表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
激動編
144/359

波乱



 砂原の個人的な趣味により臨時アジトとして選ばれた旅館・狐湯の里。それを視界に捉えた時、樹流徒は殆ど無意識の安堵感を覚えた。彼はマルバスと別れたあと、滞りなく空の移動を続け、たった今アジトの前に辿り着いたところだった。組織の協力者という立場の樹流徒にとって、アジトは居候している他人の家みたいなものだったが、唯一の帰れる場所でもあった。それが無事だったことにほんの少しだけ心の平穏を感じたのである。


 魔都生誕が起こるまで、樹流徒の居場所は家族がいる家だった。その家が今どうなっているのかは分からない。運が良ければ無傷だろうし、悪ければ悪魔やネビトにより跡形もなく壊されているだろう。ただ、いずれにせよ樹流徒はもう二度と相馬家に戻るつもりはなかった。帰っても誰もいないし、懐かしさよりも虚しさを感じるだろうから。


 樹流徒はアジトの玄関前に立つ。建物の中では詩織と組織のメンバーが待っているだろう。彼らとの付き合いは短いが、もう少しで仲間と呼び合える間柄になれそうだった。詩織のことは既に仲間だと思っている。一方、組織の者たちと堂々と肩を並べるためには、悪魔倶楽部の存在や、天使と交戦してしまった事実について正直に打ち明けなければいけない。

 樹流徒はアジトに帰還する道中で一つの決意をしていた。もし詩織の同意が得られたら、組織の人たちに全てを話す。今まで隠していたことを洗いざらい喋る。そう決めた。悪魔が行う儀式は次が最後。それを阻止する戦いを目前に控えた今を置いて他に告白するタイミングは無いように思えたのだ。


 但し、隠し事について話すよりも、悪魔倶楽部で入手したアムリタの情報を皆に知らせるのが先である。アムリタは早雪の呪いを解く儀式を行うのに必要な生贄。その在り処(ありか)が分かったとなれば、八坂兄妹は喜ぶだろう。一刻も早く彼らに知らせてあげたかった。

 もっとも、令司にはしばらく内緒にしておいた方が良いかも知れない。彼のことだから「今すぐ魔界に行く方法を探す。俺一人でもアムリタを取りに行く」などと言い出しかねない。

 そのような想像をしながら、樹流徒は玄関の戸を開いた。


 ところが、すぐ違和感に気付いて足を止める。

 妙だ。樹流徒は心の中で呟いた。


 土間に靴が一足も置かれていないのである。全員情報収集に出掛けているのだろうか。しかし、詩織や早雪まで不在なのはおかしい。よもや全員の靴を一緒に洗濯しているというわけでもないだろう。

 樹流徒は不吉な予感と、狐につままれたような気分を覚えた。靴を脱ぐのも忘れて廊下に上がる。


 辺りは水を打ったように静まり返っていた。人の話し声や足音などは何一つ聞こえない。樹流徒は、アジトと勘違いして別の建物に入ってしまったのではないかと己を疑ったが、この旅館は間違いなく狐湯の里だった。その事実を証明するかの如く、以前令司が壁を殴って空けた穴が残っている。


 樹流徒は不穏な予感を更に膨らませながら、一階座敷の前まで来る。入口の(ふすま)はきっちり閉じていた。


 と、ここで樹流徒の警戒心が働く。襖の奥から何者かの気配を感じた。詩織や組織のメンバーの気配なのか。それにしてはまるで息を殺して潜んでいるかのような気配だった。玄関から全員の靴が消えてしまった件もあるから、余計に引っかかる。


 樹流徒は慎重かつ思い切って襖を開いた。


 それを合図に乾いた音が静寂を切り裂く。樹流徒の足下で銃弾が跳ね返った。驚いて音がした方を見ると、座敷の奥にハードパーマの女が立っていた。

 ベルである。彼女は真剣な面持ちで、樹流徒の足元に銃口を向けていた。


「何をするんですか」

 いきなり攻撃を受けた樹流徒は、多少困惑気味に尋ねながら座敷に入る。女に歩み寄った。

「悪く思わないでくれ。これは天使様から直々に下った命令なんだ」

 答えたのはベルではなかった。今までどこに潜んでいたのか、仁万が廊下から静かに姿を現す。

 樹流徒がそちらを見返った時、既に男の指先から謎の黄色い光が放たれていた。


 その鮮やかな光は仁万の手元を離れ、樹流徒に向かって直線を引く。

 回避する暇は無かった。樹流徒は咄嗟に腕を上げて光を防御する。痛みは無い。仁万が放った謎の光線は威力が弱いのではなく、殺傷力を全く持っていなかった。


 標的に傷を負わせるための能力ではないのだ。それを樹流徒が理解するよりも早く、彼の腕に異変が起こる。光を受けた箇所が急激に重たくなった。その症状は瞬く間に体中へと広がる。樹流徒は、まるで自分の全身が鉛にでもなってしまったかのような感覚に襲われた。これが仁万の能力なのだろう。


