明かされる真実
魔都生誕以後の体験談を雄弁に語り続けるメイジ。彼は、趣味の合う仲間とすっかり意気投合したかの如く長広舌を振るっていた。
だが、彼の言葉はここで一旦途切れることとなる。
「待ってくれ。魔界へ行ったと言っても、どういう手段で移動したんだ?」
今まで殆ど沈黙していた樹流徒が、初めて質問を挟んだためであった。
話を遮られたメイジは、力なく垂れ下がっていた腕を持ち上げ、頭をバリバリと掻いた。その動きに合わせて、カチコチに固まった短めの髪が左右に折れる。メイジが手を下ろすと、倒れた髪はすぐに立ち上がって元の形状を取り戻した。
メイジとフルーレティはどうやって現世から魔界に移動したのか? という樹流徒の問いに対して
「魔都生誕によってニつの世界を繋ぐ扉が開いた。その扉を使って、魔界に入ったンだよ」
と、メイジは答える。
「ただし扉といっても、その姿は殆ど目に見えない、透明に近い魔法陣だったケドな」
そう付け足した。
「その魔法陣は今、どこに?」
現世と魔界の接点はどこにあるのか? 悪魔たちがニつの世界を出入りしている場所はどこなのか? そういったことを樹流徒は、今まで深く考えたことが無かった。悪魔倶楽部の鍵を使って両方の世界を往復出来たため、疑問に感じる機会と必要性が無かったのである。
メイジは頭をやや左に傾倒させ、両目は右側に寄せた。天井に貼りついて逆さまになっている机のひとつを見上げ、考え込むような仕草を見せる。そのあとすぐに瞳の焦点を樹流徒の顔まで移すと、口を開いた。
「扉の場所か? 市内のどこかにあるハズだ」
とだけ答える。
「市内のどこか、って……。どこなんだ?」
「さあな」
「教えたくないのか?」
「早とちりすンな。“市内のどこか”としか答えられねェんだよ」
メイジは首を真っ直ぐに戻す。三日月形の口が反対方向に折れて、退屈そうに歪んだ。そして樹流徒がまだ要領を得ずに黙っていると、渋々といった感じで詳細を語り始める。
「まず、扉の数は一つじゃねェ。三つだ。市内と魔界に三ヶ所ずつ存在している」
「入口が三つ……」
「そう。次に、それぞれの扉は位置が移動する。フルーレティによれば、魔界側の扉は位置が固定されてるが、現世側の扉は存在が不安定だから長時間一定の場所に留まれないらしい。ある程度時間が経つとランダムで位置が変わるンだとよ」
「つまり……扉は市内でワープを繰り返しているんだな?」
「ああ。だから“どこに扉がある?”と聞かれても、“市内のどこか”と答える以外無ェ」
「そういう意味だったのか」
「納得したか?」
「ああ……。でも、その話が本当なら、いつどこに扉が出現するか分からない。現世を訪れた悪魔たちは迷わず魔界に帰れるのか?」
「悪魔どもには扉の位置が分かるらしい」
「なぜ?」
「魔界は“魔力”というエネルギーに満ちている。市内にいる悪魔どもは、扉から漏れ出す魔界の空気に含まれている魔力を感知し、それを辿る事で、迷わず故郷へ帰れる……と、聞いた」
「一種の帰巣本能か」
「そんなトコだろうな。だから、悪魔の力を持つ樹流徒なら、もしかすると扉の位置が分かるンじゃねェかと思ってたんだが……。どうやら違うみてェだな」
「ああ」
樹流徒は、微かに前髪が揺れる程度に頷いた。
「余談だが、現世と魔界に接点が出来た影響により、特殊な方法で二つの世界を往復できるようになった悪魔も少数ながらいるらしい。ソイツらは扉を使わなくてもアッチとコッチを自由に出入り出来るってワケだ」
と、メイジ。
樹流徒にはとても心当たりのある話だった。
「さて……。扉に関する質問はもういいだろ? 本題に戻らせてもらうぜ」
ここで、メイジが、脇道に入り込んでしまった話の流れを修正する。
話の続きを語りたくてウズウズしていたのだろう。彼は、樹流徒の返事を聞くよりも早く喋り始める。
「魔界へ向かうコトになったオレは、フルーレティの案内で、市内某所の小山に連れて行かれた。なぜこんな場所に来るのか? 当時のオレには理由が分からなかった。フルーレティに尋ねても返事は無かった」
「……」
「オレたちは山の中に入った。木々の間をすり抜け、足場の悪い斜面を駆け上がり、あっという間に山腹に到達した。そしたらフルーレティが急に立ち止まって、すぐ近くを指差した。最初は何も見えなかったンだが、よくよく確認してみると、そこには今にも消えてしまいそうな半透明の巨大魔法陣が静止していた。大きさは直径五メートルくらいだったと思う」
