保険
現世と魔界を繋ぐ扉に関する話。死体失踪現象の全容。惨劇を引き起こした犯人たちの正体。そして、悪魔の集団を率いる親玉・ベルゼブブの存在……。メイジがもたらした情報は、いずれも樹流徒にとって貴重なものばかりだった。
しかしメイジの体験談も既に終盤に差し掛っている頃に違いない。彼の話を聞ける時間。彼の心を知り、新しい情報を引き出せる機会は、もう残り限られている。
それを思うと、樹流徒の集中力は高まった。一生懸命親友の声に耳を傾ける。
「じゃあ、話の続きをしようか…………と、言いたいトコだが、どこから話せばイイんだっけ?」
メイジは首をひねる。
「お前はフルーレティの誘いで魔界へ行った。そこでベルゼブブ率いる悪魔の集団と出会った。その後からだ」
「ああ。そうだったな」
メイジは居眠りをしている人みたく、頭をゆっくりと前後に揺らす。
それから徐に口を開いた。
「確か、その場にいた悪魔の数は二十体前後だった。ベルゼブブを含め、特に力の強い悪魔どもが揃っていた。要は主要メンバーだな。ヤツらは、オレの姿を見るなり意外そうな反応を示した。“何故ニンゲンが魔界にいるんだ?”と、口々に疑問を唱え始めた」
「それから?」
「周囲がざわつく中、フルーレティが落ち着いた様子で、それまでの経緯と事情を説明した。そして最後に、オレを仲間に迎えてはどうか? という提案をつけ加えた」
「……」
「悪魔どもはいよいよ騒がしくなった。何せ人間を仲間にしようっていうんだからな。冗談だと勘違いして笑い出すヤツらもいた。オレは若干キレそうになった。近くにいる悪魔を八つ裂きにして手っ取り早く自分の力を証明してやりたい衝動に駆られた」
「さっきメイジが言ってたな。多くの悪魔にとって人間というのは脆弱な存在だ、と」
「ああ。だから、その場にいたほとんどの悪魔がオレの実力を疑問視したというワケだな」
「ほとんど……ということは、ごく一部の悪魔は違ったのか?」
「お。冴えてるな」
邪悪を含んだメイジの表情が、一瞬だけ屈託の無い笑顔になる。
「どうやら、フルーレティという悪魔は、ベルゼブブから相当信頼されてるようだ。他の連中がフルーレティの言葉に対して懐疑的になっている中、ベルゼブブだけは反応が違った。ヤツは笑いもしなければ疑問を口にするコトもなく、突然、オレを仲間に加えても良い、と言い出したんだ。鶴の一声ってヤツだな。場は一転して水を打ったように静まり返った」
「……」
「ただし、ベルゼブブもタダでオレを仲間に引き入れる気は無かった。他の悪魔を納得させる必要もあったんだろう。ヤツは、オレに試験を課してきた」
「組織の襲撃だな?」
「そうだ。オレの戦闘能力を証明する方法は他に幾らでもあったが、一方で、オレの心や素性を明かすのは難しい。単に力を見せつけるだけでは、悪魔どもの疑念を払拭出来ない。“天使の犬が送り込んだ密偵じゃないのか?”と勘繰られるのは明白だ」
「だからお前は試験を受けた」
「ああ。悪魔どもを信用させるためには、どうしても人間と敵対してみせる必要があった。オレは天使の犬じゃない、と証明して見せる必要があったンだ。オレは、試験を受ける旨をベルゼブブに伝えた」
「……」
「ところが、それだけでは話が纏まらなかった。フルーレティが妙な横槍を入れてきたからだ。ヤツは“天使の犬はそれなりに強い。万が一にもメイジが敗走する場合もある”と言い出し、オレのためにわざわざ“保険”を用意してくれた」
「保険?」
「遺体回収だよ。フルーレティは、オレに遺体回収の手伝いをさせてはどうか、と提案した。そうすれば、仮にオレが試験を失敗したとしても、多少は仲間たちの信頼を得られる……って算段だ」
「そういう裏があったのか」
「オレはその提案を受け入れた。天使の犬に負けるつもりなど微塵も無かったし、フルーレティまでがオレの実力や素性を疑っているようで腹立たしかった。だが、提案を断るのはマズい。断れば悪魔どもに余計な疑いを持たれかねないからな」
「たしかに」
「しかし……今にして思えば、保険なんてのはタダの建前だったンだろう。恐らく、フルーレティは話の流れから偶発的にあの提案を思い付いたワケじゃない。ヤツは、最初からオレに遺体回収を手伝わせようとしてたンだ。オレを仲間に誘おうと考えた、その瞬間から既にな」
「根拠は?」
「そもそもフルーレティがオレを仲間に誘った理由は何だ? 単にオレの戦闘力が欲しかったのか? それだけのために、わざわざ人間を仲間に加えようとしたのか? 些か動機が弱い気がすンだよ」
「じゃあ、別の動機があるのか?」
