蘇る切り札
樹流徒が罠を仕掛けた疑いも表面上は晴れ、今度こそゲームが再開される。
樹流徒はシャッフルをやり直して、各プレーヤーにカードを配る。悪魔たちの視線がいっそう自分の手元に集中しているのが分かった。これでは新しい罠を仕掛けるのは無理だ。
監視が強まる中、特に変わったことも起こらず第十五ゲームが終了。続くマゴグが親の第十六ゲームも至って普通に消化された。
このまま何の進展も無く、ただただゲーム数だけが積み重ねられてゆく。そんな緩みきった空気が場を支配していた。
樹流徒の表情や動きにはまるでキレが無い。ゴグに罠を発見されてから、急激に元気を失っていた。第十六ゲームが終了した頃、傍から見た樹流徒の姿はさながら思考を放棄した操り人形だった。闘志の欠片も無く、ただルールに沿って手を動かし続けているように見えた。
それでもフルカスは決して手を抜かなかった。彼は第十五、十六ゲームの両方でフラッシュを揃え、軽々と、容赦なく勝利を掴んだ。
第十七ゲーム。親のフルカスが危なげない手つきでシャッフルを始める。
樹流徒はとうとうテーブルに肘を突き、両手で額を押さえるように頭を抱え、がっくりとうなだれた。最後の希望を託した罠があっさりと看破され、今後もまるで勝てる見込みがないのでは、激しく落胆するのも無理はなかった。
「元気出せよ。オマエが三連勝すればこのゲームは終わるんだからさ」
ゴグが樹流徒を励ます。
たしかに樹流徒が普通にゲームを続けて三連勝する可能性はゼロではない。ゴグが親のゲームから三連勝できる可能性は残されている。ただ、それを実現させる確率は限りなく無に近かった。
樹流徒はゴグの言葉に軽く頷いて、ゆっくり頭を持ち上げた。しかし目に生気が無い。
シャッフルを終えたフルカスが各プレーヤーにカードを配った。
樹流徒は手元に来たカードを見る。ダイヤのAと、Kから10が連続していた。また最初からロイヤルストレートフラッシュが揃っている。けれど、この手役でも勝てないように仕組まれている。フルカスが全プレーヤーのカードを自在に操っているからだ。
樹流徒は半ばやけになったように、手札を全部交換した。
「つい先ほどまで、おぬしは多少できるニンゲンかと思っていたのだが……。見込み違いか」
フルカスはそのようなことを言って、山札の上からカードを五枚ドロー。樹流徒の前に差し出した。
樹流徒は表情を変えず、力ない手つきで交換したカードを拾い上げた。そして五枚のカードを見る。
ハートとクラブの2が揃っていた。2のワンペア。ノーペアを除けばポーカーで最も弱い役だ。また、クラブの2はポーカーにおいて最弱のカードである。もしかするとこのカードはフルカスの樹流徒に対する現在の評価を表わしているのかも知れなかった。他のカードもクラブの3、4、5と弱いカードがばかりが揃っている。
それを目の当たりにした樹流徒の口から静かな吐息が漏れた。
勝負を諦めた者のしみったれたため息……フルカスたちはそう思ったに違いない。
「キルト、大丈夫?」
マゴグに至っては樹流徒を気遣った。
多分、悪魔たちは全員勘違いをしていた。
樹流徒が漏らしたのは決してため息などではなかった。何かに対する憤りで呼吸が荒くなったわけでもない。
彼の口から漏れたのは、安堵の吐息だった。
樹流徒は待っていた。勝負を諦めたフリをして、すっかり落ち込んだように見せかけ、内心では精神をすり減らしながら、この瞬間が訪れるのを息を潜めて待ち構えていた。
カード交換が済み、手札公開に移る。親のフルカスから順に公開。フルカスもゴグもフォーカードだった。そして樹流徒が2のワンペアを公開。
このときである。満を持して樹流徒の罠が動き出す。
完全に希望を失っていたかと思われた彼の瞳に突如力がこもった。今まで落ち込んでいた演技をしていたのだから、生気を取り戻した樹流徒の力強さは一層際立つ。
「ちょっと待ってくれ」
樹流徒はすぐにゲームの進行を止めた。その声色も完全に元の状態を取り戻している。
「え。なに?」
これから手札を公開しようとしていたマゴグの手がぴたりと止まった。
「どうした? 急に元気になったな」
ゴグは大きな瞳をぱちぱちさせて、樹流徒の顔を見つめる。
一方、樹流徒の視線はフルカスに向けられていた。
