追憶
生え放題の雑草に覆われた緑の大地に、銀色の十字架を戴く小さな教会がぽつんと佇んでいた。切り立つ崖の向こうには雲ひとつない空と、紫がかった霧に水平線を隠された大海原が横たわっている。まるで淡彩の風景画が額から飛び出してきたような、とても静かな景色だった。
ここ霧下岬は、以前樹流徒とメイジが再会を果たした場所である。
その岬が見下ろす海の浅瀬に樹流徒は立っていた。彼の両腕にはメイジの亡骸が抱えられている。ほんの数時間前まで生きていた親友の体はすっかり冷えきっていた。
樹流徒は、メイジの体が完全に硬くなってしまう前に別れを告げるようと決めた。
メイジは本来とても優しく器の大きな人間だった。NBW事件に巻き込まれさえしなければ、きっと誰もが一目置く大人に成長して何か凄いことを成し遂げていたはずだ。それを誰よりも知っている樹流徒は、この広い広い海の中こそが親友の墓標に相応しい気がした。だからこの岬までやって来たのだ。
視線を落とすと、メイジは不思議なほど安らかな顔で瞳を閉じていた。
彼が本当に死んだという実感が、樹流徒の心には沸いてこない。本当はメイジが死んだフリをしているのではないか。今にも目を覚して「どうだ? ビックリしたか?」などと冗談を言いながら、呆れ果てた自分に向かってニヤリとするのではないだろうか。樹流徒はそんな気がしていた。
「メイジ……。いい加減目を開けないと、海に投げるぞ」
樹流徒は呟く。今、自分がどんな顔をしているか、よく分からなかった。
メイジからの返答は無い。空っ風が吹きぬける音と潮騒だけが耳の奥を揺らした。
それから何度、波が寄せては返しただろうか。
ついに別れの時が来た。
浅瀬で立ち尽くしていた樹流徒は、沖に向かってゆっくりと進む。海水が胸の下まで浸かったところで立ち止まった。そしてメイジが死んだ実感が希薄のまま、彼の亡骸をそっと海の上に浮かべる。
支えを失ったメイジの体は海面でゆらゆらと揺れた。そして波をかぶるたび、少しずつ水の底へ沈んでゆく。
樹流徒はメイジの体を拾い上げたい衝動に駆られた。このままあっさり別れてしまうのが怖かったのかも知れない。
思わず手を伸ばしかけたが、それをぐっと堪えた。樹流徒は両の瞳で友の亡骸をしっかり見つめたまま、少しずつあとずさる。
やがてメイジの姿が完全に見えなくなって、樹流徒は浜辺に辿り着いた。
まだ現実味を感じない。手足がふわふわして、今も体が海水に浸かっているようだった。
全てが夢なのかも知れない。メイジの死だけではなく、魔都生誕が起きたことも、その数年前に起きたNBW事件も、全てが長い幻で嘘のように思えた。
崖の上に移動して、教会の外壁に背中を預け地面に座る。海面にはもう何も浮かんでいない。ただ水色の光がキラキラと反射して、樹流徒の心を余計にぼんやりとさせた。
しばらく海原を眺めていると、なにもかも全てを投げ出してこのままこの場所で朽ち果ててしまいたい気分に襲われた。
いままで何体もの悪魔と戦った。いくつもの敵の命を奪った。自分だって何度も命を落としかけた。そして大切なものを沢山失った。
あと何回こんなことを繰り返せばいいのか? 樹流徒は途方も無い感覚に陥った。
もちろん本気でこのまま朽ち果てるつもりはない。樹流徒は頭の中で、自分のすべきことを理解していた。
その一方で、どうしても気持ちがついてこない。悪魔たちが凱歌を上げる中、号刀城からメイジの亡骸を運び出したとき、心にぽっかりと大きな穴が空いてしまった。その穴は塞がらないどころか、いまも少しずつ大きく広がり続けている。肉体と精神は密接な関係にあるものだ。心が沈めば体にも力が入らなかった。
このままではいけない。このままではいけない……
そんな言葉を頭の中で呪文のように繰り返すこと数十回。樹流徒はようやく腰を上げる気になった。協会の壁に背中を引きずりながら立ち上がり、ふらふらと歩き出す。
これから行かなければいけないところがある。
“オレたちの……思い出……場所へ”