「恐らく、オレはタダの戦闘要員としてスカウトされたンじゃねェ。フルーレティは、今の現世や龍城寺市に詳しい人材としてのオレを欲したんだ。例えば市内の地理に詳しい者がいれば、それだけでベルゼブブたちは作戦を計画・実行し易くなる」
「有り得る話かも知れない」
「事実、オレは幾度となく現世及び市内に関する情報の提供を、ヤツらから求められている。遺体回収作業の効率を上げるのにも大きく貢献した。市民が密集している場所を悪魔たちに教えるという、オレにしか出来ない方法でな。フルーレティはそういう戦力を必要として、オレを仲間に誘ったンじゃねェかと思うんだ」
「……」
「ま、全てオレの憶測だ。それに、良く考えればオマエにとってはどうでもイイ話だよな。だからこの話はもう止めだ。寄り道して悪かった」
メイジはそう言うと、間を空けるのを嫌うかのように、すぐさま言葉を継ぐ。
「何はともあれ、オレは遺体回収を手伝った。そして作業は無事に完了した。オレ自身も一度だけ死体を運搬した。そう、オレの家族だ」
「ご両親と兄弟の遺体は儀式の生贄にしたんだろう? 遺体を運ぶ段階で既にそうしようと決めていたのか?」
「さあな。もう忘れたよ」
メイジは首を左右に振る。さもどうでも良さ気な態度だった。
樹流徒は隠さず表情を曇らせる。
「あ、そうそう。遺体回収のついでにオマエの様子も見に行ってやったンだからな」
「そうなのか」
「でも、オマエの死体は見付からなかった。意識を取り戻して自力で移動したのか、それとも目を覚ます前に悪魔に食われてしまったのか……いずれにせよ樹流徒が生きてる可能性は低いと考えた。よもやオマエに悪魔と戦う力があるとは知らなかったからな」
「それはお互い様だ。素直に白状すると、僕もお前の生存を心のどこかで諦めていた」
「だろうな」
メイジは深く首肯した。
「さて……。遺体回収に協力した甲斐あって、作業が終了した頃には何体かの悪魔がオレのコトを信用し始めた様子だった。あとは試験に合格して他の連中も認めさせるだけ。オレは“サレオス”という悪魔と行動を共にして、天使の犬を襲撃するコトになった」
「その悪魔もベルゼブブの仲間か?」
「モチロンだ。サレオスは冠と鎧を装備したオッサン騎士で、鰐を駆る変わった悪魔だ。ヤツは試験の結果を見届け、それをベルゼブブたちに報告する役目を受けた。言わば証人だな。オレの見張り役とも言える」
「なるほど」
「だが、このサレオスは見張り役としてあまり適任じゃなかった。ヤツは基本的に温和な性格をしているが、魔界を離れた途端、急に様子がおかしくなったんだ。余程現世の光景に興味を惹かれたらしい。ヤツはかなり興奮気味に“天使の犬は後回しにしてしばらく現世で遊ぼう”とか“色々と楽しい場所に案内してくれないか?”などと言ってきた。オレを誘って市内で遊び回ったんだ。まあ、それに付き合ったオレもオレだけどな」
「ベルゼブブの仲間にもそんな悪魔がいるんだな……」
「オレたちは羽目を外しまくった。酒を飲み、一回だけ喫煙も試した。カッコイイ車やバイクをいじり回し、タダで書物を読み漁り、好きな服や高価な靴・時計を身に着け、豪華なホテルの客室で寝泊りした。他にもオレが大人になったら体験してみたかったコト、一度だけでいいから試したかったコトを思う存分満喫した。気付けばあっという間に数週間が経過していた」
「お前らしいな」
樹流徒は他意無くそう言った。
「ンなワケで、寄り道を十分に堪能したオレたちだが……いかんせん堪能し過ぎた。“いい加減天使の犬を襲撃したらどうだ?”とフルーレティにどやされたよ。オレたちが遊んでいる間にバフォメットとマルコシアスがやられたからな。ベルゼブブたちからすれば余計に天使の犬を叩いておきたかったンだろう。オレはようやく試験内容を実行するコトにした」
「それで、お前は渡会さんと仁万さんを挑発し、戦闘に持ち込んだんだな」
「結果は言う必要ないだろ? オレは魔界に戻り、晴れてベルゼブブたちの仲間に加わった」
「……」
「正式な仲間として迎えられたオレは、ベルゼブブたちが密かに進めている計画について教えてもらった。以前フルーレティが言っていた“現世で悪魔を狩るよりも楽しい遊び”ってヤツだ」
「具体的にどんな内容だったんだ?」
「ワリィけど、それだけは何度聞かれても答えられねェ……。が、ベルゼブブのヤツ本当にとんでもねェことを計画してやがる。フルーレティが言った通り、現世で悪魔どもを狩り続けるよりも断然面白そうな遊びだ」
「……」
「と、まあ……以上が、魔都生誕から今までオレが取ってきた行動だ」
喋りたいことは大体話してしまったらしく、メイジは満足気な表情で口を閉ざした。