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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
激動編
155/359

少女たちの告白(前編)



 薄く開いた瞳に空の光が射し込む。悪魔の遠吠えか断末魔らしき奇声が微かに聞こえたが、それは強い風の音によってすぐに掻き消えた。


 かっと目を見開いて、樹流徒は硬い床に横たわっていた上体を跳ね起こす。ぼうっとしていた視界と頭の中が急にはっきりしてきた。意識を失う直前までの記憶が脳内を駆け巡る。タワーの展望室から脱出したあと、ビルの屋上に墜落して力尽き、今まで眠っていたのだということを思い出した。


 そうだ。伊佐木さんは? 彼女は無事なのか?

 樹流徒は素早く立ち上がった。体の節々が軽い悲鳴を上げる。砂原との戦闘で負ったダメージがまだ抜け切っていない。ただ、睡眠の効果はあったらしく、自力で全身を動かせる程度には回復していた。


 隣接するビルの外壁が正面に見える。その先にも似たような建物が幾つも連なり、ずっと遠くに頭頂部のアンテナを失った電波塔がそびえ立っていた。樹流徒は最上階の展望室を睨む。急いであの場所に戻らなければいけない。戻って、詩織を救出しなければ。

 まだ彼女がタワー内にいるかどうかなど、考えている余裕はなかった。樹流徒は漆黒の羽を広げ、空へ飛び立とうとする。


 が、地面を蹴る寸前に思い留まった。不意に背後から声をかけられたのである。

「や。おはよう」

 その声は、背後と言っても頭上から降ってくるような位置から飛んできた。明るく弾んだ少女の声である。樹流徒はその声に聞き覚えがあった。

「仙道さんか?」

 樹流徒は、声の主と(おぼ)しき者の名を口にしながら振り返る。視線を向けた先、派手な着物をまとった少女が屋上の扉よりも高い場所に腰掛けていた。その傍らには一振りの派手な刀が置かれている。


 渚はリラックスした顔をしていた。刀を手に持ち、そっと立ち上がる。床を蹴って身軽な跳躍で宙を舞うと、最後は樹流徒の真正面に華麗な着地を決めた。その常人離れした身体能力に、樹流徒は寸秒目を丸くした。


「何故、君がここに?」

「相馬君を助けに来たんだよ」

「僕を?」

「そ。君を追ってきた天使たちはちゃんと消しといたからね。もう安心しても大丈夫だよ」

 そう言って渚は屋上の隅を指差す。見れば床が真っ黒に染まっていた。焦げ跡である。小さな火災でも起きたかのように広がった濃い焦げ跡が、床の上にくっきりと残されていた。