メイジが最期に言い残したあの言葉に、樹流徒は心当たりがあった。メイジとの思い出は数え切れないほどあるが、その中でも一番大切な記憶がある。どうしてもその記憶が眠る場所へ行かなければいけなかった。メイジが最後に何を伝えようとしたのかを知るために。
樹流徒は霧下岬を離れ、市内の内側に向かって移動を始めた。
道中、退廃的な雰囲気が漂う街中を進んでいると、行く手に小さな影が佇んでいた。
近付いてみると、影の正体は一人の少女だった。樹流徒よりひとつかふたつ年下の外見を持ち、金色の髪を背中の下まで伸ばしている。白い衣に身を包み背中から小さな白い翼を生やしているところを見ると、多分聖界の住人だろう。仲間とはぐれたのか、単独行動中なのか、彼女の周りには誰もいなかった。
少女の姿をした天使の足元にはプラチナカラーに輝くネックレスが数点散らばっている。良く見れば、天使が立っているのは宝石店の前だった。恐らく悪魔かネビトが暴れたせいで店のショーウインドウが破壊され、奥に展示されていたアクセサリーやそれらを展示していたディスプレイ用の胸像が地面に飛び出したのだろう。
少女はネックレスのひとつを手に持ち、それを紺碧に輝く瞳の前にぶら下げていた。宝石の美しさに魅了されたのか、それともネックレスの用途が分からず考えこんでいるのか、食い入るように見つめている。
樹流徒がすぐそばに寄っても、少女の視線は眼前にぶらさげた物から動かなかった。まるで樹流徒に敵意が無いことを知っているかのように、逃げたり、身構えるといった行動を取らない。
「それ、首から提げるものだよ」
樹流徒が地面に落ちた別のネックレスを拾い上げると、少女はようやく魔人に視線を送った。
「こんな風にして身につけるんだ」
樹流徒は拾ったネックレスを首に提げ、手本を見せる。すると、少女も真似して自分の手に持っていた物を身につけた。
少女は自分の首元に輝く宝石を見下ろしたあと、樹流徒に向かって微笑み、裸足でどこかへ歩き去っていった。
しばらくして、樹流徒は目的の場所に到着した。
そこは市内某所の小学校だった。校門の前から白い四階建ての校舎と、その奥に広がる校庭が見える。校庭の周りは高いフェンスと、生垣に囲まれていた。
どこから見ても特に変わった点のないごく普通の学校だが、樹流徒にとっては少し特別な場所だった。なぜなら、ここは樹流徒とメイジの母校であり、二人が初めて出会った場所でもあるからだ。
懐かしい校舎を見上げながら、樹流徒は頭の中に過去の記憶を蘇らせる。
メイジは初めて出会った時からすでに周りのクラスメートたちとはだいぶ毛並みが違っていた。子供ながらに瞳をギラギラさせ、ひとつひとつの言動が大胆で自信に満ちていた。頭は切れ、行動力も抜群で、好奇心の塊とも呼ぶべき手足は楽しいことを求めて絶えず活発に動いていた。そして陽気な笑顔は周囲の人間を惹きつける魅力に溢れていた。樹流徒もその魅力に惹かれた一人だった。
ただ、元々樹流徒とメイジの関係はタダのクラスメートでしかなかった。メイジは樹流徒よりも仲の良い友達が沢山いたし、樹流徒にも自分と似たような性格の友人がいた。何かきっかけでもなければ、二人の仲がそれ以上深まることはなかっただろう。
両者の関係に大きな変化が起こったのは、二人が知り合った翌年の夏だった。
樹流徒は今でもはっきりと覚えている。それは一学期の終業式が行われた日だった。
その日、夏休みの宿題を教室に忘れてしまった樹流徒は、夕方に家を飛び出して学校へ向かった。樹流徒の自宅から小学校までは徒歩で二十分もあれば着く。夏なので夕方でも外は明るく、通学路は防犯カメラや人通りのある場所が多かったので、子供が一人歩きをしても危険は少なかった。だから樹流徒が「学校へ宿題を取りに行く」と言っても、彼の母親は「車に気をつけてね」としか答えなかった。
樹流徒は学校に到着すると、教室へ駆け込み、無事に宿題を手に入れた。
