表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
激動編
159/359

開戦



 市内某所のとある広い道路の中を、異形の集団が埋め尽くしている。基本的に彼らの間で会話は無く、低い呻き声と地響きにも似た重い足音だけが延々とこだましていた。これから暴動でも起こりそうな物々しさを漂わせている。


 それはおびただしい数のネビトとカラス、そして“魔女”だった。天使の儀式を阻止すべく合戦の地へ赴く根の国の軍勢である。

 彼らの先頭を歩くのは、毛皮の腰布を巻きつけた大男――柝雷(さくいかずち)だった。八鬼の一人である柝雷は大手を振って道路の真ん中を進み、好戦的な性格を思わせる鋭い瞳をギラギラと輝かせていた。傍目にはまるで彼が根の国の軍勢を率いているかのように見える。

 だが、実際にネビトたちを誘導しているのは渚だった。夜子がそうするように命じたからだ。本来ならば先頭を歩くのも渚のはずである。しかし、柝雷にとって人間の後ろを歩くことは八鬼としてのプライドが許さなかったらしい。巨人は現世に到着するなり有無を言わさず一番前を歩き出した。そのため、渚は樹流徒と共に柝雷のすぐ後ろを歩いている。


 樹流徒は、壁のようにそびえた巨人の背中を見ながら妙な心地に捕らわれていた。まさかネビトの群れに紛れて戦地へ赴くことになるとは、少し前までは想像すらしていなかった。

 いずれ根の国とは戦わなければいけない。しかし、それは後回しである。まずはメギドの火を止める。それが済んだ後は悪魔が現世で行う最後の儀式を止め、詩織を聖界から救出することも考えなければいけない。樹流徒の前途は多難だった。


 樹流徒と渚の後ろにはネビトの群れが歩いている。赤、青、黒の肌を持った巨人たちは車道の車を押しのけ踏み越えながら進行していた。歩道に溢れ出した者たちは、地面に散らばった市民の遺品や崩れた建物の外壁などを踏みしめて行進している。

 また、ネビトの肩には沢山のカラスが止まっていた。樹流徒が渚から聞いた話によると、カラスたちは戦闘、偵察、伝令など、複数の役割を持っているという。


 そして、集団の最後尾を歩いているのが魔女の集団だった。魔女は皆同じ姿をしており、骨と皮だけになった老女がゴワゴワした白髪を腰まで垂らした容貌をしている。瞳は常に白目を剥き、歯はところどころこ欠け、手足の爪は鋭利な形に伸びていた。そしてボロボロの白い衣の裾を地面に引きずりながら歩いている。夜子によれば、魔女を現世に送り込むのは今回が初めてだという。樹流徒が魔女の存在を目にしたのも当然ながら今回が初めてだった。


 にしても、ネビトと魔女の数と足すと一体どれだけの兵数になるのだろうか。低目に見積もっても千体は超えている。カラスの数も入れば倍以上になるだろう。今回に限って言えば、樹流徒にとっては頼もしい集団だった。道端で遭遇する悪魔もこの大軍にちょっかいを出そうとはしない。皆、根の国の大軍が接近すると一目散に逃げ出した。一方、天使の姿はどこにも見当たらない、全員中央公園に集まっているのだろうか。


 根の国の軍勢が摩蘇神社を発ってから早くも数時間が経過している。樹流徒一人で移動していればとっくに目的地の中央公園に到着していだろう。到着どころか公園と根の国と往復できていたかも知れない。それだけ根の国の軍勢の進軍が遅れていた。原因はネビトや魔女の鈍足にもあったが、それだけではない。


 ここで、急に軍の行進がぴたりと止まる。比較的見晴らしの良い十字交差点に差し掛かったところで、先頭を歩く柝雷が急停止したためだ。それに合わせて樹流徒たちも足を止めた。

 柝雷は顎に手を添えてううむと小さく唸る。丸太の如き太い首を回して後ろを振り返り

「おう。この分かれ道はどっちへ進めばいいんだ?」

 渚に道を尋ねた。

「さっきも言いましたけど、二つ先の角を右折して下さい」

 少女は前方を指差しながら返事をした。


 夜子がネビトの引率を柝雷ではなく渚に任せた理由は明白だった。土地勘がある彼女ならば目的地までの道順を知っているため、軍を迅速に移動させられるからだ。しかしそれを快く思わなかった柝雷が無理矢理先頭を歩いている影響で、樹流徒たちの移動が若干遅れているのである。なにしろ柝雷が渚に道を尋ねた回数は大分前から二桁に突入していた。

