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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
139/359

聖界の使者



 白銀の光は市内中央の方角に浮かんでいる。その神秘的な輝きは波乱の予兆を多分に孕みながら魔都を明るく照らしていた。まるで太陽だった。


 吉兆とも凶兆ともつかない光に誘われて、樹流徒は導かれるまま航路を取る。途方もない質量を持つ魔法陣に強い引力で引き寄せているかのようだった。実際にはそのような物理現象など起こっていないが、妖しげな太陽の輝きが樹流徒の心を惹いたのは事実である。


 今頃、外にいる組織のメンバーたちも魔法陣の出現に気付いているはずだ。ならばアジトに残っている者たちへの報告は彼らに任せよう、と樹流徒は考えた。


 敵との戦闘もなく、いつになく順調な飛行が続く。悪魔の姿はあるが、彼らは樹流徒に対して攻撃を仕掛けようとはしなかった。どうやら魔界の住人たちは戦闘どころではなく、白銀の光から離れるために移動しているらしかった。樹流徒とすれ違う悪魔はあっても、誰一人として樹流徒と同じ方角へ進む者はいない。異形の者たちは皆、魔法陣に背を向けて移動している。


 彼らは魔法陣の正体を知っているのだろうか。それとも動物的な勘で危険を察知して逃げようとしているのか。どちらにせよただ事では無かった。自分を無視して通り過ぎて行く悪魔の背中を見送るたび、樹流徒の心はざわつく。


 結局悪魔との戦いが一度も行われぬまま、樹流徒はかなり目標物に接近した。アジトの近くにいた時は魔法陣の直径を三十メートル以上だと推測したが、五十メートル強と訂正しなければいけない。恐ろしく巨大な図形だった。

 魔法陣を出現させたのは悪魔だとしか考えられないが、コキュートスを破壊するための儀式には見えない。生贄も配置されていないし、魔法陣の中央で儀式を行っている者もいない。何より魔法陣が地上ではなく空中に存在する。あの儀式とは相違点が多過ぎるのだ。

 魔法陣の周辺に敵の姿が見えないのも妙だった。ベルゼブブの仲間たちが空を埋め尽くしていてもおかしくないはずなのに……。


 それ以上は考えても仕方がなかった。答えは直接自分の目で確めるしかない。

 樹流徒の気持ちは(はや)る。早く魔法陣の正体を確かめなければ。事実を知りたい。そんな使命感と好奇心が胸の内で膨らんでゆく。これから現世で何が起ころうとしているのか、という不安も増大を続けた。羽を動かす背中にもつい力が入る。


 一方で、市内の中心部の廃墟同然と化した建築物の群れを目の当たりにしても樹流徒の心に去来するものは少なかった。殺伐とした光景にすっかり見慣れてしまったせいに違いない。人の順応力は時に逞しく、時に残酷だった。無論、今は荒廃した町並みを見て感傷に溺れている場合ではない、という理由もあるが……。


 と、ここで樹流徒は急に羽の角度を変えて飛行速度を落した。

 遥か前方から接近してくる影を発見したためである。


 前方に出現した影は、単独で行動していた。人のような形をしているようにも見えるし、鳥の形をしているようにも見える。大きさは人間と同じくらいだろうか。

 悪魔だ。樹流徒はそう決めつけて欠片も疑わなかった。


 謎の飛行体は魔法陣が浮かんでいる方向から高速で飛来する。

 樹流徒は相手の動きを確認するために進路を変更した。それに合わせて遠方の影も動く。鏡合わせのように樹流徒と同じ方向へ航路を調整した。


 間違いなくこちらに向かって接近している。確信した樹流徒は、力いっぱい羽を振り上げて高度を下げた。ビルの屋上に着地して相手を待ち受ける。戦闘に突入するかもしれない、と覚悟した。


 謎の飛行体はスピードを緩めず、互いの距離を縮める。勢い良く近付いてくる相手の姿を樹流徒の目が精確に捉えるまで、それほど時間はかからなかった。


 あれは何だ? 樹流徒は思わず怪訝な顔をする。

 こちらに向かってくる者は悪魔だとばかり思っていたが、どこか違う。悪魔には見えないし、ネビトとは似ても似つかなかった。その生物は、樹流徒が今まで遭遇してきた異形の者たちとは一線を画した外観を持っていたのである。


 純白の翼を生やした人間だった。その姿を視認して、樹流徒は真っ先にある存在を思い浮かべた。

 まさか、天使なのか?

