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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
激動編
153/359

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「なんということだ」

 驚きを禁じえなかったのだろう。分身した砂原は三人揃って怪奇と遭遇したかのような表情を並べ、魔人(・・)と化した樹流徒の姿を凝視している。

 が、彼らはすぐ我に返ったようである。

「イサキ君! 離れていた方が良い」

 砂原の一人が声を荒らげた。今の樹流徒に近付くのは危険だと判断したに違いない。怒鳴りつけるような声だった。


 樹流徒の変貌。有無を言わさぬ迫力を帯びた砂原の声。そのどちらもが詩織にとっては突然の出来事だったであろう。彼女ははっとした表情で、ほとんど反射的にその場から後退(あとずさ)るような挙動を見せた。しかし、直後には動きかけた足を止める。

 その時にはもう、砂原たちは少女のことなど見てなかった。恐らく見ている余裕など無いのだ。三人の男は鋭い眼光を異形の青年へと向ける。


 樹流徒は動かない。赤い瞳だけが薄闇の中を滑り、正面の砂原Aに狙いをつけたところでピタリと止まった。

「イサキ君との約束は反故(ほご)にするしかあるまい」

 砂原Cの言葉に、AとBが頷いた。魔人の存在を放置しておくわけにはいかなくなった、ということだろう。


 早々に再戦の火蓋が切られる。最初に仕掛けたのは砂原A。彼は樹流徒に掌を向けると、宙に描いた魔法陣から銀色の砲弾をニ連射した。樹流徒はそれに反応して魔法壁を張る。七色の壁が砲弾を弾き返した。


 次に動いたのは砂原B。魔法壁が消える瞬間を熟知していたと思われる絶妙のタイミングで、光の羽を射出する。樹流徒の死角から放たれた一撃が、彼の背中を的確に射抜いた。


 樹流徒の全身に激痛が駆け巡る。しかし、彼は声も上げなければ、苦痛に顔を歪めもしない。痛みを無視して歩き出した。服の下から覗く暗色に染まった両足がひたりひたりと音を鳴らして正面の敵に接近する。その異様な迫力は、砂原Aが一歩後退するほどだった。


「攻撃は効いているはずだ。怯むな」

 砂原Bが、他のニ人を一喝する。空気を引き裂かんばかりの大音声(だいおんじょう)だった。

 それが功を奏したのか、砂原Aはひとつ息を飲むと、どっしり身構える。Cの表情にも僅かな余裕が生じた。魔人の禍々しい姿に惑わされてはいけない。冷静に対処すれば勝てるはずだ、とでも考えたのかも知れない。

 だとすれば、その認識はあながち間違いではなかった。樹流徒の体には砂原との戦いで負ったダメージがまだ残っている。今、樹流徒の体内にはかつてない力が躍動しているが、同時に彼の肉体はとうに限界を超えているのだ。


 ただ、そのような厳しい状態にあっても樹流徒はいつになく強気だった。とめどなく溢れる怒りが、彼を豪気かつ攻撃的にさせている。また、戦いに臨む高い集中力が一時的に彼の体から疲労や痛みを忘れさせていた。


 ここで、樹流徒は急に立ち止まって敵への接近を中断する。歩けなくなったのではない。自ら足を止め、砂原の得意技である突進攻撃を真っ向から受け止めようと考えたのだった。それは砂原に対する一種の挑戦であり、挑発と取られてもおかしくない行為だった。

 その挑戦に砂原Aが乗る。彼は背中の翼を前方へ折り畳んで全身を包み、黄金の炎を纏った(さなぎ)と化した。砂原BとCは成り行きを静観している。Aの攻撃が炸裂した後に追い討ち攻撃を仕掛ける準備をしているのだろう。


 樹流徒は後ろ足に力を入れて、衝突に備える。

「行け!」

 砂原Cが気合の入った声を発した。それに背中を押されたかのようにAが勢い良く宙へ弾き出される。樹流徒は回避しない。両手を広げて攻撃を待ち構えた。


 砂原が頭から魔人の腹に突っ込む。高所から重い物が墜落したような、鈍くて大きな音が鳴った。


 一声あっと驚きの声を上げて、砂原Bが目を大きく見開く。樹流徒はどこへも弾き飛ばされることなく、黄金の蛹をがっちりと掴んでいた。まるで目に見えない壁が樹流徒の頭と背中を押さえつけて、彼の全身を支えているかのようだった。


 それでも樹流徒は突進の勢いに押されて地に両足を引きずりながら後方へ下がる。摩擦の力で床が浅く(えぐ)れた。

 樹流徒は全身の筋肉に力を巡らせる。彼の体に走る文字のラインが点滅した。途端、絶大な力が彼の体中に(みなぎ)る。その勢いに押されて、黄金の蛹は急激に推進力を失い、すぐに停止した。樹流徒は攻撃を受けきった。最終的に彼が後退した距離は一メートルにも満たなかった。


