メイジは語る(後編)
(静まり返った教室の中、メイジの話は続く)
初めて悪魔と遭遇したオレは、その場で棒立ちになった。
あの化物は一体何なんだ? どこから現れた?
驚きの余り、逃げ出すのもすっかり忘れていた。
化物の数は一体のみ。顔は竜で、体の形は人間に近いが全身を爬虫類のような鱗に覆われていた。背中から蝙蝠の羽を生やし、手には剣を持っていた。一見して地球上の生物とは考え難かった。人間でもないくせに武器を所持してるあたり特にな。
ソイツの名前がガーゴイルだと知ったのは、数日後の話だ。
ガーゴイルもオレの存在に気付いて驚いた様子だった。ヤツは、目と口を大きく開き、石像のように固まっていた。口の中には鋭い牙が並び、その隙間から滴り落ちる唾液には血が混じっていた。市民の遺体でも貪ってたのかも知れねェ。
オレたちは互いに相手の出方を窺っているようだった。
奇妙な睨み合いが少しのあいだ続いた。
その膠着状態を打ち破ったのはガーゴイルの方だった。ヤツは、オレを獲物と見なしたらしい。問答無用で襲い掛かってきた。
オレは咄嗟に能力を使って応戦した。というか、今更逃げる暇なんて無かった。
オマエ(樹流徒)にだけは教えてやるが、あの時はかなり怖かったぜ。腕や膝が盛大に震えやがった。
あ。言っとくが、このコトは誰にも言うんじゃねェぞ。分かったな。
もっとも、恐怖はすぐに悦びへと変わった。何しろワケのわかんねェ化物との戦闘だからな。まるでゲームの世界だった。でも、ゲームと違ってセーブもリセットも無ェ。自分の攻撃が敵に当たる感触、刃物が風を切る音、血の臭い、全てが本物だった。最高だった。
オレはいつの間にか笑いながら戦ってたンじゃないだろうか。運命の恋人と巡り合ったかのような、本当に嬉しそうな顔をしてた気がする。戦闘中はずっと興奮してたから、うろ覚えだけどな。
ただ、変身能力を使用したオレにとって、ガーゴイル単体は物足りない相手だった。戦う前にビビってた分際で言うのも何だが、苦戦する要素は一つもなかった。
戦闘はあっという間に終了した。
力尽きた化物は、赤黒い光の粒となって宙に舞い、やがて消えていった。
たしか魔魂って呼ばれてるんだろ? あんな美しい光は、今までに見たコトが無かった。
初めての実戦を終え、オレの全身は喜びに打ち震えた。ハッキリ言って、化物の正体なんぞもうどうでも良くなっていた。
そんなコトより、他に敵ははいないのか? もし、別の化物がまだ近くにいるのだとしたら……。もし、市内が戦場と化そうとしているのであれば、こんなに嬉しいコトはなかった。
それはまさしくオレが望んでいた世界。オレの能力を存分に発揮できる世界だからな。想像しただけで、体中にやる気が漲ってきた。
オレは、オマエの元へ向かうのを止めた。代わりに新たな化物の姿を探し求めて、その辺を走り回った。
今にして思えば、先ずは樹流徒が化物の餌食になってないか確認しに行くべきだった。しかし、当時のオレはそこまで考えが及ばなかった。化物と戦いたいという欲望で頭がいっぱいだった。他のコトは一切考えられなかった。
ま、結果的には今もこうしてお互いお生き残ってるワケだし……別に良いだろ?
さて。オレの期待通り、化物は他にもいた。ヤツらは次から次へと現世に湧き出てきやがった。しかも、敵はガーゴイルだけじゃねェ。化物たちの姿や大きさは多彩で、能力や戦術も個性に富んでいた。魔空間を構築する能力に至っては現世の常識を甚だ無視していた。
倒しても倒しても新種の敵がオレの前に現れる。こんなに良い獲物は無かった。お陰で退屈など微塵も感じなかった。オレは、水を得た魚の如く街の中を駆け、化物狩りに没頭した。
化物たちの中には、人間と酷似した姿を持つ奴らがいた。他にも言葉を解する連中がいて、ソイツらは自分たちを“悪魔”だと名乗っていた。
オレは、化物の正体が悪魔であるコトを知り、他にも色々な情報を得た。
ただ、オレにとっては殆どの情報が無価値に近かった。何故ならば、オレは戦いが楽しければそれだけで良かったから。少しでも歯ごたえがあって長く楽しませてくれる相手と戦えれば十分だった。天使の犬だとか、魔法陣だとか、結界だとか、何を聞いてもそのときは全然興味が沸かなかった。
重ねて言うが、悪魔は本当に理想的な獲物だった。何度戦ってもオレを飽きさせなかった。寧ろ、戦えば戦うほど、オレの心は愉悦に満たされていった。
気が付けば、一体どれだけの時間が経ったのか分からなくなっていた。
倒した悪魔の数も凡そすら見当がつかなくなってきた。
オレは必然的に市の中心部に向かっていた。視界が良い場所の方が獲物を発見し易いからな。霧を発生させている結界から離れる方角へと移動していたワケだ。
すると、とある狭い住宅街の入口に差し掛かろうとしていたときだった。
オレの前に一体の悪魔が現れた。初めて見るタイプの悪魔だった。
新しい敵との出会い。当然、胸が躍った。
ソイツは、ほぼ人間の姿をしていた。中性的な顔立ちをした男で、長く尖った耳と燃えるように真っ赤な瞳を持っていた。全身の肌はうっすらと青い。それらを除けば人間と区別がつかない。黒い衣を纏い、言葉を解する悪魔だった。
