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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
邂逅編
101/359

動き出した時の中で



 その一室は物音ひとつ立てず沈黙していた。遠く窓越しに見える木々のざわめきすら聞き取れそうな静寂に包まれている。


 とある民家のリビングルーム。詩織はカーペットが敷かれた床の上で膝を抱えていた。表情は浮かない。人前では心なしか程度にしか顔色を変えなかった少女が、周囲に他人の視線が無い今、目に見えて暗い面持ちをしている。瞳に灯す光も(かす)かだった。


 そんな彼女の双眸が見つめる先で、一人の青年がソファに横たわっている。端正な顔立ちをしたその青年は意識を失っており、呼吸は荒く表情は苦痛に歪んでいた。全身には青痣(あおあざ)を作り、腰には刀を差している。何もかもまるで現実感の無い存在だった。

 その青年……八坂令司は、どういうわけか白い布で目隠しをされ手足を縄で縛られていた。最早現実感云々(うんぬん)を通り越して、事件の香りが漂っている。


 無意識の令司が自ら目隠しをしたり、縄で己の体を縛ったりするのは不可能だった。状況的に考えれば犯人は一人しかいない。

 そう。詩織の仕業だった。彼女が、令司の視界と四肢の自由を奪ったのだ。

 恐らく詩織は、樹流徒の望みを叶えたのだろう。「八坂が目を覚ましたら自力でアジトに帰ろうとするはずだから、阻止して欲しい」と彼女は頼まれていた。

 その願いに応じて、詩織の取った手段が、物理的な拘束という訳である。最も単純かつ、しかし効果的な方法だった。例え令司が一匹狼的な性格の持ち主だろうと、身動きが取れなければ一人で勝手にアジトへ帰ることは出来ない。

 尚、令司を拘束している縄は、ただの縄ではなかった。詩織がバルバトスから借り受けた特殊な縄である。魔界に生息する植物を編んで作られた強靭なロープらしく、どのくらい頑丈なのかというと、バルバトス曰く「怪力自慢の悪魔が暴れても簡単には千切れない」らしい。本来は狩りで巨大な獣を捕らえるために使用される物だという。そのため長さもかなりあった。


 詩織がこの長縄を入手したのは、つい先程。飛び立つ樹流徒の背中を見送った後すぐ、悪魔倶楽部へ戻った時だった。


 詩織はバルバトスと話をして、樹流徒が店に戻るまでのあいだ仕事を休む許可を貰った。ついでに天使の犬を拘束するための道具を所望したのだった。勿論、詩織は令司や組織の名前を一切出していない。道具の用途すら説明しなかった。


 バルバトスの立場からすれば、多少身勝手で一方的なお願いだったかもしれない。そんなことは詩織自身も承知していただろう。


 だがバルバトスは詩織を叱らなかったし、何も追求しなかった。先刻、樹流徒が令司を店内に連れ込んだ件に関しても一切触れなかった。

 バルバトスは二つ返事で詩織の申し出を全て受諾すると、店の奥に引っ込んで、魔界の素材で作られた縄を手に現れた。


 詩織は縄についての簡単な解説を聞いてから、それを受け取った。バルバトスに礼を述べた後、目隠しに使うための布を一枚店内から拝借して、すぐに現世へ戻ったのである。

 彼女の表情が目に見えて暗くなったのはその時からである。バルバトスに対して隠し事を続けなければいけない罪悪感がそうさせたのだろうか。

 ともあれ、詩織は魔界から調達した道具を使って、令司の身動きを封じた。そして現在に至る。


 詩織は未だ膝を抱えて音無しの構えを取っていた。長い睫毛だけが時折、上下する。


 彼女がいる一室はまるで時間がループしているかのようだった。空の光はいつまで経っても同じ場所を同じ明るさで照らし続けている。樹流徒が心配していた悪魔はその片影すら現さない。風はいつの間にかぴたりと止んで、もう木々のざわめきは聞こえなかった。


