表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
激動編
182/359

死者よりも生者のために



「あれ? いま、俺って言わなかった?」

 樹流徒の一人称が変わったことに気付いた渚が軽い興味を示した。


 ここは根の国の入り口。岩の壁に囲まれた広大な空間を三色のヒトダマが彷徨っている。壁のところどころには亀裂のような隙間があり、そこからこんこんと清水が湧き出ていた。透き通った水は地面に溜まり、壁面の数箇所に開いた小さな穴を通ってどこかへ流れてゆく。


 樹流徒と渚の二人は、これから根の国の最下層に向かうところだった。樹流徒と根の国の間には、貴重な情報を交換し合う協力関係が結ばれている。樹流徒はメイジの手紙に書かれていたバベル計画の情報を携え、夜子と取引をするためにここまでやって来たのである。


 樹流徒が根の国の入口に到着すると、渚が出迎えに来てくれた。千里眼を使う彼女は既にメイジの死を知っていたらしく

「相馬君。こういうとき何て言ったら良いか分からないけど……」

 樹流徒と顔を合わせるなり、神妙な態度を取った。

「ありがとう。でも俺は大丈夫だ」

 渚の気遣いに感謝しつつ、樹流徒は気丈に答えた。その返事で、渚は“僕”が“俺”に変わったことに気付いたらしい。


「変かな?」

 樹流徒は道の先をまっすぐ見つめながら、隣を歩く少女に尋ねる。

「ううん。全然変じゃないよ。いいと思う」

 渚は少し慌てた様子で否定した。

「ただ今までの相馬君とはちょっと雰囲気が違うから、不思議な感じがするだけ」

「やっぱりそうか。俺もまだ“俺”に馴れてないんだ。違和感がある」

 樹流徒は正直に答えた。その口調は普段と異なり、少しドライで落ち着いた今までの声色に確かな力強さが加わっていた。

 変わったのは口調だけではない。瞳の奥には強い光が宿り、全身にはそこはかとなく自信が(みなぎ)っていた。まるでメイジの雰囲気が少しだけ樹流徒に移ったかのようだった。渚でなくとも、樹流徒の様子が変わったことに気付いただろう。

「いまの相馬君と会ったら、伊佐木さんどんな反応するだろうね?」

 渚は控えめな笑みを浮かべた。暗に「伊佐木さんはまだ生きているはずだ」と樹流徒を励まそうとしたのかも知れない。


 しばらくして、二人は根の国の最下層に到着した。樹流徒たちの眼前には巨大な祭壇がそびえ、その頂に新品のチュニックとブーツを身に着けた少女――夜子が座っている。ほかには誰もいなかった。


「ほう……生還したか。私の勘が外れたな」

 それが夜子の第一声だった。明らかに、樹流徒が死ぬと予想していた者の台詞だ。

 樹流徒は全く意に介さず

「儀式阻止は多分失敗した。号刀城の儀式は偽者だった」

 結果だけを淡々と説明した。


「それについては良く知っている」

 夜子の返事も淡々としていた。

「本物の儀式は北の山中で行なわれていたようだ。我々の軍も天使たちも儀式を妨害しようと猛攻を仕掛けたが間に合わなかった、と報告を受けている」

「その口ぶりだとお前は今回も戦いに参加しなかったようだな。あれだけの力を持ちながら……」

 憤りにも似た疑念が樹流徒の心に生じた。夜子の戦闘力があれば本物の儀式を阻止できた可能性は十分にあったのではないか? なぜ、そうしなかったのか? 理解できなかった。

