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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
104/359

4人目



 組織の予備アジトから歩くこと数分。そこに一軒のアンティーク家具店が建っていた。周囲の景観に比べて野暮ったさの無い、綺麗な洋風建築物である。

 ただしそれは少し前までの話。そのアンティーク家具店はいつの間にか見るも無残な姿に変わり果てていた。壁には無数の傷跡が刻まれており、その形状はひとつではない。牙に貫かれたような跡、爪に引っ掻かれたような跡、そして硬いものを力任せに叩きつけられたような跡など、数種類の傷が確認できた。一方、店の入口に目を向ければガラス戸に派手に大穴が開けられている。悪魔か鬼の仕業と断言して良いだろう。


 かなり痛めつけられた外側とは対照的に店内の被害は軽微だった。一部商品が床を転がり、破壊されたりもしているが、全体的に見れば然程荒らされた様子は無い。店の片隅に配置された椅子とサイドテーブルは何事も無かったように直立し、薄闇の中で誰かが現れるのをジッと待っていた。


 すると今、一人の青年がその椅子とテーブルに目を留める。

 ミリタリー系のファッションに身を包んだ十六、七歳の男子である。その青年自身にはこれと言って特筆すべき点は見当たらない。一見して今風の男子だった。ただ、彼が身につけている服は明らかにサイズが合っておらず、それが少し青年を妙な佇まいに仕立て上げていた。迷彩柄のパーカーは遠目にも分かるくらいぶかぶか(・・・・)で、少しだらしなくも見える。致し方ない。何せ、本人の服ではないのだ。彼が今着ているのは、熊の如き大男・砂原から借りた物だった。


 樹流徒は、指先まで隠れそうなパーカーの袖を掴んで捲り上げる。

「伊佐木さん。あの椅子に座るといいよ」

 そしてたったいま目に留まったサイドテーブルと椅子に視線を預けたまま、隣に立つ少女へ声を掛けた。

「椅子?」

 詩織の瞳は、樹流徒の視線を辿って動く。それにより、彼女もまた椅子とテーブルの存在に気付いたようだ。

「立ち話するのも大変だから。君はあの椅子で足を休めてくれ」

「ありがとう。でも、アナタはどうするの?」

 椅子は一脚しかない。他に腰を下ろせそうな家具も近くには置かれていなかった。樹流徒が座れそうな場所は、床くらいしか残されていない。

「僕はいい。何時間立ち続けても平気だから」

「そう……。じゃあ、遠慮無く」

 詩織は、樹流徒に促されるまま椅子に向かって歩き出した。


 アジトにてNBW事件等の話を終えたあと、組織のメンバーたちは砂原の命令通り一時解散となった。彼らが再び集まるのは半日後の予定である。

 それにより自由な時間を得た樹流徒は、すぐにアジトを発った。徒歩圏内に建つアンティーク家具店を訪れた彼は店の前で足を止め、少し目を離した隙に傷だらけになっていた外壁を簡単に眺めた。それにより特別な感情は沸くことはなかったが、良い気分がしなかったのも事実である。


 ガラスが破られた戸を開いて店内に踏み込むと、幸いにも樹流徒のお目当てである大きな鏡は無傷で残されていた。樹流徒はその鏡に悪魔倶楽部の鍵を挿して、現世を離れた。


 悪魔倶楽部の店内は静かだった。客席に灯るキャンドルは無く、代わりに灰猫グリマルキンの尻尾がロウソクの炎みたく揺れていた。

 天井近くに取り付けられた窓の向こう側には、空を覆う黒雲が見えた。雲のわずかな切れ間から白んだ光が滲んでいた。


 詩織とバルバトスはカウンターの奥に並び立ち、雑談を交わしている様子だった。二人は出会った当初から反りが合っているように見える。あくまで樹流徒の主観だが、バルバトスと会話をしている最中の、詩織の心なしか安らかな表情を見る限り、恐らく勘違いではなかった。


