表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
134/359

瀬戸際



「失敗したみたいだね」

 南方が事実を告げる。その声色は過剰感が無く、とても落ち着いていた。

「失敗……」

 樹流徒は復唱する。眼前の男が他人事(ひとごと)みたいな顔をしているせいか、失敗と言われても今ひとつ実感が湧かなかった。


 攻撃の雨は降り続いている。岩の塊が樹流徒の背後を通過する。槍が南方の頭上を越えてゆく。


 二人は姿勢を低くした。客席を盾にしてひとまずの安全を確保すると、南方が改めて事実を語る。

「銃弾がレオナールまで届かなかった。多分、敵の攻撃とぶつかってしまったんだろう」

 言い終えると、彼は床に銃を置いた。


 樹流徒はようやく実感を得る。レオナールの狙撃は確かに失敗したのだ。

「運が無かったですね」

 そう答えるしかなかった。敵の数と攻撃の激しさを考えれば、今回の不運は十分に起こり得る出来事だった。ツキが足りなかった、と単純に割り切るしかない。

 意気消沈する必要はない。失敗したのなら、やり直せばいいだけだ。もう一度銃を調達する。悪魔の中にはまだ銃を装備している者がいるはずだ。

 そのように樹流徒は気持ちを切り替える。


 しかし悪魔たちは決して無能の集団ではなかった。

「おい。銃を持ってるヤツは今すぐ全弾使い切れ。早くしろ」

 舞台真正面にいるインキュバスが、仲間たちに指令を送る。南方がレオナールを狙撃した場面を見ていたのだろう。再び銃を奪われる前に弾を使い果たすつもりらしい。随分と用心深く念入りな対策だった。


 インキュバスの指示に従って悪魔たちが一斉に銃を構える。そこから次々と弾が撃ち出された。

 樹流徒たちは頭を抱えて床に伏せる。凶弾の嵐がシートを突き破り、床や階段で跳ねる。

 三人にとっては苦しい展開だった。これでもう、南方にレオナールを狙撃して貰う作戦は実行できない。


 そして、ややもすれば悪い事は立て続けに起こるものである。丁度銃声が鳴り止んだ頃。

「まずいぞ!」

 樹流徒から数十メートル離れた位置にいるベルが、切羽詰ったような声を上げる。


 悪魔たちがどよめき始めた。

 樹流徒は客席の陰から顔を出す。舞台上の様子を見て、戦慄した。


 魔法陣の黒い光が、青白く変色している。それだけではない。市民の遺体が深い闇の底に向かって沈み始めていた。

 樹流徒は以前にもこれ同じ現象を目撃している。だから分かった。間もなく儀式が完了しようとしている。


「あと少しだ! 全力で攻撃しろ」

 インキュバスががなり立てる。

 言われるまでも無く、悪魔たちはそうしていた。狂ったように最後の攻撃を始める。宙を乱舞する物体が、全ての闇を埋め尽くしてしまいそうだった。


 樹流徒は苦渋の決断を迫られる。このまま儀式の完了を許せば、市民の遺体は全て消滅してしまう。ならば、いっそ生贄への誤射を覚悟して遠距離からレオナールを狙う、もしくは悪魔の力を解き放つしかない。


 樹流徒は遠距離からの狙撃を選択した。素早く立ち上がり漆黒の羽を広げる。もう一刻の猶予も残されていない。

「危険だ。隠れていた方が良い」

 南方の忠告が耳に入ったが、従うわけにはいかなかった。


 樹流徒は、客席を踏み台にして前方へ跳躍する。低空を滑走した。ギリギリまで舞台に近付いて、射撃の命中率を上げる必要がある。

 生贄は徐々に魔法陣の中へと沈んでゆく。多分、攻撃のチャンスは一度きりだった。


「誰かあのニンゲンを撃ち落せ! 早く! 早く!」

 バルコニー席の悪魔が、樹流徒を指差しながら叫ぶ。

 羽を持つ悪魔たちが次々と宙に浮かび、舞台を守る壁を作ろうとしている。


 儀式の成否を分かつ最後の攻防が始まった。樹流徒は瞬きひとつせず標的に照準を合わせる。敵の激しい抵抗に集中力を散らされながらも、青い炎の球体を三連射した。


 炎の玉は樹流徒が思い描いた通りの軌跡を描く。悪魔の壁の隙間を縫って、儀式の中心めがけ下降した。


 一驚を喫した声が、闇のあちこちから漏れる。南方とベルが物陰から立ち上がった。


 炎が()ぜる。断末魔の悲鳴が轟く。悪魔たちは石像のように固まり、目を見張る。口をぽっかり開いて、度肝を抜かれたような反応を見せた。しまったというような表情をしている者もいる。


 そして……樹流徒は失意の底に沈んだ。

 炎の玉が捉えたのはレオナールではない。舞台前方で悪魔たちに指示を送っていたインキュバスだった。先刻の、偶発的に起きた喜劇とは違う。インキュバスは明らかに自らの意思で炎の軌道に飛び込んでいった。


 樹流徒は両の拳を握り締める。指の骨が折れそうなくらい強く握り締めた。無念と敗北の苦味がじわりじわりと口内に広がる。それを奥歯で噛み締めた。


 三人の奮闘虚しく、儀式が完了の瞬間を迎える。魔法陣は全ての人々を飲み込み、激しい光を放つ。その輝きはすぐに弱まり、おぼろげになった。


 悪魔たちの攻撃がぴたりと止む。炎も、弓矢も、槍も、もう宙を舞っていない。

 代わりに歓喜の咆哮が飛び交った。異形の生物たちが発する異様な歓声。彼らは手を叩き、肩を組み、歌らしきものを唄い始める。勝者の宴だった。

 その光景を、樹流徒は空中に浮かんだまま、ただぼうっと眺める。


「相馬。呆けてる場合じゃないぞ。脱出だ」 

 ベルが、樹流徒の真下から呼びかける。その声には若干の焦りや苛立ち含まれているようだった。悪魔たちが喜びに浸っている隙に逃げなければいけない。彼女が焦燥に駆られたとしても無理はなかった。


