徒は、よく狙い澄まして遠目から腕を振り払う。指の先端から伸びた長い爪がベルフェゴールの首を切断しようと真横から迫った。

 キン、と硬い音が鳴って、以前にも何度か感じた覚えのある手応えが樹流徒の指先に返ってくる。攻撃を防がれた感触だった。回避が間に合わないと判断したのだろう、ベルフェゴールは魔法壁を張って身を守っていた。


 先制の一打を奪い損ねた樹流徒は、反撃を警戒して自ら後ろに下がる。なにしろ、敵は魔王の称号を冠する悪魔だ。「魔王は通常の悪魔とは桁違いの実力を持っている」とバルバトスから忠告を受けたこともあり、ここは無理に追撃を狙わず慎重な行動を選んだ。


 ベルフェゴールとの間合いを十分に取ると、樹流徒は相手の出方を窺う。慎重になり過ぎると却って危険かもしれないが、実力が未知数の強敵相手に迂闊な攻撃を仕掛けるのはもっと危険だ。「今はまだ様子見をしたほうが良い」と樹流徒の直感が告げた。


 己の直感を信じて樹流徒が守りに入ると、ベルフェゴールが次の手を打つ。

 魔王は宙を自由自在に滑り、樹流徒を中心に円を描くように大きく旋回し始めた。

 その姿を、樹流徒の双眸(そうぼう)が瞬きひとつせずに追う。ベルフェゴールのスピードは相当なものだったが、樹流徒の目をかくらんできるほどの速さではなかった。


 ならば、ベルフェゴールは何のために旋回を始めたのか?

 樹流徒が訝しむと――


 突如、ベルフェゴールの動きが樹流徒を幻惑する。

「これは……」

 樹流徒は一瞬己の目を疑った。ベルフェゴールの体がふたつに分裂したかと思えば、三つになる。三つかと思えば四つに。樹流徒の視界の中で、ベルフェゴールの数が凄まじい勢いで増えてゆく。


 ベルフェゴールの動きが速過ぎて、樹流徒の目に敵の残像が映っている……というわけではなさそうだった。ベルフェゴールは先ほどからずっと同じ速度で飛び続けている。

 第一、樹流徒の目に見えているのが敵の残像であれば、それは動いたりしない。分裂したベルフェゴールはすべて樹流徒の周囲を旋回していた。しかもその速度や回転する向きはバラバラだ。ある一体はゆっくり時計回りに、別の一体は目にも留まらぬ速さで反時計回りに、樹流徒の周りをぐるぐると回り続ける。ほぼ静止した状態で樹流徒の正面を漂う一体もあった。


 気付けば、樹流徒を包囲するベルフェゴールは十体前後にまで増えていた。

 これは分身能力だ、と樹流徒は断定する。ベルフェゴールは、分裂するように、蝉が抜け殻を脱ぎ捨てるように、自分の体から分身を生み出す能力を持っているのだ。


 分身能力を操るといえば、イブ・ジェセルの隊長砂原もそうだった。ただ、ベルフェゴールと砂原の能力は全くの別物だ。砂原の分身体はニ体だけだったが、それぞれが自律行動を取っていた。一方、ベルフェゴールの分身体は数が多い代わりに、今のところ旋回しかしていない。


 どちらかといえば砂原の能力のほうが便利で使い勝手が良いように思える。ただ、ベルフェゴールの分身能力も厄介には違いなかった。右へ左へと動き回る魔王の分身体が、樹流徒の視界を遮り、視覚を惑わせ、集中力を乱す。樹流徒はベルフェゴール本体の位置を完全に見失っていた。


 敵本体の位置が分からないこの状況で襲われると危険だ。どこから攻撃が飛んでくるか分からない上、分身体がブラインドになって攻撃そのものが見えにくい。

 ひとまずこの場所から逃げたほうがいいかもしれない。

 樹流徒は頭と視線を世話しなく動かして周囲を警戒しながら、次の行動に移ろうとした。


 その矢先、樹流徒の斜め後ろから細い影が飛ぶ。氷の矢だ。分身体に紛れて樹流徒の周囲を旋回するベルフェゴール本体が放った一撃だろう。

 間一髪でそれに気付いた樹流徒は、振り向きざまに爪で矢を叩き落とした。辺りを見回していたから何とか反応できたが、それがなければ間違いなく矢を受けていた。


 氷の矢は全部で六本ある。続く矢が、今度は樹流徒の正面から襲いかかった。

 二本目、三本目の矢を爪で弾き落としてから、樹流徒は羽の動きを止めて落下する。それにより残りの矢を回避し、ついでに敵の包囲網から抜け出そうと試みた。


 それは半分失敗に終わる。樹流徒は矢の全弾回避には成功したが、敵の包囲から逃げられなかった。樹流徒が落下すると、それに合わせてベルフェゴールの分身体も一斉に降下を始めたからである。十体の魔王が旋回を続けながら、あっという間に樹流徒に追いついた。


