5枚交換の秘密
第九ゲーム。親のフルカスがカードを集めてシャッフルする。
当然、樹流徒は今回もフルカスの手元に注意した。が、ここでも相手に妙な動きは無い。
フルカスがカードを配る。樹流徒の手元に来たのはハートの8、6、2。ダイヤの7と、スペードの2だった。樹流徒はそれを一瞥しただけで、ゴグマゴグの手元に視線を送る。すでに手札が配られている段階で、どんなカードが来ても五枚換えしようと決めていた。
手札の確認が終わり、カード交換に入る。
フルカスはカードを四枚換え。どういうわけか、彼は自分が親のときだけはカードを全て切らない。
なぜだ? 樹流徒は考えるが、めぼしい発見も無く、答えは出なかった。
ゴグはカードを三枚交換。樹流徒は五枚交換。来たのはハートのA。クラブのK。ダイヤのJと4。そしてスペードの9。今回もノーペアだった。五枚交換という行為には意味がないのかも知れない。
最後にマゴグがカード交換。しかし……
「ボクはこのままでいいよ」
と、手札を一枚も捨てない。
恐らく、マゴグははじめからフルハウス、ストレート、フラッシュのどれかが完成していたのだろう。ワンペアなら3枚、ツーペアなら一枚、スリーカードならば三枚、それぞれカードを交換するはずだ。
また、奇跡的にフォーカードが揃っていた場合もカード交換はしない。このゲームにジョーカーのカードは入っていないため、フォーカードの状態から手札を一枚交換しても決してファイブカードにはならないからだ。ファイブカードは裏ジョーカーの恩恵を受けられたときのみ完成する役である。
ただ、2、2、2、2、3のような場合は3を切る必要がある。この場合、3は決して裏ジョーカーにならないので不要だ。
カード交換が済み、手札公開が始まる。
フルカスはノーペアだった。ゴグはQのワンペア。樹流徒はノーペア。
そして最後に、カード交換をしなかったマゴグが手札を公開。
テーブル上に現われたのはフォーカードどころではなかった。クラブの2から6が揃っている。ストレートフラッシュだ。しかも、カードを交換せずのストレートフラッシュ。「絶対あり得ない」と言えるほど起こる確率の低い現象だ。
樹流徒はマゴグの手前に並べられた五枚のカードを見て驚愕した。といっても、ストレートフラッシュが揃っていたことに驚いたわけではない。イカサマが横行しているならば、好きな手役を揃えられるのは当たり前だ。今まで豪運を発揮してきたのはフルカスだが、今回はその役目がマゴグに移ったと考えれば、それ自体、特に驚くほどのことではない。
樹流徒が驚愕したのはもっと別のこと。カードの中に一枚、あり得ないものが紛れていたことだった。
五枚のカードを良く見ると、クラブの3に妙な模様が広がっているのだ。樹流徒はそれに見覚えがあった。なにしろ、前のゲームで見たばかりだ。
間違いない。マゴグがこぼしたジュースの跡だ。ハートの7のカードに広がっていた模様と全く同じである。
その模様がなぜクラブの3に描かれているのか? たまたま似たような染みが残ってしまったのか? いや、違う。マゴグがジュースをこぼしたのはハートとクラブの7、その二枚だけだったはず。ほかのカードにジュースはこぼれていない。クラブの3は汚れていないはずだ。
しかも更に注意深く見れば、クラブの3はまだ少し湿っている。ジュースを浴びたわけでもないのに、濡れている。
つまり、あのカードは間違いなくハートの7だったものだ。それがクラブの3になっている。この現象が何を意味しているか、考えるまでもなかった。
カードの図柄が変わっている。カードの数字とスートが別のものに入れ換わっている。
一体どうやったのかは分からなかった。魔人の動体視力でも見抜けなかった現象だ。やはり、人間では不可能な方法を使っていると考えたほうが良いのかも知れない。トリックなどではなく、本物の魔法。となれば、イカサマの正体を完全に掴むのは至難の業だった。不可能といっても良い。
けれど諦めるわけにはいかない。カードが別のカードに変化したのは間違いないのだ。
これはどういうことなのか? ただの憶測でもいい。何かひとつでも見つけなければ。
樹流徒は頭をフル回転させる。
クラブの3に変わってしまったハートの7。
自分が親のとき以外は必ず手札の五枚交換をするフルカス。
そしてこのゲームのルール。
樹流徒はこれまでのゲーム展開を振り返り、必死に考える。
何故、フルカスは親のときだけ五枚交換をしないのか。その秘密が、親とそれ以外のプレーヤーの違いに隠されているとすれば……
そうか。ひょっとしてそういうことなのか?
