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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
140/359

震動の原因



 魔界の冷気が充満し、辺りはひんやりとしていた。

 一声キイと鳴いて開かれた木製の扉。その前で樹流徒は立ち止まる。天使ドミニオンの追跡を振り切って安堵したのも束の間だった。いつもとは違う悪魔倶楽部の光景に、樹流徒は思わず怪訝な表情をした。


 どうしたことか、店内が見るも無残な状態になっているのである。テーブルや椅子は軒並み倒れ、床には食器や食べ物などが散乱している。石壁に掛けられた髑髏(どくろ)型のランプも幾つか落下していた。この場所で乱闘騒ぎでもあったのだろうか。そう考えなければ説明がつかないほど荒れている。


 客は七名。皆、樹流徒が入店した時には既に突っ立っていた。一体だけ宙に浮かんでいる悪魔もいるが、他の者たちと同じように静止している。彼らは交わす言葉もなく、今しがた店に現れた樹流徒へと視線を集めた。殺気立つ者はいない。そんな余裕は無く全員唖然としているようだった。


 樹流徒は無意識の内に悪魔たちの顔をひとつひとつ確認する。その作業が意識的なものへと変わった頃には、客の中に知った顔が多いことに気付いた。


 わずかな間があって、知った顔の一つが口を開く。口というよりは(くちばし)だが。

「よう。キルトじゃん。久しぶり……って程でもないか」

 一度聞いたら記憶に残るしゃがれ声だった。カラス頭の悪魔アンドラスである。


 アンドラスは店の入り口からニ番目に近い席にいた。倒れたテーブルの傍に立ち、手はワインボトルとグラスを掴んだまま両方とも塞がっている。

 彼の元へ樹流徒は歩み寄った。

「一体何があったんだ?」

 挨拶をするのも忘れて、店内が滅茶苦茶になっている理由を尋ねる。

「キルトが店に入ってくる直前まで、店が揺れてたんだよ。結構長い揺れだったからビックリしたぜ」

 アンドラスはそう答えて、グゲゲと笑った。

「魔界で震動が起きたのか?」

「そうなんだよ。参るよなあ……。オマエ、最近この世界の下層で謎の揺れが発生してるって噂は知ってるか?」

「ああ。その話なら耳にした事がある」

 樹流徒は状況を飲み込んだ。店内の惨憺(さんたん)たる光景は、乱闘騒ぎのせいなどではない。最近魔界で発生している震動が原因だった。


「魔界で何が起こってるんだろうな? とうとうこの階層にまで異変が伝わってくるなんてさ。現世と接触した影響なのかな?」

 アンドラスは、グラスを半分以上満たした酒に嘴を突っ込んだ。舌を動かし、葡萄(ぶどう)色の液体をぴちゃぴちゃと鳴らす。


 樹流徒は、アンドラスの疑問に答えられるかも知れなかった。今ならば異変の原因に心当たりがあるからだ。

 その心当たりというのは、悪魔たちが現世で行っている儀式に他ならない。儀式によって魔界の最下層が一部破壊された。その際に発生した衝撃が、震動の発生源ではないだろうか。数時間前に第三の儀式が成功したばかりだという証拠もあり、その線は強いように感じられた。


「ま。店が揺れるくらい別にどうってコトないんだけどさ。タイミングってやつを考えて欲しいよな。おかげで料理が台無しだよ。ホレ」

 アンドラスはくいと顎を動かして、床を指す。魚とキノコらしき食材を使った料理が、白い皿と共に転がっている。炎が消えたキャンドルも一緒に寄り添っていた。

「災難だったな」

 樹流徒にはそれくらいしか言えなかった。


 一方、二人がそのような会話をしている最中、ほかの客たちも動きを見せていた。

 獅子の頭と四枚の羽を持つ悪魔パズズは「また来る」と言い残して早々に店を出ていった。彼は以前、人間嫌いを自称していたが、樹流徒と視線が合っても余り嫌そうな素振りは見せなかった。それどころか一瞬ニヤリとしたように見えたのは、樹流徒の気のせいだろうか。


 パズズ以外の客たちは全員店内に残っている。椅子を起こして着席している者もいれば、床に寝そべっている者もいる。

 最奥(さいおう)の席には女がいた。たしかゴモリーという名前である。燃えるように真っ赤な髪が印象的な悪魔だ。天使の犬に関する情報を樹流徒に与えたのは彼女だった。

 ゴモリーは、お供に連れているラクダの背中に腰掛けてワイングラスを傾けている。ラクダは足を折り畳んで床の上に座り、大きな欠伸をしていた。


 客たちは皆、平穏な日常を享受するかの如くくつろいでいる。先ほどまでの呆然とした態度はどこへやら、今はもう震動が起こった直後の混乱を微塵も感じさせなかった。彼らを見ていると本当に何事もなかったように思えてくる。店内の状況に反して和やかな落ち着いた空気が流れ始めた。