 それに気付いた樹流徒は、着地するとすぐ横に向かって駆けた。するとベルフェゴールの分身体も樹流徒と全く同じ方向へ同じ距離だけ進む。樹流徒が後ろに下がっても、上昇しても……前後左右上下、どこへ逃げても、ベルフェゴールの分身体はすぐに追いかけてくる。そして樹流徒と一定の距離を保って円転を繰り返す。


 このままではいくら逃げ回っても敵の包囲網から抜け出せない。かくなる上は分身体を消すしかない。そう考えた樹流徒は芝生に降りて立ち止まった。真正面でほぼ静止している分身体と、周囲を飛び回る分身体めがけて口から青い炎の球体を三連射する。

 ベルフェゴールの分身体は、回避もしなければ反撃もしなかった。炎の軌道と重なると音も手ごたえも無く、風に霧散する煙のようにあっさりと消滅する。どうやら分身体は、ベルフェゴールの姿を空中に投影しただけの“実体の無いダミー”らしい。


 ダミーそのものに攻撃能力は無さそうだった。ただ、樹流徒がダミーを狙って攻撃をしたその瞬間を狙って、ベルフェゴール本体が攻めてくる。戦闘中は攻撃を放っているときに最大の隙が生まれる。その隙を魔王は突いてきたのである。


 ダミーに紛れて旋回していたベルフェゴール本体は、樹流徒が攻撃の挙動を見せた瞬間、樹流徒の背後でピタリと止まり、両手を広げる。左右の掌の上で空間を捻じ曲げて真っ暗な空洞を発生させた。

 それぞれの空洞から巨大な氷の槍が飛び出す。人間の体ほどの大きさはあろうかというそのニ本の槍は、樹流徒の背後から音も無く忍び寄った。

 銀色に輝く髭の下でベルフェゴールの口元が微動する。攻撃の命中を確信したのだろうか。だとすれば、それは早計だった。


 樹流徒は相手の行動を先読みしていた。ダミーを破壊しようと手を出したところを狙って、ベルフェゴール本体が自分の死角から奇襲を仕掛けてくると踏んでいたのである。

 攻撃のタイミングを読んでいた樹流徒は、敵の本体に背を向けたまま跳躍した。氷の槍を回避すると、空中で体を捻って後方を見返る。その視線の先にはベルフェゴール本体がいた。攻撃の時に隙が生まれるのは樹流徒だけではない。ベルフェゴールもまた動き回るダミーの中でただ一人だけ動きを止めていた。


 ベルフェゴールが射出した氷の槍は、樹流徒が立っていた場所を通り過ぎてダミーを貫く。樹流徒の攻撃と、ベルフェゴール自身の攻撃により、ダミーの数が一気に減った。樹流徒の視界を遮り、視覚を惑わせる壁が少なくなったのである。今ならば樹流徒も何とか敵の本体を見失しなわず済んだ。反撃に出られる。

 それを承知しているのだろう、ベルフェゴールは後ろ向きに宙を滑り樹流徒と距離を取った。

 逃がすまいと樹流徒は羽を広げて追う。飛行速度を全開にして敵に接近する。その最中、指先から伸びた長い爪を、接近戦用の短い爪に換装した。


 ベルフェゴールは後退しながら氷の矢を放つ。樹流徒は魔法壁で矢を弾きながら突っ込んだ。

 むうっと短く唸って、ベルフェゴールは逃げるのをやめる。その場でぴたりと止まると、両腕を前に突き出す。何をするかと思えば、身の丈以上もある氷の鎌を虚空より忽然と出現させ、それを握り締めた。


 ただ、樹流徒はもうすでにベルフェゴールの懐に入り込もうとしている。しかも引いた腕には力を溜めきって、あとは敵の急所めがけて一撃突き出すだけの状態になっていた。今更ベルフェゴールが鎌をなぎ払ったところで、迎撃は間に合わない。

 それは魔王自身も分かっているだろう。ベルフェゴールが武器を手にしたのは、攻めのためではなく防御のために違いなかった。


 樹流徒は腕を真っ直ぐ突き出して、相手の喉めがけて渾身の手刀を放り込む。対して、ベルフェゴールは長大な鎌の柄を使ってガードした。

 ならばこの武器ごとベルフェゴールを貫く。

 樹流徒の闘志に応じて、彼の全身に走る真っ赤なラインが激しく点滅する。全力で振り抜かれた魔人の腕に更なる力が加わった。


 ゴツと鈍い音が鳴って、長大な鎌の柄がまっぷたつに折れる。樹流徒の手刀は敵の武器を破壊し、さらにベルフェゴールの喉を貫通した。




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