 そう。前方から接近してくる有翼人は、誰が見ても「あれは天使だ」と答える風貌をしていた。


 天使らしき生物は、空気を包み込むように白い羽を揺らし、音もなく下降する。つま先から静かに着地して、樹流徒の正面に立った。

 その姿はゾッとするほど美しかった。黄金の髪と紺碧の瞳を持つ青年である。ギリシャ彫刻を髣髴(ほうふつ)とさせる精悍な体に白い衣を纏い、更にその上から銀色の鎧を装着している。片手に握り締めた剣は柄や刃に細やかな装飾が施され、特に柄の真ん中に取り付けられた台形の青い小さな宝石が目を引く。


 樹流徒の全身に鳥肌が立った。相手の外見とは関係ない。眼前の生物が全身に纏っている雰囲気が、人間や悪魔のそれとはまるで違うせいだ。不自然なまでに清浄で、軽く息が詰まりそうなほどの圧迫感を漂わせている。


「お前は人間か?」

 出会って早々、有翼人が口火を切った。穏やかでありながらも力強い声が、樹流徒の鼓膜を揺らし、一方で脳内へ直接語りかけるように響く。二重に聞こえる不思議な声だった。


「そう、人間だ。名前は樹流徒。お前は?」

 樹流徒は答え、逆に尋ねる。

「私は“ドミニオン”。お前たち人間が天使と呼ぶ存在だ」

 有翼人は従順とも思えるほど簡単に、己の素性を明かした。


 やはり天使だった。そうだと予想していながら、樹流徒は虚を突かれた心地になった。天使が存在していることは前々から知っていたため、実物を目の前にしても大きな驚きは無い。ただ、魔都生誕から何十日も経っているのに、なぜ今更になって天使が現れるのか? という疑問が樹流徒を軽く動揺させた。


 そんな樹流徒の心中を見透かしたかのように、ドミニオンと名乗る天使は話を続ける。

「私は、不浄なる者たちを正義の名の下に粛清するため、現世に遣わされた」

「遣わされた?」

「そう。人間よ。あれを見なさい」

 ドミニオンは白銀の魔法陣を指差す。

 それに従って樹流徒は上空を仰いだ。


 頃合いを見計らったように、白銀の光が微弱に揺れ、点滅する。六芒星の中からドミニオンと似たシルエットの白い生物が現れ、どこかへ向かって飛んでいった。魔法陣が点滅すると、また一人現れてはどこかへ飛んでゆく。彼らは恐らく天使だった。


 それを見て樹流徒はようやく理解する。白銀の魔法陣の正体は、現世と天使たちの世界を繋ぐ扉だったのだ。

 魔法陣を通過して天使が次々と現世に送り込まれている。さきほどドミニオンが言っていた「不浄なる者たち」とは悪魔のことだろう。現世を跋扈(ばっこ)する悪魔を駆逐するため、天使たちは現世にやって来たに違いない。