樹流徒は心の中で静かに呟いた。確信できるものは見付からなかったが、たったひとつだけ、ある憶測が生まれた。
“もしかすると、フルカスは自分が触れたカードの図柄を自由に変更できるのではないか”。
証拠は無い。が、そう考えると辻褄が合う。フルカスの不自然な行為にもある程度説明がつくのだ。
仮にフルカスが自分の手に触れたカードの図柄を自由に操作できるとする。
となれば、フルカスは自分が親のとき、ゲームを完全に支配できる。なぜなら親はゲームで使用する全てのカードに触るからだ。最初に配られる手札も、交換するカードも全て親の手から渡される。裏ジョーカー表示カードをめくるのも親だ。誰がどのカードを手にするかを、全てフルカスが決定できるのである。第一、第五ゲームの逆転劇も、第九ゲームでマゴグが揃えたストレートフラッシュも、全てフルカスの筋書き通りだったことになる。
では、フルカス以外が親のときはどうか? カードの束に触れるのは親だけだ。つまりフルカスが触れるのは自分の手札のみ。ほかのプレーヤーの手札に触れることはできない。
この場合、フルカスは自分の手札も好き勝手に変更できなくなる。なぜなら、そんなことをすればいずれイカサマがバレてしまうからだ。
例えば、フルカスが自分の手札をAのフォーカードに変えたとする。しかし、もし他のプレーヤーがAのツーペアを揃えていたらどうなるか? 存在しないはずの五枚目、六枚目のAが登場してしまう。イカサマが行われていることがバレてしまう。だから、フルカスは他のプレーヤーが親のときはカードの図柄を自由に変更できないのだ。
ただし、例外がある。このゲームでフルカスが常に絶対安全に使用できる図柄が存在していた。
それは、最初に配られる手札だ。この五枚のカードは決して他のプレーヤーに見せない。また、他のプレーヤーが絶対に所持していないカードでもある。表示カードとして出現することもない。だからフルカスは最初に配られる五枚のカードの図柄だけは自由に利用できる。それに加えてカード交換で手に入った五枚があれば、都合十枚の中から好きなように図柄を組み合わせることができる。
例えば、はじめフルカスの元に来た手札が6、7、8、9、Jだったとする。フルカスはそのカードを全て交換する。結果、新たに手に入ったのが3、4、5、10、Q。これら計十枚のカードは絶対他のプレーヤーが持っていないカードだ。だから、この十枚のカードの中で図柄を自由に入れ替えてもイカサマがバレることはない。フルカスはカード交換で手に入った3、4、5を、捨て札の8、9、Jに入れ替える。それにより8からQのストレートが完成するのだ。この方法ならばツーペアを揃えるなど容易である。十枚の中に同じスートのカードが五枚あればフラッシュが完成する。
これこそが、五枚換えの正体だったのではないだろうか。もしフルカスがカードの図柄を遠隔操作できるなら、五枚換えなどしない。自分が親のときみたいにゲームを完全支配するはずだ。故に、フルカスは自分が触れたカードのみ図柄を変更できると考えられるのだ。
一方で、ひとつだけ説明できないこともある。変化させたカードをどうやって元の図柄に戻すかだ。しかし、それも人間では不可能な手を使えばいくらでも方法はあるだろう。例えば、一定時間が経過すればカードの図柄が勝手に元に戻るようになっているのかも知れないし、何か合図のようなものを送ればカードの変化が解けるのかも知れない。そのようなタネも仕掛けも無いものをいくら探っても無意味だ。
ともあれ、これらの憶測が正しければ、樹流徒が三連勝することなど半永久的に不可能だった。フルカスは親のときにゲームを完全支配する。誰がどの役で勝利するかを自由に決められるのだ。樹流徒は100%勝てない。
となれば、樹流徒が三連勝するためには、ゴグが親のゲームから三連勝というパターンしかない。それ以外の場合は全てフルカスが親のときに連勝をリセットされてしまう。
