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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
106/359

顔合わせ(前編)



 緋色の飛沫(しぶき)が宙を舞い、殺風景な世界に彩りを添える。耳を(つんざく)く断末魔の雄叫びは、大の大人ですら戦慄させるのに十分な迫力を持っていた。


 現世に帰還して早々の戦闘だった。樹流徒と詩織がアンティーク家具店の中から外に出た途端、道路を挟んで斜向かいに建つ古書店の陰から、大きな生物が飛び出してきたのである。

 その生物は、人と似て非なる姿を持ち、全身の肌を赤茶色っぽく染めていた。赤鬼だ。


 赤鬼は、偶然そこに居合わせたのか。あるいは人間の匂いを嗅ぎ付けて近くから忍び寄って来たのか。二人の前に姿を現すなり凶暴な敵と化した。樹流徒たちに向かって問答無用で突進を仕掛けてきたのである。

 鬼は見た目よりも遥かに重量があるらしい。ゆっくり歩いている時は静かだが、大地の上を跳ねると重低音が発生した。


 奇襲を受ける格好となったニ人だが、樹流徒は余り慌てていなかった。今まで散々悪魔の不意打ちを食らってきた甲斐があったのだろう。突如命を狙われる状況にも適応力が働いた。ただ、本来戦いを好まない青年が戦闘で得た力と経験を頼りに生き延びている現状は、改めて見ても皮肉と言う他なかった。


 樹流徒は瞬時に戦闘態勢へと移行する。恐怖を抑え込み、全身に適度な緊張感を(たぎ)らせた。敵から目を離さず詩織に向かって建物の中へ戻るよう伝えると、自らはその場に留まる。

 詩織が身を翻したとき、鬼はもう樹流徒の眼前にいた。さらに詩織の体半分が建物内に隠れた頃には、丸太の如き豪腕が樹流徒めがけて振り下ろされていた。


 鬼の指先には鋭利な爪が伸びている。そのあちこちに青い汚れがこびり付いていた。恐らく悪魔の血が乾いた跡だろう。この赤鬼は既に魔界の住人を手にかけているようだ。青く濁った爪が次に求めるものは人間の血である。


 しかし振り下ろされた爪は樹流徒にかすりもしなかった。樹流徒は敵の攻撃を危なげなくかいくぐり魔法陣を展開する。至近距離から魔界の雷を浴びせて鬼の動きを奪った。この時点で勝負は決していた。あとは懐に飛び込み、敵の喉元めがけて一閃を放つのみだった。


「今のが鬼なの?」

 戦闘が終わり、改めて外に出た詩織は、異形の生物が最後に立っていた辺りを見つめる。そこには泥水のような流動体と血痕だけが残っていた。鬼は死亡すると全身が黒い炎を発生させて溶けてしまうのが特徴である。死体を残さないという点で、悪魔と共通していた。

「今のは赤鬼だよ。組織の人たちによれば、青鬼や黒鬼も存在するらしい」

「彼らは一体どこから来ているのかしら。まさか、悪魔みたいに別の世界から?」

「有り得る話だな」

 樹流徒は同意した。鬼が別世界の住人という根拠は何一つ無い。だが、逆に現世の生物という証拠も等しく皆無だった。


「じゃあ、改めてアジトへ向かおう。空を飛んで行けば多少は安全だが、どうする?」

「出来れば自分の足で歩きたい……と言いたいけれど、実際危険な目に遭ったら戦うのはアナタだもの。だからアナタが決めて」

「分かった。それじゃあちょっと失礼する」

 樹流徒は一応断ってから、詩織の正面に立つ。彼女の体をさっと横にして抱きかかえた。

 詩織は特に驚きも恥ずかしがりもしなかったが、目のやり場には多少困ったらしく、近くに迫った樹流徒の顔からさりげなく視線を外した。

「念のためしっかりつかまっててくれ。敵が接近してきたら急発進する場合もあるから」

 樹流徒が注意を促す。

 それに従って詩織は樹流徒の胸元に手を伸ばし、服をしっかりと握り締める。

「これでいい?」

「よし。じゃあ行こう」

 樹流徒は羽を広げ、地面を軽く蹴る。二人の体は薄黒い水色の空へ向かって飛び出した。


 数分後。樹流徒たちは無事アジトの前に到着した。飛行している最中、悪魔の頭上をニ、三回通過したことを考えると空路を選んだのは正解だったように思える。移動距離が短かったとはいえ襲撃を受けずに済んだのは幸運だった。

