表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
111/359

無敵



 四肢ならぬ六肢がしなやかに曲がる。カーリーは足裏で床(本来は天井だが)を蹴ると、獲物との間合いを一気に詰めた。

 立ち上がりの慎重な動き、そして先制打を巡る駆け引きがまるで嘘のようだった。カーリーは倒れた樹流徒に対して積極的な追い討ちを仕掛ける。凶刃を振り下ろす動作にも躊躇(ためら)いが無かった。


 樹流徒は横転して斬撃をやり過ごす。床に叩きつけられた曲刀が火花を散らすのを目の当たりにして、肝を冷やした。

 しかし戦慄している暇はない。早く次の行動を取らなければ命を落としかねない。一瞬の迷いや判断の遅れが致命的な事態を招いてしまう。

 それを重々承知している樹流徒は、恐怖に縮こまりそうな体に思い切り力を入れて膝を起こした。


 そうはさせまいとしたのだろう。再びカーリーの跳び蹴りが襲う。鋼の如き硬い足が樹流徒の肩を強か打った。本当の狙いは顔面だったようだが、樹流徒が即座に肩を盾にして防御したため攻撃が逸れた格好となった。


 とはいえ、樹流徒は受けるダメージを軽減したというだけで、有利になったわけではない。カーリーが繰り出した攻撃の衝撃は凄まじく、樹流徒は姿勢を維持できずに床の上を転がった。蛍光灯の上を乗り越えたところで停止する。

 舌先にじわりと鉄の味が広がった。ガード越しに受けた衝撃が頬にまで伝わって、口内を切ってしまったようだ。血はいつも不安な味をしている。何度噛み締めても慣れるものではなかった。


 何とか体勢を立て直したい樹流徒は、床に這いつくばったまま握り拳を振り上げる。それをすぐそばにある蛍光灯のガラス管に叩きつけた。

 蛍光灯が耳障りな音を立てながら割れる。砕け散ったガラス片は樹流徒の手元を離れて廊下に向かって一斉に舞い上がった。魔空間の影響によって樹流徒や悪魔は重力に逆らっているが、それ以外の物体はすべて自然の法則に従って動くらしい。

 樹流徒は急いで腕を伸ばして、舞い上がるガラス片の一枚を掴んだ。それをカーリーに向かって投げつけ、敵が怯んだ隙に起き上がろうとする。そのために蛍光灯を叩き割ったのだ。


 するとどうしたことか。樹流徒がガラス片を投げつけるよりも前から、すでにカーリーは怯んでいた。充血した目を幾分丸くして、びっくりしたような顔をしている。

 もしかするとカーリーは未知の恐怖に怯えたのかもしれない。樹流徒がガラス管を叩き割った理由や、それによって何が起こるのか、そもそもガラス管がどういう物なのか、魔界の住人であるカーリーには分からなかった。それ故に彼女は、樹流徒が突然取った行動が理解できず、驚いたのだろう。例えば原始時代で車を乗り回せば、当時の人間たちはきっと恐怖し慌てふためくはずである。要はそれと同じことが起こったのだ。


 期せずしてカーリーの時間を止めた樹流徒は、本来の狙いを実行する。手に掴んだガラス片を敵の顔に投げつけた。

 その行動にも驚いたのか、カーリーは大袈裟に身構える。刀を持っていない三本の手を全て顔の前に集めガラス片を受け止めた。


 敵の隙を作った樹流徒は急いで跳ね起きる。ついでに魔法陣を展開した。敵が防御の構えを解くのと同時に、六芒星の中央から火炎砲を射出する。

 この能力は速度に欠点を抱えているが、壁や地面にぶつかるとある程度広範囲に火種が飛び散るため、直撃は逃しても二次的なダメージが期待できるという利点がある。狭い場所では非常に命中させ易い攻撃だった。