 恐ろしいまでに移ろいの無い景色が、そこにあった。かつて詩織が予言した「世界の終わり」。それに相応しい光景とも言えるのではないだろうか。


 詩織は、深く静かな呼吸を律動させる。繰り返す刻の終わりを嫌うかのように。終末を迎えた世界の一部と化したように……


 が、時は突如動き出す。


 ――父さん……。母さん……。姉さん……


 苦しそうな、悲しそうなかすれ声が、辺りの空気を伝わった。

 その声はソファに横たわる令司の口から発せられたものだった。寝言のようだが、悪い夢でも見ているのだろうか、大分うなされている。後ろ手に縛られた腕が微かに動いた。


 詩織ははっとしたように顔を上げる。沈んでいた表情が、抑揚の無い普段のそれに戻った。

 直後、令司の絶叫が空間を貫いて、彼の背中がびくりと曲がった。腰に提げた刀が振れる。


「これは……?」

 意識を取り戻したらしい。令司は口を薄く開きっぱなしにして辺りを見回す。

 彼は然程(さほど)焦った様子は無かった。すぐに自分が目隠しと拘束をされていることに気付いたらしい。

「これは何の真似だ? おい相馬。そこにいるのか?」

 と、かなり不機嫌そうに言って、釣り上げられた魚みたくソファの上で体を暴れさせた。直前まで悪夢にうなされていた弱々しい青年とは全くの別人だ。

 だが、いきなり暴れたせいで傷口が疼いたのだろう。令司は表情を歪めて全身の筋肉を凝らせる。

「くそ、何だこの異様に丈夫な縄は。おい、ほどけ」

 そして苦しみと苛立ちを混ぜたような語調で訴えた。体の位置は今にもソファから転落しそうだ。


 詩織はそっと立ち上がり、令司の傍に寄る。

「ごめんなさい。もうしばらくの間ジッとしてて」

 落ち着いた声で言いながら、相手の体をソファの奥へと押し戻した。

「女の声? 早雪でもベルでもない。悪魔か?」

 身動きの取れない令司は表情で警戒心を露わにする。

「安心して。相馬君の知り合いだから」

「アイツの? ということは人間? まだ他にも生き残りがいたのか」

「ええ」

 詩織は首肯する。白い頬が(ほの)かな血色を帯びていた。

 そういえば、詩織が樹流徒以外の人間と言葉を交わすのは、魔都生誕以来これが初めてのはずである。彼女の胸に何かしらこみ上げてくるものがあったとしても、別段不思議ではなかった。