 そんな中、樹流徒に接近する影があった。

 樹流徒とアンドラスの会話が一区切りついたところで動き出したその悪魔は、魔法陣の姿をしていた。ふらふらと低空をたゆたい、アンドラスの隣までやって来ると停止する。


 樹流徒は、(おもむろ)にやって来たその悪魔に見覚えがあった。しかも敵として。

「あれ? アナタ、どこかでお会いしましたか? なんだかニンゲンみたいな姿をしてますね」

 魔法陣の悪魔は、アンドラス以上に特徴的な、電子音みたいな声で樹流徒に話しかける。

「コイツ、オレの友達でデカラビアっていうんだ」

 アンドラスが悪魔を紹介する。

「どうもはじめまして。デカラビアです」

 続いて、紹介された本人が今更のように挨拶をした。


「ああ。知っている。はじめましてじゃないからな」

 樹流徒はデカラビアに手を伸ばす。立体映像のような魔法陣の体は、意外にも触れる事ができた。水で膨らませたゴムに近い、形容し難い不思議な感触が樹流徒の指に伝わってくる。

「あははは。いきなり何するんですか。くすぐったいじゃないですか」

 魔法陣の悪魔デカラビアは五芒星の中心から三つの目玉を出現させて、陽気に笑った。


「ん。オマエたち、初対面なのか? それとも会ったことがあるのか?」

 アンドラスは、ちぐはぐなやり取りをする樹流徒とデカラビアを、交互に見やる。

「現世で会った。この悪魔はベルゼブブの仲間だ。スタジアムで魔空間を発生させた」

 樹流徒が答えると、ふわふわ揺れていたデカラビアの体がビクリと跳ねた。

「ああ! どこかで見たと思ったら、アナタはあの時のニンゲン」

 三つの目玉が樹流徒を凝視する。

「そうだ。思い出したか?」

「まさか生きてたなんて……。というか、どうしてニンゲンが魔界にいるんです?」

 デカラビアは全身を震わせる。

「ベルゼブブの仲間に説明するつもりはない」

 捕まえた敵を逃がすまいと、樹流徒は魔法陣の体をきつく握り締めた。

「いてててッ……。放して下さい。放して。放しなさい。放せ。おいコラ放しやがれ!」

 デカラビアは叫ぶ。五段活用よろしく語尾を変化させ、段々と乱暴な言葉遣いになった。


「なあ、キルト。事情は良く知らないけど、放してやってくれ。ソイツ、ベルゼブブの仲間じゃないぞ」

 アンドラスが樹流徒の肩を軽く叩く。

「しかし、この悪魔は現世でレオナールたちと一緒にいた」

 樹流徒が反論すると

「違うんです。私はただ雇われていただけなんです」

 デカラビアは許しを請うような泣き声で自己弁護した。


「雇われていた?」

「はい。指定された場所で時間通りに魔空間を発生させれば紫硬貨(むらさきこうか)を五十枚もくれるって、レオナールの奴が言うから……」

「つまり、お前はベルゼブブの一味じゃなくて、金で雇われていただけなのか?」

「そう! そうなんですよ」

「レオナールたちが儀式を行う目的も知らなかったのか?」

「知るわけないですよ。逆に聞いても何も答えてくれませんでしたからね、あのケチ野郎は」

 デカラビアは語調を強める。

「相変わらず本人がいないところでは言いたい放題だな」

 アンドラスは友人の悪癖に呆れた風だった。

「話は分かった。きつく握り締めて悪かったな」

 樹流徒はデカラビアの言葉を信じ、彼を許すことにした。相手の体を掴んでいた指をそっと開く。

 途端であった。

「ハッ! このニンゲン風情が。次会ったらタダじゃおかねえですよ」

 解放されたデカラビアは態度を一変させる。強気な捨て台詞を吐いて逃げ出した。


 が、前方不注意だったようである。デカラビアは地面スレスレを疾走し、床に転がっているテーブルへと自ら突っ込んだ。

 浮き輪を壁に叩きつけたような、軽い音がする。デカラビアは衝突したテーブルの脚にもたれかかりぐったりしてしまった。その姿はさながら干された洗濯物のようである。

「しょうがないヤツだな。お~い。大丈夫か?」

 アンドラスがデカラビアに駆け寄って人差し指で突付くが、反応はない。


「オマエたち。暴れるなら外でやれ。これ以上店の中を滅茶苦茶にしないで欲しいものだな」

 その時、カウンターの向こうから低くて大きな声がする。

 バルバトスだ。この店の主人は、ワイン棚の整理を始めていた。震動のせいで相当な数のボトルが棚から落ちてしまったのだろう。カウンターの上には硝子(ガラス)の破片が大量に置かれている。店にとってはかなりの損害だろう。


 反対に、今回の惨事で得をしている者も一名いた。グリマルキンである。何でも食べる灰猫は、床に広がるワインの水溜りを(すす)っていた。大きな瞳が世話しなく動き、既に次の餌を探しているようである。この猫は世界そのものがお菓子の家にでも見えているのかも知れない。