 すぐ近くに敵の気配は無い。これといって鼓膜を揺らす音も無く静かなものだった。

「この中に組織の人たちがいるのね」

 詩織は三階建ての古風な旅館を見上げる。アジトの全体像を眺めている様子だ。

「中に入る準備はいいか?」

 樹流徒が確認すると、彼女は首肯した。


 玄関の戸を引く。ガラガラという趣きのある音に樹流徒は早くも馴染みを感じた。

 土間に踏み入れると、そこには何足もの靴が置かれている。ただ、樹流徒は靴の数を把握する間もなく顔を上げた。すぐ前方に人がいたからだ。


 それは眼鏡をかけた二十代半ばくらいの男……仁万(にま)だった。

 仁万は階段の傍で一人佇み、壁に背中を預けていた。それまで何か考え事でもしていたのだろうか。しかし玄関の戸が開かれたときにはもう仁万は首から上だけを樹流徒たちの方へ向けていた。瞳孔をいっぱいに広げ、驚いた顔をしている。悪魔が突入してきたと勘違いしたのかもしれない。


「仁万さん。もう起きても大丈夫なんですか?」

 樹流徒は、男に声をかける。

 仁万は「ほっ」と声に出したような、深い吐息を漏らした。

「ああ。大丈夫だよ。体の具合が悪いわけじゃないからね」

 どこか適当な口調でそう答えると、彼は遠くの床に視線を落とす。急に心ここに在らずといった雰囲気を漂わせ始めた。それでいて壁に寄りかかっていた背中を離すと以前と変わらず真っ直ぐ綺麗な姿勢をしているのが何とも不釣合いだった。


 仁万はゆっくり顎を持ち上げる。眼鏡のレンズに詩織の姿が映った。

「ところでその子は一体誰なのかな?」

「僕の仲間です」

 樹流徒は迷わず言った。

 隣に立つ少女は、横目でちらと樹流徒の顔を見てから

「伊佐木です」

 仁万に向かって軽く会釈をした。

「そうか。君が相馬君の同級生だね。NBW事件の話と併せて、ついさっき隊長から教えて貰ったばかりだよ」

「はい。今日からお世話になります」

「うん……。僕は仁万だ。こちらこそよろしく」

 男は口の両端を持ち上げる。ただし以前までの爽やかな笑顔とは程遠い、無理矢理作ったような表情だった。

 仁万は眼鏡のブリッジを持ち上げると「それじゃあ、僕はこれで」と言い残し、歩き出す。そのまま重い足取りで階段を上っていった。目に見えて元気が無い。メイジに負わされた心の傷は、やはり深刻だったようだ。


 樹流徒の視界から仁万の姿が見えなくなると、詩織が口を開く。

「相馬君以外の人とまともに顔を合わせるのって、何だか久しぶりね」

「緊張した?」

「ええ。少しだけ」

 詩織は小さく首肯した。


 二人は靴を脱ぐ。ちなみに樹流徒はスニーカーを履いていた。アジト近くのシューズショップから拝借した物である。

 床に上がると、詩織は落ち着いた動きで周囲を見渡した。彼女の視線が壁のある一点でぴたりと止まる。そこには小さな穴が空いていた。少し前に令司が拳を叩きつけて開けた穴である。


「座敷を覗けば多分誰かいると思う。行ってみようか?」

 樹流徒の提案に詩織は無言で小さく頷いた。

 二人はロビーを抜けて、廊下を進む。その先に見える(ふすま)は、半分くらい開きっ放しになっていた。奥の座敷から小さな話し声が漏れている。樹流徒には聞き覚えのある声だった。