ヤツは、不敵な面構えをぶら下げ、オレの前に立ちはだかった。すぐさま攻撃を仕掛けてくるかと思いきや、ご丁寧にも自己紹介をしてきた。
“フルーレティ”。それがヤツの名前だった。
そして……この悪魔との出会いが、オレにとって次の転機となったんだ。
フルーレティは現世にやって来るなり、他の悪魔から報告を受けてオレの存在を知ったらしい。「狂ったように悪魔を襲撃しているニンゲンがいる」ってな。ヤツは、オレのコトを天使の犬と勘違いして、襲い掛かってきた。
だが、オレは内心余裕だった。それまで悪魔に対して連戦連勝していたから、全く負ける気がしなかった。今回も軽く遊んでやろうと、高をくくっていた。
ところが、フルーレティはこれまでにオレが遭遇した他の悪魔たちとは桁違いの強さを持っていた。生身の拳でコンクリートを砕き、高速で空を飛び回り、更には雹の雨を降らせた。
ヤツは、オレよりも強かった。単純な戦力差はそれほど無かったが、能力の相性においてフルーレティは完全な優位に立っていた。ヤツは飛行と遠距離攻撃の能力を備えている。オレの触手が届かない位置から攻撃を仕掛けるコトが出来た。こちらが防戦一方になるのは当然だった。
今回の敵はヤバい。逃げられそうにも無いし、かといって反撃の手立ても思い浮かばない。敗北、ひいては死を覚悟した。実際、互いの戦力に変化が無いまま戦い続けていたら、オレは死んでいただろう。
だが、交戦開始からしばらくすると、突如、状況が一変した。オレとフルーレティ、両者にとって思わぬ形で、戦況が傾くコトになったんだ。
何が起こったと思う?
オレの、新しい能力が開花したんだ。実はそれまでオレが可能だった変身は一種類のみだった。しかしフルーレティ相手に苦戦を強いられる中、オレは新たな形態に変身する能力を手に入れた。
それが可能となった原因は、今もハッキリしてない。フルーレティに追い詰められたコトにより潜在的な能力が目覚めた、としか考えられない。
人間、追い詰められると脳のリミッターが外れて火事場の馬鹿力を発揮する……って話あるだろ? アレと同じかも知れないな。リミッター説がどこまで信じられる話なのかは置いとくとして。
ともあれ、戦いの最中新しい能力を得たオレは、引き続き敵から逃げ回りながらも、新能力の特徴を確認し、確実に掴んでいった。そして、いよいよ反撃に転じた。
フルーレティが一方的に攻める展開は、徐々に様相を変え、やがては全くの五分になった。能力の優劣が解消され、オレとフルーレティの実力は、見事に拮抗していた。
あのときの戦いで感じた興奮は、生涯忘れない。決して大袈裟に言ってるワケじゃねェぞ。次の行動を誤った瞬間に死が待っている。僅かにも気の抜けない命の奪い合い。次の一手の読み合い。ぞくぞくした。今思い出しただけでも血が熱くなる。
戦いは数時間に渡って続いたハズだが、オレの心理的時間は余りにも短かった。
あ、心理的時間ってのはだな……
(ここで樹流徒が先を急かす。それにより、横道へ逸れかけた話の流れは本筋に戻った)
まあ、そんなワケで……激しい戦いの末、オレとフルーレティの勝負は決着がつかなかった。本当に互角だったからな。
そうだ、樹流徒。オレがサムライ野郎との戦いで再生能力を使ったのは覚えてるだろ? 体の傷が勝手に癒える便利な能力だ。あの力が、オレとフルーレティの戦いを長引かせた原因だった。というか、再生能力が無かったら、オレは今頃ココにいなかっただろうな。
戦いを終えた後、フルーレティはオレに語り掛けてきた。
「面白い。戦いと破壊を好むニンゲンよ。どうやら貴様は天使の犬ではないようだ」と。
多分、そんな風に言ってたと思う。
オレは「だからどうした?」と、多少苛立って言葉を返した。
折角、楽しい戦いの後だってのに、退屈な話なンか聞きたくなかったからな。興醒めするだろ? どうせだったら再戦の約束でもしたかった。
するとフルーレティは初めて笑顔を見せ、こう言った。
「貴様、我々と共に来る気はないか? このまま現世で悪魔を狩り続けているよりも楽しい遊びを与えてやるぞ」と。
突然の誘いだった。オレとフルーレティは種族が違うし、出会ったばかりだ。オマケに命の奪い合いをした直後だったから、余計に唐突で意外だった。
しかし同時に激しく興味をそそられた。ヤツの誘いは、悪魔の命をいくつ奪っても渇きが潤せないオレの心に浸透した。
とはいえ……“楽しい遊び”と言われても、具体的に何をするのか分からない。
オレは相手に尋ねた。「一体、どんな遊びを与えてくるれンだ?」と。
フルーレティは答えなかった。今だからこそ分かるが、簡単に口外できるような話じゃなかったんだ。
代わりに、ヤツはオレを魔界へ来るように誘った。オレをフルーレティの仲間たちに引き合わせるためだ。
躊躇う必要など無かった。万が一、悪魔がオレを騙そうとしてるのなら、敢えてそれに飛び込んでみるのも一興ってモンだ。
そう考えたオレは、フルーレティの誘いに乗って魔界へ向かった。