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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
120/359

新たなる再会



 学校の屋上に異形の獣が一匹。白っぽい毛皮に身を包んだ双頭の狼である。左右に並んだ顔が交互に口を開いて、遠くの空へ向かってしきりに吠えていた。その咆哮にどのような意味があるのかは分からない。仲間を呼んでいるのか。この辺りは自分の縄張りだと主張しているのか。特に大した意味など無いのかも知れない。


 一方下界には、悪魔の遠吠えを背にして歩く樹流徒の姿があった。

 先刻メイジとの対話を終えた彼は、独り校舎の中から出てきたところだった。足取りは軽くもなく、重くもなく、平常の動きをしている。


 しかし、今、樹流徒の目には周りの景色が良く見えていなかった。校舎の屋上で(たけ)り続ける悪魔の存在もほとんど意に介していない。五感から送られてくる情報に対して酷く鈍感になっていた。

 理由はある。樹流徒は今、考え事をしていた。


 考え事というのは、メイジから聞いた話に他ならない。特に密偵の件。仲間の中にスパイが紛れ込んでいるという話が、樹流徒の頭からどうしても離れなかった。これからアジトに戻って仲間たちと合流する事もあって、尚更気になっていた。


 思考に意識を奪われたまま樹流徒は歩く。いつの間にか獣の遠吠えは止んでいた。それにも気付かず前進を続ける。校門を抜けた。


 樹流徒の集中力がたちどころに蘇ったのは、そのとき。

 校門の前で悪魔の集団と鉢合わせしたのである。狐の毛皮を纏った老人の悪魔エウリノームがニ体。小人型の悪魔チョルトが三体。そしてデウムスが一体。計六体の悪魔と遭遇した。


 悪魔たちはのんびりと現世観光に興じていたのだろうか。皆、穏やかな気配を漂わせていた。

 しかし樹流徒と出くわした途端、彼らは豹変する。眼光を鋭くし、奇声を発し、全身を硬直させた。そして彼らの放つおよそ隠す気のない裸の殺意が、注意力散漫になっていた樹流徒の意識を瞬時に叩き起こしたのである。


 危険を感じた樹流徒は脊髄反射で後ろへ飛んでいた。着地の衝撃でカーリーから受けた傷がチクリと痛む。樹流徒の口から「うっ」と不意を突かれたような吐息が漏れる。


 相手が手負いと気付いてか否か、異形の生物たちは容赦なく襲い掛かる。

 まずチョルトの一体が樹流徒めがけて駆け出した。寸秒遅れて他の悪魔たちが後続と化す。数的優位を活かして畳みかけようとしているのだろう。ただし、彼らの間に計算された連携は無い。即席の徒党が暴れ出したようなものだった。


 先頭のチョルトが口を裂けんばかりに広げ、樹流徒の顔めがけて跳躍する。

 樹流徒は咄嗟に腕を払って敵の胴体を弾き飛した。チョルトの小さな体はゴムボールのように地面を跳ねて校内の敷地に飛び込んだ。


 ほぼ同時、デウムスの口内が真っ赤に輝き火炎弾が放たれる。高速で飛ぶ炎の塊が樹流徒を襲った。

 樹流徒は真上に跳躍して攻撃をやりすごすと、空中で漆黒の羽を展開する。そのまま上空へ逃れ、戦場から離脱しようとした。

 させまいと、エウリノームが驚異的な跳躍力で宙を舞う。上昇中の樹流徒に飛び掛った。

 しかし樹流徒は敵全員の動きを漏らさず把握していた。下から迫り来るエウリノームに向かって足の裏を落し、眉間に攻撃を命中させた。エウリノームはしゃがれ声の悲鳴を上げて落下する。