「仙道さんが一番前を歩いた方がいいんじゃないか?」

 柝雷が三度目に立ち止まったとき、樹流徒はそう提言した。が、柝雷は「人間は黙ってろ」とヒステリックな声を上げるばかりで、取り付く島もない。かといって樹流徒一人が目的地へ先行するわけにもいかなかった。単身敵地に乗り込んだところで、天使の大軍が相手では何もできない。


 もっとも、今更あれこれ考える必要はなくなった。柝雷が渚に道を尋ねる回数も残り限られているからだ。そう、樹流徒たちはようやく目的の場所に迫っていた。あと数分もあれば到着するだろう。


 樹流徒は公園の方角を確認する。上空に有翼人の姿は見えなかったが、夜子の情報が本当ならば、きっと現場には天使の群れが待ち構えているはずだ。

 樹流徒は全身に緊張の高まりを感じた。少し前までは口数が多かった渚も、いつの間にか自発的な発言をしなくなっていた。


 そして……遂に時が訪れる。樹流徒たちの前方に巨大な広場が見えてきた。そこは普段であれば主に芝生が広がっているだけの、だだっ広い空間。他にあるのと言えば、水の濁った小さな池と、ベンチくらいで、常に土地の面積を持て余していた。


 しかし現在その公園は、異様かつ窮屈な空間と化している。芝生の上に浮かびあがった巨大魔法陣が白銀の光を放ち、公園の隅から隅まで広がっていた。魔法陣の中心とその付近には数千規模の天使が集結している。白い簡素な衣を纏っただけの天使エンジェルがいる。黄色い肌と顔面の四隅に見開かれた瞳が特徴の巨人型天使パワーもいる。そして鎧と剣を身につけたドミニオンまで、様々な階級の天使が集まっていた。現世にやってきた天使が全て集まったのではないかというくらいの大軍である。そこへ間もなく到着する根の国の軍勢が加われば、一帯を埋め尽くす大乱戦が始まるのは必至だった。


 柝雷の顔がみるみる喜色を帯びてゆく。極上の獲物を視界に捕えた狩人の目付きになった。渚は沈黙しているが普段通りの表情をしている。そして樹流徒は自然と頬の筋肉が引き締まった。悪魔の大軍を相手にしたことはあるが、これだけ大規模な集団対集団の戦いに参加するのは今回が初めてだった。


 戦闘は半ば出し抜けに始まる。ネビトと天使の争いにルールなど存在しない。当然、宣戦布告も無ければ、開戦の合図もなかった。敵の姿を視認したその瞬間、兵は個々に戦へと身を投じる。

 今回、ネビトたちが夜子から下されている命令は極めて単純だった。“天使の群れ(・・)を発見次第、全滅させよ”というものである。ネビトたちはその命令に従って動き出す。樹流徒や渚、それに柝雷の背中も追い越して我先に公園の中へ雪崩れ込んでいった。その様は軍の突撃というよりも、むしろ野犬の群れによる襲撃に見える。


 ネビトたちが一斉に大地を踏み鳴らす。天使たちはとうに敵の接近に気付いていたようで、一斉に剣や槍や弓といった武器を構えた。カラスと有翼人たちが次々と背中の翼を広げて大空へ飛び立つ。魔女は羽を持っていないが不思議な力でふわりと宙を浮いた。


 両軍は互いに前進し、公園の入口付近でぶつかり合う。ネビトの腕力が天使を叩き伏せれば、天使の槍がネビトの胸を貫く。魔女が黒い雷の玉を放てば、天使は白銀の光弾を返す。そしてカラスが鋭いくちばしで天使の全身をついばめば、天使は剣でカラスの羽を切断した。かつて市民の憩いの場所だった公園が、今や世界で最も過酷な戦地に変わり果てている。


 間もなく怒声やら悲鳴やらワケの分からない叫び声が渦巻いて、戦場が一気に異様な熱気と狂気に包まれた。もう、誰もこの戦いを止められない。


 樹流徒は敵の大群を遠目に睨む。兵数は見比べるまでもなく天使の方が上だった。こうなると、戦略や戦術を持たない根の国の軍勢が勝利を収めるためには、個の力で敵を上回るしかない。人間同士の戦争でも兵器の性能が勝敗を決するように、ネビトや魔女の個々の戦力が天使のそれを圧倒すれば、数で劣る樹流徒たちにも勝機はある。ただ、果たして根の国の兵たちにそれだけの戦闘力があるのかは疑わしかった。


