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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
102/359

不穏



「ここは……」

 令司は、すっかり闇に慣れたであろう眼を薄く開く。(まぶた)が半分くらいまで持ち上がったところで、意外そうな表情を浮かべた。

 縄を巻きつけられた彼の体は、未だ樹流徒の脇にしっかりと抱えられている。


 たった今目隠しを外された令司の眼前には、古風な佇まいの和風旅館が建っていた。組織の予備アジト・狐湯の里だ。


 二人が魔界を出てからまだ何分も経っていない。移動手段を知らない令司は“自分が軟禁されていた民家はアジトの近くにある”と確信しているだろう。それは必ずしも間違いではなかった。異世界を繋ぐ鍵さえ使えば、確かに近い場所である。が、現実的な方法で移動すれば、少し遠い。


 令司は、旅館の屋根の辺りをまじまじと眺める。深く息を吸うと、思い出したように瞼を固く閉じた。傷が痛んだのだろう。

「今から縄を切る。動かないでくれ」

 樹流徒は脇に抱えた令司を立たせた。そして切れ味抜群な悪魔フラロウスの爪を縄に当てる。ある程度力を入れて何度か擦っただけで、恐ろしく丈夫なロープがいとも簡単に切れた。


 満身創痍の令司は、手足が自由になった途端によろめいた。樹流徒が肩を貸そうとすると「要らん」と答えて、彼の胸を軽く突き飛ばす。

「ところで、さっきの女は何者だ? それに他にも誰かがいた気がする。周りの空気が変わってすぐに嫌な気配を感じた」

「済まないがその質問には答えられない」

「そうか。やはりお前を完全に信用するのは危険だな。謎が多すぎる」

「……」

「とはいえ、ここまで運んで貰った事には一応感謝する」

 令司は顔を背けながら言った。


 二人は揃ってアジトに入る。令司の足下はおぼつかない。

 玄関の戸を開くと、土間には全員分の靴が揃っていた。情報収集に出ていた南方とベルも戻って来たようだ。


 ロビーには誰もいない。樹流徒たちは靴を脱ぐと、申し合わせることなく座敷へ足を向けた。受付前を横切って、通路を進み、その途中にある襖の前で立ち止まる。


 襖の向こうからは人の話し声が全く聞こえなかった。

 誰もいないのだろうか? 確認のために覗いてみると、予想に反して、そこには砂原、南方、ベルの三名がいた。残りの者たち……渡会、仁万、早雪の姿はない。


 砂原は上座で胡坐(あぐら)をかき、目と口を閉ざしている。巨体の彼がそうしていると、まるで部屋の中に大きな岩が転がっているようだった。

 南方は奥まった場所で障子に寄り添うように寝転がり、ぼんやりと外を眺めていた。外見三十歳前後の彼は年齢的に間違いなく立派な大人なのだが、相変わらず頼りない雰囲気をしている。

 そしてハードパーマの女ベルは、襖付近の床で足を伸ばして指先で髪を弄っていた。樹流徒が知る範囲では、彼女はいつもどこか退屈そうにしている。この非常時に退屈できるのはある意味精神が強いと言って良いだろう。


 彼ら三人は各々が自由にしていた。少なくとも、直前まで彼らが話をしていた様子はない。

 水を打ったかのように静まり返った一室は、しかし樹流徒たちの帰還により、状況を一変させる。三人の視線が一斉に部屋の入り口へと集まった。


「おお。八坂君、大丈夫かい?」

 南方が上体を起こしながら、傷だらけになった青年の姿に驚きの表情を向ける。

「煩い」

 令司はむっとした。メイジとの戦闘については触れられたくないのだろう。無論そのような事情を三人が知るはずもない。

「何怒ってんだ? 治療してやるから来い」

 ベルが立ち上がる。

「頼む」

 令司は無愛想に返事をして、たどたどしい足取りで彼女の正面まで歩いた。


 ベルが無造作な手つきで令司の腕に触れる。彼女の掌から温かそうなオレンジ色の光がぼんやりと浮かび上がった。それは令司の輪郭をなぞるように彼の全身を伝わってゆく。


 するとどうしたことか、令司の体に微弱な変化が起こり始めた。全身に刻まれた痛々しい傷跡が、真夏の外気に晒された氷の如く、ゆっくりと、ゆっくりと消えてゆく。

 その不思議な光景に樹流徒は目を奪われた。人の傷を癒す力。洗礼を受けたベルの、固有の能力なのだろう。他者を傷つける力しか持たない樹流徒は羨ましく思ったし、ベル手から放たれる光が実物以上に眩しく見えた。