そしてフルカスは自分が親のとき以外はカードの五枚換えを行い、強い役を容易に揃えられる。通常プレーしかできない樹流徒が三連勝するためには奇跡に等しい幸運が必要になる。
繰り返しになるが、これらは全て樹流徒の憶測でしかなかった。良い線を突いている自信はあったが、絶対ではない。
それでもジュースの跡が広がったハートの7がクラブの3に変わったことだけは決して動かせない事実だ。取り敢えず相手を追及するにはそれだけで十分かも知れなかった。
「これはどういうことだ?」
樹流徒はついに声を上げた。このゲームでイカサマが行われている決定的な証拠を見つけたのだ。イカサマが発覚した場合、樹流徒は解放される約束だった。
次の親を務めるゴグは、樹流徒が思考しているあいだにテーブル上のカードを集め、シャッフルを終えていた。そしてカードを配ろうとしていたところで樹流徒が声を荒らげたため、手を止める。
「どうした? そんな恐ろしい顔をして」
悪魔たちを代表してフルカスが樹流徒に問う。
「イカサマだ。今の第九ゲーム、反則行為があった」
「ほう、反則? 一体、どんな反則があったというのだ?」
「今、マゴグが持っていたクラブの3にジュースの跡が残っていた」
「ジュースの跡?」
「そう。さっきマゴグがこぼしたジュースの跡だ。でも、汚れたカードはハートとクラブの7だったはず。クラブの3に跡が残っているはずがない」
「つまり、カードの図柄が入れ替わったって言いたいのか?」
ゴグがカードの束をテーブルに置きながら言う。
樹流徒は「そうだ」と頷いて、フルカスと視線を合わせた。
「お前は自分の手に触れたカードの図柄を自由に変更できるんじゃないのか? だからお前が親を務めたゲームで、ハートの7がクラブの3に変わった。そう考えると、お前のあり得ない強運や、お前が親じゃないときだけ五枚換えをする行為にも説明がつくんだ」
樹流徒は矢継ぎ早に指摘する。
空気がピリピリとしてきた。緊迫感と静寂が漂い始める。
かと思えば、その雰囲気はフルカスの笑い声によってすぐに崩壊した。
「何がおかしい?」
樹流徒は真剣な瞳で老騎士を見る。
「証拠はあるのか?」
「え」
「キルトがイカサマを疑っていることは分かった。私がカードの図柄を操っているというのも面白い想像だ。だが、その証拠がどこにある?」
「証拠も何も……さっきのクラブの3が決定的な証拠じゃないか」
「ジュースの跡が残っていたというカードか? だが、私は知らないな」
「とぼけるつもりなのか?」
「知らないものを知らないと言ったまでだ。ゴグマゴグはどうだ?」
「うーん……。オレもちょっと分かんないな」
ゴグが首を左右に振る。
「ごめんねキルト。ボクも覚えてないんだ……」
マゴグは眠たそうに頭をゆらゆらと前後に揺らした。
「そういうことだ。おぬしの見間違えだったのではないか?」
と、フルカス。
そんなはずがない。
樹流徒はゴグの手元に置かれたカードを見た。今すぐそれを奪ってカードを調べようとした。
いや、待て。
伸ばしかけた腕を止める。フルカスの余裕を見る限り、既にクラブの3はハートの7に戻されている恐れが強い。たとえクラブの3にジュースの跡が残っていたとしても「クラブの3にジュースがかかったのでは?」と言い逃れされてしまえばそれまでだ。ゴグがカードを集めてシャッフルする前に「イカサマだ」と叫んでいても、同じ言葉が返ってきただろう。ジュースで汚れたのはハートとクラブの7だという物的証拠は無い。その事実は樹流徒の記憶にしか残ってないのだ。
反則行為が行われていると知りながら、その証拠を提示できない。これでは相手にイカサマを認めさせるなど不可能だった。
ならばどうするんだ? ゲームを放棄してフルカスを倒すのか? それ以外に道はないのか?