 カウンターまで歩み寄った樹流徒はまずバルバトスに挨拶をし、続いて詩織の時間を借りる許可を貰った。令司を店内に連れ込んだ件についてバルバトスに尋ねられる不安はあったが、杞憂に終わった。バルバトスは何も聞かず、今まで通りの態度で樹流徒に接した。もし仮にバルバトスから令司について詰問されるようなことがあれば、樹流徒は苦しい心持ちで「今は答えられない」の一点張りになっていただろう。


 バルバトスとの会話を無事に(・・・)終えた樹流徒は、詩織を連れて現世に戻った。その際に詩織の鍵ではなく樹流徒の鍵を使用した。多少理由があっての判断である。

 再びアンティーク家具店に戻ってきた樹流徒は、辺りを見回して、詩織が楽にできそうな場所を探した。結果、店の一角に佇む椅子とサイドテーブルの姿が目に留まったのだった。


 二人は椅子とテーブルの元に辿り着く。主を失った店の商品たちは、長らく手入れがされておらず、軽く埃を被っていた。

 それに気付いた樹流徒は、服の袖を使って椅子の座面や背板を拭く。彼の腕が何度か素早く往復すると、椅子は粗方綺麗になった。

「ありがとう。そこまで気を遣ってくれなくても良いのに」

 お礼を言って、詩織は静かに腰を下ろす。やや顎を持ち上げて、店内に陳列された家具の数々を見渡した。その後、眼前に立つ樹流徒の胸元辺りに視線を落ち着かせる。


「ようやく、君にこれまでの事情を説明できるな」

 樹流徒は袖に付着した埃をさっと(はた)いた。

「ええ。でもその前にひとつ聞いてもいい?」

「何を?」

「さっきの八坂という人は無事?」

「大丈夫。完治したよ。組織にベルさんという人がいて、傷を癒す能力を持っているんだ」

「そう。良かったわね」

「ああ。それで……八坂に怪我を負わせた相手についてなんだが……」

籠地(かごち)君でしょう?」

「知ってたのか」

「八坂さんと少しだけ言葉を交わしたの。彼の態度を見ていたら分かったわ」

「なるほど」

 怒りに燃えている時の令司ほど、何を考えているのか分かり易い人間はいない。

 樹流徒は、詩織の説明がとても腑に落ちた。


「メイジは、やってはいけない事をした」

「え」

「組織のメンバーが一人、アイツに重傷を負わされたんだ。その人は今も意識が戻らない」

「そうなの……。何故、籠地君はそんなことをしたの?」

「分からない。だから、直接本人に聞く。後でアイツと会う約束をしてるんだ」

「どこで?」

「北高」

「私たちの学校ね」

「ああ。もう何ヶ月も見てないような感じがする」

「私も、そうかも知れない」

「……」

 短い沈黙。樹流徒と詩織が会話すると毎回の如く発生する、数秒の間断。普段から口下手な両者による起こるべくして起こる現象である。

 樹流徒は、最初は少し気まずかったこの妙な間が、今ではそれほど嫌いではなかった。


「ところで伊佐木さん」

「なに?」

「君は、数年前の事件を覚えているか? 僕たちが中学生の時に巻き込まれた、あの事件だ」

「ええ。勿論」

 詩織は端正な唇だけを動かして答える。

「それにしても聞き覚えのある質問ね」

「以前、君が僕にした質問だからな。あの日、図書室で」

「そうだったわね……」

 少女は微かに目を細める。その瞳が何を伝えようとしているのかは彼女にしか分からない。

「伊佐木さんは、僕と図書室で会ったあの時からすでに気付いていたんだな。数年前に起きた事件の被害者が、魔都生誕の後も生き延びる可能性を」

「ええ、そうよ」

 詩織はその事実をあっさりと認めた。

「でも、あのとき私が正直に話していたとしても、信じては貰えなかったでしょう?」

「今だから言えるけど、(信じるのは)難しかっただろうな」

 無理もなかった。ある日突然クラスメートに呼び出され「今日、世界が滅びる」「但し、数年前の事件に巻き込まれた者だけは生存できるかもしれない」などと聞かされて、それを本心から信じられる者が、世の中にどれだけいるだろうか。多分いはしない。