「今気付いたんだが、床に一枚カードが落ちているんだ。拾わせてくれ」
と、正面の悪魔に向かって言い放つ。
フルカスの瞳がぎょろと剥いた。
「え。嘘だろ」
もっとハッキリした反応を示したのはゴグだった。それもそのはず、樹流徒がシャッフルを失敗したあと、テーブルの下を入念に調べたのはゴグだ。拾い残したカードがあるはずがない、と驚くのは当然だった。
ゴグは素早く背中を丸めてテーブルの下を覗く。彼だけではない。フルカスもマゴグもすぐあとに続いた。
悪魔たちは一斉に顔色を変える。樹流徒の足元に、裏の状態で伏せられたトランプが置かれていた。
「あ、ホントだ。カードが落ちてるよ」
「なんでだ? オレは確かにテーブルの下を調べたぞ。キルトの靴の下まで見たのに……」
ゴグは信じられないといった風な声を出す。
まさに、それこそが樹流徒の狙いだった。シャッフル失敗の演技がバレることも、足の下に隠したカードが見付かることも、全ては予定通り。樹流徒ははじめから、罠を疑ってテーブルの下を覗いた者に、床にカードが残されていないかどうかを入念に確認させるつもりだった。そして足の裏に隠したカードを見つけさせるつもりだった。それにより悪魔たちは罠を見破ったと油断する。
樹流徒は、本物の罠を隠すために別の罠を囮にしたのだ。
ただ一名、フルカスだけはそれに引っかからなかった。
――おぬしが故意に罠を仕掛けた疑いは残っている。足の裏に隠したカードは囮で、実は拾ったカードに本命が仕込まれているのもかも知れない。
先ほどフルカスが言ったあの言葉は、半分当たっていたのである。彼が言った通り、樹流徒が足の裏に隠したカードはただの囮だった。
でも残り半分の嘘はフルカスでも見抜けなかったようだ。樹流徒が本命の罠を仕込んだのは拾ったカードではなく、もっと別のカードだった。
それは、樹流徒がテーブルの下に隠した“二枚目のカード”である。樹流徒は自分の足の裏に隠したカードのほかにも、もう一枚別のカードを隠していた。それこそが本命の罠であり、今、樹流徒の足元に置かれているカードだった。
では、そのカードはいままでどこに隠れていたのか?
答えは、フルカスの足元に置かれたガントレットの隙間だった。銀色に輝く左右のガントレット……それは、樹流徒がこの場所にやってき来たときから既に置かれていたものである。当時テーブル上に散らばっていた麻雀牌や、ゴグの足元に置かれている花札の束も同じだ。
樹流徒はそれに目をつけていた。ガントレットの隙間ならば、カードを隠してもまず発見されることはない。視覚的にも見付かりにくい上、樹流徒がシャッフル失敗でばら撒いたカードがそこまで飛ぶはずがない、という先入観も手伝う。ましてや都合よくガントレットの隙間に潜り込むことなどあり得ない。絶対安全とも言える場所だった。
ただ、カードの隠し場所は決まっても、ひとつ大きな問題が残っていた。どうやってそこまでカードを運ぶか、である。
樹流徒から見て、ガントレットはテーブルの反対側に座るフルカスの足元に置かれている。樹流徒が椅子に座ったままいくら手を伸ばしても、そこまで届かない。かといって、地面を這って腕を伸ばしても無意味だ。そんな派手な動きをしたら、すぐ全員に気付かれてしまう。
そこで樹流徒が使用したのが“念動力”だった。念動力は手を触れずに物を動かせる能力だ。それにより、樹流徒はわざわざ手を伸ばさなくても遠くにカードを移動させることができた。自分の手で足の裏にカードを隠しつつ、同時にフルカスのガントレットに別の一枚を忍ばせることができたのである。
ゲームが再開したあと、樹流徒はもう一度念動力を使った。今度はフルカスのガントレットに忍ばせたカードを遠隔操作し、自分の足元まで運んだのだ。さらにそのカードを足の裏で踏んで隠した。一度はゴグに見破られた罠が蘇った瞬間だった。
ただ、この策を実行するには一工夫が必要だった。というのも、念動力という能力には幾つか弱点があるからだ。
念動力の使用中、樹流徒の瞳が紫色に変色するのもそのひとつだった。樹流徒の顔がテーブルの下に隠れているあいだは見付からないが、フルカスたちの目の前で念動力を使用すれば簡単にバレてしまう。もしこの弱点さえなければ、樹流徒はとっくに念動力でフルカスの捨て札をひっくり返していただろう。残念ながら瞳の色を誤魔化す方法は無かった。