 夜子は何も答えなかったが、樹流徒も負けじと黙っていると

「済んだことを今さら言っても意味はあるまい」

 と、はぐらかすように答えた。


「それより樹流徒は我々と取引をしに来たのだろう? ほかに君がここを訪れる理由は無いだろうからな」

 夜子は当然のようにそれを察していた。

「ベルゼブブの企みが判明した」

 樹流徒が即答すると

「流石だな。我々がまだ掴んでいない情報だ。是非、聞かせて貰いたい」

 少女の真っ赤な唇が両端を持ち上げた。


「では、代わりに樹流徒が欲する情報は何だ? 我々に答えられることならば喜んで教えよう」

「できれば仙道さんの力を借りたい」

「え。私?」

 少しのあいだ大人しく黙っていた渚が自分を指差す。

「なるほど。千里眼の力を借りたい、というのだな? 目的は人探しか」

 夜子はいちいち勘が鋭かった。敵に回すと厄介な洞察力だが、会話をする場合は話が早くて助かる。

「そうだ。市内で探して欲しい人が、二人いる」

「へえ、誰?」

 渚が尋ねる。

「一人は渡会さんだ」

「渡会……ああ、あの、龍城寺タワーの下で天使と戦ってた人だね? 覚えてるよ」

「もう一人は南方さんという人なんだが……知っているか?」

「名前だけじゃ分からないなあ。その人の外見的特徴は?」

「三十歳くらいの男で、スラリとした体型をしている。あと、いつもベストを身に着けていた」

「あ、その人知ってる。いままで何度か千里眼で視たからね。あの、やたら明るい感じの人でしょ?」

「そう。その人だ」

 仁万(にま)から聞いた話では、南方は詩織を助けようとして天使に処刑されたらしい。ただ、南方が死んだ瞬間をはっきり見た者はいない。樹流徒は、まだ南方が生きているかも知れないという微かな希望を持っていた。南方が天使の攻撃を浴びながらも奇跡的に生きている可能性を信じたかった。


「夜子様、どうしますか? 私は相馬君と取引しても良いと思いますけど」

 渚は夜子に指示を仰ぐ。

「異論は無い。人間二人の居場所を探すだけで敵の目的を知れるならば、安いものだ」

 すぐに許可が下りた。

 渚は「分かりました」と答えて、樹流徒のほうを向く。

「じゃあ、早速だけど渡会さんの居場所を教えるね」

「知っているのか?」

「うん。相馬君が号刀城で戦っているあいだ私は休んでたからね。お陰で少しだけ千里眼が使えるようになったの。それでさっき市内の様子を色々調べていたら、渡会さんらしき人を見つけたんだよ」

 渚はやや早口で説明的な台詞を並べた。恐らく、彼女がメイジの死を知ったのも千里眼で市内の様子を調べている最中だったのだろう。


「そうなのか。で……渡会さんはどこに? 生きているのか?」

「うん。××町の一軒家に潜んでるみたいだね。刀を持った男の人と、パジャマ姿の女の子と一緒にいたよ」

 刀を持った男と、パジャマ姿の少女……。

 令司と早雪に違いない。どうやら渡会はいま八坂兄妹と一緒にいるようだ。


 樹流徒の心につっかえていたものがひとつ外れた。渡会が生存していた。しかも八坂兄妹と合流している。考え得る限り最高の展開だった。渡会が生還したとなれば早雪の精神状態も少しは安定するかも知れない。彼女にかかった呪いの効果も少しは薄れるだろう。


「良かったね。仲間の人が無事で」

 渚も渡会の生存を自分のことのように喜んでいる。

 その笑顔を見て、樹流徒は思った。渚は以前「人間が嫌い」だと断言していたが、心底人間が嫌いならば表面上でもこんな風に喜んだりはしないはずだ。


 NBW事件さえ起きなければ、彼女はきっと今も人間を好きだったに違いない。あの忌まわしい事件に巻き込まれたりさえしなければ……

 樹流徒は、渚の背後にメイジの境遇を重ねた。


「じゃあ、続いて南方さんっていう人の居場所だけど……」

「もしかして、あの人も見つかったのか?」

「ううん。見付かってない。残念だけど、南方さんを探すためにはもう一度千里眼を使わないといけないね」

「そうか」

「しかも千里眼の再使用までにはまた休憩を挟まないといけないの。前にも言ったけど、相馬君が思ってるほど便利な能力じゃないから」

「今すぐには分からない、ということだな」

「うん。ゴメンね」

 渚は申し訳なさそうな笑みを浮かべて、両手を合わせる。

「丸一日じっくり休ませてもらえば、千里眼の長時間連続使用ができるんだけど」

「悪いけど、そこまでは待てないな」

 樹流徒は難色を示した。二、三時間くらいなら待てるが、あまり悠長にもしていられない。

「うーん……。じゃあ、また時間が経ったら根の国に来てもらってもいいかな? その時までには絶対南方さんの居場所を調べておくから」

「分かった。頼むよ」

 南方の生死をいますぐ確認してもらうのは無理そうだ。

 樹流徒にとっては気がかりが残ってしまう結果となったが、それを補って余りあるほど渡会の生存は喜ばしいことだった。南方については「どこかでひょっこり生きている」と願うしかないだろう。


