看破
第十二ゲーム。
マゴグのシャッフル失敗により一時中断されたこのゲームは、そのあと滞りなく進んだ。ゲームの勝者はスリーカードを揃えたゴグだった。ちなみにフルカスは手札の五枚交換をしてツーペアを完成させた。
続く第十三ゲーム。親はフルカス。
樹流徒の憶測が正しければ、フルカスはこの回のゲームを全てを思いのままに操ることができる。
それを証明するように、樹流徒の手元には最初からスペードのA、K、Q、J、10が揃っていた。ロイヤルストレートフラッシュだ。通常のポーカーならば最強の手役である。無論、それだけ完成させるのが難しい役でもあった。
どうやら、フルカスはもうイカサマをしていること自体は隠す気が無いらしい。手札公開をしてみると、ゴグとマゴグはそれぞれストレートフラッシュ、フルカスは7のフォーカードだった。これ以上なくあからさまな展開だ。
裏ジョーカー表示カードは6。フルカスの手札の手役はこのゲームにおいてロイヤルストレートフラッシュ以上に強い、ファイブカードになった。
よって第十三ゲームの勝者はフルカス。彼が親のゲームで樹流徒が勝てる可能性は億に一つも無い。
その後、ゴグが親を務める第十四ゲームを経て、遂に運命の第十五ゲームを迎える。このゲームは樹流徒が親の回。また、彼がフルカスに対して罠を仕掛ける回でもあった。
樹流徒はテーブル上のカードを集めて、シャッフルをはじめる。
これより先は伸るか反るかの勝負だ。運を天に任せ、あとは前へ進むしかない。
樹流徒は努めて平常心を装った。緊張に押し潰されたら負ける。相手にこちらの心理を読まれてはいけない。ポーカーでの勝負を捨てた今になってポーカーの醍醐味を味わうとは、なんとも妙なものだった。
悪魔たちの視線を手元に受けながら、カードの束を混ぜる。
仕掛けるのはまさに今だった。樹流徒はトランプを持った手で同じ動作を何度か繰り返したあと……
ここだ! 心の中で叫んだ。
誰かがあっと小さな声を発した。
樹流徒の手から沢山のカードがこぼれ落ちる。それらはテーブル上のほか、樹流徒の膝や床の上に散らばった。
派手なシャッフル失敗だった。ただし、これは故意の失敗である。樹流徒はわざとカードをばら撒いた。これこそが、計画の第一段階。今から仕掛ける罠の入り口だった。
「済まない。すぐに拾う」
樹流徒は残ったカードの束をテーブルに置き、急いで身を屈めた。誰よりも早く動き出さなければいけない。そうしなければ、罠を仕掛ける瞬間を目撃されてしまう。
幸いにも樹流徒の動きはとても自然だった。床に落ちたカードを慌てて拾い集めているように見える。
狙い通り逸早く動き出した樹流徒は、それ以上に素早い神がかり的な動きで、テーブルの下に隠れた手を動かす。超人的な身体能力が戦闘以外で役に立ったのは、今回が初めてかも知れなかった。おかげで罠の設置がなんとか間に合った。
この罠がゲームを終わらせる唯一の方法だ。もしこれが見破られたら一巻の終わり。他に策は残っていない。
樹流徒はこの勝負最大の山場を迎えようとしていた。相手が罠にはまるのが先か、罠を看破されるのが先か。それで全てが決まる。仕掛けた罠はごく単純なものだ。もし相手に感づかれたら簡単に露見してしまう。しかも再び同じ手は使えない。まるでたった一本しかない命綱だった。切れたら最後。それまでだ。
樹流徒がカードを拾い終えると、僅かに遅れてゴグがテーブルの下を覗く。
「カードの拾い忘れは無いよな?」
白猫の悪魔は、青く光る瞳の中に樹流徒の足元とその周辺を映し出した。そこにカードの姿は一枚も無い。
樹流徒は拾ったカードをテーブル上に置いた。不意に、正面のフルカスと視線が合って、目が泳ぎそうになる。樹流徒は誤魔化すようにまばたきをした。
不自然な態度を取ってはいけない。罠を仕掛けたことを読まれてはいけない。そのように意識するほど自分の動きがぎこちなくなっているような錯覚に襲われる。一秒一秒がとても長く感じた。
頼む。上手くいってくれ。樹流徒は心の中で念じる。やれるだけのことはやった。あとは罠が見破られないよう祈るしかない。
「よしよし。どうやら大丈夫みたいだな」
テーブルの下をジッと眺めていたゴグが、曲げた腰を伸ばす。
バレなかった。罠が見破られずに済んだ、と樹流徒は安堵しかけた。
が、ゴグの動きが急にぴたりと止まる。何を思ったか、白猫の悪魔はもう一度大きな背中を丸めてテーブルの下を覗きこみ
「キルト。ちょっと両足を上げてくれないか」
などと言い出す。
「なぜ?」
樹流徒は疑問を唱えながら、緊張から解放されようとしていた全身をにわかに硬直させた。
何故なら、樹流徒の足の下には、彼が仕掛けた罠が存在しているからだ。足を上げたら確実に見付かってしまう。
果たしてそれを見破ったのか、或いは悪魔の鋭い直感が成せる業なのか
「拾い忘れたカードが足の裏に残ってるかも知れないだろ。念のため確認するだけだよ」
無情にもゴグがそう言った。
