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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
141/359

天使の勢力圏



 市内某所に佇む三階建てのビル。最上階の一室には窓から冷涼な風が吹き込んでいた。緑色のパーテーションで仕切られたオフィスデスクが寒さを凌ぐように身を寄せ合っている。


 そこは、樹流徒が天使ドミニオンの追跡を受けてやむなく逃げ込んだ部屋だった。悪魔倶楽部の鍵を最後に使用した部屋、と言い換えることも出来る。


 今、その一室で、樹流徒は窓越しに外の様子を眺めていた。空に、地面に、建物の屋上に、至る場所で白い翼が舞っている。天使の群れだ。数百に及ぶ数の有翼人が街の中を自由に歩き、飛び回り、そして語り合っていた。


 たった今現世に帰ってきたばかりの樹流徒は、夢幻的な情景に魅せられた。まるで天使たちが住む世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。耳を澄ませば、美しい歌声がどこからともなく響いてきた。全く聞き覚えがないのに酷く懐かしい気持ちにさせられる旋律だった。


 樹流徒が悪魔倶楽部に滞在していたのは数時間程度だった。正確な時間は分からない。その内半分くらいの時間を店内の片付けに、残った時間を情報収集に充てた。

 店内全ての客から話を聞いた結果、残念ながらベルゼブブたちの動向に関する情報は得られなかった。ただ、その代わりというわけではないが、アムリタに関する話を聞けたのは大きな収穫だった。樹流徒はバルバトスと別れの挨拶を交わし、魔界をあとにした。


 そのあいだにも、聖界の使者たちが次々と現世に降臨していたらしい。市内中央部は既に彼らの勢力圏になったと判断して間違いないだろう。その中に樹流徒は一人取り残されてしまった。


 ただ、樹流徒は自分の置かれた状況をそれほど意外には感じていなかった。聖界の先遣隊が現世に進軍するという情報は承知済みだったので、現在天使に囲まれているのは寧ろ当然の成り行きだとすら思えた。

 もっとも、こうなる恐れに気付いたのは悪魔倶楽部を出る直前で、もっと早い段階で気付いていれば、天使に囲まれるよりも早く市内中央部から離脱できたかも知れない。しかし全ては後の祭りである。


 こうなった以上、樹流徒は、いかにして天使たちのテリトリーから無事に抜け出すかを考えなければいけなかった。

 羽を使って空を飛べば、(たちま)ち天使の群れに囲まれてしまうだろう。ドミニオンは「悪魔の羽を生やしたニンゲンなど敵だ」という類の発言をしていた。それが天使たちの共通認識だとすれば、樹流徒が空を飛ぶのは間違いなく自滅行為だった。

 移動手段は徒歩を使うしかない。また、空を飛ぶ以外にも悪魔の能力は一切使用してはいけない。天使に見付かれば、敵と見なされ戦闘になる。


 樹流徒は意を決してビルの階段を下りた。歩道に出ると、アジトを目指して歩き始める。ふと、向かいの駐車場に立つ有翼人と視線が合ったような気がした。


 頭上を仰げば、魔法陣が白銀の輝きを放っている。妖しげな太陽に見えたその神秘的な存在は、今となっては“目”のように見えた。空高くから下界の様子を監視している巨大な瞳だ。その下で数体の天使が旋回している。まるで踊っているようだった。


 ――そこの者。お待ちなさい。


 と、その時。不意に背後から声を掛けられて、樹流徒の心臓は軽く跳ねた。外を歩き始めてからまだ殆ど進んでいないというのに、早くも誰かに呼び止められた。


 立ち止まって後ろを振り向くと、そこには一対の白い羽を持った美しい女が立っていた。天使と断言していいだろう。外見年齢は二十歳前後。銀色の長い髪がとても派手だった。長方形の衣を幾つも体に巻きつけたような形状の、白い服を身につけている。ドミニオンよりもずっと軽装だ。見たところ武器も所持していない。