「よし。私も参戦しよう」

 渚は少なくとも表面上は落ち着いていた。彼女は手に持った一振りの刀を鞘から引き抜く。その白刃は空気に触れた途端、夕陽のように真っ赤な炎を(まと)った。

「その刀は夜子から貰ったのか?」

「ううん。貰ったんじゃなくて、一時的に借りてるだけ」

 渚は答えてから「じゃ、私行くね」と軽い言葉を残して走り出した。まるで風のような速さだ。少女の姿は前方に固まるネビトたちの隙間を縫って、すぐに樹流徒の視界から消えた。


 彼女の背中を見送ってから、樹流徒もすぐに動き始める。漆黒の翼を広げて真上に上昇した。地上高くで静止して辺りを見渡すと、地上にいる時よりも鮮明に全体の戦況が把握できる。

 改めて確認してもやはり天使の数が圧倒的に多く、根の国の軍は不利に見えた。また、魔法陣の中心で行なわれていると思われる儀式の様子は全く視認できない。その周囲を天使の集団ががっちりと固めており、外からの視線を遮っていた。


 厳しい状況だが、ある程度強引に突っ込まなければけない。樹流徒は覚悟を決めた。この戦いに勝つ条件は天使を全滅させることではない。儀式が完成する前に阻止することである。つまり時間との戦いだ。儀式が成功してメギドの火が降り注げば全てが終わってしまう。今回ばかりは何があっても強引に行かざるを得なかった。

 樹流徒は羽で空気を叩きつけ、魔法陣の中心目指して飛び出す。


 同時刻、自陣後方の上空に位置どる天使たちはそれぞれに魔法陣を展開し、光、炎、氷塊、雷などを次々と降らせていた。雨の如く降り注ぐその攻撃は、地上のネビトが密集しているところに容赦ない打撃を加える。地上のネビトたちは対空攻撃を有している者がいないため、遠距離から一方的に攻撃を受けている状態だった。かたや、地上の天使たちには対空能力があり、空から攻める魔女やカラスに対しても反撃が可能である。この差は非常に大きかった。


 根の国の軍が抱えている不利を跳ね返すためにも、樹流徒は一層戦果を上げなけばいけない。彼はあっという間に敵の塊に接近して目標を射程距離内に収めると、両手を使って二つの魔法陣を同時に描いた。半瞬の内に出現した魔法陣から二発の雷光が放たれる。青い雷は数体の天使たちを飲み込んだ。体の制御を失った有翼人たちが大地に落下してゆく。彼らは地上で待ち受けるネビトの餌食となった。


 樹流徒が放った最初の一撃は、彼の近辺にいる天使たちの注意を引くには十分な威力を持っていた。同時に、天使たちは一体何が起きたのかを把握しきれていないようだった。彼らの視線は地上へ落下していった仲間と、悪魔の羽を生やした人間のあいだを往復する。


 その間にも樹流徒は新たに一体の敵を爪で貫いた。刹那、天使たちはようやく魔人の存在を得体の知れぬ強敵だと認識したようである。複数の白い翼が一斉に激しく上下させた。天使たちは武器を片手に樹流徒へ襲い掛かる。この魔人を先に始末しておかなければ、と考えたのだろう。


 樹流徒は、迫り来る天使たちの先頭に狙いを定めて顔面を蹴りつけた。相手が大きく仰け反ったところで足首を掴み、後続の天使に向かって投げつける。更には流れるような動作で別方向から襲い来る敵に向かってを空気弾伸ばし、肩を貫いた。

 続いて頭上の天使が魔法陣を描いていると見るや、素早く宙を滑った。魔法陣から放たれた白銀の光線を回避するついでに別の天使に接近してあっさり爪で葬る。直後には真下から忍び寄った敵の存在も見逃さず魔法壁で跳ね飛ばした。


 天使たちの、樹流徒を見る目つきがみるみる厳しいものになってゆく。この戦闘空域において魔人の実力は頭一つ抜けていた。そのことには樹流徒自身も少なからず驚いている。以前、あれだけ苦戦したドミニオンですら、決して強敵だとは感じなかった。悪魔の力は決して望んで手に入れたものではなかったが、樹流徒は今だけこの力に感謝した。この力があれば天使の目論見を止められるかも知れない。