 砂原Aの周囲から黄金の光が失われる。続いて彼の全身を包んでいた翼が広がった。中から現れた男の顔は、恐怖もしくは焦りによって引きつっている。突進攻撃が破られるとは考えもしなかったのだろう。

 樹流徒は眉一つ動かさず、冷淡な瞳の奥に怒りの炎を燃やしていた。砂原の背に手を伸ばすと翼の根っこをわし掴みにし、何のためらいもなく引き抜く。


 メリメリと砂原の背中が生々しい悲鳴を上げた。それとは逆に、砂原は顎が砕けるのではないかというくらい大口を開けながら一切の声を発さなかった。痛みや恐怖の余り何も言えなかったのだろう。声にならない叫びがかすれた吐息となって虚空に吐き出される。

 樹流徒は、血にまみれた翼をさもつまらないゴミでも投げ捨てるように無造作な動作で背後に放った。そして今になって唸り声を上げながら床で悶絶する砂原Aのわき腹を容赦なく踏みつける。


 凄惨な光景を目の当たりにして、砂原BとCは真顔を作ったまま動かなかった。魔人の動きを冷静に観察しているのか。戦慄して動けないだけのようにも見える。

 一方、詩織は男たちよりも多少分かり易い表情をしていた。いかに樹流徒が味方とは言え、彼の無慈悲な暴力に思わず眉を曇らせるしかなかったようだ。


 樹流徒は敵の体を足裏で押さえつけたまま、両手に魔法陣を同時展開した。その展開速度はこれまでとは比較にならないほど速い。魔法陣は宙に描かれる過程を省略して瞬時に出現した。

 ニつの魔法陣から電撃が放たれる。加えて、樹流徒の口から真紅の炎が吐き出された。巨大悪魔レビヤタンが海上を燃やした炎の、縮小版とでも言えば良いだろうか。ただし、縮小と言っても砂原の全身を覆いつくすだけの大きさは持っている。雷光と巨大な炎が、身動きの取れない標的を至近距離から襲った。


 砂原Aの体が瞬時に消える。炎で焼失したのではなく、幻のように忽然と消えてしまった。Aは砂原の本体ではなく、分身だったのである。今の樹流徒には、どういうわけか砂原の本体と分身をはっきりと見分けることができた。砂原Aが分身体だと最初から分かっていたのだ。そのため躊躇なく葬ることができた。


「新しい分身を生み出すまでの時間を稼がなければ」

 砂原Cが、自身の耳にすら届かない程度の音量で呟く。

 分身を失って二人に減った砂原は、樹流徒を挟んで距離を取る。たった今やられたAの二の舞になるのは御免だと言わんばかりに魔人との接近戦を拒否した。


 樹流徒はすぐさま砂原Bを次のターゲットに決定する。本体はCであり、Aと同じく分身体であるBを先に始末しようと判断した。

 思い切り地面を蹴って、樹流徒は風の如き速さで標的に接近する。砂原Bは表情を歪めた。魔人の速さが予想を遥かに超えていたのだろう。機動力に関しては通常の樹流徒ですら砂原に勝っていたが、異形と化した樹流徒はそれを更に上回るスピードで相手に迫る。砂原が逃げられる道理は無かった。


 砂原Bは後方へ飛び退()きながら銀色に輝く光の砲弾を連射した。標的めがけ最短距離を疾走している樹流徒が攻撃を回避する術は無い。が、人は空から降るたった数滴の雨粒を避ける必要がない。砂原が放った砲弾は、今の樹流徒にとって雨粒のようなものだった。実際には樹流徒の体を揺らす程度の威力は持っていたが、彼の前進を妨げる力には到底及ばなかった。


 樹流徒は砂原Bの懐に潜り込むと左手の爪を繰り出す。砂原は後ろへ飛んだが、悪魔の爪が伸びる速度は男の予想を再び上回っていたようである。長いフラウロスの爪が砂原の腹部を刺し貫いた。男はぐっと苦い声を上げる。

 相手が分身だということもあり、樹流徒は攻撃を躊躇わない。砂原を串刺しにしたまま、瞳の色を赤から紫色へと変えた。念動力を発動したのである。展望室の窓のフレームが次々と壁から剥がれ、宙に浮遊し、最後は槍となって標的めがけ発射される。数本の槍が男の全身を貫いた。


 樹流徒は勿体つけずにトドメを刺す。最後は爪を引き抜いて砂原の体を真上に放り投げ、自身も跳躍すると足の爪で敵の喉を貫いた。大の男ですら目を背けたくなるような、残酷な光景だった。ただ、跳躍する魔人の姿にはどこか危険な美しさがあった。それに魅入られたかのように、詩織の瞳は瞬きを忘れて樹流徒の姿を追い続ける。