 そこまで考えての一撃だったが、樹流徒の期待は良い意味で裏切られる。火炎砲がカーリーを直撃したのである。

 派手な爆発と爆風が巻き起こった。カーリーの長い黒髪が逆立つ。彼女の足下にこぼれ落ちたガラス片が吹き飛び、微量の埃が両者の頭上を舞った。


 火炎砲は、見た目通りの高威力を誇る。炎を浴びせると言うよりは、爆弾をぶつけるのに近い能力だ。市内をうろつく悪魔に使用すれば、大半の者はひとたまりも無いだろう。


 にもかかわらず、攻撃を命中させた樹流徒の顔に喜びは無かった。俊敏性に優れたカーリーが火炎砲の直撃を受けるとは考えにくいからだ。

 カーリーは敢えて攻撃をかわさなかったに違いない。火炎砲は直撃すべくして直撃したのだ。そんな不穏な憶測が樹流徒の頭に浮かんだ。

 

 数秒後にはその予感が現実のものとなる。

 火花と呼ぶには些か大きな炎の塊が、四方に飛び散る。その中心で、カーリーは平然と立っていた。彼女の身体は地獄の炎も受け付けないようだ。漆黒の皮膚は焼け(ただ)れるどころか、軽い火傷すら負っていない。


 炎の爆発により赤く激しく明滅した戦場が、元の薄闇を取り戻す。

 両者は戦闘開始時よりも少し距離が開いた位置で対峙した。


 仕切り直しの形となったが、睨み合いは長く続かない。樹流徒は自ら攻撃を仕掛けようと決めていた。最初の攻防で受身に回って失敗したことを反省していた。

 彼は開いた掌の先に光の線を走らせ、図形を描く。完成した魔法陣から青い電撃を放った。


 火炎砲を真正面から受けたカーリーだったが、今度は回避行動を見せる。素早いステップで横に飛んだ。

 とはいえ、如何に機敏な動きの持ち主でも雷よりも速く動くのは流石に不可能である。

 樹流徒の攻撃が標的に届いた。雷光がカーリーの体中を駆け巡る。

 悪魔は全身を痙攣させる。腕や両手の指先は何事もなさそうにゆっくり動いているが、膝が完全に笑っている。よく見れば口元も震えていた。


 敵は何とか立っている状態だ。今ならば反撃は受けない。

 そう判断した樹流徒は、すかさずカーリーの正面に飛び込む。足を踏ん張り、腰に力を入れ、右腕を全力で横になぎ払った。長い爪が悪魔の首に食い込む。指に強烈な手応えが伝わった。


 樹流徒はぎくりとする。手応えが余りにも強すぎる。いとも容易く相手の首を刎ねるつもりだったのに、何故これほど強力な抵抗を感じるのか。


 見れば、抜群の切れ味を持つフラウロスの爪は、カーリーの首にミリ単位の小さな傷跡を残して、停止していた。


 半ば勝利を確信していた樹流徒は唖然とする。渾身の力を込めた一閃は、敵にかすり傷を負わせただけだったのだ。少なからずショックだった。


 それが彼の心に隙を生む。樹流徒は、敵の痙攣が収まっていることに気付いていなかった。カーリーは早くも電撃の効果から脱していたのである。


 しまったと思う間もなく、樹流徒は三本の手に捕らえられる。両腕と髪の毛を乱暴につかまれ、拘束された。

 カーリーの凄まじい握力が、樹流徒の腕を締め付ける。骨が悲鳴を上げた。


 樹流徒は敵を蹴りつける。腰の回転や体重による力が加算されていない軽いキックが、虚しく繰り出された。

 それが無意味と知るや、今度は背中から羽を出して思い切り暴れさせる。

 しかし悪魔の手からは逃れられなかった。カーリーは微動だにせず、両者の位置は全く変わっていない。


 三本の腕で樹流徒をがっちり捕えたカーリーは、残り一本の手に握られた曲刀を構える。

 銀の刃が冷たい輝きを放った。獲物の脇腹めがけて宙を滑る。樹流徒に回避する術は無かった。


 それでも凶刃は彼の元まで届かない。樹流徒は魔法壁を張って何とかことなきを得ていた。しかも彼にとっては有り難いことに、咄嗟に発動した防御能力は、カーリーの攻撃だけではなく、彼女の体をも一緒に弾き飛ばしていた。