誰もいない夕方の教室は、いつもと雰囲気が違った。にぎやかなクラスメートもいなければ、廊下から聞こえてくる音もない。薄闇と静寂に包まれたその空間は、樹流徒少年にとってちょっとした異世界だった。
幼心にワクワクして、樹流徒は教室の窓際に立った。本当だったら宿題を取ってすぐ家に帰るつもりだったけれど、気が変わった。いつもと雰囲気が違う教室の中から見える外の景色が一体どんな風なのか、確かめてみたくなった。
ガラス越しに見えた外の様子は、昼間の教室から見えるものとは全然別物だった。校庭を走り回る子供たちは一人もいない。木々が地面に落とす影は濃く、ジッと見つめていると少し恐ろしくて寂しい気分になった。学校前の道路に視線を移すと、イルミネーションのように美しく輝く車のライトが見えて逆に心がほっとした。
まさか夕方の教室がこんなにドキドキする場所だったなんて……。樹流徒の心はときめいた。
それから二、三分くらい外の景色を眺め続けただろうか。樹流徒のささやかな冒険心はすっかり満たされた。宿題も回収したことだし、良い気分に浸ったまま、そろそろ家に帰ろうと思って窓際から離れようとした。
と、そのとき。半分踵を返した樹流徒は、あれ? と思って再び窓のほうを向いた。
鼻がくっつくほどガラスに顔を近付けて目を凝らすと、校庭の砂場に人影があるのを見つけた。遠目なので誰なのかまでは分からないが、体の大きさからして子供なのは間違いなかった。
その子供は砂場の鉄棒に背を預けて、ジッとしゃがみ込んでいた。誰かが来るのを待っているだろうか。少なくとも一人で遊んでいる風には見えなかった。
樹流徒はとても気になった。砂場にぽつりといる子供が寂しそうに見えて、なんだか放っておけなかった。
このまま家に帰っても、多分、気になって眠れない。
樹流徒は帰宅する前に、校庭の砂場に立ち寄ることにした。どちらかと言えば内気な性格だったから、見知らぬ人に話しかけるのは少し緊張する。でも、もし砂場にいる誰かが寂しい思いをしているならば、少しのあいだだけでも近くにいてあげたい。そちらの気持ちの方が強かった。
階段を駆け下り、靴を履き替えて、外へ。校庭の中を突っ切る。
そして砂場に近付いたとき……樹流徒は意外な人物を見た。
砂場で孤独にしゃがみ込んでいたのは、メイジだった。膝を抱え、足元の砂に視線を落とし憮然としているその態度は、樹流徒が知っているいつもの明るいメイジとはまったくの別人だった。
「籠地くん」
樹流徒は声をかけた。籠地というのはメイジの苗字である。このときはまだお互いを愛称で呼んでいなかった。
メイジは樹流徒の接近に気付いていなかったらしく、さっと顔を上げると目を丸くした。
「おお、相馬じゃん」
すぐに普段のメイジに戻った。直前までの様子が嘘のように、陽気な笑顔を咲かせる。
「こんなところで何してるの?」
樹流徒は直球で尋ねた。良くも悪くも、知人に対しては何でも遠慮せずに聞ける年頃だった。
「ああ、聞いてくれよ……」
メイジもあっさり答える。彼の場合はたとえ相手が初対面の人間であろうと疑問に思った事は何でも聞くし、質問をされれば何でも答える少年だった。
「ジツは親とケンカして家飛び出してきちゃったんだよね」
メイジがたった一人で砂場にいた理由はそれだった。
樹流徒が更に詳しい事情を尋ねると、メイジも笑いながら答えた。
話を聞くと、どうやら事の発端は“夏休みの自由研究”だったらしい。メイジがやろうとしている研究の内容に母親が猛反対したため、それに怒ったメイジが家を飛び出してきたというのだ。
自由研究といえば、大抵の子供はある程度身近な題材で済ませてしまうものだろう。樹流徒も父親に買ってもらった初心者向けの電子工作キットを組み立てて提出するつもりだった。
それに対して、メイジの自由研究は極端にスケールが大きかった。その内容というのが“自作のヨットによる単独世界一周”だったのである。
ヨットの自作だけでも十分に凄いが、それなら誰も反対はしなかっただろう。問題は世界一周のほうである。メイジの母親が許可しないのも当然だった。
