妙案
「さあ、どうする? 問題に挑戦するのかい? それとも馬は諦めるか。アタシゃ別にどっちでも構わないよ」
魔女バーバ・ヤーガは、樹流徒たちに選択を迫る。
「五種類のコインの並びは全部で百二十通り。たった一度の回答で正解するには多少の強運が必要だ」
ベルが難色を示した。
樹流徒たちがその気になれば、別の悪魔を召喚するという方法はあった。新たに呼び出した悪魔の力で敵陣を突破するか、或いはその悪魔に魔女の問題を解いて貰うという手も考えられる。
ただ、樹流徒にそれを実践するつもりは無かった。彼にはベルと交わした約束がある。悪魔召喚は今回で最後にする、という約束だ。したがって新たな悪魔は呼び出せない。今、眼前にいる魔女が最後の召喚なのだ。
もっとも、今の状況でそのような約束を律儀に守る必要は無いのかも知れない。潜入作戦の成功を最優先に考えるのならば、別の悪魔を呼ぶのが当然の選択だろう。それに、バーバ・ヤーガからの出題は不測の事態である。悪魔召喚をやり直す口実にはなりそうだった。
が、樹流徒の性格がそれを許さなかった。約束は約束。状況が悪くなったからといって反故には出来ない。彼は基本的にどちらかと言えば不器用な青年だった。
対照的に、南方の言動には良くも悪くも柔軟性が備わっている。
「あのさ。もう一度だけ悪魔を呼び出すってわけにはいかないかな?」
彼はベルに耳打ちをして再召喚の許可を求めた。
「約束は絶対だと言った筈だ。例外は無い」
ベルは即刻拒否する。
南方は「やっぱり駄目か」と言って、いとも簡単に引き下がった。
結局、三人はバーバ・ヤーガの問題に自力で挑むか、それとも避けるか。どちらかの道を選ばなければいけない。
ならば、樹流徒の答えはもう決まっていた。
「問題に挑戦しましょう」
それしかなかった。この機を逃したら、三人揃って敵陣に潜入する方法は多分残されていないのだから。
「思い切りが良いねえ。アタシゃそういうのは嫌いじゃないよ」
魔女がおだてるような台詞を吐く。
「しかし、失敗の代償が大き過ぎる。答えを間違えたら誰か一人が魔界行きだからな」
ベルは慎重な姿勢を崩さない。
南方は「難しい選択だね」と、どっち付かずの態度。腹を決めかねているようだ。
そんな仲間たちの様子を見て、樹流徒は少なからず危機感を覚えた。二人が魔女の問題を回避するのではないかと危惧する。限りなく確信に近い危惧だった。
結果、樹流徒は咄嗟の行動に出る。
「ならば僕が危険を背負います」
そう宣言した。後先を考えない勢い任せの決断だったが、こうでも言わなければ慎重になっている仲間の心は動かせない。
「相馬が? リスクを負うっていうのか?」
「はい」
樹流徒は力強く頷く。
「もし問題を間違えた時は、僕がバーバ・ヤーガと一緒に魔界へ行きます。それならどうですか?」
「……」
南方とベルは唇を閉ざす。彼らは即答を避け、かといって戸惑っている風でもなかった。
樹流徒は黙って二人の返事を待つ。
次、口を開いたのは南方だった。
「分かったよ。樹流徒君がそこまで言うなら、魔女の問題に挑戦しよう」
彼はそう言って樹流徒の肩を叩く。
「ベルちゃんはどう?」
「ああ……。そうだな。こうなったら何とか正解するしかないだろう」
彼女も意を決したようだ。
三人はようやく、悪魔の問題に挑む事で意見を一致させる。
「そうこなくちゃねえ」
バーバ・ヤーガが明るい声を弾ませた。
魔女からの出題内容は、五種類の硬貨を価値の高い順番に正しく並べること。
樹流徒たちは早速、床に散らばったコインを拾い始める。それらを部屋の隅に置かれた丸いテーブルの上に集めてゆく。
作業はすぐに終わり、全てのコインが一ヶ所に固まった。五色の硬貨はどれも四枚から六枚ずつあり、枚数に大きなバラつきはない。
南方は色違いのコインを横に並べたり、重ねたりする。
「コインの大きさはどれも同じだね。厚さも寸分違わず同じだ」
と言った。
ベルは両手に硬貨を一枚ずつ乗せて重さを比較しているようだった。一通り調べ終えると「それぞれ材質が違う。どれも重さが異なる」と報告する。
しかしながらコインの大きさや重さが、貨幣価値に関係するという証拠は全く無い。二人の調査は、現時点では余り意味が無さそうだった。
一方で、樹流徒はふと、詩織の顔を思い浮かべていた。もし、この場に彼女がいれば……などと考えていた。悪魔倶楽部で働いていた詩織ならば、魔界で流通している貨幣についても何か知っているはずだ。しかし、そのような無いものねだりこそ、無意味な行為に違いなかった。
「アンタらの運を試すと言っただろう。ごちゃごちゃ考えずに直感で答えりゃいいんだよ」
バーバ・ヤーガが若干声を荒げる。
「そういうワケにいくか」
ベルがぽつりと呟いた。先刻彼女が言った通り、コインの正しい並びを直感で的中させるのはほぼ不可能である。
