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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
136/359

嘆きの川



 戦場となった市民ホールは、今や床に落ちて割れた卵みたいな有様だった。大ホールを中心に全身穴と亀裂だらけ。建物の中を寒風が好き勝手に吹き抜けていた。その風は死と破壊の残り香を乗せて、一体どこまで流れてゆくのだろうか。


 瓦礫の破片が散乱した舞台の真ん中で、樹流徒は夜子と対面する。

 少女の傷はいつの間にかすっかり癒えていた。弓に射られた背中の傷も、ブエルの爪に貫かれた肩口から胸にかけての傷も完全に塞がっている。紺色の服は破れたまま、血の跡をうっすらと残していた。


 樹流徒の隣には南方とベルが立っている。二人とも大ホールの崩落に巻き込まれる事なく、大きな怪我も無さそうだった。

 そして樹流徒たちの足下には意識を失ったままのブエルが寝転がっている。夜子が舞台まで運んできたのだ。獅子の(まぶた)は完全に閉じられたまま動かない。


 他にはもう誰もいなかった。戦場から逃げ出した悪魔たちが大ホールの様子を見に戻ってくる気配も無い。


 天井から小石程度の瓦礫がこぼれ落ちる。それが床を打ち鳴らしたとき、樹流徒が口火を切った。 

「どうして、お前がここにいるんだ?」

 夜子に問う。

「私が参戦した理由か? それは悪魔の計画に関する情報を得るためだ。君たちを助けたのはついでだと思ってくれれば良い」

 少女は淀みなく答えた。

「ついでとはいえ、私らを助けたのは何故だ? 私らが対悪魔の戦力として今後も利用価値があるからか?」

 というベルの質問に対しても

「いかにもその通り。他に理由は無い」

 彼女は即答した。


「ところで、ブエルにトドメを刺さないのかい?」

 南方は床に横たわる獅子の悪魔を見下ろす。

「この悪魔にはもう一度話を聞いてみたい。だから、敢えて生かしておいた」

「なるほど。だが、ブエルがアンタの質問に応じるとは到底思えないんだが……」

 ベルが指摘する。同じことを樹流徒も思っていた。例えブエルを再度問い詰めてみたところで「オレはベルゼブブの計画など知らない」の一点張りになるだろう。

「それは分かっている。故に、今度は実力行使で喋らせる」

「実力行使? 拷問でもするつもりか?」

 だとすれば樹流徒は余り気が進まなかった。


「案ずるな。なるべく痛みを伴わない方法を使う。どの道、この悪魔は拷問を受けたところで口を割らないだろうからな」

 と夜子。

「じゃあ、具体的にどんな方法でブエルに情報を吐かせるのかな?」

「私の術で、この悪魔を一種の洗脳状態にする」

「へえ。そんな事ができるんだ」

 南方は感心したように笑ってから

「でも、その術っていうのは悪魔に対してちゃんと効果があるの?」

 と疑問を口にする。


「問題ない。既にベルゼブブ一味の低級悪魔を相手に実験済みだ。術の効果を受けた悪魔たちは私の質問に何でも答えてくれた。ただし、末端の兵たちはベルゼブブの計画について殆ど何も知らされていないようだ。故に、貴重な情報は得られなかった」