「ひとりで世界一周なんてスゴいね」
全ての話を聞き終えた樹流徒は、心に感じたことをそのまま口にした。少なくとも自分には絶対真似できないことだった。ちゃんとしたヨットを作る自信もないし、そもそもそれを作るための材料費が無い。部品をタダで拾い集めるにしてもどこから何を持ってくればいいのか分からなかった。それに、たとえヨットが完成しても世界一周なんてできない。まず体力が持たないだろう。潮の流れについても全く知らないし、地図の見方も良く分からない。何より、航海中の孤独に耐えられる自信が無かった。
樹流徒は、メイジが大言壮語しているとは思わなかったし、自分と同い年の子供がこんな大それた計画を実行しようとしていることに感動した。
「だろー? スゲーと思うよな」
メイジは嬉しそうに答えた。
かと思えば、次に口を開いたとき、彼の顔は思い切り不機嫌になる。
「なのに、母さんが“キケンだからやめとけ”とか“もう少し大人になってからにしろ”とか言うんだぜ。ひどくね?」
「うーん……」
樹流徒は返す言葉に困った。メイジの気持ちも分かるが、メイジの母親が反対する気持ちも良く分かったからだ。小学生がたった一人でヨットを駆り世界一周なんて、いくらなんでも無謀だ。「絶対無理」とは断言できないが、危険なのは間違いない。きっとメイジの母親だけでなく、周囲の大人たちは皆反対するだろう。
「とりあえず家に帰ったほうがいいんじゃないかな? お腹空くし」
悩んだ末、樹流徒はそう答えた。
「たしかに腹は減った……。せめて昼メシ食ってから家出すれば良かった」
メイジは困った顔で腹をさする。まだお昼を食べてないということは、学校から帰ってすぐに家出したのだろう。それから今までずっとこの砂場にいたのかもしれない。
もうじき日本中の家庭が晩御飯を食べる時間になる。昼夜二食抜きは、育ち盛りのメイジにとってかなり厳しいはずだった。
「でも、それでいいんだよ」
と、メイジ自身は言う。
「だってオレ、いまハンガーストライキをやってる最中だからな」
「ハンガー? って、洋服をかけるアレ?」
初めて聞く言葉に樹流徒が小首を傾げると、メイジはあははと声を出して笑った。
「ハンガーストライキっていうのは、食べたり飲んだりするのをガマンして、自分のよーきゅーを訴えることだよ」
「え。じゃあ、籠地くんのお母さんが世界一周しても良いって言うまで、ご飯食べないの?」
「うん。まあ、そのつもりだったんだけど……」
メイジは言ってから、ニヤリとする。この先何年ものあいだ樹流徒が見ることになる、メイジが何かを企んだときの顔だった。
「なあ、相馬。オマエに頼みがあるんだけど」
「え。なに?」
「あのさ。オマエん家から何か食べ物と飲み物持ってきてくれない?」
「え。だって、ハンガーなんとか……っていうのをしてるんでしょ?」
「ストライキな。やってるように見せかけて陰で食っとけばいいんだよ、そんなモン」
「あ、なるほど」
それでいいのかな? という気持ちも僅かにあったが、樹流徒はほとんど感心して相槌を打った。
「な、頼む。今晩だけでいいからさ」
「えーと……」
樹流徒は再び返答に窮した。自分の家から食べ物と飲み物を調達するのは一向に構わない。ただ、それをしてしまうとメイジは家に帰らなくなる。メイジが家に帰らないと彼の家族が心配する。それは良くないと思った。
「頼むよ、相馬」
メイジは両手を合わせて頭を下げる。
結局、樹流徒は頼みを断りきれなかった。メイジの家族には申し訳ないと思いつつ、一度自宅に帰り、自分のおやつとジュースを入手すると、今度は親に内緒で学校に戻ってきた。
ひとり砂場に残っていたメイジは、樹流徒が姿を現すとこの上なく嬉しそうな顔をした。そして受け取ったスナック菓子と温くなった飲み物を開封して勢い良く胃袋に流し込んだ。
「ありがと。オマエ、イイヤツだな」
食べている最中、メイジが礼を言った。
「別にそんなことないけど……」