「相馬の知り合いなら、何故俺を拘束する?」

「彼に頼まれたの。アナタが勝手に動かないよう見張ってて欲しい、と」

「相馬はどこへ行った?」

「知らない。でも“なるべく早く戻って来る”と言っていたわ」

「アイツ、一体何を考えている?」

 令司は表情を曇らせる。きっと目隠しの下では眉根を寄せているのだろう。


 にわかに血色を帯びていた詩織の顔が元の状態に戻った。

「ところで、ここはどこだ?」

 令司は気を取り直した様子で質問をする。相手が悪魔ではないと知って幾らか安心したのかも知れない。

「民家よ」

「民家……。どこの?」

「どこかの」

「女。お前、ふざけてるのか?」

 令司は身をよじらせる。だが、少し動いただけで短い声を漏らし、再び全身を硬直させた。

 一見元気だが、彼の体に刻まれた傷はそれなりに深刻らしい。一時的に意識を失う程の怪我である。軽傷であるはずが無かった。


「怒ったり質問したり……忙しい人ね」

「取り合えず目隠しだけでも外せ。縄で縛られてる限り、どうせ俺は逃げられん」

「駄目」

 詩織は言下(げんか)に却下した。

 後で令司をもう一度悪魔倶楽部へ運び込む手筈になっている。となれば、彼の目隠しを外さないのは正しい判断だ。それを詩織は理解しているのだろう。


 かたや、事情を知らない令司は当然の如く「何故だ?」と追求する。

「念のためよ。お願いだから大人しくしていて」

 詩織がそう答えると、令司は無言で奥歯を噛み締めた。

「水を持ってきてあげる。飲むでしょう?」

 詩織は素早く腰を上げる。悪魔倶楽部から水を汲んで来るためだろう。令司が「ああ」と無愛想に返事をしたときには、彼女はもうリビングから出ていた。


 その後、詩織が水の入ったコップを手に戻ってきて、令司は受け取った水を一気に飲み干し、室内はしばしの静けさを取り戻した。

 令司は体をソファに横たえたまま微動だにしない。詩織も外の様子を見つめながら、時折ソファに視線を移す以外には何もしなった。

 空になったコップに付着した水滴は乾き始めている。止んでいた風が再び吹き始め、窓はガタガタと鳴いていた。


 暗い無言が破られたのは、張り詰めたガラスが一際長くて強い鳴き声を発したすぐ後。

「まさか市内に相馬以外の生き残りがいたとはな。それもニ人(・・)も」

 出し抜けに、令司が口を開く。

 窓の外に向けられていた詩織の視線がそっと令司の顔に移った。

「生き残りが二人? それは私と……もう一人は籠地君の事ね?」

「カゴチ?」

「相馬君と仲が良い同級生よ。彼と会ったんじゃないの?」

「あの、メイジとかいう奴の名前か」

「ええ、そう」

「あの異形。今度会ったら初めから殺す気で戦ってやる」

 令司は口元を苦々しく歪めて、物騒な台詞を吐く。

「その様子だと、もしかしてアナタに怪我を負わせたのは……」

「待て。それ以上言うな」

 令司が声を尖らせる。

 詩織は特に驚いたり怯えたりする様子も無く、黙った。


「ところでお前たち三人は、一体どうやってあの事件の影響から生き延びた?」

 令司はすぐに別の話題を振る。

「事件って、魔都生誕の事?」

「ああ。その呼び名を考えたのは俺の仲間だが……知ってるならば話が早い。そうだ。お前たちは何故魔都生誕の影響で命を落とさなかった?」

「私たちが助かった理由なんて分からない。こちらが聞きたいくらいだもの」

「心当たりは無いのか?」

「全く無いとは言わないけれど……確証が持てないから」

「では、あるにはあるんだな?」

「そういうアナタこそ一体どうやって助かったの? 事件の瞬間、市内にいたのでしょう?」

「秘密だ」

 令司は少しだけ顔を逸らした。

 イブ・ジェセルのメンバーが事件の影響から生き延びたのは、恐らく天使の洗礼を受けていたからだろう。しかし令司はその事実を詩織に語るつもりは無いようだ。

「そう」

 すると詩織は立ち上がる。

「おい。どこへ行く気だ?」

「数分で戻ってくるわ」

「答えになってないぞ」

「答える必要無いもの。兎に角、相馬君が戻るまでは大人しくしていて。余り動くと傷に障るから」

 詩織は今一度外の景色を見つめてから、やや足早にリビングから退出した。

 彼女は廊下を進んで洗面所に入り、鏡に鍵を挿す。


 それから詩織は数分おきに現世と魔界を往復した。そうしながら、いつ戻ってくるか分からない樹流徒を待つ。

 既に彼女が悪魔倶楽部の鍵を使用した回数は、樹流徒が今までに異世界を移動した回数を超えていた。


 拘束された令司はすっかり大人しくなっていた。抵抗しても無駄だと悟ったのか、或いは傷が痛んでそれどころではないのか。曲がりなりにも自分を介抱してくれた少女のいう事を少しは素直に聞いてやろう、という気持ちも多少はあったのかも知れない。