 樹流徒に息つく暇は無い。墜落したエウリノームと入れ替わるように、今度は羽を広げたチョルトが2体、空中で獲物を挟む。

 樹流徒は羽をはばたかせて上昇した。デウムスが放つ次の火炎弾を回避しながら、高度を上げる。

 チョルトたちが後を追った。他の悪魔たちは道路に佇んで頭上を仰ぐしかない。戦場は、翼を持つ者のみを受け入れる空へと移行した。


 風を切って疾走する三つの影。逃げる樹流徒と、追う悪魔2体。

 両者の飛行速度には多少の差があった。樹流流とチョルトの距離が次第に開いてゆく。

 しばらくして樹流徒が追手の位置を確認するために後ろを振り返ってみると、そこにもう敵の姿は無かった。


 慌ただしく母校から飛び去った樹流徒は、その後順調な飛行を続けた。わずかな気の緩みから悪魔との遭遇に一驚を喫してしまった後だけに、今は油断の欠片も無い。

 周囲を警戒しているあいだは余計な悩みや葛藤を忘れられた。樹流徒にとってはある意味良い時間かも知れない。このまま何事もなくアジトまで辿り着ければ、尚良かった。


 しかし、ここは魔の都。一度(ひとたび)外を出歩けば怪奇と遭遇しない方がおかしい。

 それを証明するかのように、やがて小さな異変が起こり始めた。

 樹流徒の遥か眼下に、黒い点々が浮かび始めたのである。その数、十前後。まるで影のようにぴったりとの樹流徒の真下にくっついている。


 異変の正体を詳しく確認するため、樹流徒は少し高度を下げた。目を凝らし、黒い点々の正確な数が九つであると分かった頃、その正体も判明した。


 カラスである。異変の実態は、低空を飛行する九羽のカラスだった。

 彼らは互いの距離を狭い間隔で保ち、一糸乱れぬ編体飛行を披露している。


 樹流徒は束の間、鳥たちの美しい姿に目を奪われた。だが、すぐに内心で首を傾げる。なぜカラスが空を飛んでいるのだろうか。

 鳥が空を飛ぶのは常識だが、それはあくまで魔都生誕以前の話。現在、市内の動物たちは全て死に絶えている。鳥類も例外ではなかった。


 では、今、低空を飛んでいる黒い点々たちは一体どこからやって来たのか。

「もしかすると、魔界の生物かも知れない」

 樹流徒は気付いて、呟いた。

 同時に嫌な予感が沸く。以前、アンドロアルフュスという虹色の孔雀に襲われたことがあった。あの悪魔も戦闘を仕掛ける前に樹流徒の横をぴったりとつけて飛行していた。今の状況は当時と良く似ている。


 樹流徒は念のためにカラスの群れから離れることにした。急旋回して、進路を大きく変える。


 しかし時既に遅かった。樹流徒が眼下の異変に気付いた時にはもう、カラスたちの布陣は完成していたらしい。

 漆黒の翼が樹流徒の動きに合わせて旋回と上昇を始める。その速度は明らかに樹流徒よりも速かった。

 樹流徒はあっという間に九羽のカラスに追いつかれ、囲まれる。


 カラスの一羽が、(くちばし)を使って樹流徒の羽を(つい)ばんだ。別の一羽が服を噛んで下に引っ張る。攻撃というよりは、樹流徒を地上に連れ去るのを目的としているかのような行動だった。


 樹流徒は抵抗する。闇雲に腕を振り、拳を突き出した。カラスたちを追い払おうとする。

 それが功を奏したとは到底思えないのだが、カラスたちは一斉に樹流徒から離れ、地上へ降下していった。余りにもあっけない撤退である。


 単なる襲撃だったとは思えない。樹流徒の目は敵の動きを追った。

 その視線に気付いたのか、カラスたちがギャアギャアと鳴き始める。


 樹流徒は、何だか呼ばれているような気がした。もしかするとカラスたちは自分をどこかへ導こうとしているのではないか。そう思えた。

 幸いというべきか、樹流徒にはまだ多少時間の余裕がある。彼は黒い群れの後を追ってみようと決めた。


 降下したカラスたちは、地上の一ヶ所に固まっていた。

 そこは道路沿いに建つごく普通の民家。二階建てのコンクリート住宅で、外壁はベージュ、屋根は緑色に塗られている。茶色い土が敷き詰められた小さな庭があって、隅には白のワンボックスカーが一台停まっていた。

 鳥たちはその民家の屋根や、近くの電線などに止まり、羽を畳んでいる。引き続き鳴き声を放ち続けていた。


 樹流徒は民家の庭に着地した。それを合図にカラスたちのギャアギャアというけたたましい声がぴたりと止む。最早偶然では無さそうだった。

 そしてカラスたちは「我々の役目は終わった」と言わんばかりに、樹流徒から視線を外す。まるで普通の鳥になってしまった。


 樹流徒は民家の全体像をさっと見渡す。全てのカーテンが閉まっており、家の中の様子は見えなかった。建物内の気配を探ろうにも、カラスたちの気配に妨害されてしまう。

 家の中に悪魔が潜んでいるかどうか、外からでは判断できない。確かめるためには実際に中へ踏み込むしかなかった。


 樹流徒は、思い切って進んでみようという気になった。カラスたちが自分をこの場所まで誘導したのならば、きっとこの民家には何者かがいる。敵の罠である危険性は十分に有り得るが、それでも飛び込んでみたいという好奇心が、恐怖を(まさ)った。


 樹流徒はリビングの窓に手を伸ばす。素直に玄関の扉から入る必要は無い。

 カラカラと音が鳴って、窓は抵抗なく開いた。外の風が吹き、カーテンを揺らす。

 瞬間、カーテン同士の間に空間が生まれた。その空間を通して樹流徒の目にリビング内部の様子が飛び込んでくる。


 樹流徒はぎくりとした。

 今、人の姿が見えたような気がした。風に煽られたカーテンはまたすぐに閉じてしまったため一瞬しか見えなかったが、たしかに誰かがいた。


 市民の死体かも知れない。

「誰かいるのか?」

 樹流徒はカーテン越しに声を掛けてみる。

 すると……


 ――そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。相馬君。


 意外にも、建物の中から聞こえてきたのは少女の声だった。殺伐とした世界にはおよそ似つかわしくない、明るく弾んだ声。しかも、樹流徒の名を呼んだ。


 当の樹流徒も、少女の声には聞き覚えがあった。

 樹流徒はカーテンの間を潜り抜け、土足で居間に踏み込む。


 その先には声の主がいた。

 やはり少女である。齢は樹流徒と同じくらい。明るめの茶髪を肩の下辺りまで伸ばし、どういうわけか派手な着物を纏っていた。赤い布地の上で黄金色、藤色、白色の花々が豪華に咲いている。そのいでたちは薄暗い周囲の光景から浮いていた。