「ベルゼブブ一味の中でも主要なメンバーだけが計画の詳細を知ってるってワケだな」

 ベルが言う。

「ブエルも主要メンバーの一人なのかな?」

「それをこれから調べようというのだ。君たち三人も立ち会うといい。上手くいけば悪魔の計画について色々と知る事ができるだろう」

「いやあ。俺たち、夜子ちゃんと利害が一致してて良かったね」

 南方は満面の笑みを浮かべる。

 樹流徒も同感だったが、南方ほど素直には喜べなかった。


「では、早速始めようか」

 夜子はブエルの額に手を乗せる。掌から黒い光を放った。その光は一石を投じられた湖の水面みたく波紋を広げる。

 開きっぱなしになったブエルの口がぎこちなく上下して「う、う、う」と声を漏らした。


「さあ。答えて貰おうか。先ずは君の名前を教えてくれ」

 夜子は洗脳の効き目具合を確かめるように、簡単な質問から入る。

「ブ……エル……」

 悪魔はたどたどしく、しかし素直に答えた。

「おお。本当に喋った。コイツは凄いな」

 南方が声を弾ませると

「なるべく静かにしてくれ。ブエルが覚醒してしまう」

 夜子から注意を受けた。


 ブエルに対する質問は少しずつ深い内容に切り込んでゆく。

「ブエルよ。お前はベルゼブブという悪魔と手を組んでいるな?」

「そうだ……。オレは……ベルゼ……ブブ……に協力……している」

「お前はベルゼブブの部下なのか?」

「違う。あくまで協力……だ。低級悪魔はともかく……オレとベルゼブブの間に上下関係は存在しない」

 ブエルの喋り方が少しずつ流暢(りゅうちょう)になってきた。


「では次の質問だ。ベルゼブブの居場所はどこだ?」

魔壕(まごう)

「魔壕とは?」

「魔界は九つの層に分かれている……。その第八層が魔壕だ」

 樹流徒はその話をどこかで聞いた事があった。


 夜子の質問は続く。

「お前たち悪魔は、人間の死体を利用した儀式をこれまでに何度か行ってきたな?」

「そうだ」

「儀式は今回で何度目になる?」

「三回目……。オレたちは三度、儀式に成功した」

「今まで儀式を失敗したことは?」

「ない」

「儀式を失敗するとどうなる? やり直しは可能なのか?」

「いいや。儀式は決められた時間に実行しなければいけない。だから失敗は許されない。たった一度の不手際が計画の全てを水泡と帰す」

「儀式はあと何回残っている?」

「あと一回。現世での儀式は次で最後だ」

 その台詞を聞いた瞬間、樹流徒の口から吐息が漏れた。儀式は今回で終わりではなかった。まだ次がある。悪魔の計画を止められるチャンスは残されていた。それが分かったことによる安堵の吐息だった。


「では続いての質問だ。ベルゼブブの計画は一体何を目的としている?」

 夜子がいよいよ核心に迫る。

 ブエルの口はすぐ目の前にあるが、樹流徒はこれ以上ないくらい耳をそばだてた。ブエルの口から語られる言葉を一語一句聞き逃すまいと集中する。


 だがしかし。

「う……うう……」

 ここまで順調に回答してきたブエルの様子に異変が起こる。苦しそうに唸り出した。

「どうしたんだ?」

 ベルが小声で尋ねる。

「ブエルの精神が激しく抵抗している。余程、この質問には答えたくないのだろう」

 夜子も同じ声の大きさで答えた。

「じゃあ、話を聞き出せないのか?」

「そうだ」

 夜子の頭が頷く程度に前後した。

「一番肝心の情報が引き出せないとはね……」

 南方は少し残念そうな顔をしている。


「仕方あるまい。質問の内容を少し限定的にしてみよう」

 夜子は再びブエルに声を掛ける。

「今回、君たち悪魔は三度目の儀式を成功させた。それにより何が起きた? あるいはこれから何が起こる?」

 質問の対象が、大ホールで行われた儀式に関してのみに絞られた。

「う……うう……おお……」

 ブエルの精神が抵抗する。今度も回答を拒否しようとあがく。


 この質問でも駄目か、と樹流徒は頭の中で呟く。もしかすると実際声に出していたかも知れない。ただ、どちらにせよその言葉はすぐに引っ込んだ。ブエルが何かを喋り出したからである。


「破……壊……。三つ目。ト……ロ、メーアを……壊した」

 悪夢にうなされてうわ言を発するようにブエルが秘密を語る。

「トロ、メーア? 今“トロメーア”と言ったように聞こえた」

 樹流徒には聞き覚えの無い単語だった。

 反対に、南方とベルには何かしら心当たりがありそうだった。南方は「そういうことか」と一人で勝手に納得しているし、ベルは口元に手を添えて真剣な面持ちをしている。


「トロメーアとは一体……」

 樹流徒は尋ねようとする。

「残念だが時間切れのようだ。ブエルが目覚めようとしている」

 夜子の声が樹流徒の言葉をかき消した。

 少女はブエルの額から手を退()かす。


 間もなくブエルの意識が蘇った。夜子の術中から解き放たれたその表情は穏やかですっきりとしている。だが、それも束の間。樹流徒たちの姿を見るとすぐに憎悪の相を浮かび上がらせた。