 そして、詩織が次に魔界へ戻った時、事態は動いた。

 闇の空間を抜けた少女の目の前には、一人の青年が立っていた。

 服はボロボロ、靴は片方が脱げている。野犬の群れから襲撃を受けたかの様な恰好をしていた。にもかかわらず、彼の体にはかすり傷ひとつ見当たらなかった。

「相馬君」

 詩織は青年の名を呼んで、歩み寄る。

「遅くなった」

 樹流徒は真面目な顔付きで答える。余裕が無いのだ。

「いえ。それより彼、目を覚ましたわよ」

「そうか。意識が戻ったのか」

 詩織の報告に樹流徒はひとつ頷いて

「彼はまだあの民家に?」

 と、端的に尋ねる。店内の音を全て拾うバルバトスの耳がある以上、この場所では余り細かな話が出来なかった。


「ええ。彼には申し訳ないけれど、拘束させて貰っているわ」

「流石だな」

 樹流徒は答えて、おやと思った。「流石だ」と言えるほどにまで詩織の事を信頼していた自分に、はたと気付いたのである。それが意外でもあり、納得できるような気もするから不思議だった。


「それじゃあ、伊佐木さん……」

 樹流徒は悪魔倶楽部の鍵を取り出して、それを詩織に差し出す。

 その意図を詩織はすぐに察したようだ。彼女は樹流徒の鍵を受け取ると、代わりに彼女の鍵を樹流徒に手渡した。鍵の交換をしたのである。


 現世の位置情報を覚えた悪魔倶楽部の鍵は、店を一歩出た瞬間に記憶を無くしてしまう。これから樹流徒は詩織の鍵を使って令司を迎えに行くが、その際に自分の鍵を所持していると、折角アジト付近で使用した鍵が使い物にならなくなってしまうのだ。そのため詩織に鍵を預かってもらい、彼女には悪魔倶楽部に残ってもらうのである。そうすれば鍵から現世の位置情報は消えない。


 樹流徒は詩織の鍵を使って民家に移動すると、リビングに駆け込んだ。

「待たせてすまない八坂」

 令司に声を掛けながら、リビングの窓に素早く鍵を差し込む。

 すると直前までソファの上でぐったりしていた令司は、息を吹き返したように、かろうじて動かせる首だけを小さく跳ね上げた。

「その声は相馬だな? これは一体何の真似だ。早く縄を外せ。目隠しもだ」

「悪いがそういうわけにはいかないんだ」

 答えながら樹流徒は少し強引に令司の体を起こした。負傷している令司を手荒に扱うのは多少申し訳ないが、そこまで気を遣ってあげられる状況ではなかった。

「じゃあ、行こう」

 令司の体に巻きついたロープの端を引っ張る。無理矢理でも令司を歩かせないといけない。

「おい! どこへ行くつもりだ?」

 足首まできっちり縛られている令司は、さながらカンガルーのように跳ねながら前進した。決してふざけているわけではないのに戯画的な動きだった。


 その頃、悪魔倶楽部の入り口付近に立つ詩織は、胸の前で両手を重ね、その中に樹流徒の鍵を握り締めていた。まるで祈るような姿勢で樹流徒たちの到着を待つ。


 と、そのとき。

 樹流徒と令司の二人が、闇の空間を抜けて店内に姿を現した。

 その次に何をすべきか、樹流徒も詩織も分かっている。樹流徒は詩織に鍵を手渡し、詩織は樹流徒から預かっていた鍵を店の扉の先にある闇に差し込んだ。

 強風に煽られた水面の如く闇が揺らめく。そこを通り抜ければ、アジトはもうすぐ近くだ。

「ありがとう。次戻ったときには詳しい話をする」

 樹流徒が礼を言うと、詩織は「ええ」と小さく頷いた。


「ここはどこだ? 急に空気が変わったぞ」

 令司が怒声を発する。

 詩織がさっと手を伸ばして令司の口を塞いだ。


 現在、店内の客は4名。彼らの食事をする音が辺りから聞こえていた。皆黙々と手や口を動かしているが、令司の存在に気付いたのだろうか、誰かが強烈な殺気を放っていた。


 口を押さえられた令司が鼻から声を発して、何かを訴えようとしている。

 それを無視して、樹流徒は闇に刺さった鍵を引き抜く。令司を脇に抱えて脱兎の如く扉の向こうへ駆け込んだ。




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