樹流徒の心音が一気に高まる。もし、今ここでゴグの言うとおり足を上げなければ「故意に罠を仕掛けた」と白状するようなものだ。
樹流徒に選択肢はなかった。相手の言葉に素直に従うしかない。
「分かった……」
樹流徒は床に着いた両足を同時に上げる。度重なる戦闘でボロボロになった靴の下には、一枚のカードが潜んでいた。樹流徒が仕掛けた罠が悪魔の眼前に晒される。
ゴグは口の両端を持ち上げた。
「惜しかったなキルト。ま、悪く思わないでくれよ」
「……」
樹流徒は無言で、足の裏に設置したカードを拾い上げた。
「良く気付いたな」
フルカスがゴグに話しかける。
「キルトのシャッフル失敗がちょっとワザとらしかったからな。もしかして何か仕掛けたんじゃないかと思ったんだよ」
白猫の悪魔はどこか得意そうに言う。
「なるほど」
フルカスは相槌を打った。
「それにしても……故意にシャッフルを失敗してテーブルの陰でカードを隠すとは、なかなかやるな。罠そのものは稚拙だが、度胸が良い」
続いて老騎士は樹流徒に賛辞を送った。この場合、賛辞というより慰めの言葉と言ったほうが良いかも知れない。
「ねえ、どういうこと? キルトがカードを隠したの? なんでそんなことしたの?」
マゴグが誰にともなく説明を求める。樹流徒が何をしようとしたのか、いまいち分かっていない様子だった。
「キルトはわざとカードをばら撒き、その内の一枚を隠した。そのまま何食わぬ顔でゲェムを再開し、隠したカードと同じものがテーブル上に現れたとき、我々の前に突きつける……という策だったのだろう。同じカードが二枚あれば、イカサマが行われている証明になるからな」
フルカスが罠の全貌を読み切ったように解説する。
「もっとも、このゲームにそのようなイカサマが存在するとは言っていないが」
最後にそう付け足した。
対して、樹流徒はすぐに自己弁護をしておかなければいけなかった。
「僕は別にカードを隠したわけじゃない。床に落ちたカードを一枚見逃して、偶然踏んでしまっただけだ」
故意にカードを隠したと認めれば、反則負けになってしまう。それを避けるための弁明である。
「ワザとでも、ワザとじゃなくても、どっちでもいいよ。いずれにしても樹流徒が罠を仕掛けたっていう証拠は無いんだから。な、そうだろ?」
ゴグがそう言って、ほか二名に同意を求める。
「うむ。絶対の証拠が無い限りは反則と言えぬからな」
「それに、これで勝負が終わりじゃつまらないもんね」
フルカスとマゴグが続けざまに答えた。それにより樹流徒は反則負けを免れる。
もっとも、これは樹流徒にとって想定内の展開だった。今ゴグが言った通り、樹流徒が故意にカードを隠したという明らかな証拠は無い。今回仕掛けた罠は、フルカスの捨て札を無理矢理ひっくり返すのとは違って、たとえ失敗しても反則負けになることはない。樹流徒にとっては安全な罠だった。
とはいえ二度と同じ手は使えない。再び靴の下にカードを隠そうものならば、今度こそ反則負けは免れない。それ以前にシャッフルを故意に失敗する方法自体がもう通じないだろう。なにしろ今回の出来事で悪魔たちの警戒心が強まってしまったのは、疑いようがない。
すぐにそれを証明するような出来事が起きた。ゲームが再開され、樹流徒が床に落ちたカードをカードの束と混ぜようとした、その矢先
「待った」
フルカスの声が樹流徒の動きを制する。
「どうした?」
樹流徒は手を止める。
老騎士は温和な笑みを浮かべながら、それとは裏腹に鋭く冷たい瞳を樹流徒の手中にあるカードへと向けた。そして要求する。
「シャッフルをする前に、おぬしが床から拾ったカードを私に見せてくれんか?」
「何のために?」
樹流徒は、質問に質問を返した。
「大した意味は無い。ただ、万が一ということもあるのでな」
フルカスは即答する。
どうやらフルカスは、樹流徒が落としたカードに細工がされているかも知れない、と考えているようだ。
「僕を疑うのか? 心乱れたものは云々と言っていたお前自身が……」
樹流徒が指摘すると、老騎士はふぉ、ふぉと声を出して笑った。
「これは痛いところを突かれたな。しかし、おぬしが故意に罠を仕掛けた疑いは残っている。足の裏に隠したカードは囮で、実は拾ったカードに本命が仕込まれているのもかも知れない。となれば、シャッフルをされる前に確認しておかねばな。気を悪くしないで欲しい」
「分かった」
樹流徒は断ることもできず、床から拾い上げたカードをフルカスに手渡した。
フルカスは樹流徒から渡された数枚のカードを一枚一枚入念にチェックしてゆく。
全てのカードを確認したあと「ほう」と言って笑った。
「え。もしかして何か見付かったの?」
マゴグが尋ねる。
「いや。特に細工らしきものは仕掛けられていない」
フルカスは断言して、首を横に振った。
「もういいだろう」
樹流徒が言うと
「疑って悪かったな。私もまだまだ未熟者ということだ」
フルカスは笑みを保ったまま樹流徒にカードを返した。