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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
110/359

漆黒の地母神



 断末魔の叫びは無かった。エウリノームの頭部は、天井の上を跳ねて転がり、回転の勢いを失いかけたところで壁にぶつかって止まる。程なくして血色(ちいろ)の光を放ちながら肉体の崩壊を始めるまで無言を貫いた。

 代わりに、頭部とは別の位置に落下した胴体が蛍光灯を押し潰して派手な音を鳴らす。砕けたガラス管の破片が狭い範囲に飛び散った。


 一方、足から綺麗に着地を決めた樹流徒はすぐに駆け出す。敵が倒れたとはいえ、未だ室内には麻痺毒が漂っている。急いで脱出した方が賢明だった。魔魂を吸収しながら教室を横切る。出入口を塞ぐ闇を突き抜けた。


 廊下に出ると、樹流徒の指先や頬に微弱な痺れが走った。しかし気にするほどのものではないと考えて、彼は背後を振り返る。

 教室内から毒が漏れ出していた。少量だが色の濃い白煙が宙を伝い、尚も獲物に襲い掛かろうとしている。まるで、倒された悪魔の怨霊が煙に乗り移って、自身の仇を討とうとしているかのようだった。


 樹流徒は、換気をするために、廊下の窓を一枚だけ開く。続いて、すみやかにその場から離脱した。


 彼は、特に慌てる事も無く、一年三組の隣にあるニ組の教室前まで逃れる。ここまで来れば大丈夫に違いない、と判断して足を止めた。その頃には体の痺れがすっかり取れていた。


 樹流徒は、再び後方の状況を確認する。窓から入り込む外気が、白煙の足下を揺らしていた。怨霊はその内に消えて無くなるだろう。


 ――よう。良く生き延びたな。

 すると、樹流徒が一息つく間もなく、メイジの声がする。


 ――正直、エウリノームがあそこまでアッサリやられるとは思ってなかったぜ。報告通り、オマエは悪魔との戦いに慣れてるみたいだな。

 メイジは意外を口にしながらも、気だるそうな語調のせいでまったく驚いているように聞こえなかった。

 しかし、そんなことよりも……


 報告通り?

 樹流徒は、今メイジの口から出た言葉を聞き逃さなかった。“報告”とは、一体何の話なのか。非常に引っかかる物言いだった。ただ、それを尋ねたところで、メイジの口から解答は得られないだろう。


 ――さあ。ゲームは続行中だ。早く次行こうぜ、次。

 見物人が急かす。


 言われるまでも無かった。樹流徒は、一刻も早くメイジの居場所を見つけるために黙考する。果たして彼はどこにいるのか、予想し直さねばならない。


 ヒントは“樹流徒とメイジに関係がある場所”。

 となると、次に怪しい場所は“2年×組”だった。そのクラスは、魔都生誕さえ起きなければ、今も樹流徒が所属していたはずの学級である。二〇一二年の四月以降、メイジはほぼ毎日欠かさずに同クラスを訪れては、樹流徒と会って他愛も無い話をしていた。


 僕のクラスだ。行ってみよう。

 そう考えた樹流徒は、すぐに移動を始めた。二年生の教室は全てニ階に並んでいる。いま樹流徒がいる場所はこの空間における最上階。下へ移動する必要がある。


 彼は、駆け足で先を急いだ。間もなく、廊下の突き当りに到着する。

 足下には二階へ続く穴が開き、頭上からは階段が下っていた。樹流徒は羽を広げ、階段を避けながら下降する。二階の天井に着地した。


 依然、辺りには物音ひとつ聞こえない。樹流徒の研ぎ澄まされた五感と第六感を以ってしても、敵の位置や数は分からなかった。(おおよ)その見当すらつかないのは異常で、魔空間の闇が、教室内に潜む悪魔の気配を遮断しているのかも知れなかった。


 特に危険と遭遇することもなく、樹流徒は二年×組の教室前にやって来た。この部屋も、闇の壁によって室内の様子が覆い隠されており、直接中に入ってみなければ何が待っているか分からない。

