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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
105/359

真の勝者



 少々不気味な意匠(いしょう)が凝らされた酒場の奥。樹流徒と詩織は、カウンターを挟んで巨人の悪魔バルバトスと顔を向かい合わせていた。

 彼らは今、対話をしている。樹流徒にとっては大切な話だった。きっと詩織にとっても。


「ほう……。では、シオリはこの店を出たいのだな?」

 バルバトスの口から発せられた低い声は、これまでと何ら変わらない落ち着きと余裕を持っていた。声量の多さも相変わらずで、客のいない店内には良く響く。

 その声に詩織が「ええ」相槌を打った。彼女の表情は心持ち硬い。


 詩織はこの後すぐに魔界を離れて、組織のアジトへと赴く。だがその前に、バルバトスに対して今まで世話になった礼と別れの挨拶を伝えに来たのだった。

 人間の世界には“最低限の礼儀”と呼ばれる社会通念が存在する。ここが魔界だからといって、それを完全に無視して良い道理は無かった。また、人間として社会通念よりも大切にしなければいけないのは感情だ。今回で言えば感謝という名の気持ちである。詩織が「マスターに別れの挨拶がしたい」と願った時、樹流徒が反対する筈もなかった。


「突然に……しかも一方的に、こんなお願いをしてごめんなさい」

 詩織はやや目線を落とす。普段からそれほど感情を表に出さない少女が、彼女なりに申し訳ないという気持ちを伝えようとしている。樹流徒にはそう見えた。

「シオリよ。その程度のことで謝るな」

 バルバトスは口角を持ち上げた。顔面にはひび割れた大地のような線が刻まれている。それが緩やかに曲がった。ミシミシと硬い音が聞こえてきそうだった。

「オマエの願いは分かった。したいようにするが良い」

 彼はいとも容易く詩織を許す。いや、許す許さぬ以前に、元々(とが)める気など無かったのだろう。

 バルバトスは怒ってもいなければ、別れを惜しむ素振りも見せなかった。その態度は見ようによっては些か冷淡にも映る。しかし魔界の住人にとってはこれが当たり前なのかもしれなかった。


「マスター。短い間だったけれど、今までありがとう」

 詩織は礼を述べる。

「僕も感謝している」

 樹流徒も後に続いた。

「こちらも良い退屈(しの)ぎになった。またいつでも来るが良い。客としても働き手としても歓迎してやる」

 強面の悪魔が、温和な笑みを見せる。

 彼はすぐ真顔に戻ると、カウンターから上体を乗り出した。そして、少女に向かって手を差し出す。

「ニンゲンたちはこういうときに握手をするのだろう? 魔界ではほとんど見かけない光景だがな。現世かぶれした者たちが時折やっている」

 そう言いながら、更に腕を伸ばした。

「ええ」

 詩織は一歩前に出る。両手を持ち上げて、バルバトスの手を包み込むように握った。

 その握手は、彼女が手を離すまで数秒の間続いた……


「それじゃあ……。私は荷物を取りに行くわ。相馬君、悪いけれど少し待っててね」

 別れの挨拶を終えた詩織はカウンターの中に踏み込む。バルバトスの横を通り過ぎて、彼の背後にある扉をそっと開いた。蝶番(ちょうづがい)が鳴く。このあと間もなく訪れる少女との別れを惜しむかのような音色を奏でた。


「急がなくて良い。ゆっくり支度してくれ」

 樹流徒は、詩織の背中に声を掛ける。彼女に気を遣ったのもあるが、それだけではなかった。少女が出立(しゅったつ)の準備をしている間に片付けてしまいたい用事がある。そのため、ある程度時間をかけて貰った方が、逆に有り難かった。