「じゃあ、今度は俺が情報を話す番だな」

 樹流徒は祭壇を見上げた。

「俺……か。なるほど。急に雰囲気が変わったと思ったら、何か(・・)あったようだな」

 夜子も樹流徒の一人称が変わったことに気付く。メイジの死についてはまだ知らないようだ。


 樹流徒は今度も意に介さず、話を先へ進める。メイジの手紙に書かれていたことを喋った。

 ベルゼブブたちの目的が天使への復帰(聖界との戦争)であること。その目的を果たすためには、バベルの塔が必要なこと。魔都生誕を発生させたのは現世と魔界を繋ぐとともに、バベルの塔を現世に出現させるのが目的だったこと。

 悪魔が現世で行なってきたコキュートス破壊の儀式は、サタンの肉体を生贄に捧げるためだったこと。それによりバベルの塔が完成すること。

 これら一連の計画がバベル計画と呼ばれていること。そして、魔界の第八階層・魔壕でバベル計画は真の最終段階を迎えること。


「俺が知っている情報はこれだけだ」

「ふうん。バベルの塔か……。私、名前だけは聞いたことあるよ」

「『創世記』に登場する塔だな。私も現世で暮らしていたときに知った。なるほど、それでバベル計画か」

 夜子は得心したように答えたあと

「まったく、悪魔たちは私の庭で随分と好き勝手してくれるものだ」

 と、付け足した。「私の庭」とは、日本ないしは現世のことを言っているのだろう。


「それで……君はこれからどうするつもりだ?」

 夜子が樹流徒に問う。

「魔壕へ行く」

「行くといっても、どうやって?」

「それは教えられない」

「教えられない、か。その言い方だと、魔界へ行く方法自体はすでにあるようだな」

「……」

 樹流徒は無言を返しながら、内心で首を捻った。

 夜子は悪魔倶楽部の鍵について渚から報告を受けていないのか?


 意外だった。そういえばさっきも夜子はメイジの死について知らない様子だった。もしかすると渚は夜子に対して意図的に情報を隠しているのかもしれない。

 一体、彼女は何を考えているのか? 樹流徒は横目を使って隣の少女を見る。

 渚は明るい笑みを返すだけで、何も言わなかった。


 夜子は玉座の上で足を組む。

「まあ良い……。しかし、樹流徒よ。君は単身魔壕へ乗り込んでどうする気だ? バベル計画を止める気か?」

「いや。バベル計画を乗っ取る」

「計画の阻止ではなく、乗っ取る?」

「ああ」

「そうか。なるほど……確かにそれしかない(・・・・・・)だろうな」

 早くも樹流徒の意図に気付いたのか、夜子は一を聞いて十を知ったような物言いをする。


 樹流徒が魔壕に向かう目的は主に二つあった。

 ひとつは魔都生誕を主導した悪魔、ベルゼブブを討伐すること。

 そしてもうひとつは、前述したバベル計画の乗っ取りである。ベルゼブブを倒した後、敢えて悪魔たちには引き続きバベル計画を行わせ、聖界への道を開かせるのだ。


 何故、そんなことをするのか? 答えは決まっている。聖界に連れて行かれた詩織を救出するためだ。

 バベル計画を利用する以外に聖界へ行く方法は無い。もし別の方法があるならばとっくにベルゼブブたちが実行しているからだ。そのことはメイジの手紙を読み終えた時点で樹流徒も気付いていた。詩織を助けるにはバベルの塔を通るしかない、と今ならば断言できる。


「だが、君は本当にそれで良いのか?」

 ここで、夜子がひとつ疑問を呈する。

「何がだ?」

「君は、バベルの塔を利用することに抵抗は無いのか? バベル計画を実行するために、これまで多くの龍城寺市民の遺体が儀式の生贄に捧げられたことを、よもや忘れてはおるまい? 伊佐木詩織を助けるためとはいえ、その計画を利用することに対して君の良心は痛まないのか?」

「お前の口から良心なんて言葉が出るとは思わなかった……」

 樹流徒は即座に言い返す。

 とはいえ、夜子の言い分はもっともだった。果たして詩織を救出するためにバベル計画を利用することが道徳的に正しいかどうか、樹流徒には分からなかった。極論を言えば、夜子の質問は「多くの死者を冒涜してでも、たった一人の生きている人間を救うべきか?」という問い掛けなのである。正しい答えなど無いのかもしれない。