「君の方は無傷みたいだな。酷い恰好をしているが」

 砂原が樹流徒に声をかける。

「ええ。手強い悪魔と戦闘になったんです」

「へえ? どんな悪魔だい?」

 南方が興味津々といった感じで話に乗っかってくる。

「大きな、虹色の孔雀です。物を石化させる息を吐いてきました。しかも結構賢い悪魔らしくて、かなり苦戦しました」

 樹流徒が説明すると、砂原は「なるほど」と言って頷く。

「それは恐らく“アンドロアルフュス”だな」

「アンドロアルフュス? どういう悪魔なんですか?」

「ソロモン七十二柱と呼ばれる悪魔たちの一体でね。序列は第六十五位。数学、幾何学、天文学などに通じ、人間を鳥の姿に変える力を持つ孔雀だよ。石化の息を吐くなんてのは初耳だけど、間違いないだろうね」

 南方が答えた。

「やはり見かけによらず知的な悪魔だったんですね」

「樹流徒君。人間も悪魔も、世に溢れてる情報も、上っ面のみで判断するのは危険ってモノだよ。これ、君よりもチョットだけ長生きしてるオジサンからのアドバイスね」

「分かってるつもりです」

 樹流徒は相槌を打った。


「ところで、渡会さんの容態はどうなりましたか?」

「残念ながら回復の兆しは無い」

「私らも話は聞いた。あの渡会がやられるとはな」

 ハードパーマの女は、令司の傷跡を見つめたまま言う。

「彼、ベルちゃんの能力を使っても意識が戻らないからね。ホント心配だよ。そのせいで早雪ちゃんもショックを受けちゃったみたいでね」

「彼女が?」

「……」

 令司が微妙に渋い表情をする。


「渡会君って、ああ見えて案外面倒見が良い青年でね。俺たちとは普段余り喋らないけど、年下の八坂兄妹には色々と気を遣ってたよ。滅多に学校へ行けない早雪ちゃんにとっては、数少ない話し相手だったんじゃないかな」

「そうだったんですか……」

「我々はいざ任務が始まれば常に危険と隣り合わせにいる。冷たいようだが、そう考えて割り切るしかあるまい。余り今回の件を引きずっていると、次は己が犠牲者になりかねん」

 砂原が、誰にとも無しに警鐘を鳴らす。その毅然とした態度は組織の隊長として相応しいものであった。

「同感だ。この場に渡会がいたら同じ事を言うだろうな」

 すかさず令司が同調した。彼の傷はもう殆ど完治している。苦しそうだった呼吸もすっかり落ち着ていた。

 ただ、それとは逆にベルが肩で息をしている。どうやら彼女が使用する能力は、それなりのリスクを伴う代物らしい。


「そういえば仁万(にま)はどうした?」

 令司はメンバーの顔を見回しながら、この場にいない男について尋ねる。

 仁万もまた渡会と同じくメイジの襲われて負傷していた。ただし渡会ほど重傷ではなかったようだが……

「仁万は休憩中だ。いや、療養中と言うべきかも知れん。元々肉体の疲労がピークだった上、あのような出来事に見舞われたのだからな」

 と、砂原。

「それよりアンタらは仁万と渡会の仇に会えたのか?」

 ベルが早々に話題を変えた。


「ああ。霧下岬の教会で遭遇した」

 令司は答えて、拳を握り締める。

「ふうん。で、アンタも返り討ちに遭ったと?」

 ベルが図星を指されると、無言で彼女を睨んだ。


 どこかピリピリしていた。令司とベルだけではない。さきほどから全体的に不穏な空気が漂っていた。砂原も態度にこそ出さないが微かに苛立ちを抱えているように見える。

 渡会の離脱は、組織の面々に少なからず影響を及ぼしているようだ。無論、それだけが理由ではないだろう。例えば毎日の生活の不自由さ、例えば悪魔や鬼に襲撃される恐怖など、組織のメンバーたちが苛立つ理由を探せば、きっと幾つも答えが出てくるはずだ。