「我々は“聖界(せいかい)”より送り込まれた先遣隊なのだ」

 とドミニオン。

「先遣隊? ということは、まだ本隊が控えているのか」

「そう。しかし彼らが動くまでもない。我々だけで現世にはびこる不浄な者たちを一掃してみせよう」

 ドミニオンは腕を前に出した。その手に握った剣の切っ先を樹流徒に向ける。

「何を?」

 いきなり凶器を向けられて、樹流徒は一歩後退する。

「お前はただの人間ではない。その背中から生えた禍々しいモノは何か?」

 ドミニオンは剣先を横にずらして、樹流徒の背中越しに覗く一対の黒い羽を指した。

「これは悪魔の羽だ。けど、僕はお前の敵じゃない」

「矛盾している。悪魔の羽など背負っていること自体、我々の敵と見なすに十分過ぎる理由になる」

 ドミニオンから静かな殺気が放たれた。悪魔たちがしばしば見せる憎悪剥き出しの感情とは異なる、確信犯的な殺意だった。


 樹流徒が「待て」という暇もない。天使は抜く手も見せず刃を横になぎ払う。その太刀筋には一切の迷いが無かった。空気が割れて鋭い音で鳴く。


 樹流徒は後方へ跳躍して、剣の切っ先をかわした。

「僕たちが争ってる場合じゃない。悪魔がコキュートスを破壊しようとしている。それを分かっているのか?」

 ドミニオンは返事をしない。片手を天に掲げる。彼の周囲で銀色に輝く線が幾つも走り、七つの魔法陣を同時に描いた。そこから幅のある巨大な剣が一本ずつ飛び出す。


 射出された七本の剣は、樹流徒の四肢と胴体を一斉に貫こうとした。

 樹流徒は素早い側宙でかろうじて避ける。獲物をしとめ損ねた巨剣は、ある程度の距離を進むと空中で幻のように消失した。


 ドミニオンはすかさず間合いを詰める。標的の心臓めがけ刃を突き出した。

 樹流徒は相手が前進してきた分だけ後退して、攻撃をやり過ごす。即座に口から麻痺毒の煙を放ち、ドミニオンに吹きかけた。


 人間がそのような攻撃をするとは予想していなかったのだろう。ドミニオンは明らかに回避行動が遅れた。全身に白い煙を浴びて、口元をほんのわずかに歪める。その表情が示す通り、麻痺毒の効き目は薄かった。天使はやや動きを鈍らせながらも手を振り回して白煙を追い払う。


 この展開は樹流徒にとって想定内だった。思惑通りと言っても良い。何故なら麻痺毒を使用した目的は、相手の動きを封じるためだけではないからだ。仮に相手に毒が効かなくても白煙を目くらましに使う、というもう一つの狙いが最初からあったのである。


 ドミニオンが視界を失っている隙を突いて、樹流徒は宙に飛び出した。彼は逃走を選択する。勝てないと踏んだわけではない。むしろその逆で、天使を倒してはいけないと判断した。ドミニオンへの敵対行為は、イブ・ジェセルのメンバーたちを敵に回すきっかけになってしまう。


 煙幕が稼いだ時間はほんの数秒だった。ドミニオンはすぐさま樹流徒の後を追って、ビルの屋上から飛び立つ。


 両者の飛行速度には確かな差があった。樹流徒にはまだ飛行能力を上達させる伸び代が残されている。逆に言えば、彼の飛行能力はまだ不完全だった。

 ドミニオンの方が速い。樹流徒は全力で逃げたが、すぐに追いつかれ、真後ろにつかれた。


 飛行しながらドミニオンは前方の標的に向かって掌をかざす。銀に輝く魔法陣を描いた。

 魔法陣の中から光の弾が無数に飛び出す。弾は狂ったように宙を疾走し、建物の外壁を削って、窓に穴を開けた。さながら機関銃だ。


 オレンジ色に光る弾丸の雨が襲いかかる。内一発が樹流徒の羽を貫いた。

 このままではやられる。何とかしてドミニオンの追跡をかわさなければいけない。

 樹流徒は次の判断を迫られた。そのとき、前方右手にニ軒の隣接する小さなビルを見つける。それを利用することにした。苦し紛れの選択だった。


 建物同士のあいだに存在する小さな隙間に樹流徒は滑り込む。その中で睡魔の黒煙を放ち、ふたたび煙幕を張った。隙間を通り抜けるとすぐさま左折して、三件先にあるビルの割れた窓から建物の中へ飛び込んだ。


 ドミニオンは樹流徒の後をぴったりと追跡したが、前方に黒煙が広がると急に飛行速度を落とした。そのためドミニオンがビルの隙間をつき抜けて通りに出た時、そこにもう樹流徒の姿は無かった。


 ドミニオンは微塵も表情を変えない。が、涼しげな態度とは裏腹に、怒り狂ったように機関銃を撃ちまくる。光の弾丸を所構わず撒き散らし始めた。周囲の建物が次々と悲鳴を上げる。


 樹流徒は建物の中を静かに駆けた。侵入した窓の反対側にある部屋へと逃れる。その部屋の窓から外へ飛び出し、はす向かいのビルへと飛び移った。すぐさま悪魔倶楽部の鍵を取り出して窓に差し込む。ガラスの表面に揺らぎを確認すると、その中に身を投じた。




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