「まさか、仙道さんが一人で天使と戦ったのか?」

「驚くほどのことじゃないよ。あの天使たち、それほど強くなかったからね。相馬君が万全の状態だったら楽勝だったんじゃないかな」

「けど、普通の人間が勝てる相手じゃない。君は天使を倒すだけの力をどうやって手に入れたんだ?」

 樹流徒は続けて尋ねる。渚は薄い笑みを浮かべた。

「私に質問するのは構わないけど、まずはお礼のひとつくらい言って欲しいな。結構無理してここまで来たんだからね。悪魔と天使の襲撃をかいくぐるの大変だったんだから」

「そうか。ありがとう」

 何だか上手く誤魔化されたような気がしたが、樹流徒は礼を言った。

「どういたしまして」

 渚は満足げに口の両端を持ち上げる。


「ところで伊佐木さんは?」

 樹流徒はすぐに話題を変えた。もしかすると詩織も渚に助けられているかも知れない、という期待が僅かにあった。

 明るい渚の表情が、一転して神妙な面持になる。

「伊佐木さんは天使に捕まって、連れて行かれちゃったよ」

「聖界に……天使の世界に連れて行かれたのか?」

「多分ね。少なくとも市内にはいないことだけは確かだよ」

 その返答に樹流徒は落胆した。全身から力が抜けてゆくのを感じた。結局詩織を救い出すことはできなかったのである。

「私がもう少し早く到着すれば、伊佐木さんも助けてあげられたかも知れないんだけど……」

 渚は残念そうに言った。


「それじゃあ、渡会さんは?」

「渡会? ああ……もしかして、タワーの下で戦ってた男の人?」

「そう。あの人は無事なのか?」

「うん。あの人なら伊佐木さんが連れ去られた後にタワー周辺から離脱したみたい。全身傷だらけだったから、無事とは言い難いけどね」

「今はどこにいるんだ?」

「さあ、そこまでは分からないよ」

「君には千里眼の能力があるんだったな? その力で探せないのか?」

「探せないことはないけど……。でも、私の能力って、多分相馬君が思ってるほど便利な能力じゃないよ。かなり集中力が必要だから一日に何度も使えないし、調子の良し悪しだってあるからね。今日は君を助けるために連続使用してるから、これ以上使うのは難しいと思う」

「そうなのか……。そういう理由があるなら仕方がないな」

 樹流徒は落ち着いた口調で答える。ただ、それとは裏腹に心はざわついた。詩織はどこかへ連れ去られ、渡会の現在位置や安否は不明という状況に、表面上は平静を装ったが、内心では落ち着いてなどいられなかった。


 ここで、渚が少し言い出しにくそうに次の話を始める。

「ええと。それでね、色々大変そうなところ悪いんだけど、ひとつ話を聞いて貰ってもいいかな?」

「話?」

「まあ、話っていうか、お願いなんだけど」

「どんなお願い?」

「うん。単刀直入に言うね。私たちの仲間にならない?」

「それは……。夜子の配下になって欲しい、ということか?」

「そう」

「悪いけど、その話なら前にも断ったはずだ。夜子が何を企んでいるか分からない以上、協力はできない」

 樹流徒は考えるまでもなく渚の要求を拒んだ。


「やっぱ断られちゃったか。まあ予想通りの反応だけどね」

 渚は微苦笑する。が、その笑みを徐々に悪戯っぽい笑みに変えてから、言葉を継いだ。

「けど、今回は簡単に諦めないよ。期せずして交渉材料も手に入ったことだしね」

「交渉材料?」

「そう。私は今、相馬君の大切なものを預かっている」

 大切なもの? 樹流徒は最初、それが何のことだか分からなかった。

 が、横から吹き付ける風に全身を叩かれた瞬間、はっとした。ポケットの中を探ると、そこにあるべきものがいつの間にかなくなっていた。悪魔倶楽部の鍵が無い。


「気付いたみたいだね。でも、先に言っとくけど、盗んだワケじゃないからね。あの鍵は、相馬君がタワーから落下してる最中にポケットから落ちたんだよ。それを私が回収したの」

「じゃあ、今は君が鍵を持っているのか?」

「秘密。もしかしたらその辺に隠してあるかもしれないよ」

「仙道さんはアレが何の鍵なのか分かっているのか?」

「ううん、知らない。でも大方の予想はついてる。あの鍵、悪魔から貰ったんじゃないかな?」

「どうしてそう思う?」

「私、ずっと前に相馬君があの鍵を使って窓ガラスの中に入る瞬間を見てるの。あんな不思議な鍵を作れるのは天使か悪魔くらいでしょ? でも、当時はまだ天使が龍城寺市に現れてなかった。だから悪魔から貰ったと考えるのが妥当なんだよ」

「なるほど」

「多分、あの鍵を使えば悪魔の住んでいる世界にでも行けるんじゃないかな? そして相馬君は移動した先で情報収集をしていた。もしくは悪魔と何らかの取引をしていた。違う?」

 渚の推測はいちいち正しかった。まるで樹流徒の行動を逐一監視していたかのような正確さである。故に、彼女は鍵の重要性についても正しく理解していると考えて良いだろう。


「それで……。鍵を返して欲しければ、夜子の配下になれということか?」

「悪く思わないでね。でも、こうでもしないと、君は絶対に仲間になってくれないでしょ?」

 と、渚。彼女の言葉は正しかった。余程特別な事情でもない限り、樹流徒が夜子の仲間になることはない。それは詩織やメイジにも同じことが言えるだろう。


「仙道さんがそこまでして僕たちを仲間に加えようとする理由は何だ? 夜子のためか?」

「違うよ。私は単に君たちを助けてあげたいだけ。夜子様に敵対すれば、いずれ君たちは死ぬことになるからね。そうなる前にコッチの味方になって欲しいの。信じて貰えないかな?」