「ニンゲンどもめ。これは何の真似だ? 何故、オレを生かしておく?」

 忌々しげに吠える。


「何も気にする必要は無い」

 夜子は両腕を氷の槍に変えた。ブエルにトドメを刺すつもりだろう。

「なるべく苦しまないように、一撃で倒してやってくれ」

 樹流徒は少女に頼む。敵の命を奪うなら、せめて一思いに終わらせてあげたかった。


 ブエルは憎悪の念を宿したままの形相で笑みを浮かべる。

「お前、ソーマキルトだな? メイジから聞いた通り甘い奴だ。反吐が出る」

 そう吐き捨てると、青い全身をみるみる内に赤く変色させた。体内で白い光が膨らむ。

 樹流徒の肌に熱が伝わった。悪魔の体が凄まじい勢いで体温を上昇させている。


 夜子は素早く氷の槍を解除するとブエルの腕を掴む。ブエルの巨体を片手で持ち上げると、客席めがけて山なりに放り投げた。

 三階席に届きそうな高さまで飛ばされた悪魔の体は、空中で眩く輝く。その体が客席の中に飛び込むよりも早く、大爆発が起こった。


 自爆。ブエルは自らを爆弾に変えて、樹流徒たちを吹き飛ばそうとしたようだ。夜子が動いていなければ、今頃全員爆発に巻き込まれていたかも知れない。魔法壁が使える樹流徒や、夜子は無事だったとしても、南方やベルは無傷では済まなかっただろう。


 客席の陰からぬっと腕が飛び出した。ブエルはまだ生きている。全身を焼け(ただ)れながらも恐ろしい生命力で活動を続けていた。椅子を掴んで全身を起こそうとしている。

 が、遂に力尽きた。倒れたブエルの全身から赤黒い光の粒を放出される。五本の腕が同時に崩壊を始め、指先から腕の付け根、顔の中心へと向かって消滅してゆく。


 ブエルの魔魂が樹流徒の元に引き寄せられ、吸収された。

「なるほど。そうやって悪魔の力を取り込むのか」

 夜子が微笑を浮かべて控えめな興味を示す。


「それより重要なことが分かったな。悪魔たちは、この大ホールでトロメーアを破壊する儀式を行っていた」

 ベルが話を切り替える。

「トロメーアって何です?」

 樹流徒は改めて尋ねた。こういう類の話は南方が詳しいというイメージがあるのだろう。自然と男の顔を見ていた。

「うん。それを説明するために、先ずは“サタン”の話をしようか」

 南方はそう答えた。


 サタン……。

 魔都生誕以前、樹流徒は悪魔という存在に関して全くの無知だった。しかし、そんな彼でもサタンという名前は知っている。サタンは悪魔の代名詞的な存在であり、サタンという言葉はしばしば悪魔の同義語として使用される。サタンはまさに悪魔の中の悪魔、というイメージを漠然と持っていた。


「サタンは言わずと知れた悪魔の王だ。七つの頭を持つ巨大な竜の姿をしている」

「巨大な竜ですか」

 悪魔の王に相応しい姿だ。樹流徒は頭の中で、魔王の恐ろしくも荘厳な姿を想像する。


「かつてサタンは天使の三分の一を率いて、全知全能の神に対し反乱を起こした。大天使ミカエルを筆頭とした神の軍勢と戦ったんだ。長き戦いの末、サタンたちは敗れ地上に落とされた。彼らは堕天使と呼ばれ、また悪魔と呼ばれるようになった」

「待って下さい。じゃあ、悪魔は元々天使だったんですか?」

「そう。マモンも、フラロウスも、そしてブエルも皆、元々は天使だった」

「話を逸らしてすいません。それで……戦いに敗れて地上に落とされたサタンたちは、その後どうなったんですか?」

「悪魔たちは魔界に閉じ込められ、サタンは魔界の最下層である反逆地獄に幽閉された。ちなみに反逆地獄は“コキュートス”とも呼ばれる。コキュートスには嘆きの川が流れ、その中でサタンは氷漬けにされた」

「今もまだ氷漬けになったままなんですか?」

「きっとそうなんだろうね」

 南方は答えて、間を置かずに話を再開する。

「さて。ここでようやくトロメーアの説明ができる。実は、コキュートスは四つのエリアに分かれているんだ。それぞれカイーナ、アンテノーラ、トロメーア、ジュデッカと呼ばれている」

