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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
186/359

進めグリマルキン(後編)



 ようやく小人が落ち着いたのは、彼女が樹流徒の手から逃れたあとだった。

「危ないところを助けていただき、ありがとうございます」

 葉っぱの後ろに隠れた少女は、蝶の羽と顔だけを覗かせて礼を言う。自由の身となった今もかなり樹流徒を警戒している様子だ。

「さっきから助けを求めていたのはお前だな?」

 一応確認すると

「そうです。さっき見ての通り蜘蛛の巣に捕まっちゃって……。あのまま誰も私の存在に気付いてくれなければ食べられてしまうところでした」

 小人は身振り手振りを交えて答えた。


 丁度そのとき、風が葉を揺らしたかと思ったら、人の掌よりも大きな蜘蛛が葉っぱの裏からぬっと姿を現した。黒地の皮膚に青い(まだら)模様を浮かべたその巨大蜘蛛は、ついさっきまで小人が引っかかっていた糸の上でピタリと止まる。きっと巣の持ち主に違いない。

「お前には悪いことをしたな」

 折角作った巣を壊した上に餌まで奪ってしまった蜘蛛に対し、樹流徒は謝った。生きるために蜘蛛だって食べなければいけないのだ。もしかすると巣に引っかかった小人は数日ぶりの食事だったかもしれない。


 お詫びのつもりで、樹流徒は地面に落ちている赤い小さな果実をひとつ拾うと、それを蜘蛛の前に差し出した。蜘蛛が果物を食べるかどうかは分からないが、魔界の生物ならばあるいは喜んでかじりつくかも知れない。

 どうもそれがお気に召さなかったらしく、蜘蛛は与えられた果実からそっぽを向いた。体全体が呪いに満ちた一つの目のように樹流徒を睨んで、音も無く葉陰に戻ってゆく。

「現世でも魔界でも蜘蛛は肉食か」

 独り言を呟いて、樹流徒は手に持ったへびいちご似の果実を軽くかじってみた。見た目は甘酸っぱそうなのに、噛んだ瞬間苦い汁が飛び出して食べれたものではなかった。

 蜘蛛も顔を背けるわけだ、などと納得して樹流徒は微笑を浮かべる。


 その様子を見て少し警戒心が薄れたのか、葉の裏に隠れていた小人が出てきた。

「ニンゲンはとても凶暴な生き物だって有名だけど、アナタは少し違うみたいですね」

 そう言って、まだ恐れが抜けきらない様子ながらも樹流徒に近寄る。

「よく見れば、アナタは姿も普通のニンゲンとはかなり違いますし……」

「俺は人間だよ。でも君を取って食べたりはしないから、怖がらなくてもいい」

「本当ですか?」

「嘘だったら、はじめから助けたりしない」

 手を出さないという意思を示すため、樹流徒は両手を後ろに回す。

 小人の表情が幾分和らぎ、四肢から余分な緊張が抜けたような気がした。


 それを次の瞬間全て台無しにしたのが、グリマルキンという生物である。

 小人がかなり樹流徒に近付くと、頃合を見計らったように灰猫が走り寄ってきた。キノコはもう食べ飽きたのだろうか、新たな餌を求めるような瞳が宙をさまよい、小人を見つめたところで停止する。

「魔獣グリマルキン!」

 一度は安心しかけた様子の小人が、今度こそ完全に悲鳴と分かる叫びを発して上空に逃れた。

「どうした? 猫が恐いのか?」

「何言ってるんですか。グリマルキンにとって私たちは餌なんですよ。近付いたら最後です」

「ああ、そうなのか……」

 軽く頷いて、樹流徒は足元の灰猫と見つめ合う。

「お前、本当に何でも食べるんだな」

 以前バルバトスから聞いた話によると、グリマルキンは魔界の中でも希少な猫らしい。あの話は事実だった、と樹流徒はたったいま理解した。もしグリマルキンが大量繁殖していたら、今頃魔界の生態系は滅茶苦茶になっていただろう。豊かな緑が広がるこの地下空間にも草の根一本残っていなかったかもしれない。


 グリマルキンの手が届きそうにない高さまで小人が逃げると、灰猫は小人の捕食を諦めたのか、視線を樹流徒に移した。柔軟な尻尾を左右に振って「そろそろ次の場所に行きたい」と催促するような動きを見せる。