そこで樹流徒が使用したのが“落胆の演技”だった。第十六ゲーム終了後、フルカスがカードをシャッフルしている最中、樹流徒はテーブルに肘を突いて、額を押さえるように両手で頭を抱え、がっくりとうなだれた。あれは決して絶望していたのではない。念動力を使用していることに気付かれないように自分の目を覆い隠すための動作だったのだ。
目の色を誤魔化せないならば、目そのものを相手に見せなければいい、と考えた末の演技だった。
ただし、何も起きていないのに落胆するのはとても不自然だ。樹流徒には“落胆する理由”が欲しかった。自分が頭を抱えても不自然ではない状況が欲しかった。
そこで樹流徒は、ゴグに罠を見破らせたのである。足の下に隠したカードをゴグに見つけさせたのは、罠を見破ったとフルカスたちに思わせるさせるためだけではない。罠を見破られて落胆する演技をするための下準備でもあったのだ。
狙い通り、ゴグは樹流徒が靴の裏に隠したカードを見つけてくれた。樹流徒は罠を見破られ、落胆するフリをすることができた。頭を抱えてうなだれる演技をすることで自分の瞳を隠し、密かに念動力を使用できたのである。それによりフルカスのガントレットに隠した本命の罠を回収した。
――元気出せよ。オマエが三連勝すればこのゲームは終わるんだからさ。
ゴグがそう言って樹流徒を励ましている最中、樹流徒の瞳は紫色に輝き、テーブルの下ではカードが動いていたのだ。そのようなことが起きていたことを、一体樹流徒以外の誰が想像できただろうか。
思うに、樹流徒が人間であることが幸いした。人間が念動力を使えるとは、流石のフルカスも想像していなかったはずだ。
「カードを服のどこかに隠していたんじゃないのか? だとしたらキルトの反則負けだろ」
ゴグが、誤った指摘する。
「いや。それはない」
否定したのはフルカスだった。
「服に隠したカードを取り出そうとすれば、体の動きはどうしても不自然になる。キルトはそのような動きを一切していなかった。彼が頭を抱えたときは少し怪しいと思ったが、それでもカードを取り出す行為は無かった。私は常に注意して見ていたから、断言できる」
そう。これも重要なポイントだった。いまゴグが言った通り、故意にカードを隠すなど認められるはずがない。その場で反則負けにされてしまう。
樹流徒はあくまでも自然に、偶然カードが落ちているのを見つけなければならなかった。カードの隠し場所がとても大きな鍵を握っていたのである。
例えばその隠し場所が樹流徒の服のポケットだったり、袖の中では明らかに不自然だ。「シャッフルに失敗してこぼれたカードが偶然ポケットの中に入ってしまい、それに今気付いた」と言っても無理がある。それだけならまだしも、万が一ゴグが樹流徒のボディチェックをしていたら、間違いなく服の中からカードが見付かっていただろう。「故意にカードを隠した」と反則負けにされてもおかしくなかった。
となれば、カードを隠す場所はテーブルの下のどこかしかない。足元ならばまだカードを見落としても「わざとじゃない」と言い訳が通じる。故に、樹流徒は足の下を隠し場所に選んだ。
これ以上悪魔たちが樹流徒を追及する手段は無い。
樹流徒が足の下に隠したカードにしても、故意に隠されたものでないことは、先ほどゴグ自身が認めてしまっている。フルカスとマゴグもそれに同意した。
樹流徒が自分の意思でカードを隠したという証拠はどこにも無いのだ。それを悪魔たちが証明できなければ、樹流徒はきちんとゲームのルールに従っていることになる。
「どうなってるんだろうね?」
マゴグはテーブルの下で首を捻る。それに答えられる者はいなかった。
悪魔たちの眼前で、樹流徒は足元に伏せられたカードをそっと拾い上げる。このゲームを終わらせることができる切り札の一枚だ。
樹流徒はそのカードを表にして、フルカスたちの前に突きつける。
カードに描かれていたのはクラブの2。ポーカーにおいては最弱のカードだ。同時に、今、樹流徒の手札に含まれているカードでもあった。
「おかしいな。どうして同じカードが二枚あるんだ?」
樹流徒はフルカスに問う。
この瞬間、勝負は決した。