となれば、少しでも正解率を上げるために、答えの手掛かりになるようなものを見つけ出す必要があった。
樹流徒は五色の硬貨を一列に並べる。それぞれに描かれた絵柄に注目してみた。
赤色のコインには昆虫に似た謎の生物が描かれている。現世には存在しない生き物に見えた。青のコインには牛に似た四本足の動物。緑には一本の樹。紫には人間の背中に羽が生えたような生物……これは悪魔だろうか。そして黒には髑髏の図柄が、それぞれ刻まれている。現世の硬貨と違って、数字の類は一切描かれていない。
また、コインの裏側は全て同じ絵柄をしており、逆さまになった五芒星が彫られていた。
「例えそれぞれの絵が何を表しているのか分かったとしても、カネの価値を測るヒントになるのかな?」
南方は独り言を唱えている。彼もまた五種類の絵柄に着目したようだ。他にもう着目すべき点が無いと言った方が正しいかも知れない。
三人はテーブルを囲み、色とりどりの硬貨をひたすら観察する。
彼らから少し離れた場所では、バーバ・ヤーガが瞼を垂らして眠たそうな表情をしていた。
それから一頻り調査を続けたが、樹流徒に閃きは降りて来なかった。全くといって良いほど、正解の糸口が見付からない。南方とベルも着想を得られないようで、三人はテーブルに視線を落としたまま石像のように固まり続ける。
やがて樹流徒の耳に誰かが漏らした静かな吐息が聞こえた気がした。
と、それを合図にしたかのように、バーバー・ヤーガが痺れを切らせる。
「アンタたち、いつまでそうやって考え込んでるつもりだい? あと三分以内に答えな。でなければアタシの勝ちだ」
どうやら退屈に堪えられなくなったらしい。魔女は突如、新たなルールを持ち出す。
「あの。時間制限があるなんて聞いてないんだけど」
南方が軽い口調で抗議する。
「今言ったじゃないか」
「そんな横暴な……」
男は微苦笑した。
確かに横暴。理不尽な話だった。時間制限があるにしても、三分というのは余りにも短過ぎる。樹流徒もこの条件は飲めなかった。バーバ・ヤーガに反論しようとする。
ところが、彼よりも先にベルが発言する。
「別に三分でも構わない。だが、代わりにヒントをくれないか?」
彼女の口から飛び出したのは怒りや不服ではなく、冷静な要求だった。
「ヒントだって?」
バーバ・ヤーガの眉間に深いシワが寄る。
「ああ。こっちは三分以内に答えを出さなければいけない。ヒントの一つくらい貰っても良いだろう?」
ベルはいつになく温和な口調で、魔女と交渉する。
「ニンゲンがこのアタシに交換条件を持ち掛ける気かい?」
老婆は苦々しい声を出す。だがそのあと
「でもまあ……確かにアンタの言う通りかもしれないねえ」
と、ベルの意見に理解を示した。
樹流徒がベルの真意に気付いたのは、この時だった。
彼女の判断は悪くない。何故なら、今三人がいる部屋はいつ敵の襲撃を受けてもおかしくない。魔女が時間制限を設けるまでもなく、樹流徒たちにはのんびりと問題を解いている暇など無かった。ならばいっそ魔女の要求を素直に受け入れたフリをして、代わりにヒントを貰った方が良い。
ベルの判断は危険な博打には違いなかったが、同時に妙案かも知れなかった。
樹流徒は感心する。悪魔の理不尽な要求からベルが交換条件を持ち出すまで、ものの数十秒。彼女の素早い決断に、恐れ入った。
あとは、果たして魔女がこの提案を受けてくれるか、という問題が残されている。
しかしそれもすぐ杞憂に終わった。
「いいだろう。望み通り一つだけヒントをくれてやるよ。運に頼らず、想像力次第で答えを見付けられるチャンスをやる。けど、その代わり三分以内に答えを出して貰うんだからね。忘れるんじゃないよ」
バーバ・ヤーガが要求を受け入れる。
ベルは「分かった」と相槌を打つ。それから
「勝手に交渉して悪かったな」
と、樹流徒に言葉を掛けた。
「いえ。良い判断です」
樹流徒は本心でそう答えた。
そして……魔女の口からヒントが齎される。
「良いかい。一度しか言わないから、よおくお聞き。実は、その硬貨に描かれた五種類の絵はある法則に従って並べる事が出来るんだよ」
「ある法則?」
「そう。それがヒントだ」
「え。たったそれだけ?」
南方が呆気に取られたような声を出す。
「それだけとは随分な言い草だよ。これ以上無いくらいのヒントだってのに」
バーバ・ヤーガはむっとする。
「一つ聞いてもいいか? その法則というのは、魔界だけじゃなく現世でも通用するものなのか?」
樹流徒が確認を取る。
「なかなか鋭い質問をするじゃないか。安心しな。基本的には魔界でも現世でも変わらない法則だよ」
魔女はそう答えたあと
「さあ。約束通り、今から三分以内に答えを出してもらうよ」
と言って、気を取り直したように笑った。