「分かったよ。行こう」

 樹流徒が答えると、グリマルキンは例の野太い鳴き声で返事をした。


 上空に逃れていた小人が七色に輝く羽を動かして、恐る恐るといった様子で樹流徒に再接近する。

「私“ピクシー”です。妖精族のピクシー。アナタは?」

「樹流徒」

 名乗り返すと、これ以上ジッとしていられなくなったのか、グリマルキンが走り出した。次の場所へ向かうのだろう。

 妖精族のピクシーと別れの挨拶を交わす暇もなく、樹流徒は急いで灰猫の後を追った。

 ――ありがとうキルト。

 背後から少女の声が微かに聞こえた。


 この世界の地下空間は、無限に続いているように思える。果てが見えない緑の地を、樹流徒たちは駆け抜けた。

 走っている最中、壁に目を向けると、ところどころに洞穴が開いていた。蛇がようやく通れる程度の小さなものから、河馬(かば)でも通れるほど巨大なものまである。

 それらを幾つも無視して、グリマルキンは地下空間をずっと奥に進んだところにある、人間が四つん這いになって何とか通れそうな大さの洞穴にようやく駆け込んだ。

 樹流徒もグリマルキンに続く。洞穴の中はかなり緩やかな上り坂になっていた。地上に続いているのだろうか。


 長い長い道を上り続け、再び砂まみれになってようやく洞穴から抜け出ると、そこはやはり地上だった。少し意外だったのは、辺りが草むらに覆われていることである。地中だけでなく陸上にも多少は緑が残っていたようだ。

 草むらの向こうには水の流れがあった。幅の広い川が大蛇の如く身をくねらせ、地平の彼方まで延びている。

 それがグリマルキンの目的だったらしい。樹流徒が洞穴から顔を出したときにはもう灰猫の姿は見えず、草を掻き分けながら川を目指して疾走する獣の足音だけが聞こえた。


 川に近付くと、水は茶色く濁っており底が見えなかった。流れは結構激しく、水深によっては人を(さら)ってしまうくらいの力がありそうだ。

 水の流れに逆らって川の源を目で追ってみると、少し離れた場所にそびえた岩山に辿り着いた。それは樹流徒が悪魔倶楽部の前から遠望した岩山だった。地下空間と洞穴を移動しているあいだに、樹流徒たちは岩山の反対側に回り込んでいたようだ。こんな遠くまで移動していたとは知らず、樹流徒は簡単な魔法にかけられたような心持ちになった。


 それにしても岩山の表と裏ではまるで様子が違う。悪魔倶楽部の前から確認したとき、岩山の肌には枯れた色の雑草くらいしか見当たらなかったが、裏側に回ってみると山の中腹あたりから裾野に向かって樹木がびっしりと敷き詰められていた。

 山だけではなく、大地の姿も変化が著しい。川周辺の土はやや赤茶色に染まっており、悪魔倶楽部周辺に広がっていた不毛の地に比べて栄養が豊富そうだった。そこで背を伸ばす草花も見るからに元気がある。


 グリマルキンは川の外から首をいっぱいに伸ばして、せっせと水を舐めていた。それが済むと川のほとりに生えた水気を含んだ草をくわえて顎を動かす。文字通り道草を食い始めた。

「今度は喉が渇いてたんだな」

 樹流徒は片膝を着き、灰猫の背中を撫でた。

 グリマルキンは意に介さず一心不乱に草を貪り、胃に流し込む。相変わらず自由な態度に、樹流徒は小憎らしさよりも一種の羨ましさを感じた。


 グリマルキンを見習って、俺も多少は好き勝手させてもらおうか。

 樹流徒は黒衣を脱ぐと、川に入って体を洗う。水は想像していたよりも深く、樹流徒の腹の下まで届いていた。水質はお世辞にも良いとは言えないが、体に染み付いた血や土の汚れが落ちるとさっぱりして気持ちが良かった。


 できればこのまま少しのあいだ水浴びを続けたかったが、そこはやはり魔界と言うべきだろう。悠長なことをしている暇は無いらしい。

 腰を曲げて足を洗っている最中、樹流徒の手がぴたりと止まった。近くに何者かの気配を感じたためである。辺りを見回して良く目を凝らせば、少し離れた水流の中、うっすらと黒い影が浮かび一箇所に留まっているのが分かった。

 思い過ごしならば良いが、とても危険な予感がした。万が一に備え、樹流徒の心身は臨戦態勢に移行する。


 グリマルキンも野生の勘で水中の殺気を感じ取ったのだろうか、食事を中断してその場から離れた。

 謎の影が動いたのはほぼ同時。川底に潜んでいた巨大な何かが派手な水しぶきを上げて飛び出した。それは半瞬前までグリマルキンがいた場所に着地する。


 川底に潜んでいたのは、呆れるほど大きな(わに)だった。頭から尻尾の先まで、ゆうに五メートルを超えている。下手をすれば十メートル近くはあった。それだけの巨躯でありながら、水中から飛び出してきた際のスピードは驚異的に速かった。