「その魔法陣が、現世と魔界を繋ぐ扉だな?」
「そうだ。扉はタダでさえ姿が見え難いのに、霧の影響で余計見えづらくなっていた。数体の悪魔が出入りしてたから、位置だけはかろうじて分かったケドな」
「……」
「目の前にあるものが異界への入り口と分かって、オレはかなり興奮した。フルーレティを急かしながら魔法陣の中を通過すると、途端に周囲が真っ白になった。かと思えば、すぐに別の光景が現れたんだ。オレが初めて目にして魔界の姿だった」
「魔界の風景はどうだった? どんな場所だった?」
「薄気味悪さと美しさが同居した、悪魔の都市だった。空には黒い太陽が輝き、数千という数の化物が飛び交っていた。ルビーみてェに真っ赤な鉱石で造られた大きな建物が連なって、奇妙な形をしたモニュメントらしきモノも建っていた。一方、地表はアメジストみたいな紫色の鉱石に覆われてて、様々な幾何学模様が彫り込まれていた。その線に沿って謎の白光が走ってた。あの壮観、出来ればオマエにも見せてやりたかったな」
「そんな場所があるのか……。出来ればもう少し詳しく聞きたいな」
樹流徒はそう答えてから
「けど、今はそれ以上に知りたい事が沢山ある。僕から質問しておいて済まないが、話を先へ進めてくれ」
メイジは微かに目を細め、その要求に応じる。
「オレは、フルーレティの先導で妖美な都市の中を案内され、やがてある場所へと導かれた。そこでフルーレティの仲間たちと出会ったんだ。オマエもご存知の顔ぶれが揃ってたぜ」
「僕が知っている悪魔?」
「そう……。バフォメット、マルコシアス。それにフラウロス……」
メイジは口角を持ち上げ、再び顔に三日月を浮かべる。
逆に樹流徒は険しい表情になった。
「どいつもこいつも聞き覚えがある名前だろ? 知らねェハズねェよな。何せ、全員オマエに倒されたヤツらだ」
「じゃあ、今メイジが手を組んでいる悪魔の集団というのは……」
樹流徒はそこまで言って、唇を強く結んだ。
合わせるようにメイジがゆっくりと頷く。
樹流徒は少なからず動揺した。メイジは、現世で儀式を行っている悪魔たちの仲間だったのである。信じたくない話だった。
束の間の沈黙が流れる。その間、樹流徒の胸には沸沸と怒りがこみ上げた。無論、眼前の人物に対する怒りである。
気が付けばメイジに詰め寄っていた。両者の距離が互いの息が顔にかかりそうなくらいにまで近付く。
「その悪魔たちは現世で謎の儀式を繰り返している。儀式には市民の遺体が利用されている。分かっているのか?」
樹流徒は親友を問い詰める。責めに近い気持ちで追求した。
メイジに悪びれた様子は無い。
「ああ、知ってるよ。てかオレもヤツらを手伝ったからな」
「何?」
「オレも市民の遺体集めに協力した、って言ってンだよ」
メイジは片手を突き出して、樹流徒の胸を軽く突き飛ばした。
樹流徒は数歩後退する。両者の間合いが元に戻った。
「じゃあ……遺体を盗んだのはお前なのか?」
「いいや。遺体の運搬はオレの役目じゃない。オレは遺体が密集してる場所をフルーレティたちに教えてやっただけだ。普段から人通りが多い場所は幾らでも知っているからな」
「何のためにそんなことを?」
「決まってるだろ。作業効率のためだよ。より短時間でより多くの遺体を回収する必要があったんだ。なんせ儀式には多くの遺体が必要だからな。のんびり集めてたら他の悪魔に奪われる。天使の犬に嗅ぎ付けられる危険性も高まるだろ?」
「……」
「理由は他にもあるぜ。さっきも言った通り、現世と魔界を繋ぐ扉は時間が経つと位置が変わる。その前に作業を終えて遺体を魔界に運び込む必要があった。それに、作業を目撃されるのも避けたかった。どこから情報が漏れるか分かンねェしな」
「じゃあ、誰にも見付からずに全て遺体を運んだというのか?」
「残念ながらそんな都合良くはいかねェよ。偶然にも現場を目撃した悪魔はいた。だから、ヤツらに対しては口止めをしておいた。口止めが効かなそうなヤツには強制的に口を閉ざして貰うコトになったケドな」
「道理で……」
道理で、死体失踪現象に関する目撃証言が一向に得られないわけである。目撃者は全て口止め、もしくは口封じされていたのだ。
樹流徒は納得すると共に、とても寒々しい心持ちになった。
「メイジ。お前たちが何を企んでいるのかは知らない。聞いても教えてはくれないだろう」
「……」
「だけど、自分たちの目的を果たすために市民の遺体を利用することに抵抗は無いのか?」
「ああ。無ェよ」
