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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
121/359

千里眼



 樹流徒たちが今いるリビングには一台の壁掛け時計がある。外枠が円形、内側に十二個のアラビア数字が配置されているだけの、シンプルな造りの時計。それは九時過ぎを指したまま止っていた。市内中の電気が止まった後もしばらくは電池で動いていたのだろう。しかしその時計が時を刻む事はもう二度と無い。


 髪を(いじ)るのをやめた渚は、己の役目を終えた時計を見上げる。その動作にこれといった理由は無いのだろう。彼女の視線はすぐ、床に伏せられた本の表紙へと移った。

 ほぼ同時。

「仙道さん。君は何故、僕がここの上空を通過すると知っていたんだ?」

 樹流徒が尋ねる。

 前触れも無く言った質問に、渚は「ん?」と、少々間の抜けた声で返事をした。

 樹流徒は尋ね直す。

「君は、この家で僕を待っていた。恐らく、僕がこの時間、この辺りを通過すると知っていたからだ。しかも君は、僕が空を飛べることも知っていた。だからカラスを使ったんだろう?」

 なぜ渚はこれほどまでに自分のことを知っているのか? 樹流徒にはそれが不思議だった。

「ああ、そういうこと……」

 渚は数回頷く。前後に揺れる頭が「質問の意図は理解した」と言っている。


「うーん。でも、どうしようかな? 君の疑問に答えてあげたい気持ちはあるんだけど……コレ、教えちゃってもいいのかな?」

 続いて彼女は脳内で何やら審議を始め

「ま、いいか。言っちゃえ」

 最後はいとも容易く決定を下した。

「ね、相馬君。“千里眼”って知ってる?」

「千里眼……」

「聞いたことない?」

「いや。その言葉自体は聞いたことがあるし、大体どんなものかも分かる。ただ、僕はそのテ(・・・)の話題には余り興味が無かったから、詳しくは知らない」

「そっかあ」

 渚は相槌を打つ。床で真っ直ぐに伸ばしていた足を組んだ。


「千里眼はね、文字通り、千里離れた場所さえも見通すっていう不思議な力を持った目なんだよ」

「俗に言う超能力だな」

「そうだね。ちなみに一里は約三.九キロメートルだから、千里だと約三千九百キロメートル。稚内から那覇までの直線距離が二千五百キロメートル弱だとすれば、千里眼は国内どこでも見通せちゃうね」

「詳しいんだな……。けど、それがどうしたんだ?」

「実は、何を隠そうこの私、千里眼の持ち主なんだよ」

「君が?」

 樹流徒は表情を微動させる。


「と言っても、私の千里眼は市内の様子しか見れないけどね。この土地が封鎖される以前は、市内どころか世界中が有効範囲だったのに」

「封鎖される前……という事は、君は、大分前から千里眼の能力を持っていたのか」

「うん。本当に厄介な能力を手に入れちゃったよ」

「厄介? 便利ではなく?」

 ふと疑問に感じて、樹流徒はそれを口にした。

 世界中を見通せる千里眼など、非常に使い勝手の良い夢のような能力だと思うのが普通ではないだろうか。なのに渚は今たしかに「厄介な能力」と言った。

「勿論、便利な面もあったんだけどね」

 そう付け足して彼女は誤魔化すように笑う。どうやら千里眼については触れられたくない部分もあるようだ。察した樹流徒は深くは追及しない。


「今までの説明で話は見えた気がする。多分仙道さんは千里眼の力で僕の動向を自由に掴めた。だから僕を待ち伏せするのも容易だったんだな」

「あれ? 今度は随分アッサリ私の話を信じてくれるんだね。私が千里眼の持ち主だって話を疑わないの?」

「君がNBW事件の被害者でなければ、多少は疑っていたかも知れない」

「エヌビーダブリュー? 何それ?」

「数年前に起きた事件の名称だ。僕や君が巻き込まれたあの……覚えているだろう?」

「へえ。あの事件、そんな名前があったんだ」

「君が事件の被害者である以上、千里眼のような能力を持っていたとしても不思議じゃないんだ」

 樹流徒、詩織、そしてメイジの三人は皆、同事件の被害者であり、特殊な能力に目覚めている。渚も何かしら能力を持っていた方が、樹流徒としては寧ろ腑に落ちるくらいだった。