「もしや、アナタはニンゲンですか?」

 銀髪の女は凛とした口調で尋ねた。

 樹流徒は無言で頷いて、相手の言葉を肯定する。


「やはりそうでしたか。この辺りにはニンゲンの遺体どころか骨すら残っていないので、アナタのような生存者に出会うとは思いませんでした」

「お前は天使だな?」

「はい。私は“プリンシパリティ”といいます」

 銀髪の天使は己の胸に手を当てて名乗った。それからすぐに反問する。

「生き残りのニンゲンよ。アナタのほかにも生存者はいるのですか?」

「何人かいる。これからその人たちのところへ行くところだ」

「そうだったのですか……。では、お気をつけて。アナタに(しゅ)の導きがありますように」

 プリンシパリティは最後にそう言い残すと、翼を広げてどこかへと飛び去っていった。


 対話は実にあっさりと終了した。樹流徒の肩から余分な力が抜ける。悪魔の能力を隠しているとはいえ、絶対天使と戦わずに済む保障などなかったから、多少の緊張はあった。

 幸いにもその不安は杞憂に終わった。樹流徒は心なしか軽くなった足取りで再び歩き始める。アジトまでの道のりは長い。


 程なくして、高い建物に囲まれた見晴らしの悪い十字交差点に差し掛かった。

 ここまで来る間、樹流徒のすぐそばを素通りしていった天使は何体もいたが、プリンシパリティのように声を掛けてきた者は誰もいない。聖界の住人たちは意外なほど青年に対して興味を示さなかった。

 それは樹流徒が期待して以上の展開だった。このまま順調にいけば、難なくアジトへ帰れる。ただ、時折天使たちが憐れむような目で自分を見ているような気がして、それだけが心に引っかかった。


 樹流徒は交差点を直進する。入り乱れた自動車の間を縫って、車道を横切った。


 と、そこへ一体の生物がどこからともなく現れ地上へ舞い降り、樹流徒の行く手を塞ぐ。

 二枚の白い羽を持った巨人だった。手足は細く、全身の肌はバナナのように鮮やかな黄色に染まっている。顔の四隅に一つずつ目玉がついており、鼻と口は無い。ドミニオンやプリンシパリティに比べて人間から離れた風貌をしていた。恐らくこの巨人も天使なのだろうが、全体的な外見はどちらかといえば天使よりも悪魔に見える。手には銀色の長槍を携えていた。


「見慣れない顔がいると思えば……(なんじ)はニンゲンではないか」

 奇妙な姿をした生物は、四つの真ん丸な瞳を樹流徒へ向ける。

「お前も天使なのか?」

「そう。私は“パワー”」 

「僕は樹流徒だ」

「変わった名だな。それにしても良くぞ今まで生き延びたものだ。そして、良くぞここまで逃れてきた」

「逃れた? それはどういう意味だ?」

 パワーと名乗る天使の意外な言葉に、樹流徒は疑問符を付けて返した。


「隠さずとも良い。ニンゲンよ。私には全て分かっているのだ。汝は、我々に救いを求めてここを訪れたのであろう? 我々の力で悪魔から守って貰うために」

 何もかもを見通したような口ぶりで天使は言う。しかしとんだ見当違いだった。

 樹流徒としては「逃げてきた」などと言われるのは甚だ心外でしかなかった。ただ、このまま相手に勘違いさせておいた方が都合は良さそうである。

「そんなところだ」

 素早い決断の末、樹流徒は相手に話を合わせた。


「やはりそうか。だが恥じる必要は無い。汝の決断は正しい。無力なニンゲンよ。汝がここに留まる限り、我々の庇護の下、しばらくの安全が約束されるだろう」

 と、パワー。

 “しばらく”という部分が気になったが、樹流徒はその点を追及するより、一刻も早く先へ進む事を優先させたかった。

「それじゃあ、僕はこれで」

 彼はパワーの横を通り抜ける。やや足早になりかけたとろこで、天使の声が背中から聞こえてきた。

「汝に主のご加護があらんことを」

 樹流徒が肩越しに相手を見返った時、すでにパワーは純白の翼をいっぱいに展開し、飛び立とうとしていた。





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