 衝撃でカーリーは後ろに倒れかける。数歩後退しながら、体勢を崩すまいと堪えた。

 その隙を樹流徒は見逃さない。敵に駆け寄り、口から白い煙を勢い良く吐いた。虹色の巨大孔雀アンドロアルフュスから得た石化の息だ。


 多量の白煙がカーリーの顔から腰までを包み込んだ。更に全身を覆い尽くすまで、あっという間だった。


 この攻撃は、樹流徒にとって最後の希望だった。カーリーには空気弾、火炎砲、電撃、そして爪など、ありとあらゆる攻撃が殆ど通用しなかった。石化攻撃が効かなければ、彼女を倒せる能力は無い。毒霧や、つい先ほど倒したエウリノームの麻痺毒という手段は残っているが、それら単発で相手に致命傷を与えられるとは考えられなかった。


 白煙が周囲に広がり、徐々に薄くなってゆく。

 樹流徒は息を呑んだ。敵が石像に変化している事を祈る。


 すると……。

 ぱらぱらと、細かな屑が床に散らばり始める。砂の粒だった。

 続いて、親指ほどの小さな石の欠片が一つ、カーリーの足下に転がる。それを皮切りに次から次へと石の塊が樹流徒の眼下にこぼれ落ちた。


 石化攻撃が通じた。

 樹流徒は勝利を確信して、拳を握り締める。途端、肩から力が抜けた。

 

 “怛刹那(たんせつな)”という言葉がある。

 これは時間の長さを表す単位で、秒数に直すと一.六秒だという。仏教における時間の最小単位・刹那の百二十倍の長さなのだそうだ。


 樹流徒の背筋が急速に凍りついたのは、彼が安堵してから正に怛刹那の後だった。

 石になったと思われた敵が動き出したのである。白煙の中から、カーリーが歩み出る。裸足がぺたりと静かな足音を鳴らして、樹流徒を一層恐怖させた。


 そんな馬鹿な、と口から出そうな気分だった。

 床に転がったあの石の塊は一体何だったのか? 樹流徒の見間違いという事はありえない。現に、今も彼の視界には沢山の石ころが散乱している。


 樹流徒は後ろに下がりながら、敵の姿をしっかりと確認する。そして、全ての答えを知って絶望した。良く見れば、砂粒や石となったのは、カーリーが所持していた武器と、服の一部のみだった。カーリー本体は全くの無事。髪の毛一本石化していない。


 カーリーは腕を高々と振り上げる。その手には、石器と化した刀がボロボロの状態で握り締められていた。刀身の半分以上は既に石ころとなって床に散らばっている。もう武器としては機能しないだろう。彼女はそれを床に叩き付けた。石器の刀は粉々に砕け散り、単なる石の塊となる。


 樹流徒は後退(あとずさ)る。逃走の二文字が頭に浮かんだ。攻撃が効かない相手とこれ以上争っても、その先に待っているのは確実な死である。

 ここは一旦引いて、対策を練る時間を稼ぐ必要があった。あわよくば逃げ切って戦闘終了にしたい。言うなれば戦略的撤退である。


 迷っている時間は無い。樹流徒は踵を返して走り出した。戦闘中の敵に迷わず背を向けたのは、今回が初めてかも知れない。

 それをカーリーが黙過するはずがなかった。彼女はただでさえ恐ろしい形相をますます醜悪に歪め、樹流徒を追う。


 人間と悪魔の追いかけっこが始まった。樹流徒は以前にも別の悪魔と鬼ごっこをした経験があるが、その時は相手を追いかける側だった。今度は逆の立場である


 ――無様だな相棒。言っとくが、そいつを倒すまでゲームは終わらねェぞ。

 メイジの声がする。彼が樹流徒を助けてくれそうな気配は無かった。


 樹流徒は死に物狂いで逃げる。しかしカーリーの方がわずかに速い。両者の距離は微妙に縮まっていた。


 このままでは追いつかれる、と樹流徒はすぐに悟った。

 ならば別の方法で逃げるしかない。彼は廊下の窓を開く。迷わず外に飛び出して学校の外へ避難する。


 追ってきたカーリーは窓際で立ち止まった。狂気を帯びた憎憎しげな双眸が樹流徒を見上げる。だが、彼を追いかけようとはしない。恐らく学校の外に出られないのだろう。


 そんなカーリーの様子を見て、樹流徒は一筋の光明が見えた。

 こちらの攻撃に対して無敵のカーリーに正攻法で挑んでも勝てない。だが、逆転の手は残されている。

 樹流徒はそれに全てを賭けようと決めた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