「いや……」

 樹流徒は首を横に振る。渚が嘘を言っているようには聞こえなかった。悪魔の大群を蹴散らした夜子の力を考えれば、渚の言葉は決して大げさではない。


「ま、一時的に協力してくれるだけでもいいから、取り敢えず根の国に来てよ。そしたら鍵を返すだけじゃなくって、君の働きに応じて色々な情報を提供してあげるから」

「夜子がそう言っているのか?」

「ううん。私の独断。でもあの人ならきっと了承してくれるよ」

「そうなのか」

「うん。だから君が私たちと手を組んでも損は無いと思うよ。それに、君はもう天使の犬っていう組織の人たちを頼ることもできないんでしょ?」

「多分、無理だろうな」

 樹流徒は渚の言葉を素直に認めた。渡会は居場所と安否が不明だし、南方は詩織を助けようとした結果、天使に反逆者と見なされて処刑された。他に樹流徒が頼れそうな組織のメンバーもいない。現状では、樹流徒とイブ・ジェセルの関係は完全に切れていると言っても過言ではなかった。


「それじゃあ、尚更私の提案に乗った方が良いと思うんだけど」

 渚は答えを急かす。

「少しだけ考えさえてくれ」

 樹流徒はそう返したが、心の中ではほぼ結論が出ていた。どう考えても、今回ばかりは首を縦に振らざるを得ない。組織との関係が断ち切れた今、樹流徒にとって悪魔倶楽部の鍵を失うのは余りにも大きな痛手だった。


 選択肢など無いに等しい。樹流徒は意を決して口を開く。

「分かった。夜子の配下にはなれないが、協力者という形で一時的に手を組もう」

「え、本当?」

「ああ。どの道、仙道さんが鍵を拾ってくれなければ、僕はお手上げだった。それに、今回助けて貰った借りもあるからな」

「ふうん。相馬君って結構律儀なんだね」

「ただ、先に一つだけ言っておくけど、僕は、僕にとって不要な殺生はしない。それだけは何があっても絶対に譲らない」

「大丈夫だよ。その辺は私も夜子様も多少は分かってるから」

 渚はことのほか嬉しそうに答えた。


「じゃあ、早速、これ返しとくね」

 少女は懐に手を突っ込んで、何かを取り出す。それは矢羽を模した黒い鍵……紛れも無く悪魔倶楽部の鍵だった。渚はそれを樹流徒に手渡す。

「はい。それともうひとつオマケ」

 間髪入れず、渚はもう一度同じように懐へ手を忍ばせた。再び現れた彼女の手には、長方形の物体が握られていた。

「携帯電話?」

 と、樹流徒。そう、少女が取り出したのは確かに携帯電話だった。色は白で、ピンク色のビーズと猫の顔のストラップが一本ずつ付いている。樹流徒はそれに見覚えが会った。詩織の所持品だ。

 渚は、詩織の携帯電話と思しきものを樹流徒に手渡す。


「これ、一体どこで手に入れたんだ?」

「君たちが最近まで使ってたアジトの中。もっと厳密に言うなら、伊佐木さんの部屋の中だけどね。さっきカラスに命令して取ってきて貰ったんだよ」

「何のために伊佐木さんの携帯電話を持ち出したりしたんだ?」

 樹流徒は素朴な疑問を唱える。

「あのね、そのケータイに、伊佐木さんから相馬君に宛てたメッセージが入力されてるみたいだよ」

「伊佐木さんが、僕に?」

「うん。何日か前、私が千里眼で君たちの様子を確認した時、伊佐木さんがケータイをいじってるのを見たんだ。あ、でもメッセージの中身は冒頭部分しか覗いてないから、安心してね」