「なるほどねえ。そういえば相馬君って倒した悪魔を取り込んで強くなる能力を持ってるんだよね? メイジ君もすっかり怪物になっちゃったし……」

「それも千里眼で見たんだな」

「まあね。それで……どう? 君の疑問、晴れた?」

「ああ。お陰で」

 樹流徒は首肯してから

「けど、一つ言わせて貰ってもいいか?」

 と言葉を継いだ。

「ん? なに?」

「メイジは確かに悪魔じみた姿に変身する能力を持っている。でもアイツは人間だ。怪物呼ばわりするのは、出来れば止めて欲しい。少なくとも僕の前では」

「ふうん……」

 渚は虚を突かれたような、少し白けたような表情になる。

 が、今度もすぐに笑顔を取り戻した。

「相馬君、意外と友達想いだね。知らなかったなあ」

「……」

「分かったよ。取り下げますよ。メイジ君は怪物なんかじゃないです。姿形は変わっても立派な人間です。ごめんなさい」

「いや、これは単なる僕のわがままだから、謝る必要までは無いよ」

「うん。まあ別に何でも良いんだけどねー。でも、相馬君……」

「何だ?」

「悪魔じみた姿になったとしても人間だ……って、まるで君自身にも言い聞かせているように聞こえるんだけど……私の気のせい?」

 樹流徒は反論しなかった。しなかったというより、できなかった。渚の言葉が見事に図星だったからである。

 魔魂を吸収し続けた結果、やがて己の身に恐ろしい異変が起こるのではないか……という危惧。それは、未だ樹流徒の中で消化しきれていない問題だった。

 悪魔と戦うたびに樹流徒の体は通常の人間から離れている。その紛れも無い事実を抱えている樹流徒は、メイジのことを人間だと思いたいのと同じくらい、自分がこれからも人間であり続けると信じたかった。


 樹流徒が反論できずに黙り込んでいると、その沈黙を怒りと取ったのか、渚はいきなりこんなことを言い出す。

「ええと。また何か気に障るコト言っちゃったみたいだね。でも、君は私に一つ“借り”があるからね。それで帳消しって事にしようよ。うん、そうしよう」

 などと勝手に一人で提案した。

「借り?」

 借りとは一体何の話か? 渚の口から飛び出した思わぬ言葉に樹流徒は内心で首を傾げる。

 借りと言われてもさっぱり心当たりが無かった。渚と会うのは魔都生誕後では今回が初めてだし、中学生の頃を振り返っても、彼女との間に貸し借りというような出来事は一切無かったはずである。

 樹流徒が不思議がっていると……

「相馬君、ちょっと前にヌマハシ電機スタジアムに潜入したでしょ?」

 渚はその話を持ち出した。

「スタジアム……。ああ、あれか」

 記憶を探るまでもなかった。スタジアム潜入といえば、令司、渡会、仁万(にま)の三人が悪魔を陽動し、樹流徒が建物内に突入した、組織との共同作戦である。忘れる筈もなかった。


「確かに潜入した」

 樹流徒は答える。渚がなぜスタジアム潜入について知っているのか、という疑問は湧かなかった。千里眼を持つ彼女ならば、潜入作戦の全容を知っていたとしてもおかしくないからだ。

 不可解なのは、なぜ今そのような話が出てくるのかである。渚が言う“借り”と、スタジアム潜入に何か関係があるのか?

 その疑問を解消する答えは、すぐに渚の口から語られる。

「私、相馬君がスタジアムを脱出するの手伝ったんだよ」

「え」

「建物から出た時……悪魔、いなかったでしょ?」

 それを聞いて、樹流徒は心の中であっと呟く。無いと思っていた心当たりを見つけた。


 それは、樹流徒が令司と共にスタジアムから脱出した際に起きた、奇妙な出来事だった。

 建物の外に集結していると思われた悪魔たちが、実際には一体もいなかったのである。


 当時、スタジアム内部は、デカラビアという悪魔が構築した魔空間に支配されていた。その影響により、建物の出口は一つしかなかったのである。そこは悪魔にとって樹流徒と令司の逃走を食い止める最後の砦であると同時に、二人を待ち伏せるにはうってつけの場所でもあった。渡会と仁万の陽動から解放された悪魔たちが大挙していたはずなのである。

 ところが、異形の生物たちはいなかった。大挙どころか、悪魔の影ひとつすら見当たらなかったのだ。それは奇跡であり、状況的に考えれば異様という他なかった。が、現実としてそのような事態が起きたために、樹流徒と令司は、スタジアム周辺から無事に離脱したのだった。


 どうして出口に悪魔たちがいなかったのか? 渡会や仁万も揃って不思議がっていたが、結局謎は解けぬまま。樹流徒はその出来事自体を忘れかけていた。それが今頃になって、思わぬところから答えが転がり込んで来た。


「仙道さんなのか? スタジアム前の悪魔を消したのは」

「はい正解。あの悪魔たちを陽動・殲滅してあげたのは私たち(・・)です」

 渚は得意気な顔でやや胸を張り、おどけたような態度を取る。

「僕たちを助けてくれたのか?」

「うん。私の独断でね」

「そうだったのか……」

 過去の謎が解けてすっきりした以上に、恐ろしい予感がした。渚はスタジアム前に集結していた悪魔を排除するだけの戦力を持っているのである。それは決して無視できない事実だった。