 砂原Bの体は、先程のAと同じように跡形もなく消滅した。あっという間に両方の分身を失った砂原C(即ち砂原本体)は、絶句していた。彼の額や首筋には多量の汗が噴出している。分身を作り出した疲労による発汗か、それとも恐怖による冷や汗なのだろうか。どちらにせよ男の苦戦を象徴していた。


 樹流徒は最後の標的に狙いを定める。冷たい足音を立てて獲物に接近してゆく。

 砂原は唇の間から食いしばった歯を覗かせて、光の羽を数枚射出した。樹流徒は攻撃を回避しない。光の羽は全弾標的に命中した。刺す痛みが樹流徒の体内で暴れ回る。


 それでも魔人は止まらない。砂原にはもう相手の動きを封じる手だては残されていないようだ。樹流徒は体の痛みを新たな怒りに変えて、前進を続ける。標的との間合いを詰めてゆく。

「化物……」

 砂原が呟いた。我知らず出たような、喉の奥から搾り出したような声だった。


 魔人は獲物の眼前に立つ。砂原は至近距離から銀色の砲弾を連射した。きっとこの攻撃が最後の抵抗だった。砲弾は樹流徒の顔と胸にそれぞれ命中する。衝撃で彼の体がぐらりと揺れた。が、それだけだった。樹流徒の体は鈍痛を感じたが、皮膚には傷跡一つ付いていない。砂原が最後の望みをかけて繰り出したであろう一撃は、余りにも些細な抵抗に見えた。


 樹流徒は右手を伸ばして、砂原の首根っこを掴む。男は微動だにしない。己の死を悟った者のように反撃をしなかった。

 樹流徒の指が砂原の首を徐々にきつく締め付けてゆく。しかし、この砂原は分身体ではない。もしトドメを刺せば、樹流徒は人を殺めることになる。

 今、樹流徒の心の中では、相反するニつの声が激しくぶつかり合っていた。彼の理性が、怒りの感情をを封じ込めようと応戦を始めたのである。「殺してはいけない」「いや。殺してしまえ」その葛藤がなければ、砂原は既に絶命していただろう。


 しかし憎悪の力は強力だった。樹流徒の指に更なる力が込められる。砂原の首からギュウと骨の軋む音が鳴った。


「駄目。殺してはいけない」

 詩織が声を発した。彼女は魔人を目の前にしても全く臆した様子が無い。

 樹流徒は表情を微動させた。しかし、少女の言葉に耳を貸そうとまではしない。砂原の首を一層きつく締め上げた。胸の内から無限に沸き起こる怒りを止められない。


 砂原は観念したような顔をしていたが、いよいよ死が迫っていると実感したのか、次の瞬間、思い出したように抵抗した。両手の爪で樹流徒の腕を引っかき、足の甲を踏みつける。しかし魔人は動じない。五本の指だけが相手の首を真綿で締め付けるが如く徐々に力を強めてゆく。


 砂原の目の焦点が合わなくなってきた。唇から血色が薄れ、薄く開かれた口の端から一筋の唾液が垂れる。見るからに危険な状態だった。このままでは砂原が絶命するのは時間の問題だ。これまで悪魔相手にすら無益な殺生を避けてきた樹流徒が、人命を奪おうとしていた。


 が、その時である。この事態に呼び覚まされたかのように、不思議な現象が起こった。

 展望室の隅で、虹色の小さな光が輝き出す。それは詩織が立っている場所から発せられたものだった。


 少女の喉元に、七色に輝く謎の文字が浮かび上がっていた。その(あざ)は先刻樹流徒の背中に現れたものと良く似ている。

 光の出現に合わせて、樹流徒の背中に焼け付くような痛みが走った。少女が放つ微弱な光の波と共鳴しているのだろうか。詩織も同じ痛みを感じているのかも知れない。彼女は少し苦しそうな顔で喉元を押さえている。七色の光は少女の手を透過して一定の輝きを宙に放ち続けた。


「相馬君。その人を殺してはいけない。その人は人間よ」

 詩織は、今一度樹流徒を説得する。穏やかさを含んだ真剣な口調だった。

 その言葉は、不思議と樹流徒の心に染み渡る。それは奇跡といった類の力によるものなのか、それとも詩織に隠された能力の効果なのか。樹流徒の心を覆っていたどす黒い雲が、嘘のように晴れていった。砂原の首を締め付ける指から、一気に力が抜ける。


 砂原はぶはっと喉を鳴らして急激に息を吸い込んだ。そして白目を剥いて膝から崩れるように床に倒れる。

 樹流徒の全身が、砂原から受けた傷の痛みを思い出した。限界を超えていた肉体が動きを止める。樹流徒は、糸が切れた人形のようにその場で棒立ちになった。





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