 未体験の攻撃を受けて樹流徒は若干戸惑う。そのわずかな隙を突いてベルが銃弾を放った。

 樹流徒は魔法壁を張り巡らせて弾を防ぐと、仁万に問う。

「待って下さい。天使の命令とはどういうことですか? 説明して下さい」

「そのままの意味だよ。君を捕獲しろと天使様から申し付けられたんだ」

「僕を捕獲? 何のために?」

「それは知らない。知る必要も無い。僕はただ天使様の命令を忠実に遂行するのみだ」

 仁万は言い終えると走り出す。魔法壁の守りを失った樹流徒に殴りかかった。


 樹流徒の全身は仁万の能力によって鉛のように重たくなっている。当然、動作も遅くなる。防御が間に合わない。

 仁万の拳が樹流徒の頬を殴打した。樹流徒は床に倒れる。この時、ようやく彼の全身を支配する異状が消えた。


 身軽さを取り戻した樹流徒は反撃に出る。詳しい状況は不明だが、仁万とベルが自分を捕まえようとしているのは理解できた。無論、大人しく捕獲されるわけにはいかない。

 とはいえ、相手は人間である。自己防衛のためとはいえ簡単には殺せない。樹流徒は床に倒れたまま仁万めがけて黒煙を吹きかけた。この煙を浴びた者は激しい睡魔に襲われる。相手を傷つけず戦闘不能にするには最適の能力だった。

 が、仁万は機敏な動きで後ろに下がって黒煙を回避した。


 ベルが銃のトリガーを引く。放たれた弾丸は無防備な樹流徒の足をかすめて、畳に突き刺さった。

 樹流徒は急いで体を起こし羽を広げる。頭上に向かって火炎砲を放った。魔法陣から飛び出した巨大な炎で天井を吹き飛ばすと、そこから上の階へと逃れる。


 仁万は「しまった」と言って天井に開いた穴を見上げた。

「逃げられたな」

 ベルも頭上を仰ぐ。


 男は眼鏡のレンズ越しに女を見た。落ち着いた口調で彼女を叱責する。

「あれだけ近い距離で銃撃を外すなんてどういうことなんだ?」

「仕方ないだろ。人間に向かって発砲するなんて初めてだからな。悪魔相手みたいにはいかないさ」

 ベルはどこかばつが悪そうに答えてから。

「そういうアンタも市民ホールに向かう最中は無様なものだったじゃないか。自分のことは棚に上げる気か?」

 と、鋭く切り返した。今度は仁万が気まずい顔をする番だった。

「別に相馬君を殺そうというんじゃない。彼の急所を外して狙い撃てば良いんだよ。君ならできるはずだ」

 男は言い返して、それ以上話を続けるのを拒むかのように踵を返す。

「相馬君を追わなくては」

 と、独り呟いた。


 一方、二階に逃れた樹流徒は詩織を探していた。彼女を見つけて詳しい事情を聞き、場合によっては彼女と一緒にアジトから脱出しようと考えた。

 やりきれない気分だった。イブ・ジェセルが天使の命令によって動く組織なのは承知している。ただ、共に戦ってきた組織のメンバーたちとの関係がこうもあっさり崩れたことに無常感を覚えずにはいられなかった。


 暗い気持ちを振り払うように樹流徒は廊下を駆ける。ドアを開け、一部屋ずつ中の様子を確認していった。

 この階には誰もいない。詩織だけでなく、組織の者たちの姿も見付からなかった。


 階段を上って三階を調べてみる。この階ももぬけの殻(・・・・・)だった。まだ一階は全部調べていないが、アジト内にはベルと仁万しかいないと確信する。


 樹流徒は三階の一室から窓を開いて外へ飛び出した。ひとまずこの場から逃れるため、そして何処かに消えてしまった詩織たちを探すため、アジトから離れようと考えた。

 彼が空中に飛び出すと、僅かに送れてベルが玄関から外へ駆け出す。彼女は樹流徒を見上げると再び発砲した。銃口から飛び出した弾は樹流徒の横を通り過ぎて窓ガラスを割った。