 着物姿の少女は床でうつ伏せになっている。樹流徒に対して全身の側面を向け、寝そべっていた。まるで自室でくつろいでいるかのような姿勢だ。

 彼女は読書をしている最中だった。縦書きの文字で埋め尽くされた本を手元で開いている。


 樹流徒は彼女を知っていた。ずっと以前から知っていた。

「仙道渚」

 名前を呼んでみる。


 すると少女が反応を示す。読みかけの本を床に伏せ「よっ」と軽快な声を出して立ち上がった。樹流徒のほうに向き直ると、この上なく嬉しそうな笑みを浮かべる。

「久しぶりだね相馬君。中学の卒業式以来かな?」

 やはり間違いない。仙道渚だった。樹流徒の記憶にある中学時代の彼女とは髪の色や長さが違うので、見た目の印象は大分変わっているが、声や雰囲気は当時と変わっていなかった。


「君も生きていたんだな」

 樹流徒は一歩前に出て、かつての同級生に接近する。


 渚はNBW事件の被害者だ。故に、彼女が現在も生き残っている可能性については、樹流徒や詩織をはじめ、組織の者たちも承知していた。とはいえ市内は既に悪魔の巣窟。渚が死んでいたとしてもまた不思議では無かった。


 だが彼女は生きていた。これでNBW事件の被害者全員の生存が確定したことになる。


「あれ? 相馬君、反応薄いね。私の顔見たら絶対ビックリすると思って楽しみにしてたのに。ちょっと残念」

 渚は、言葉とは裏腹に陽気な笑顔を崩さない。

「ちゃんと驚いているよ。それより、良く今まで無事だったな」

「まあね。色々あったけど」

「色々か……。そういえば随分と派手な格好をしているけど」

「あ、気付いた?」

「気付かない方が難しいだろう」

「ですよねー」

「何にせよ、生きていて良かった」

「うん。お互いにね」

 渚は最初から緩んでいた頬を更に緩ませる。


 相変わらず明るい女の子だ。彼女と南方さんを会わせたら、さぞ賑やかになるだろう。

 樹流徒はそのような想像をしながら、ちらと天井を見上げる。

「ところで、あのカラスたちは何なんだ? 僕をこの家まで引っ張ってくるのが役目だったようだけど」

 渚に尋ねた。


「私、空飛べないからね。あのコたちに頼んで相馬君を連れてきてもらったんだよ」

「ということは、あのカラスは仙道さんが操っていたのか?」

「うん。私の命令は何でも聞いてくれるよ」

「彼らは魔界の生物なのか? ああ、魔界というのは……」

「説明しなくてもいいよ。私、魔界や悪魔のコトはある程度は知ってるから」

「そうなのか……」

「でも、あのカラスたちは魔界の生物じゃないよ」

「え。じゃあ、現世の……?」

「ハズレ。あのコたちは、現世でも魔界でもなく、もっと別の世界から来たんだよ」

「別の世界?」

 樹流徒は鸚鵡(おうむ)返しに尋ねる。

 渚はさらりと言ったが、今の発言内容はかなり衝撃的だった。現世でも魔界でもない世界がある。彼女はそう断言したのだ。


「その話、本当なのか?」

「え。疑ってる? でもまあ、信じられないのが普通か」

「いや。確かに信じ難い話だけど、信じるよ。少しは心当たりもあるし……」

 樹流徒はそう答えた。


 彼の言う“心当たり”とは、鬼の存在である。鬼は魔界の生物ではない。が、現世の生物とも限らない。魔界が実在していた以上、鬼が住む世界が存在していても不思議ではないのだ。他にも魔界以外の異世界が存在するかも知れない。そう樹流徒は考えていた。


「だけど……。現世でも魔界でもないとしたら、どこの世界なんだ? なぜ仙道さんがその世界の生物を操っている?」

「今は秘密。でも、この後すぐに教えてあげるよ。私の口からじゃなくて“あの人”の口からね」

「あの人?」

「そう。今日、相馬君をこの場所に呼んだのは、君とあの人を会わせるためなんだよ」

「誰なんだ? その人物は?」

「それも後のお楽しみ。だから、もう少しのあいだ、私と一緒にここで待っていようよ」

 渚はそう言うと、床に座った。親指から中指まで三本の指を使って、髪の毛を(いじ)り始める。


 樹流徒はその場で棒立ちになった。

 かつての同級生と再会した驚きと、喜び。それらが全く冷めやらぬ内に、事態は新たな展開へ向かっているようだった。


 果たして、渚の言う“あの人”とは誰なのか? 樹流徒には皆目見当もつかない。ただ、その人物を待つべきだろうと思った。ここは渚の言葉に従うしかない。

 それに樹流徒が渚に尋ねたいことは他にもある。この場を立ち去るという選択肢は、最初から無かった。




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