 詩織は、樹流徒の言葉に頷いて静かに扉を閉める。

 コツコツ……コツコツ……と。静まり返った店内に、遠ざかってゆく少女の足音だけが聞こえた。


 その音が鳴り止んだ時、樹流徒は行動を起こす。“例の件”をバルバトスに告白するつもりだった。

 例の件というのは、言うまでも無く令司を店内に連れ込んだ件である。その事実がバルバトスに知られた結果、詩織が店に居られなくなる恐れがある故に、これまで打ち明けられなかった。しかし彼女が魔界を去ると決まった今ならば、隠す必要も無い。

「バルバトス」

「ん。何だ?」

「僕も、お前に伝えたい事がある」

「ほう。今度はキルトか。一体何だ?」

 巨人の悪魔は腕組みをして、興味深げな反応を示す。


「さっき、僕がこの店に無断で人間を連れ込んだのは知っているな?」

「ああ。無論、気付いていた。それで?」

「あの人間なんだが……実は……」

 樹流徒はひとつ息を吸って

「天使の犬だったんだ。僕は、天使の犬を助けるために悪魔倶楽部を利用した」

 残りの台詞を一気に吐き出した。

 言ってしまった、と思った。だが同時に、樹流徒は心が少し軽くなるのを感じた。

「やはりそうだったか。あの時の、オマエの落ち着きの無さからして、大方そんな事だろうと思っていた」

 バルバトスは目つきをやや鋭くさせる。赤く燃える虹彩が揺れた。


「分かっていたなら、何故、今まで僕に何も聞かなかった?」

「理由を知りたいか?」

「ああ。知りたい」

「それはな……“賭け”だ」

「賭け?」

 樹流徒は怪訝な表情を浮かべる。賭けとは一体何の話だろうか? 相手の回答に要領を得なかった。

 バルバトスはふんと軽く鼻を鳴らして笑った後、詳細を語り始める。

「キルトが何かを隠しているのは明白だったからな。そこで、オレは一つ賭けをしようと考えたのだ。ただし賭け事は一人では成立しない。相手が要る。オレはすぐに“ロンウェー”に話を持ちかけた」

「ロンウェー?」

 樹流徒は鸚鵡(おうむ)返しに尋ねながら、いつかどこかで聞いたような名前だと感じた。しかし、誰の名前だったかまでは思い出せない。

「ロンウェーはこの店の料理人だ。一度だけ、オマエに教えた事があるのだがな」

「そういえば……」

 答えを聞いて樹流徒は思い出す。確かに以前、教えて貰った覚えがあった。

「話を戻すぞ。オレは、キルトが何かを隠しているのに気付いて、ロンウェーに賭けを持ち掛けた。そこまではいいな?」

「ああ」

「すると、その話を横で聞いていた店の客まで賭けに乗ってきた。最終的に参加人数はオレを含めて5名になった」

「賭けの内容は?」

「キルトが三日以内に隠し事の内容を自白するかどうか」

「……」

「そしてオマエはたった今した(・・)。お陰で、賭けはオレの一人勝ちだ。礼を言うぞ」

 バルバトスは大きく肩を揺らしてハッ、ハッと豪快に笑った。


 樹流徒は閉口した。してやられたという気持ちだったし、呆れもした。多少の怒りも覚えた。だが、何よりもバルバトスが笑っている事に少し安心した。もしかすると、これで許されたかもしれない。そんな淡い期待に、胸が膨らんだ。


 されど、現実はそう甘くない。樹流徒が犯した行為は、天使の犬を憎む悪魔にとって、容易に許されるものではなかった。

 樹流徒が気付いた時には、バルバトスの顔からは笑みが消えていた。

「さて……。オマエをタダで許してやるわけにはいかんな」

「やはり、そうだろうな」

 樹流徒は既にあらゆる展開を覚悟している。隠し事が無くなった今、樹流徒はようやく良心の呵責という重荷から解き放たれ、バルバトスと真正面から視線をぶつけ合う事が出来た。