「つまり、トロメーアはコキュートスの一部なんですね」

「そう。どうやら悪魔たちは今回の儀式でそのトロメーアを破壊したらしい」

 地獄の最下層・コキュートス(反逆地獄)には魔王サタンが閉じ込められている。

 そのコキュートスの一部を、悪魔たちは儀式によって破壊した。


 それらの情報から、樹流徒の脳内には当然の推理が生まれる。

「魔王サタンをコキュートスから救い出すこと。それが儀式の目的であり、ベルゼブブの計画なのか?」

 彼はそれを口にした。

 だが、言い終えて内心で小首を(かし)げる。いまひとつ自分の推理に自信が持てなかった。寧ろ頭の片隅に引っかかるものがあった。違和感がある。何かが違う気がする。


 それが単なる気のせいではないことを、直後に夜子が証明した。

「違うな。悪魔の計画はサタン救出などという単純なものではない」

「根拠は?」

 夜子の言葉に樹流徒は素早く反応する。


「仮にベルゼブブの計画がサタン救出なのだとしたら、ブエルは口が裂けてもトロメーアの情報を漏らさなかったはずだ。トロメーアという単語からサタン救出が容易に連想できてしまうからだ。それでは計画の目的を漏らすのと何も変わらない」

「まあ、そうだろうね」

 南方が同意する。口ぶりからして、彼も夜子と同じことを考えていたのだろう。


「悪魔たちにはサタン救出以外の目的があるのだ。もう少し厳密に言うならば、サタンを救出するのも目的の一つに含まれているかも知れないが、それは最終目的ではない。必ず別の狙いがある」

 夜子は断言する。神の称号を持つ少女の言葉だからなのか、樹流徒には彼女の言葉が外れるとは思えなかった。


「さて。情報収集も済んだことだ。もうここに用は無い」

 夜子は天井の穴から空を仰ぐ。黒ずんだ水色の光は今も尚市内中に降り注いでいた。

「それじゃあ俺たちもアジトに戻ろうか」

 南方の言葉に、樹流徒とベルが相槌を打つ。


 第3の儀式を巡る一連の出来事が、幕を下ろそうとしていた。仁万(にま)の離脱に始まり、バーバ・ヤーガのクイズ、オセとの戦闘、そして儀式の成否を賭けた攻防戦と、困難の連続だった。


 しかしまだ全てが終わったわけではない。最後、夜子が思い出したように口を開く。

「ときに樹流徒よ。私は少々残念だ」

「何がだ?」

「私の助言が君の心に届いていなかったことがだ。悪魔たちは儀式を成功させ、君たちは敵に囲まれて窮地に陥った。何故、本気を出さなかった?」

「……」

 樹流徒は視線を泳がせる。夜子が何を言っているのか、すぐに理解できた。


「あの。助言って、何の話だい?」

「先日、私は樹流徒にこう言った。“大切なものを失い、己の弱さを後悔する前に力を使った方が良い”と。それさえ守っていれば、樹流徒は一人でも儀式を止められたかも知れない。生贄になった人間も救えただろう。だが、彼は体内に眠る悪魔の力を使わなかった」

「……」

 樹流徒は言葉が出なかった。生贄の中には家族や友人の遺体も含まれていたかも知れない。それを知った上で、悪魔の力を使えなかった。儀式の成功を許してしまった。それは、如何なる理由があろうとも変えられない事実である。

 その事実が樹流徒の心に罪悪感を芽生えさせていた。必要以上に己を責めるつもりは無いが、樹流徒は心どこかに巣食い始めた闇を今すぐには拭い去れそうになかった。


 そんな樹流徒の心情をどれだけ察したのかは不明だが、南方が助け舟を出す。

「あ、そういえば、今日は樹流徒君のお友達は一緒じゃないの? ホラ、仙道渚ちゃんだっけ?」

 夜子にそのような質問をして、強引に話題を変えた。


 夜子の視線は樹流徒から南方の顔へと移る。

「渚には別の仕事を任せてある。もっとも、任せたと言っても彼女自らやりたいと申し出てきた仕事だが……」

「へえ。ちなみにその仕事ってのはどんなコトを?」

「……」

 夜子は答える必要がなければ答えない。

「では、私は帰るとしよう」

 彼女は踵を返した。

 歩き出す彼女の背中に声をかける者はいない。呼び止めても夜子が決して立ち止まらないことを、多分全員が分かっていた。




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