メイジはこれまでになくハッキリとした口調で断言した。
「そりゃあ……生きてる人間を生贄に捧げようっていうなら、オレだって多少は躊躇したさ。だが、市民はもう死んでいる。ほっといても悪魔の餌や道具になるだけだ。だったら、オレたちが有効利用してやった方がマシってモンだろ」
「身勝手な理屈だとは思わないか?」
「何とでも言えよ。どうせ正しい理屈なんて誰にも分りはしねェのさ。それとも市民の遺書でも残ってるのか? “私の死体を儀式に利用しないで下さい”とでも書いてあンのか?」
「遺体の中にはお前の家族や学校の友達……他にも大切な人たちがいただろう」
「あ? 家族? 友達? 大切な人? ンなモン、もうどこにも無ェよ」
「無い?」
「実を言えば、家族の遺体だけはオレが回収した。だが、真っ先に使って貰ったよ。バフォメットが村雨病院で行った第一の儀式にな。オレの迷いを完全に断ち切るため、心の枷を断ち切るため、敢えてそうして貰った」
樹流徒は絶句した。目の前にいるのは誰だ? と思わざるを得なかった。
最早、別人。多少素行が悪かったとしても善悪の判別はついていたかつての親友。その面影は、もう殆ど残されていなかった。
メイジの、人としての心は既に死んでいるのかもしれない。NBW事件と、魔都生誕。彼の心は、二度に渡って殺されてしまったのかもしれない。
ふと、樹流徒の脳裏にそのような考えが過ぎった。
「メイジ……。もう一つだけ聞かせて欲しい」
「ん? 何だ?」
「お前が手を結んだ悪魔たちは、魔都生誕を起こした犯人の可能性が高い。お前は、それも知っているのか?」
以前、詩織が気付いたことだった。
人間を生贄に儀式を行う悪魔たち。彼らはまるで市民の遺体が手に入る事を予め知っていたかのよう。換言すれば、現世と魔界が繋がった衝撃で多くの人々が犠牲になる事を、前もって分かっていたかのようである。
そう考えると、現世で儀式を行っている悪魔たちは、魔都生誕を発生させた張本人である可能性が高い……という理屈だった。
果たして、メイジはその事に関しても把握しているのだろうか?
「どうなんだ?」
樹流徒は拳をきつく握り締める。
すると黒衣の青年はふんと鼻を鳴らして笑った。
次の瞬間……彼の口から飛び出した言葉が、樹流徒の脳天を激しく打ち据える。
「ああ、そうだ。オレの仲間たちが……」
――魔都生誕を引き起こした犯人だよ。
渇いた声が、静寂に響いた。余りにも淡々と告げられた、驚愕の事実。
樹流徒は両手の指先から力が抜けてゆくのを感じた。一方で、じわじわと瞳の中が燃えるように熱くなってゆく。
驚き。惨劇を引き起こした犯人への憎悪。両方の感情が膨れ上がりながら彼の心を駆け巡った。
「どうやら、相当驚いて貰えたようだな。話した甲斐があったってモンだ」
「……」
「どうする? 続きを聞くか? それともこれ以上は何も知りたくないか?」
メイジは肩を揺らし、彼独特の笑い方をする。
「最後まで聞くに決まっている。絶対に話して貰うからな」
樹流徒は眼光を鋭くさせる。メイジが立ち去る素振りを見せようものならば力尽くでも引き止なければいけないと、迷わず決意した。
「いい目だ。それでこそ相棒。それでこそ樹流徒」
メイジは至極満足そうな笑みを崩さない。その表情のまま頭をゆっくり揺らし、無秩序な軌道を描いた。
「それじゃあオマエの意気に免じてとっておきの情報を漏らしてやるよ」
「……」
「力を持った集団や組織の中には必ず顔役の存在があるよな? それは魔界でも例外じゃなかった。オレと手を組んだ悪魔たち中にも、ヤツらを束ねる存在がいた」
「誰だ? その悪魔は」
樹流徒の心臓が鼓動を速める。
魔都生誕を起こした悪魔たちを束ねる存在。その者こそが、諸悪の根源と考えるのが自然である。
今、樹流徒が探し求めていた真実の重要な欠片が明らかになろうとしていた。
メイジは勿体つけることも無く、その悪魔の名を口にする。
「“ベルゼブブ”」
「ベルゼブブ? そいつが魔都生誕を……?」
「そうだ。あの惨劇の首謀者であり、実行犯だ」
「……」
ベルゼブブ……ベルゼブブ!
樹流徒は敵の名を記憶に焼き付ける。激しい怒りと共に、脳細胞の隅々にまで刻み込む。
例え何があろうとも、その悪魔だけは忘れない。許すわけにはいかなかった。
――もっとも、首謀者が必ずしも元凶とは限らねェけどな。
メイジが薄く閉じた唇の隙間から囁くような声を漏らす。
その言葉はそよ風よりも小さな音で、樹流徒の耳には到底届かなかった。