「それに、あくまで可能性の話だもの。確証は無いわ。籠地君は生きていたけれど、“仙道さん”も生存しているかどうかは、未だ不明でしょう?」

「仙道さん……」

 詩織の口から出たその名前に、樹流徒は懐かしさを覚えた。


 仙道というのは、樹流徒たちと同じ中学校に通っていた女子である。下の名前は“渚”。樹流徒の記憶では、仙道渚は底抜けに明るい性格の持ち主だった。樹流徒とは特別親しいわけでもなかったのに、言葉を交わす機会は多かった。それは渚が誰とでも気軽に沢山話をする少女だったからである。彼女は所謂(いわゆる)クラスのムードメーカーだった。


 中学卒業後、渚は樹流徒たちとは別の高校へ進学した。ある時期から急速に学業の成績を伸ばしたらしく、その甲斐あって県内でもかなりレベルの高い学校に入学したらしい。


 そんな少女は、NBW事件の被害者でもあった。

 相馬樹流徒。伊佐木詩織。籠地明治メイジ。そして仙道渚……

 この四名が、数年前に起きた事件の全被害者である。

 もし今後、渚の生存が確認できるようであれば、樹流徒や詩織が気付いた仮説――NWB事件の被害者は魔都生誕の影響から生き延びられたという説は、いよいよ単なる仮説ではなくなる。限りなく真実に近付くだろう。

「彼女も生きていると良いわね」

「そうだな」

 樹流徒は首を縦に小さく傾けて、同意した。


 その後、樹流徒は本来の目的に戻り、詩織に伝えるべき情報を話した。具体的には、メイジの変貌についてや、NBW事件という名称について、である。

 詩織は終始真剣な表情で樹流徒の言葉に耳を傾けていた。


「取り敢えず、今僕が持ってる情報はこれで全部だ」

「ええ。今回も色々教えてくれてありがとう」

「いや。君に話をしながら頭の中で情報を整理出来るから、実は僕も助かってるんだ」

「……」

 詩織は無言で、一瞬だけ微笑した。


「ところで伊佐木さんは店の客から何か新しい情報を得られた?」

「いいえ。残念ながら……」

「こればかりは運任せだからな」

 悪魔倶楽部に来た客がどんな情報を持っているかは、実際に客から話を聞いて見なければ分からない。詩織が声を掛けた悪魔が偶然貴重な情報を持っていることもあれば、何も知らないこともあるだろう。純粋に運次第だと樹流徒は考えていた。

 ところが詩織は違う意見を持っているようだ。

「決してそうとばかりも言えないわよ」

 と、樹流徒の言葉に異を唱えた。

「え。それはどういう意味だ?」

 樹流徒は内心で小首を傾げる。

「もし店にやって来るお客さんが毎回別の悪魔ならば、アナタの言う通り運任せだと思う。でも、実際は店に顔を出すお客さんはそれなりに固定されているわ。同じお客さんに対して情報収集をしても、そう何度も新しい話は聞けないでしょう? だから運次第というわけにはいかないし、今後貴重な情報が得られる可能性は余り高くないと思う」