 そのような選択を迫られて、樹流徒に抵抗が無いはずがなかった。魔都生誕はバベル計画の一環だし、ベルゼブブの目的を知らなかったとはいえ、樹流徒たちは今までバベル計画を阻止するために戦ってきた。それを敢えて実行させようというのだから、抵抗を感じるどころの話ではなかった。儀式の生贄には樹流徒の家族や知人も含まれていたかも知れない。想像するだけで、樹流徒は心は激しく葛藤した。夜子の言葉を借りるなら良心も痛んだ。


 それでも迷いを乗り越えて、樹流徒は答えを出した。

「俺は、いま生きている人を大切にしたい。生贄に捧げられた市民のみんなには悪いが、俺はバベル計画を利用してでも伊佐木さんを助けに行く」

 己の決意を確認するように力強く言い放った。バベル計画を阻止したところで生贄に捧げられた市民の遺体は返ってこない。けれど、詩織を助けることは今からでも間に合うかも知れない。樹流徒はそちらの希望に賭けたかった。

「本当に変わったな。以前までの君だったら、恐らく何も答えられずに黙り込んでいただろうに」

 夜子は口をまっすぐに結ぶ。珍しく面白くなさそうな表情だった。


「話はもう済んだな。俺は今から魔界に行く」

 樹流徒はそれだけ言って、踵を返す。

 渚もすぐあとに続いた。樹流徒を外まで送ろうとしたのだろう。

「待て」

 が、それを夜子が呼び止める。


 二人は立ち止まり、玉座を振り返った。

「どうしたんですか、夜子様?」

「バベルの塔の外がどうなっているか、見たくはないか?」

「なに?」

「龍城寺市の外に出てみないか? と聞いたのだ」

 夜子が繰り返す。

 あまりにも突然の提案だった。


「そんなことが可能なのか?」

「愚問だな。出来ぬことを提案すると思うか?」

「それはそうだが……」

「いかに私とて、バベルの塔を破壊したり直接すり抜けるだけの力はない。しかし根の国は龍城寺市以外にも日本各地と繋がっている。塔の影響を受けずに好きな場所へ移動できるのだ」

「じゃあ、本当に外の様子が分かるのか……」

 この話が事実ならば、現在外の世界がどうなっているか確かめてみるべきかも知れなかった。流石に長居はできないが、すぐに戻って来れば問題ない。樹流徒の気持ちは傾いた。

「ね、相馬君。塔の外が無事なことを確認して、それを伊佐木さんや組織の人たちにも教えてあげなよ。きっとみんな安心するし、喜ぶと思うな」

 渚の言葉が樹流徒の背中を押す。


「しかし分からないな。どうして俺に外の様子を見せようとする?」

 樹流徒は当然の疑問を口にした。自分に市外の様子を見せて、一体夜子に何の得があるのか、不思議だった。もしかすると何か裏があるかも知れない。

「なに、ほんの気まぐれだ。別に君が市外の様子を知ったからといって、我々の不都合になるようなことはひとつも無いからな」

「本当にそれだけなのか?」

「いや。君に恩を売っておきたい、という下心もある。君が魔界から生還した暁には色々と貴重な話を聞かせてもらえそうだからな」

 夜子は淀みなく答える。

「それ以上は何も無い。信じるかどうかは君次第だ」

「分かった」

 嘘には聞こえなかった。夜子の言葉に全く裏が無いとは断言できないが、市外の様子を確かめられる機会など、おそらく二度とない。樹流徒は、あえて相手の誘いに乗ってみるのも悪くない気がした。


「どうする? 無理にこの話を受けろとは言わないが……」

「いや。遠慮なく受けさせてもらう。この目で市外の様子を確認したい」

 樹流徒が答えると、玉座の女王は軽く瞼を閉じて小さく頷いた。

「よかろう。では樹流徒よ、久々に現世の日常に触れ、束の間の休息を満喫してきたまえ」

「あの。私も相馬君に同行していいですか?」

 やや恐縮気味に渚が尋ねる。

「いいだろう。許可する」

「ありがとうございます」

 渚は深々と頭を下げると、樹流徒のほうを向く

「じゃあ、私、すぐに着替えてくるね」

 そう言い残して、嬉しそうにどこかへ走り去っていった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