 グリマルキンは寸でのところで難を逃れたが、危険の察知が遅れていたら取り返しの付かない惨事になっていただろう。きっと今頃は鰐の胃袋の中にいたはずである。


 樹流徒は巨大な鰐に体の正面を向けたまま、相手を刺激しないように少しずつ後ずさる。上陸して、脱いだ服を拾い上げた。

 その動きに合わせて鰐は前進した。グリマルキンを逃したため、標的を樹流徒に変更したようだ。草の隙間から覗く金色の虹彩と真っ赤な瞳孔が魔人の腹を見つめていた。


 ここは鰐と戦うべきか、とも思ったが、自衛のためとはいえ殺生はあくまで最終手段だ。相手を傷付けずにこの窮地から逃れるべく、樹流徒は羽を広げて宙を舞った。

 わずかに遅れて鰐が大口を広げて飛び掛かる。通常、鰐という生き物は陸上では跳躍しないはずだが、魔界に住んでいる個体ともなれば話は別らしい。草を踏みつけて宙を舞った鰐は、歯肉に並んだ太い牙で樹流徒の脚を狙った。

 樹流徒は膝をめいいっぱい曲げながら上昇する。鋭い牙が空を切った。ガチンと硬い音が鳴って上下の顎が閉じる。


 間一髪離脱に成功した樹流徒は、そのまま飛行して遠く離れたグリマルキンの傍で着地した。

 鰐は追いかけてこない。捕食に失敗したと判断したのか、樹流徒たちに背を向けると大人しく川の中に戻っていった。

「あの鰐も悪魔だったのか?」

 それとも元からこの世界に住む生物だったのだろうか。

 樹流徒の疑問を無視して、グリマルキンも鰐と同じく川に背を向ける。まるで何事もなかったかのように歩き出した。


 地中でキノコ狩りをして、川で水を飲み……続いて樹流徒が連れていかれた場所は、川をずっと辿った先に広がる小さな森の中だった。

 遥か頭上から樹流徒を見下ろす木々が立派な根を大地に張り、鬱蒼と生い茂っている。悪魔の姿は無く、辺りにはどこか神秘的な静けさが漂っていた。樹流徒の背後から聞こえるのは川の流れと、風に揺れる葉の音だけである。


 こんな場所に来て、今度は一体何をするつもりなんだろうか? またキノコ狩りでもするのか?

 たとえそんな風に尋ねてもグリマルキンから答えが返ってくるはずがないので、樹流徒は今度も黙って灰猫の後ろをついていった。

 森の中を進んでいると、カマキリとカブトムシが合体したような昆虫が目の前を横切り、全身縞模様の巨大な蟻が列を成して歩いている光景を見た。長い触角が生えた蝉、目が三色に発光するバッタなど……現世では見かけない虫が数え切れないくらい生息している。もしここに昆虫学者でもいればさぞ狂喜乱舞したことであろう。もっとも、彼らの興味は森の虫たちよりも何でも食べる灰猫の謎に惹き付けられるかも知れない。


 最後にグリマルキンが立ち止まったのは川で水を飲んだときだが、それから一体どのくらい歩き続けただろうか。

 ひらすら足を動かし続けたその果てに、樹流徒たちは森の中央に隠された広場にやって来た。大地に色とりどりの美しい花が繚乱と咲き乱れ、幻想的な風景が広がっている。この場所は魔界ではなく聖界なのではないか、と驚嘆の吐息が漏れてしまいそうなほど美しい景色だった。


 中でもひときわ樹流徒の目を引いたのは、広場の隅に群生している綿毛のタンポポだった。そのタンポポは現世の倍はありそうな大きを持っていたが、ただ大きいだけではない。水色、紫、緑など、七色の綿毛を持っていた。

 初めて目にする美しさに樹流徒がすっかり魅せられていると、出し抜けにグリマルキンの耳が世話しなく動いて、野太い鳴き声が天に向かって放たれた。


 呼応するように、森も鳴く。

 まさかグリマルキンが呼び寄せたのだろうか、どこからか冷たい突風がやって来て、樹流徒たちの背中を追い越し、広場の中をさっと吹き抜けた。

 木々が頭を揺らし、七色の綿毛が風に乗って一斉に舞い上がった。その瞬間のあまりの美しさに、樹流徒は言葉を無くす。感動の一語に尽きた。夢の中ですら出会えないような絶景だった。


 綿毛が森の奥に消えてしまったあとも、樹流徒は少しのあいだ虚空を見つめて余韻に浸っていた。

「グリマルキン……。お前、もしかしてこれを俺に見せようとしてここまで連れて来たのか?」

 我に返って尋ねると、灰猫は、樹流徒の言葉を解したようにバオーーと、いつもより少し長めに鳴いた。

 その野太い鳴き声は二回、三回と繰り返される。

 きっとここが散歩の終着点なのだ、と樹流徒は確信した。


 グリマルキンは美しい花の中に体を伏せて目を閉じる。これから昼寝の時間だろうか。

 起こしては悪いと思って、樹流徒は足音を殺して歩き出した。


 魔界血管を探す旅は一からやり直しだ。さて。次はどらへ進もうか。そう考えながら、広場を後にしかける。


 予想だにしない異変が起きたのは、そのとき――


 樹流徒は嫌な気配を感じて、去ろうとしていた広場を振り返った。地面に濃い影が差している。それも一つではない。空に何かがいる。

 頭上を見上げると、異形の影が三つ、大地に降り立たとうとしているところだった。




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