 初めから決して良く無かった雰囲気が、令司とベルの衝突で表面化した格好だった。それでも砂原は口を出さない。敢えて静観しているのだろうか。

「まあまあ。それで? 渡会君たちを襲った敵はどんなヤツだったんだい?」

 慌てた様子で南方が仲裁に入りつつ、話を先へ進める。

「僕の親友です」

 樹流徒が答えた。この事実は自分が言わなければいけないと思っていたし、同時に自分が言いたいとも思っていた。


 数秒、妙な間が空く。


「親友?」

 砂原が口火を切る。

「ええ。幼馴染なんです。名前は籠地明治(かごちあきはる)。僕はメイジと呼んでいるんですが……」

「え。それじゃあ、何? 樹流徒君以外にも生き残りがいるってコト?」

「おかしいな。仁万の話によれば、敵は確か悪魔のはずだが?」

 砂原は即座に疑問を呈した。


 樹流徒は回答に窮する。どうしてメイジはあのような化物じみた力と姿を手に入れたのか、はっきりとした理由や原因が分からず、説明に困った。

 何も言い出せずにいると

「メイジという男は、相馬と似た得体の知れない力を持っている。異形の姿に変身した。だから仁万は悪魔だと勘違いしたんだ」

 代わりに令司が答える。

「得体の知れない力……か」

「ま、俺たちにみたいに天使の洗礼も受けてないのに今まで生き延びたワケだからね。それだけで普通の人間じゃないと分かるよ」

 と、南方。悪意無く言い放った言葉だろうが、それは樹流徒の胸を軽く締め付けた。


「メイジという青年が持つ力についても気になるが、相馬君の親友である彼が何故我々に牙を剥いてきたのか、という疑問の方が先だな」

「僕にも分かりません。アイツ、本来はあんな事をする奴じゃないんですが……」

 樹流徒がメイジを擁護する。

「君の言葉は信じよう。だが、君の親友が渡会や八坂に怪我を負わせたのは紛れもない事実だろう? ならば、放っておくわけにはいかないな」

「アイツと戦うつもりですか?」

「当然だ」

 令司が横槍を入れる。


「相馬。お前はどちらの味方に付く気だ? 俺たちか。それとも奴か?」

「そんなこと……答えられるわけないだろう」

 樹流徒はメイジとも組織とも戦いたくなかった。どちらか一方と敵対しなければいけないなど、考えたくもなかった。


「う~ん。困ったね。でも、そのメイジって子をタダで見逃すワケにはいかないよね、やっぱ」

 南方が言うと、それに砂原が同意する。

「そうだな。相馬君には辛いだろうが、我々はメイジ君を敵と見なす。次に遭遇すれば戦闘は必至だ」

「アナタ方の立場だったら、僕もそう言っていたかもしれません」

「そうか」

 樹流徒の言葉に砂原は深く頷いた。

「おい。ところでこれからどうするんだ?」

 ベルが再び話の流れを別の方へ向ける。


「情報収集の成果は?」

 令司が問う。それは確認するまでも無く情報収集に出掛けていた南方とベルに対する質問だった。

「ダメだったよ。悪魔が次に行う儀式の情報は全く得られなかった」

 南方は肩をすくめて微苦笑する。

「ただ、儀式とは全く関係ないが、一つだけ興味深いものを目撃した」

 続いてベルが言う。


「興味深いもの? 一体何だ?」

「悪魔と鬼が争ってるのを見た」

「何。それなら俺たちも見たぞ」

 令司は、樹流徒の顔をちらと見る。樹流徒は無言で頷いた。

 霧下岬へ向かう道中、二人は大通りのスクランブル交差点で、悪魔デウムスと赤鬼が乱闘していたのを目撃した。


 するとそれを聞いた砂原が「ほう」と興味深げな声を上げる。

「二ヶ所で目撃されたとなれば、最早単なる偶然ではなかろう。鬼は悪魔と敵対する存在という可能性が出てきた」

 彼は腕組みをして、人差し指で二の腕を叩き、リズムを刻み始めた。以前にも何度か見せている動作だ。癖なのだろう。


「悪魔と鬼の争いか。両者が味方同士じゃないってだけマシかもな」

 ベルが言うと、場にいる人間が一斉に頷いた。


 リズムを刻んでいた砂原の人差し指がピタリと動きを止める。

「よし。では我々は今から一時解散する」

 隊長は唐突にそれを告げた。

「解散?」

 樹流徒が鸚鵡(おうむ)返しに尋ねる。

「仲間の離脱がきっかけで、我々の足並みは乱れている。全員に頭を冷やす機会を与えたい」

「それだけのために貴重な時間を浪費するってのか?」

「大切な事だ。それに、仁万の状態を見たいという理由もある。アイツの怪我はベルの能力で完治したが、精神に負った傷は深刻みたいだからな」

「よもや仁万まで戦線離脱なんて事はないだろうな?」

「最悪そうなった場合に備えての解散だ。渡会と仁万、両名が離脱ともなれば、残った者たちの負担は必然的に増す。皆、今の内に心身共に完璧な状態を作っておいて欲しい」

「うーん。確かにそうした方が賢明かもね」

 南方が曖昧な肯定をする。


「権力を振りかざすのは好まないが、今回は命令とさせて貰う。我々は解散し、今から十二時間後、再びこの部屋に集合する。出来れば相馬君も参加してくれるとありがたい」

「分かりました」

 樹流徒は頷いて

「でも、その前にひとつ、話しておきたいことがあります」

 と付け足した。

「何だ?」

「実は、僕やメイジが事件の影響から生き延びた原因について、心当たりがあります」

「ん。それは本当か?」

 事実だった。メイジの生存を己の目で確認し、彼の特殊な能力を目の当たりにした瞬間から、樹流徒の頭の片隅にはとある(・・・)憶測が浮かんでいた。ただし確信ではない。


「へえ。何だか興味深い話が飛び出しそうな予感がするね」

「心当たりといっても、単なる勘違いかも知れませんが」

「構わない。話してくれ」

 砂原が許可すると、樹流徒は黙諾した。

 そして徐に口を開く。



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