「そうだったのか」

 樹流徒は納得した。

 疑問が解けたところで、早速詩織の携帯電話を操作する。間もなく、メモ帳の中に記録されたメッセージを発見した。樹流徒は中身を黙読する。

 そこには詩織に関する意外な事実と想いが書き込まれていた。


『相馬君へ。

 アナタがこれを見ているということは、私はもうこの世にいないのでしょうか? もしそうなのだとすれば、それは当然の報いかも知れません。


 唐突ですが、私の過去の本音と罪をここに書き記しておこうと思います。


 私、魔都生誕が起こる以前は毎日のように世界の終わりを望んでいました。この世から何もかも消えてしまえば良いと思いながら日々を過ごしていたのです。


 意外でしたか? それとも軽蔑しましたか? あるいは相馬君ならばアッサリと受け入れてくれるのでしょうか。アナタのことをまだ良く知らない私には、分かりません。


 私が歪んだ思想を持つようになった理由については、誰が聞いても気分が良い話ではないですから、余り詳しく語ろうとは思いません。特に知りたくなければ読み飛ばして貰っても構いません。


 私には幼い頃から家族と呼べるような人が実質的におらず、人付き合いが苦手だったから学校へ行っても友達と呼べるような人は誰もいませんでした。自分で言うのも少し変かも知れませんが、私はそれなりに孤独で寂しい人間だったと思います。

 だからといって、自分を可愛そうな人間だと言うつもりはありません。これまでずっと親しい人間を作ろうとしなかった私自身の心にも問題があったかも知れないからです。ただ、私には周囲に合わせて自分を偽る器用さも、他人に心を開く勇気もありませんでした。そんな私にとって日常は苦しみの連続であり、耐え難いものでした。こんな辛い世界は一刻も早く無くなってしまえば良いと、いつも思っていました。


 だから未来予知の力で魔都生誕の発生を知った時は、恐怖した反面、同じくらい安堵も覚えました。私はこれでようやく楽になれる。生という名の苦しみから解放される。そう思いました。


 でも、私は生き残ってしまった。最初はとても絶望しました。何故、私は死ねなかったのか? どうして他の人たちが死んで、よりにもよって私が生き残らなければいけなかったのか。運命の皮肉を感じずにはいられませんでした。


 けれど今は生き残って良かったと思っています。変わり果てた市内の中を歩いて、悲惨な光景を自分のまぶたに直接焼き付けてゆく内に、私は、終末を迎えた世界が如何に恐怖と悲しみに満ちているかを実感できたからです。それは未来予知というフィルターを通した映像では決して気付けないものでした。

 もっとも、今更気付いたところで遅いのかも知れません。それが私の罪だと思っています。


 ところで、ひとつ良い報せがあります。魔都生誕が発生したあの日、私はアナタに“世界が滅びる”という予言を聞かせました。しかし、あの予言には、当時の私の願望が含まれていました。

 実を言えば、私の未来予知は、龍城寺市以外の場所が被害を受ける光景は一切映していません。つまり、結界の外は無事かも知れないということです。

 私は今、その可能性を心から願っています。私たちの街は滅びてしまったけれど、外の世界は無事だと信じています。


 相馬君。アナタは絶対に生き延びて下さい。全ての戦いが終わった後、アナタが新しい場所で平和な生活を送れることを祈っています。


 それと最後にもうひとつだけ。

 アナタは覚えていないかも知れないけれど、私が初めて組織のアジトを訪ねた時、私のことを仲間と呼んでくれてありがとう。私は』


 “私は”。文章はそこで途切れていた。続きの言葉が思い浮かばなかったのか、それとも当時記録を中断しなければいけない出来事でもあったのだろうか。どちらにせよ、詩織が残したメッセージはそこで終わっていた。

 樹流徒は携帯電話の電源を落として、ポケットにねじ込む。

「何か、大切なことが書いてあったの?」

 渚が尋ねる。

 樹流徒は「ああ」とだけ答えて、西の方角を向いた。市内中央の頭上では、巨大な魔法陣が未だに白銀の光を放っていた。





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