 樹流徒は店内を抜ける。カウンターの前で立ち止まると「また来店させて貰った」と、バルバトスに声を掛けた。

「ああ。ようこそアクマクラブへ。と言っても、見ての通り今は料理を出せるような状態ではないがな」

 バルバトスは笑う。その態度は以前までと全く変わらない。


「僕が入店する直前まで、魔界で震動が起きていたらしいな?」

「うむ。この階層まで揺れが伝わってきたのは、今回が初めてだ」

「そうか。でも、こんなことは二度と起こらないはずだ」

 憶測と願いを込めて樹流徒は言う。

「だといいがな」

 バルバトスは浅く頷いた。


「ところで話は変わるが、シオリは元気か?」

「怪我はしてない。元気かどうかは本人じゃないと分からないが……」

「大丈夫だ。アイツは強い精神の持ち主だからな」

 バルバトスは長年詩織を見てきた者のような台詞を口にする。

 樹流徒とて決して彼女の多くを知っているわけではないが、バルバトスの意見には納得できた。


 樹流徒は店内の様子をさっと眺め回す。客たちがどこか退屈そうにしているのを確認すると、すぐにカウンターの奥へと視線を戻した。

「僕も店を直すのを手伝うよ」

 そして自ら悪魔倶楽部の修復と清掃を買って出る。

「オマエが?」

「ああ。この店には今まで色々と助けて貰った。だから、こんな時くらい礼をしておきたい。良いだろう?」

「そうか。では、頼むとしようか」

 バルバトスがこの申し出を断る理由は特に無さそうだった。


 樹流徒は早々に店内を片付け始める。テーブルを起こし、椅子を起こし、ついでに床に寝そべっている悪魔にも起きて貰った。意識を失ったままのデカラビアは、ひとまずテーブルの上に敷いておく。

 樹流徒の如才ない働きぶりによって、店は順調に元の姿を取り戻していった。


 やがて客が来店した。樹流徒の作業がもうじき完了しようかという頃、黒い空間を突き抜けて、一体の悪魔が姿を現す。


 馬の頭を持った悪魔だ。体は赤茶色の毛に覆われ、黒マントと白い手袋を身につけている。

 オロバスである。ベヒモス召喚に必要な魔法陣の絵図を樹流徒に与えた、博識の悪魔だ。


「先刻の震動で店内がどのくらい荒れているか心配しておりましたが、綺麗に片付いていますね。食事は出来ますかな?」

 オロバスは、前回樹流徒と会った時と同様、やたら丁寧な物腰で尋ねながら、馬革のブーツで店内を進み、カウンター席に腰掛ける。

「料理はまだ無理だが酒ならば出せる。飲んでいけ」

 バルバトスがそう勧めると、馬の鼻面(はなづら)は縦に揺れた。


 全ての片付けを終えた樹流徒は、オロバスの元へ向かう。ベヒモス対レビヤタンの結末を報告するためだ。オロバスがいなければベヒモスは召喚は成らなかったのだし、そのくらいはしておきたかった。


「おや。これはこれは。以前お会いしたニンゲンではございませんか」

 先に声を掛けたのはオロバスの方だった。

「あの時は助かった。お陰でレビヤタンの上陸を阻止できた」

「ええ。存じております。私、現世の海岸を訪れ、物陰で密かに見学させて頂いておりましたから」

「そうなのか? 全く気付かなかった」

 ならばこれ以上の報告は必要ないだろう。

 そう思ってから、樹流徒は、これまでの話とは全く関係ない、しかし非常に大切な話を、ふと思い出した。

 それはアムリタの件である。早雪にかかった呪いを解くのに必要だという飲料だ。物知りのオロバスならば、それについて何か知っているかもしれない。


「唐突で済まないが、お前に一つ聞きたい事がある」

 早速、樹流徒は話を持ちかけた。

「ほう。この私にご質問があるのですか? 伺いましょう」

 オロバスは心なしか嬉しそうだ。

「アムリタという飲料を探しているんだが、知らないか?」

「ほほう。そのような質問でございましたか。勿論、存じております。アムリタは魔界の第七層にございますよ」

 馬頭悪魔は淀みなく回答する。もっと難解な質問を期待していたのか、多少気落ちした感じだった。

 樹流徒は続けて質問する。

「それ(アムリタ)は入手可能か?」

「難しいでしょうな。“ガルダ”という者がそれを所持しておりますが、譲って頂けるとは考えられません」

「ならば、他にアムリタがある場所は?」

「ございません。ガルダが所持している一つのみです」

「だとすれば、何とかそれを譲って貰うしかないな」

 そのためには魔界の第七階層まで降りなければいけない。残念ながら今すぐには実行できなかった。まずは、目前に迫った儀式の阻止を優先しなければならないからだ。


 アムリタが手に入るまで、早雪さんの体に変調が起きなければ良いが……。

 樹流徒はそう願うばかりだった。




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