 扉の先にメイジがいることを期待して、樹流徒ドアをスライドさせた。闇の向こう側へ踏み込む。


 途端に戦闘が始まった。ここにも樹流徒の探し人はおらず、変わりに異形の生物たちが待ち受けていた。竜人の姿をした悪魔ガーゴイルが三体、窓際で固まっている。


 彼らの内ニ体が、動作を合わせてサーベルを投擲(とうてき)した。樹流徒が敵を視認した直後の攻撃だった。明らかな不意打ちである。

 それでも樹流徒は超人的な反応で回避行動を取った。体を横にずらして咄嗟に逃れる。僅差で標的を逃したニ本のサーベルは、闇の壁を通り抜けて廊下に飛び出していった。


 ガーゴイルたちの奇襲は失敗に終わった。それは、彼らが勝利する唯一の手段を失った瞬間でもあった。

 攻撃をかわした樹流徒は敵との距離を詰めて空気弾を放つ。サーベルを所持しているガーゴイルの胸に穴を開けて一発で仕留めた。


 残りニ体の悪魔は、最初に武器を投げてしまったため、素手である。

 樹流徒は、彼らの懐に素早く潜り込んで、一体ずつ確実に仕留めていった。

 ガーゴイルたちは、大小長短異なる悲鳴を口々に発して事切れる。


「この教室でもないのか」

 戦闘を終えて、樹流徒は少し困った。彼には、他にメイジが待っていそうな場所に心当たりが無いからだ。メイジのクラス……という可能性は極めて薄い。樹流徒がその教室に足を踏み入れたことは数える程度しか無かった。二人に関係がある場所、とは呼べない気がする。


 ――あーあ。まったくしょーがねェな。こうなったらとっておきのヒントをやるよ。

 休日の昼下がりを思わせる倦怠感に満ちた声がする。


 ――校舎の中にある“はじまりの場所”に来い。これが最後のヒントだ。


「はじまりの場所?」


 ――もし、これでオレの居場所が分からねェようなら、諦めて一部屋ずつ探すんだな。ただし退屈になったらオレは帰らせて貰うかも知れないぜ? 余りモタモタするなよ。

 ゲームの主催者はそう言ってから、クククと、彼独特の笑い声を響かせる。


 焦りを誘うメイジの言葉を受けて、樹流徒は努めて冷静になろうとした。焦れば解ける問題も解けなくなってしまう。心を乱されてはいけない。メイジに惑わされてはいけない。樹流徒は、そう自らに言い聞かせた。


 メイジから与えられた最後のヒント――はじまりの場所とは、一体どこを指しているんだ?

 樹流徒は思索する。


 “はじまり”と言うくらいだから、校舎の入り口、つまり玄関を意味しているのだろうか。しかし、そこは既に通過しているので、違う。


 では、学生生活のはじまりとも言える入学式が行われた場所……とは考えられないだろうか。

 式が行われた場所は体育館。だが、それでは校舎の外になってしまうから、これも違う。


 校舎の中にある、はじまりの場所……。

 考えても分からなかった。樹流徒は、少しだけ眉根を寄せて、なんとはなしに床を見上げる。

 生徒たちの机や椅子が、視界を埋め尽くした。その中にはつい最近まで樹流徒が使っていた席もある。

 それらを眺めていたところで、何かが分かるわけでもない。どこかにメイジの居場所が書き記してあるわけでもない。樹流徒自身、別に、視覚から得られる情報に答えを求めようとは考えていなかった。