「そうか。要するに君はもうほとんどの客から話を聞き終えてしまったんだな」

「ええ。次々と新しいお客さんが来てくれれば、新しい情報も手に入りやすくなるのだけれど……」

「そうだな」

「でも、情報収集はちゃんと続けるわ。たとえ可能性が低くてもその内きっと重要な手掛かりが得られると信じましょう」

 詩織はそう言うと、椅子を引いて立ち上がった。

「あ。済まない。ひとつ大切なことを言い忘れていた」

 そのとき樹流徒は大事なこと思い出して、詩織の動きを制する。

「どうしたの?」

 詩織は持ち上げたばかりの腰を、再び椅子に下した。

「余り良い知らせじゃないんだが……」

 樹流徒はそのように前置きして

「実は、組織の人たちに君の存在を知られてしまったんだ」

 事実を伝えた。

 それを聞いても詩織は眉ひとつ動かさない。平然を装っている風でもなかった。

「気にする必要は無いわ。私と八坂さんが会話をした時点で、そうなる事は覚悟していたから」

「それはそうかもしれないが……」

「私の存在を知られて、何か不都合な事でもあったの?」

「不都合は無い。けど、話の成り行きで、君をアジトに招いたらどうか、という案が持ち上がっている」

「私を?」

 詩織は何度か目を(しばた)かせた。


「組織の人たちは、君が市内にいると思ってるからな。君を、悪魔や鬼から保護してくれようと考えているんだ」

「そういう話だったのね。理解したわ」

「どうする? 誘いを断っておくか? それとも……」

「……」

 詩織はやや伏目がちになって、考え込む仕草を見せた。これまで何かと即断即決の姿勢を見せてきた彼女も、今回ばかりは検討する時間が必要らしい。

 されど黙考は長く続かなかった。

「私……組織の人たちと会ってみる」

 詩織は淡々と決定を告げる。

「本気なのか?」

 樹流徒は、念のために彼女の意を再確認した。現世に行って組織のアジトで保護して貰うよりも、悪魔倶楽部にいた方が断然安全である。故に、樹流徒は、彼女が店に残る方を選択すると予想していた。

 が、それは外れた。

「先にこれだけは言っておきたいのだけれど、私は決して悪魔倶楽部にいるのが苦痛というわけではないの。マスターは親切にしてくれるし、仕事にはもう慣れたわ」

「ならばどうしてアジトへ行くんだ? 安全性のみを重視すれば、魔界に残る方が良いだろう」

「組織の人たちの、アナタに対する不信感が増すから」

「……」

 樹流徒は微かに動揺した。詩織の言葉に心当たりがあるからだ。

 “お前を完全に信用する事は出来ない。謎が多過ぎる”。令司にそう言われたばかりだった。それはきっと令司だけの思いではない。程度の差こそあれ組織のメンバー全員の考えと言って良いだろう。何しろ樹流徒は彼らに対して悪魔倶楽部の存在を隠している。

 今回、詩織がアジト行きを拒否すれば、組織の者たちは必ずその理由を問うだろう。樹流徒が上手い言い訳をしても、メンバーたちは新たな不信感を募らせるに違いなかった。


 メイジの件もあって、現在、樹流徒が置かれている立場は、恐らく彼自身が思っている以上に、微妙だった。これまで命がけで悪魔と戦い、敵を撃破してきた実績だけが、樹流徒と組織の関係をかろうじて繋ぎ止めている。そうとさえ言っても良いだろう。

 その危うい信頼関係を更に危うくしてしまうのではないか、という詩織の懸念は、決して楽観視できるものではなかった。


「それに、私が組織に身を置く事で、何か新しい形で相馬君に協力できるかも知れないでしょう?」

「確かにそれはあるかもしれないけど……」

「あ……。別に、アナタのためだけにそうしたいわけじゃないの。これはあくまで私自身の希望よ。だから、アナタは私の行動を重荷に感じないでね」

 詩織は軽く念を押すように言った。

 ここまで言われたら、樹流徒はもうただ首を縦に振るしかなかった。

「君は、自分のことに関しては一度決めたら曲げない性格みたいだからな。僕はもう反対しないよ」

 言うと、少女はどことなく安堵したような表情を浮かべる。

「ありがとう。それじゃあ、都合の良いときにアジトへ案内して貰っても良い?」

「分かった。君がその気ならこの後すぐにでも」

 今、二人がいるアンティーク家具店は、アジトから非常に近い。詩織の鍵ではなく樹流徒の鍵を使って現世に戻ってきたのは、こういう展開も有り得ると見越しての判断だった。樹流徒は、詩織が組織のアジトへは行かず悪魔倶楽部に残ると予想していたが、逆の可能性も一応は考えていたのである。できればその可能性は現実になって欲しくなかったが、詩織が意を決した以上無駄だと悟った。




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