 カラスを操る能力にしてもそうである。樹流徒は、渚がどのようにして悪魔を相手に出来るだけの力を得たのか、気になった。

「仙道さん、君は一体……。市内が封鎖されてから今まで、君に何があった? 何をしていたんだ?」

「うーん。それも後のお楽しみにしようか」

 渚はそう答えて、カーテンの隙間を見つめる。この後、この場所に訪れるという人物が姿を現すまでは、肝心な質問に関して一切答えられないのだろう。


 樹流徒の質問が終わると、渚は屈託の無い笑顔で、これまでの話とは全く関係の無いことを喋り始めた。中学時代の思い出や、高校生活での出来事などを、彼女は嬉々とした表情で語った。まるで樹流徒にこれ以上質問をする暇を与えまいとするかのように口を動かし続け、その話術は時間が経過すると共に冴え渡る一方だった。

 かたや樹流徒は床に腰を下ろし、聞き役に回る。これ以上渚から聞き出せそうな情報は無いし、渚の話を無視して強引に質問の続きをするのも無粋だった。今は、他愛も無い話をしながら心身を休めるのが良い選択に思えた。


 もっとも、樹流徒は純粋に話を楽しめる心境になかった。未だ屋根に止まっているカラスの大群が放つ気配、いつ悪魔が襲い掛かってきてもおかしくない状況が、彼に心の平穏を許さない。明かりひとつ灯らない薄暗い部屋が「ここは魔都。常に危険と隣り合わせの場所」と、語りかけてくるのだった。

 もし、樹流徒に心の底から安らぐ瞬間が訪れるとすれば、それは彼が、自分の役目を全て終えた日に違いなかった。あの、針が止まった壁掛け時計のように。しかし今はその時ではない。


 それからどのくらいの時間話し込んでいただろうか。やがて、たったニ人の同窓会にも終わりが訪れる。

 引き続き渚が口の達者なところを見せている最中、樹流徒の研ぎ澄まされた感覚が、何者かの気配を察知したのだ。彼は、風に紛れた小さな足音を耳聡(みみざと)く聞き逃さなかった。


 まだ渚が喋っている最中だったが、樹流徒は構わず立ち上がる。そのとき彼はもう戦う人間の顔付きになっていた。

「どうしたの? 悪魔?」

 渚はゆっくり腰を上げる。

「分からない。足音が聞こえた気がしたんだが、空耳かも」

 樹流徒は答えて、カーテンの隙間から外の様子を覗いた。

 途端、全身が戦闘態勢に切り替わる。


 外に鬼がいた。しかも今まで樹流徒が何度か遭遇した赤鬼ではない。背丈三メートルは下らないだろう。闇を讃える漆黒の肌をした巨大な鬼である。

 黒鬼は見た目の割に静かな足音で、樹流徒たちがいる民家に迫っていた。大股であと十歩も進めば接触する距離にまで近付いている。

「仙道さん。危険だから少し下がっててくれ」

 樹流徒はカーテンの隙間から黒鬼を睨み、拳を強く握り締めた。相手が通り過ぎてくれれば良いが、一度でもこちらを攻撃してくれば、それが開戦の合図となる。


 と、ここで渚が意外な行動に出る。彼女は、樹流徒の警告に従うどころか、それに反した動きをする。「何があったのかな?」などと呑気な声を上げながら窓に歩み寄り、樹流徒のすぐ隣に立った。そしてカーテンの隙間から外を覗くと笑顔を浮かべる。黒鬼の姿を確認して「なんだ。大丈夫だよ」と安心しきったような声で言った。

「何が大丈夫なんだ?」

「だって、あれ、私の仲間だから」

「仲間?」

 樹流徒は思わず渚の横顔を見る。

 その問いに渚は答えず、代わりにカーテンを全開にして外を指差した。

「見て、相馬君。あの人が来たよ」

 樹流徒の視線が再び外へ移動する。渚の指が指し示す方向を追った。


 するとそこには樹流徒にとって思いも寄らぬ人物いた。

 いつからそこにいたのか。一人の少女が黒鬼の足下で佇んでいる。紺色のチュニックを着てブーツを履いた、樹流徒と同い年くらいの少女だ。


 樹流徒は彼女を知っていた。顔見知りというほどではないが、今までに二度、会っている。一回目は詩織を救出する直前、摩蘇(まそ)神社の石段の上で。二回目は組織の第一アジト・太乃上荘の近くにある商店街の中で。


 死人の如き病的に白い肌を持つ少女は、樹流徒と視線を交わす。そして、林檎のように真っ赤な唇の両端を、微かに持ち上げた。




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