 ところが、突然だった。樹流徒は閃く。図らずも視線の先に答えがあった。彼の瞳は、窓際に置かれた一脚の机に釘付けとなる。


 その机自体にはなんら変わった点は無い。全校生徒が使用しているものと同じ、ただの机である。重要なのは、それが誰の席(・・・)なのか、だった。


 伊佐木詩織である。樹流徒のクラスメートである彼女の机もまたこの教室にあった。


 そういえば、魔都生誕が起きたあの日、詩織は、樹流徒とメイジの両者と会っていた。そして、彼女から世界滅亡の予言を聞いたのが、全ての“はじまり”だった。


 樹流徒が呼び出された場所は“図書室”。メイジも同じ場所に呼び出されたとは限らないが、可能性は十分にある。


 はじまりの場所は、図書室。そうとしか考えられない。

 樹流徒は己の直感を信じて、教室から飛び出した。


 その部屋は三階にある。彼は天井を駆け抜け、廊下の突き当たりに出くわすと、そこから下の階に飛び降りた。


 三階にも悪魔の姿は無い。樹流徒は早くも上下が反転した世界に慣れつつあった。移動も楽になり、これまで以上に難なく目的の場所へ到着する。

 今度こそ、扉の向こうにメイジがいると信じて踏み込んだ。


 黒い壁を通り抜けてすぐ、樹流徒は軽く落胆した。探し人の姿はまたも見当たらない。それどころか、悪魔の姿すら無く、図書室の中は完全に無人だった。


 もしかすると、メイジが本棚にしがみついて隠れているかも知れない。

 幾らなんでもそれは有り得ないだろう、と自身の考えを否定しつつ、樹流徒は念のために確認をする。室内を移動し、床で宙吊りになっている本棚を仰ぎ見た。


 すると妙なものを発見する。室内の一番奥にある長机に、あからさまな違和感が残されていた。


 そこには、黒いマジックで文字が残されている。樹流徒は目を凝らした。

『遅えよキルト。暇だからオレは別の部屋に移動させてもらう』

 ミミズがのたくったような、かろうじて解読可能な文字で、机にそう書かれている。

 誰がこの文字を書き残したのか、考えるまでも無かった。樹流徒が訪れる少し前まで、メイジはこの部屋にいたのだろう。


「メイジ。いつまでこのゲームに付き合えばいい?」

 若干の呆れと怒りを込めた瞳で、樹流徒は床を見上げる。


 ――分かった。分かった。オマエのクラスに戻って来い。今度はちゃんと待っててやるよ。

 メイジは悪びれる様子も無く、寧ろどこか白けた声を出す。


 樹流徒は踵を返して、さっさと歩き出した。面白くもない余興に振り回されてしまったが、これでようやくメイジと会える。そう考えると、嬉しい反面、メイジの口からどのような話が飛び出すのか、若干の恐ろしさと好奇心もあって、複雑な心境になった。


 が、廊下に出たと同時に、樹流徒の全身が強張った。

 眼前に一体の悪魔が立ち塞がっていたからである。


 いつからそこにいたのか、その悪魔は基本的に人間の女の姿をしていた。しかし腕が四本あり、内一本には長い曲刀を持っている。肌は黒く、薄く開いた口から舌をダラリと垂らしている。そして、虎柄の衣装を全身に纏っていた。


 ――その悪魔は黒き地母神“カーリー”。オマエの最後の遊び相手だ。言っとくが、今までの悪魔とは一味違うからな。

 と、メイジ。

 彼の言葉は、単なる脅しではなさそうだった。樹流徒の肌が、本能が、目の前に立つ悪魔を「強敵だ」と告げている。


 樹流徒は表情に緊張感を浮かべ、指先からフラウロスの長い爪を伸ばした。

 同時、カーリーと呼ばれた悪魔が、一歩前へにじり寄る。


 樹流徒は多少の戦い難さを感じた。彼が今まで戦ってきた悪魔は、飢えた野生の獣みたく、積極的に飛び掛ってくる者が大多数だった。

 その点、このカーリーという悪魔は明らかにいままでの敵と違う。無闇に飛びかかってきたりせず、じりじりとわずかずつ樹流徒との間合いを詰めてくる。


 このような場合、樹流徒にとって役に立つのは、牽制の飛び道具だった。

 ただ、攻撃を回避されれば手痛い反撃を受ける。それは今までの戦いで何度か経験していた。

 互いの距離は既に五メートルあるか無いか。これだけ接近していると、余計に迂闊な行動は取れない。


 ならばここはいったん後ろへ下がって距離を取るべきか?

 樹流徒に迷いが生じる。


 だが、後方へ逃れたとして、果たしてカーリーはその弱気を見逃してくれるだろうか。好機と見て積極的に攻撃してくるのでは? その場合、きっと受け手に回った方が劣勢に立たされる。簡単に下がるのも危険だ。

 そう樹流徒は判断した。全てに理屈は無い。今までの戦闘経験から何となくそう思えたのだ。


 結果、こう着状態に陥った。両者とも初手を繰り出そうとしない。

 いつの間にか足を止めていたカーリーは、目を充血させ、開きっぱなしの口で深く長い吐息を繰り返しており、その異様な迫力が、樹流徒の集中力を微妙に狂わせ始める。


 と、次の刹那、事態が動く。

 出し抜けに、悪魔がつま先で片足立ちをする。かと思えば直後前方へ跳ねた。曲刀を目一杯遠くへ突き出して突っ込む。


 樹流徒は素早く対応した。眼前に迫る刀身を、爪と爪の間に引っ掛けて、受け流す。

 カ-リーは腕を引いた。そしてすぐに第ニ撃目の動作に入る。下がったばかりの腕が伸びようとしている。

 樹流徒は反射的に後ろへ下がって距離を取った。


 するとカーリーは次の攻撃を放たない。再び刀を突き出そうとする動きは囮だったらしい。彼女は再び片足で跳躍すると、鉄砲玉のように飛び出した。先程よりも更に速く長い跳躍を見せる。


 カーリーのとび蹴りが、樹流徒の鳩尾(みぞおち)を捉えた。こちらが本命の一撃だったのだ。


 樹流徒は腹部に鈍い痛みを感じながらも反撃に転じる。敵の足裏を腹に受けた瞬間、空気弾を放っていた。

 ほぼ無色透明の弾丸が、カーリーの顔面を直撃する。見事に顔の中心を捉えた。


 ところが樹流徒の苦痛に歪んだ表情が、驚きに変わる。

 カーリーが持つ漆黒の肌は、かすり傷ひとつ負っていなかった。彼女は、わずかに表情を変える程度の衝撃しか受けていなかったのである。


 相打ちだが、実質的には樹流徒が先制攻撃を喰らった形だ。カーリーの蹴りを受けた彼は腹をおさえたまま天井の上を転がった。




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