 空の天使たちは若干萎縮しているようだった。彼らにも恐怖という感情はあるのだろうか、余りにも易々と命を刈り取る魔人の存在を警戒している様子である。必然的に彼らの動きは鈍った。そこへ魔女やカラスの攻撃が大波となって襲う。天使たちは不意を突かれたように大した抵抗もできぬまま落命した。


 この場は根の国の兵に任せ、樹流徒は更に敵陣深くへ潜り込んでゆく。それを阻止しようと近付いた天使三体を次々と爪で切り裂いた。


「あの敵を狙いなさい」

 樹流徒から数十メートル離れたドミニオンの命令が響く。数十の瞳が一斉に魔人へ照準を合わせた。天使たちは武器を構え、または魔法陣を展開する。瞬く間に、炎が、氷塊が、雷が、激しい虹となって樹流徒を襲った。

 樹流徒は身を固めながら羽を動かして攻撃を回避する。流れ弾を食らった魔女が奇声を発しながら消滅した。


 天使の集中攻撃は続く。樹流徒は羽を思い切りはばたかせて縦横無尽に飛び回った。絶え間なく襲い来る攻撃を避け続ける。しかし彼は何も考えず出鱈目(でたらめ)に逃げ回っているわけではなかった。攻撃を避けながら風の方角を確認していたのである。樹流徒は敵の風上を取ると白い煙を吹いた。石化の息だ。それを浴びた天使たちは次々と美しい石像へと姿を変え大地に落下してゆく。中には攻撃が効かない天使もいたが、彼らもまた石になったように身動きを止めた。


 僅かに遅れて、樹流徒の背後に回り込んでいた天使が音もなく魔法陣を展開する。だがその時すでに樹流徒の回避行動は始まっていた。樹流徒は野生の獣を遥かに上回る、殺気を感じ取る力を働かせ、直感的に動いていた。白銀の魔法陣から放たれた雷は魔人の背中を捉えることができない。それどころか樹流徒の先にいた天使を誤射した。味方の攻撃を受けた天使は悲鳴を上げることもなく墜落する。


「下手に撃つと同士討ちなる。位置を考えて慎重に攻撃するのだ」

 ドミニオンが冷静な口調で周囲の味方を叱責した。


 一方その頃、樹流徒から少し離れた空域では、柝雷の力が猛威を振るっていた。巨人は、魔女と同じく翼を持たないにも(かか)わらず自由自在に空を駆け回っている。土気色の体は天使たちの攻撃を浴びてところどころ真っ赤な血を流していた。しかし柝雷に苦しげな様子はない。それどころか豪快で明るい笑い声を放ちながら不気味に躍動していた。男は腕を伸ばして天使の足を捕らえると、乱暴に振り回して別の獲物に襲い掛かる。天使の体を武器代わりにしていた。恐るべき怪力である。


 そして柝雷の武器は怪力だけではなかった。男は全身の皮膚から砂鉄のような黒い物体を放出し、自身を中心にして数メートル範囲にばら撒く。その黒い砂のような物体を浴びた天使たちは次々と痙攣を起こし、地上に墜落していった。中には落下している最中に聖魂となって消滅する者もいる。どうやら、柝雷の全身から放たれた黒い砂には即効性の毒物と似た効果があるようだ。それもただの毒ではない。天使を即死に至らしめるほどの威力を持つ猛毒である。


 樹流徒と柝雷。両者の存在は空の天使たちにとって間違いなく脅威となっていた。さしずめウサギの群れの中で暴れ回る二頭のライオンと言ったところだろうか。人間同士の戦いであれば個の力で戦況を変えることはまず不可能だが、それに近い影響を樹流徒たちは及ぼし始めていた。


 ただ、繰り返しになるが両軍にとってこの戦いの目的は相手の全滅ではない。儀式を阻止するか、成功させるかである。儀式完了までの時間制限があることを考慮すると、天使たちの有利は揺るがないように思われた。そのことは樹流徒も十分に理解している。彼が何百という数の天使を倒したところで、魔法陣の中心に近づけなければ何の意味も無い。樹流徒は戦闘で敵を圧倒しながらも、時間の経過に焦りを募らせていた。


 そんな樹流徒に向かい風が吹こうとしている。彼の目が届かない場所で、今、天使の軍勢に増援が到着したのだ。

 それはたった一人の人間だった。やや細身の青年で、腰から刀をぶら下げている。


 八坂令司に違いなかった。彼は天使とひと言ふた言交わすと、前髪に半分隠れた瞳で遠くの空を睨む。その視線が辿る先には、奮闘する樹流徒の姿があった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