 樹流徒は上昇して屋根に乗る。ベルを避けるために屋根の反対側へ向かって走った。そのまま離陸しようとする。


 その時、絶え間なく天から注ぎ続ける水色の光が突然何かに遮られ、樹流徒の全身に影を落した。

 樹流徒は気付いて空を振り仰いだ。頭上に一体の有翼人を発見する。


 天使に違いなかった。ただ、ドミニオン、パワー、プリンシパリティなど、樹流徒が今まで出会った天使たちのいずれとも違う風貌を持っている。

 それは金髪の少女だった。外見の年齢は樹流徒と同じくらい。背丈も人間の少女と変わらなかった。青い瞳はしっかりと見開かれているが憂いを帯びたような形をしている。白いワンピースに似た服に身を包み、両手首には黄金のアンクレットを幾つか重ねて巻きつけていた。武器らしきものは所持していない。


 上空に現れた有翼人の少女は、両足を揃えて樹流徒めがけて急速に落下する。樹流徒が彼女の存在を視認した時にはもう回避が間に合わない状況で、反射的に両腕でガードを作るのが精一杯だった。


 樹流徒の腕に凄まじい圧力がかかる。天使は外見に反して恐ろしい力を持っていた。彼女が繰り出した高所からのドロップキックは屋根を陥没させ、樹流徒をアジトの中へと強引に押し込む。

 その勢いは樹流徒の体が屋根を突き抜けても衰えなかった。樹流徒と天使は、攻撃がぶつかった瞬間の体勢を維持したまま三階の床を貫通し、二階も突き抜け、最後は一階の厨房に飛び込んだ。樹流徒は金属製の調理台に背中を強か打ちつける。落下の衝撃を体の一点に受けた。天使は綺麗に着地を決める。


 樹流徒は背中を襲う凄まじい痛みに床を転がった。しかし敵が迫ってくるのが目に入ると、すぐに体を起こす。膝を着いて火炎弾を放った。

 天使は虚を突かれたらしく炎の塊を回避せずに肩で受ける。むっと小さな声を出したが、顔色は変わらない。


 樹流徒はその隙に羽を広げて脱出した。己の体が落下してきた穴を通って上昇する。そのまま戦場を離脱しようと考えた。なにしろ、このまま戦っても勝ち目は薄い。天使を相手にするだけならばまだしも、仁万とベルを無傷で戦闘不能にするのは至難の業である。相手を無力化させるのは、ただ殺すよりもずっと難しい。


 樹流徒は外に飛び出す。天使はまだ追ってこない。余裕で逃げ切れると思った。

 が、仁万の声に呼び止められる。

「待つんだ。もし君が逃げれば、伊佐木さんの安全は保障できない」

 樹流徒はぴたりと停止した。止まらざるを得なかった。


「僕たちと勝負しよう。君が勝ったら伊佐木さんの居場所を教える」

 仁万はそう続けて、眼鏡のブリッジを持ち上げた。

「この場にいない伊佐木を人質に使うとはな。小悪党並の策士じゃないか」

 ベルが皮肉めいた笑みを浮かべる。

「仕方がないだろう。全ては天使様ため。僕たちは絶対に彼を捕獲しなければいけないんだ」

 仁万は険しい顔をした。


 そうしている内に、天使が屋根の穴から外へ飛び出す。彼女は樹流徒を見ると問答無用で飛びかかかった。金色の長い髪が翻る。

 樹流徒は向かってくる敵の腹に蹴りを突き刺してカウンターを取った。しかし天使が突進する勢いはまるで衰えない。


 金髪の少女は拳を下から上に振りぬいて樹流徒の顎を跳ね上げた。その衝撃で樹流徒の体が僅かに浮く。

 続いて、天使は樹流徒の腕を掴み、下に向けて放り投げる。樹流徒は羽を動かして減速したが地面に叩き付けられた。


 すかさずベルが数メートル離れた距離から樹流徒に向かって発砲する。樹流徒は素早く地面を転がって弾丸を回避した。弾はアスファルトの上で小さな火花を上げて跳ね返る。

 ベルは銃を投げ捨てた。弾切れか、それとも銃が故障したのか。武器を手放す。


 樹流徒は起き上がる。その最中を狙って仁万が人差し指から黄色い閃光を飛ばした。それは光芒を放ちながら空を裂き、樹流徒の足に吸い込まれる。樹流徒の全身は再び鉛みたいに重くなった。