「では、キルトよ。オマエに罰を言い渡すぞ」

「ああ」

「オマエが持つアクマクラブの鍵を返して貰う」

「……」

 バルバトスから告げられた罰は、樹流徒が予想していた展開の中で最悪に近いものだった。

 鍵の返却。それは、彼が二度と再び魔界に戻って来られない事を意味している。


 だが、樹流徒はあくまで全てを覚悟していた。無駄な抵抗や言い訳はしない。彼は「分かった」とだけ答えて、ポケットから鍵を取り出すと、カウンターの上に置いた。

「これでオマエともお別れになるが……悪く思うな」

 バルバトスは鍵を拾い上げ、簡単に眺め回した後、懐にしまった。


 その後両者の間で交わされる言葉は無く、束の間、店内に静寂が訪れた。

 樹流徒は虚空を見つめて佇む。複雑な気分を抱えていた。軽い落胆と、どこかすっきりした気分が、言葉には言い表せない絶妙な割合で絡み合って渦を巻いていた。「これで良かったんだ」と、頭の中で一度だけ唱えた。


 間もなくバルバトスの背後から小さな足音が聞こえ、扉が開かれる。

 詩織が戻ってきた。バッグを片手に提げ、モッズコートを着ている。彼女がこの店を訪れた時と同じ格好だった。

「聞け、シオリよ。たった今、オレが賭けに勝ったところだ」

 バルバトスは若干の喜びと興奮と交えた様子で、少女に語り掛けた。

「そう。じゃあ相馬君、天使の犬についてマスターに話したのね」

「え」

 樹流徒は、詩織と悪魔の顔を交互に見る。

「伊佐木さん。君は、バルバトスたちのギャンブルについて知っていたのか?」

「ええ。相馬君が二回目に天使の犬を連れてこの店を出て行った後、すぐに知ったわ」

 詩織は抑揚の無い顔と語調で答える。

「オレたちが口止めしていたのだ。シオリが喋ったら賭けにならんだろう」

「……」

 樹流徒は全身から力が抜けてゆくのを感じた。自然と肩が下がる。


「相馬君、何だか元気が無いみたいだけれど……」

「もしかすると、オレが鍵を取り上げたせいかも知れんな」

「え。それはどういう意味?」

 詩織は、バルバトスに事情を尋ねる。

「そのままの意味だ。キルトはこの店を利用して天使の犬を助けた。その罰として鍵を返して貰ったのだ」

「そうだったの……。残念だけれど、仕方が無いわね」

 話を聞いた少女は小さく頷いた。

「伊佐木さん。心配はいらないから」

 樹流徒は虚勢を張る。詩織に対しても、バルバトスに対しても弱気を見せたくなかった。

「ええ。気にしてないわ」

 詩織はさらりと答える。言葉通り平然としていた。

 そして何を思ったか、彼女は徐に上着のポケットへ手を忍ばせる。


 再び外に出てきた少女の手には一本の鍵が握られていた。矢羽を模した黒い鍵。先刻、樹流徒がバルバトスに返却したばかりの鍵と全く同じデザインをしている。

「はい相馬君。今後はこれを使って」

 詩織は、鍵を樹流徒に差し出す。

 バルバトスは「ムッ」と虚を突かれたような声を漏らした。どうやら詩織が所持しているもう一本の鍵の存在を失念していたらしい。あるいは詩織が樹流徒に鍵を貸すという抜け穴を見逃していたのだろう。

「これ……いいのか?」

 と、樹流徒。

「ええ。私はしばらく使わない物だもの。遠慮しないで」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

「大丈夫よ。私の鍵をアナタに貸しては駄目、とまでは言われてないでしょう?」

「確かにそうだが……」

「ね。そうでしょう? マスター」

 詩織はさばさばとした表情を眼前の悪魔に向ける。

 バルバトスがニヤリとした。

「キルトよ。前言撤回だ。どうやら真の勝者はオレではなかったらしい」

「ああ」

 樹流徒も小さな笑顔を覗かせた。


 客席の上で寝そべっていたグリマルキンがバオーと野太い鳴き声を響かせる。

 詩織はその灰猫に視線を移した。今度は、彼女が別れを惜しんでいるようだった。




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