 樹流徒は女の声に気付くと、羽を畳んで着地する。足の裏が地に着いていない感じがした。意思の力ではどうにもならない脱力感に襲われていた。

 南方も合流する。「オセを倒せたことが収穫だったかな」と前向きな台詞を吐くが、負け惜しみの感はどうしても否めなかった。


 三人は階席の出口を目指して走り出す。儀式の阻止には失敗してしまったが、全員の命が残っていた事はせめてもの救いだった。


 ところが、運命はそのわずかな救いさえも奪おうというのか。樹流徒たちの前に新たな試練が忍び寄る。

 彼らが走り始めてすぐだった。見計らったかのように、入口の扉が次々と乱暴に開かれる。幾つもの影が大ホールになだれ込んできた。


 三人は足を止める。欣喜雀躍(きんきじゃくやく)していた悪魔たちも驚いた様子で音のした方を見返った。なんだなんだと声を上げる。


 乱入者たちの正体は、異形の群れだった。悪魔の増援である。その数は、元々大ホールの中にいた悪魔たちと同程度か、それ以上いる。彼らは一階から四階まで全ての出入口に分散し、樹流徒たちの逃げ道を塞いでいた。


 また、増援部隊を率いていると(おぼ)しき悪魔が一体いる。先陣を切って二階の扉から現れたその悪魔は、今まで樹流徒が見てきた悪魔の中でも一際変わった姿をしていた。

 獅子の頭を持ち、そこから五本の足が飛び出して星型を描いている。胴体は存在しない。ヒトデの腕を長く伸ばしたような悪魔だ。(たてがみ)は金赤色で、対照的に全体の肌は青い。


 ――あれは、ブエル。

 ――ブエルだ。

 ――ブエルが来てくれたのか。

 悪魔たちからブエルという名前が次々と飛び出す。奇妙な姿をした悪魔の名前に違いなかった。


「今まで我々の計画を邪魔してくれたニンゲンたちよ。お前らは生きて帰さん」

 ブエルと呼ばれた悪魔は、獅子の頭に似合う野太い声で吼える。そして樹流徒たちを睨んだ。

 再び大ホールの中が悪魔の喝采で充満する。ブエル、ブエルの大合唱が始まる。


「絶体絶命だな」

 南方は渋い顔をしている。流石の彼も笑みを浮かべる余裕はないらしい。オセとの戦いで見せた演技とは違い、今度は本物の表情なのだろう。


 樹流徒は今一度戦意を奮い立たせようとした。自分一人だけならば壁や天井を破壊して脱出できる可能性は僅かにある。だが、南方とベルを見捨てるわけにはいかなかった。

 逃げられない。勝ち目も見えない。絶望という言葉を遥かに超えた感情が頭を(もた)げた。でも戦うしかない。


 三人は互いに背中を預けた。南方とベルはナイフを構える。


「出口は固めたまま、残り全員で敵を取り囲め」

 舞台上のレオナールが冷静に命令を下す。

 異形の生物たちがジリジリと動き出した。一体一体で襲いかかろうとはせず、包囲網を形成するように移動する。その動きを樹流徒たちが阻止する手立ては無い。


 ブエルは口角を持ち上げ余裕の笑みを浮かべる。オセよりもひと回り大きな犬歯を剥き出しにした。

 悪魔の垣根が三人を囲う。いつ、どの方向からでも侵入者を始末できそうな布陣が完成した。最早、樹流徒が一人で空中から脱出する事さえも不可能だろう。


 満を持して、ブエルが極刑の合図を送る。

「良し! お前たち、天使の犬どもに最期の……」


 が、それを言い終える前だった。

 二階席の扉、即ちブエルの後方で、突如悲鳴が起こる。その叫びがブエルの命令を遮った。


 続いて、赤黒い光の粒が一斉に宙で踊る。魔魂に違いなかった。それもかなりの量だ。三、四体の悪魔が一度に消滅したのではないだろうか。

 樹流徒の攻撃ではない。南方やベルの策でもなさそうだった。


「何事だ」

 すこぶる機嫌の良さそうだったブエルの顔色が、ガラリと激しい怒りの形相に変わる。

 大ホールにいる全員の視線が一箇所に集まった。


 その間にまたも複数の悪魔が同時に命を散らす。闇の中に魔魂が放出される。まるで赤い雪が降っているかのようだった。静かで不気味。そして妖しくも美しい光景に誰もが目を奪われていた。


 ブエルは扉の方を向いたまま後退する。他の悪魔たちも恐れをなしたように下がった。上の階にいる者たちは手すりから身を乗り出し、足下で起きている異変を覗き込む。


 異変の発生源は、悪魔たちの中を平然と歩いてくる。まるで同極の磁石を遠ざけるように、魔界の住人を寄せ付けない。


 それは、辺りを覆う闇よりも深淵な瞳を持つ一人の少女だった。

 夜子である。根の国の統治者、黄泉津大神(よもつおおかみ)が単独で戦場に乗り込んできた。


 少女は、ブエルに向かって微笑み掛ける。

「君はベルゼブブとやらが進めている計画について何か知っているか? 知っているのならば話して貰いたいのだが」

 と、第一声を放った。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