 動きが鈍った樹流徒の背中めがけて天使が急降下する。蹴りを見舞った。

 背後から強烈な衝撃を浴びた樹流徒は、()け反った体勢で吹き飛び地面を滑る。それを天使が追いかけた。彼女は樹流徒の足を掴むと自身の足を軸にして独楽(こま)みたいに回転する。二回、三回と輪を描いた後、樹流徒の体を宙に放り投げた。


 樹流徒は硬い地面の上を派手に跳ねる。ベルの足下で止まった。

「済まない相馬。これも組織の命令だ」

 女はそう言って、厳しい表情をしながら樹流徒の脇腹を蹴り上げた。


 樹流徒は腹を押さえながら転がる。防戦一方の苦しい展開だった。こうなることは分かっていたが、詩織を人質に取られては逃げられない。

 天使のドロップキックが襲う。樹流徒は更に転がってかわした。空を切った天使の両足は地面に小さな亀裂を走らせ砂埃を巻き上げる。


 樹流徒は体をバネのようにして跳ね起きた。

 仁万が駆け寄って蹴りを繰り出す。樹流徒は全力で跳躍して回避した。上空で羽を広げ、アジトの屋根に逃れる。


 すぐに天使が追跡した。少女は背中の翼で屋根よりも高く上昇すると、樹流徒めがけて突進する。体当たりを仕掛けた。

 対する樹流徒は魔法壁を張って相手を弾き返した。天使は自らの突進の反発を受けて後方へ吹き飛ぶ。しかしすぐに空中で体勢を立て直した。それから再び標的に突っ込む。


 樹流徒は火炎砲で迎え撃った。天使は正面からまともに攻撃を受ける。が、それでも全く突進の勢いを弱めなかった。彼女は火の粉を散らしながら樹流徒に肩をぶつける。樹流徒の体が大きく仰け反ると、腕を掴んで強引に振り回し、放り投げ、屋根の外に押し出した。


 空中に放り出された樹流徒は、羽を広げて姿勢を制御しようとする。そこを狙って仁万が放った閃光を受けた。全身が重くなる。羽も重くなって空を飛んでいられない。

 樹流徒の体は落下した。何とか足からの着地に成功するが、それもすぐ無意味と化す。着地とほぼ同時にベルの蹴りを食らった。樹流徒は腕でガードしたが、蹴りの衝撃を受けてまたも地面を転がった。


 仁万が樹流徒を追いかけ、彼の腹を踏みつける。樹流徒は苦悶の表情を浮かべながらも、黒煙を吹いて反撃した。

 仁万は素早くその場を離れる。入れ替わるように天使が襲い掛かった。彼女はアジトの屋根から飛び降りると、樹流徒の頭部に膝蹴りを叩き込んだ。


 樹流徒の視界が寸秒暗転する。このままでは一方的になぶられて終わる。天使に捕獲される。もし捕まったら一体何をされるのか? 痛みと恐怖が一緒になって襲ってきた。


 天使が樹流徒の体を無理矢理起こし、彼の脇腹に膝蹴りを入れる。樹流徒は歯を食いしばって持ちこたえたが、天使の掌に胸を突き飛ばされるとその衝撃に抗えず、吹き飛んだ。仰向けに倒れる。

 その先には仁万がいた。

「相馬君。もう抵抗しない方がいい。これ以上痛い思いをせず、大人しく目を閉じてくれ」

 眼鏡の男はそう言って勢いよく足を振り上げた。靴の裏を樹流徒の腹めがけて落とす。


 しかし、振り下ろされた仁万の足が樹流徒に接触する事は無かった。

 それどころか男の足は浮いていた。足だけではない。彼の全身が宙に浮いている。


 緑色の触手が仁万の四肢を絡め取り、体を持ち上げ、動きを封じていたのである。

 触手を辿っていくと、そこには黒衣を纏った一人の青年が立っていた。


「ふうん。面白そうな状況になってるじゃねェか」

 突如現れた青年、メイジはそう言って口を歪な形にする。彼はギラギラと輝やく瞳の中に戦況を映し出した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