 座敷の様子を確認してみると、そこには八坂兄妹の姿があった。他には誰もいない。

 兄妹の手にはそれぞれ数枚のトランプが握られている。畳にも同じ柄のカードが散らばっていた。令司が早雪(さゆき)の遊び相手を務めているといった状況に見える。


 早雪は渡会の件でショックを受けている。たしか南方がそう言っていた。

 それだけに彼女がすっかり塞ぎ込んでしまったのではないか、と樹流徒は心の片隅で少し気にしていのだが、それは単なる思い過ごしだったのかも知れない。

「あ。相馬さん」

 パジャマ姿の少女は樹流徒の存在に気付くと、手に持っていたカードを床に置いて立ち上がる。肩の辺りまで伸びた栗色の髪はちゃんと櫛が通され綺麗に流れていた。彼女は明るい笑顔を樹流徒に向けたが、その後ろに立つ詩織の顔を見て少し驚いた顔をする。


 続いて令司も腰を上げた。「その女は誰だ?」と厳しい口調で問う。

 ところが彼もまた早雪と同じく詩織を見て一瞬だけはっとしたような表情になった。若干妙な反応である。

「彼女は僕の仲間で、さっき話に出たNBW事件の被害者なんだ」

 樹流徒が、詩織を紹介する。

「伊佐木といいます」

 詩織は先刻仁万に挨拶したときと同じように会釈をした。


「その声……。お前もしかするとあのときの女か」

 令司が気付く。

「ええ。傷が治って良かったわね」

「その声と口調はたしかにあの時の女に間違いないな。南方の提案通り、ここで保護して貰う事にしたのか?」

「ああ。そうだ」

 樹流徒が返答した。

「少し意外だな。相馬は仲間をアジトに連れてこないと予想していた。もっとも俺の勘に過ぎないが……」

「あの。はじめまして。私、八坂早雪といいます。それでこっちが兄の令司です」

 早雪が兄の言葉尻を遮って口を挟む。

「はじめまして。伊佐木詩織です」

 詩織は改めて名を名乗る。

「いい名前ですね。“シオリさん”って呼んでもいいですか?」

「ええ。どうぞ」

「シオリさんは今までどこにいたんですか?」

「それは……自宅よ」

 早雪の素朴かつ鋭い質問に対して、詩織はやや戸惑いがちに回答した。

「ずっと自宅にいたんですか?」

「ええ」

「じゃあ食事とかはどうしてたんですか?」

「自宅に残っていた食料を少しずつ食べていたの。あとは……相馬君が届けてくれたわ」

「それじゃあ、お風呂とかは……」

「もういいだろう。その辺にしておけ」

 令司が、妹の質問攻めを中断させる。

「あ……。ごめんなさいシオリさん」

「いえ。別に気にしないで」

「早雪は同性と話す機会がほとんど無いからな。つい嬉しくて興奮してしまったんだろう。許してやってくれ」

「ベルさんとは喋らないのか?」

 樹流徒の率直な疑問に、令司は珍しく憂いを帯びた目をする。

「あの女は、早雪とは余り話をしない。若干歳が離れているせいもあって共通の話題が少ないだろうからな。仕方ない」

「なるほど」

 組織という特殊な集団に身を置いているとはいえメンバーたちも人間だ。組織の中にも様々な人間模様があるに違いない。樹流徒はその詳細を探るつもりは毛頭無かった。


「それよりイサキといったな? 突然で申し訳ないが、お前に頼みがある」

 何の脈絡も無く、言葉通り突然に令司が言う。

「頼み?」

「もしお前がしばらくこのアジトにいるつもりならば、たまに妹の話相手になってやってくれないか? タダでさえ市内は電気が使えなくて、娯楽が少ないからな」

 それを聞いた早雪は期待に満ちた眼差しで詩織の顔を見上げる。

「ええ。喜んで」

 詩織は簡単に承諾した。

「有り難い。その代わりというわけではないが、今から隊長を呼んで来てやる。寝ているあの人を起こすのは多少手間取るが、待っていてくれ」

 令司はそう言って身を翻すと、さっさと座敷を出て行った。


「シオリさん。それじゃトランプしませんか?」

 少女は早速、詩織を遊びに誘う。

「ええ。いいわよ」

「相馬さんも一緒にどうですか?」

「ああ……。それじゃあ僕も混ぜて貰うよ」

 彼らは三角形を作って床に座る。早雪の希望でトランプ遊びでは定番のババ抜きをすることになった。


 樹流徒にとっては久しぶりの気晴らしである。悪魔と死闘を繰り返す戦士は、今からわずかな時間だけでも普通の青年に戻ろうとしていた。




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