樹流徒は困惑する。
そこへフルカスが声を掛けた。
「よいか、キルト。もし我々がイカサマをしていると主張するなら、その証拠を示せばいい。ただし、ルールに従ってな」
「……」
何を言っている? 樹流徒は眉を曇らせた。
イカサマはもう暴いたはずだ。でも、相手がとぼけて認めないのではどうしようもない。それで一体どうやって証拠を示せというのか?
次にフルカスが手札を公開したとき、フルカスの捨て札を無理矢理ひっくり返して不正を暴くか? 手札と捨て札に同じカードが入っていればさすがに言い逃れはできないだろう。
しかし、もし憶測が間違っていたらどうする? カードの図柄が変わったのは事実だが、それをフルカスがやったという確かな証拠は無い。イカサマを暴けなかったらどうする? 相手の捨て札を無理矢理覗くなんて反則に決まっている。その場で失格にされても文句は言えない。
駄目だ……。どうしていいか、分からない。
樹流徒が良い打開策を見つけられぬまま、ゲームは進む。
ゴグが親の第十ゲーム、続く樹流徒が親の第十一ゲームが淡々と消化された。どちらのゲームもフルカスは五枚換えを行い、スリーカードとストレートを揃えた。
樹流徒はよほどフルカスの捨て札をひっくり返そうとしたが、反則負けという展開を考えるとどうしても実行には移せなかった。イカサマを暴くチャンスはたった一度しかない。確実に成功させなければいけない、というプレッシャーに襲われていた。
第十二ゲームが幕を開ける。親のマゴグがおぼつかない手つきでシャッフルを始めた。
その様子を横目を使ってちらと見て、樹流徒はすぐ目を閉じる。瞼の裏に移る闇を見つめながら意を固めようとしていた。
かくなる上は勝負に出るしかない。このゲームでフルカスが手札を公開した直後、彼の捨て札を無理矢理ひっくり返す。それでフルカスの手札と捨て札に同じカードが存在すれば勝ち。
存在しなければ……負けだ。そうなってしまったら全てを諦めるか、最後にして最低の選択をしなければいけなくなる。
樹流徒の心音が徐々に高まり始めた。
――あっ……
そのとき、何かがパラパラこぼれる音と、ぼんやりした声が同時に樹流徒の左耳に飛び込んできた。
反射的に音がしたほうを向くと、マゴグの手からバラバラとカードがこぼれ落ちていた。どうやらマゴグがシャッフルを失敗したらしい。カードはテーブル上だけでなく床にも散らばる。
黒猫の悪魔はテーブル上のカードをせっせとかき集める。
樹流徒はマゴグの足下に落ちたカードを拾ってあげようと、腰を曲げた。床に手を伸ばす。
すると、この何気ない行為が、思わぬ閃きをもたらした。
床に落ちたカードを拾った瞬間、樹流徒の瞳の奥にカッと光が灯る。それは一筋の、希望の光だった。
これだ!
樹流徒の頭の中に、勝利までの道が浮かび上がった。安全、かつ確実にイカサマを暴く手がある。それもごく簡単な方法で。
仕掛けるのは第十五ゲーム。あとはフルカスの自滅を待てばいい。
ようやく掴んだ勝機に、樹流徒はテーブルの陰で表情を綻ばせる。
同時、フルカスとゴグもまた謎の笑みを浮かべているのを、樹流徒は気付いていなかった。