「お礼にこれ食い終わったらイイもの見せてやるよ」
「イイもの……なにそれ?」
「まだ教えない」
メイジは歯を見せて笑うと、ジュースで濡れた口元を手で拭った。
腹が満たされて喉の渇きが癒えると、メイジは完全に元気を取り戻した様子で立ち上がった。空になった菓子袋の中に、同じく空になったジュースの缶を押し込んで、それを砂場の隅に投げ捨てた。
「じゃあ、約束通りいまからイイもの見せてやるよ」
「それ、どこにあるの?」
「すぐそこ。いいから黙ってついてこいよ」
メイジは立ち上がり、歩き出す。樹流徒はメイジが捨てたゴミを拾ってから、あとを追った。
間もなく二人は学校の裏に広がる森の中にやってきた。
その森は、当時から緑が少なかった市内の都心部にとって貴重な財産だった。昔の子供たちが遊び場として良く使っていたらしいが、現在はほとんど誰も立ち入ろうとしない。せいぜい家電製品の不法投棄目的でやってくる人間と、たまに訪れる自然監視員がいるくらいだった。
この無人の森の少し深い場所に、メイジが言っていた「イイもの」はあった。
それは所謂秘密基地だった。樹木と樹木のあいだにピンとロープを張り巡らし、そこにガムテープでくっつけた段ボールの外壁が隙間なく吊るされている。樹木のやや高い位置にもロープが張られているが、用途は不明だった。多分屋根を作ろうとしたが断念したのだろう。いかにも子供が手作りした感じの基地だったが、それを見た当時の樹流徒は胸が躍った。
基地の中に入ってみると、どこかから拾ってきた大量の雑誌や新聞紙を敷きつめた床が広がっていた。床の隅にはゴミ捨て場から引っ張ってきたのであろう小さなちゃぶ台が置かれている。基地を作るのに使用されたと思しきガムテープやカッターナイフも転がっていた。夜の闇に備えて用意されたロウソクや懐中電灯まであった。
「どうだ?」
メイジは自慢の宝を披露するように得意な顔をした。
「すごいよ。籠地君がひとりで作ったの? これ」
「うん。まだ未完成だけどな」
「そうなんだ」
「この基地を人に見せるのは今日がはじめてなんだよ。だからほかのヤツには絶対言うなよ? オレたちだけの秘密だからな」
「うん、分かった。でも、何で秘密基地を作ろうと思ったの?」
「オレ、たまに家出するからさー。どこか寝る場所が欲しかったんだよね」
「あ。家出するの今日が初めてじゃなかったんだ……」
そのあと、二人は秘密基地で長々と語り合った。
メイジは何でも知っていたから、樹流徒とも話が合った。漫画やテレビやスポーツ選手の話から始まって、ダンボールは雨に濡れると柔らかくなってしまうから秘密基地の外壁を鉄板に変えたいという話や、屋根をどうやって作ろうかという話をしている内、二人はすっかり打ち解けた。
思い返せば、樹流徒とメイジが友達になったのはそのときからだった。
時間はあっという間に過ぎて、気付けば夜になっていた。
楽しく喋っている内に怒りが冷めたのか、メイジは世界一周の自由研究をあっさりと諦めて、自宅に帰っていった。はじめから何日も家出するつもりは無かったのかも知れない。
樹流徒も帰宅したが、家の前に到着すると警官がいて驚いた。樹流徒の帰りが遅くて心配した母親が交番に連絡したのである。樹流徒は両親からきつい説教を食らい、色々と問い詰められたが、メイジの名前と秘密基地の存在だけは決して口外しなかった。
夏休みの最後の日に強い嵐がやってきて、いままで森の木々が守ってくれた秘密基地はあっけなく消滅した。
それでも樹流徒とメイジの仲は消えることなく続いた。同じクラスになることが多かった幸運もあったのだろう。二人は一緒に行動する回数が増え、いつしか唯一無二の親友になっていた。
過去の回想を終えた樹流徒は、静かに歩き出す。
メイジが死の際に言った“思い出の場所”。それは、きっと子供の頃メイジが見せてくれた秘密基地のことに違いない。
あの基地はもう無い……でも、行ってみよう。
樹流徒は母校に足を踏み入れ、裏手に広がる森へ向かった。