フタカラ
俺の趣味は一人でカラオケに行くこと、そう、ヒトカラだ。土曜日になるといつも、同じカラオケ店に歌いに行ってる。その店はいつも空いてて、穴場だからだ。
寂しい?そんなことない。むしろ気楽だ。俺は音痴で、他人とカラオケに行くと大抵笑われるから。一人の方が思いっきり歌えて気持ちいい。
ということで今日も、ヒトカラに来た。
「18番ルームでお願いします」
そしてその日初めて、18番ルームに通された。
ドアを開けて、俺は驚愕した。
その部屋のソファーにはすでに、女の子が一人ポツンと座っていた。
肩までの黒髪、白い肌。5、6歳くらいに見える丸い顔。くまのワッペンがついてるピンク色のトレーナーに、白いスカートとタイツ。今は夏だというのに、その子の格好は明らかに冬服だった。
そしてその子の身体はちょっと、透けていた。
俺は急いでフロントまで走った。俺には霊感はない、はずだけどあれはどう見ても幽霊だ。部屋を変えてもらわないと、怖い。
ところがフロントには、『只今満席です』の札が立っていた。珍しい。このカラオケ店が満席になるなんて、そうそうないことなのに。
俺はしぶしぶ18番ルームに戻り、そっとドアを開けた。
やはり、女の子が座っていた。そして、こちらと目があった。
「うおおぃ…」
俺が思わず情けない声を出すと、今度は女の子の方がびっくりしたような顔をした。
迷った。歌うのを諦めるか、他のカラオケ店に行くか、ここで歌うか。だけど他のカラオケ店だって、もう満室かもしれない。
「…。」
俺は恐る恐る部屋に入り、女の子の向かいのソファーにゆっくりと座った。デンモクをいじるふりをして、女の子の方をチラ見する。すると、また目があった。
女の子が笑った。さっきから思っていたことだが、けっこう可愛い子だった。
俺はとりあえずアニメソングを一曲入れて、向かい側の女の子を気にしながら歌い始めた。明らかに下手くそな俺の歌声が、部屋に響き渡る。
歌ってる途中、やっぱりどうしても気になって女の子の方を覗き見た。
彼女は嬉しそうな顔で、曲に合わせて手を叩いていた。叩いてる音は、聞こえないけど。
そのあとも何曲か歌ったけれど、どの曲も女の子は嬉しそうに聴いていた。
「…俺の歌、下手くそだろ?」
俺は思わず、苦笑いしながら女の子に話しかけた。女の子は一瞬キョトンとしてから、ふるふると首を振った。それからまた、嬉しそうに笑った。
「君の姿は、他の人には見えてないの?」
この子は怖い幽霊じゃなさそうだと思って気が抜けたせいか、また女の子に話しかけた。女の子は悲しそうにうなずいた。どうも、この子の姿が見えたのは俺が初めてらしい。
「えっと…君の名前は?」
そう言うと彼女は、首を振った。さっきから思っていたが、彼女は話せないようだ。幽霊だから話せないのかどうなのかは、よく分からないけれど。
この子はどう考えても幽霊だけど、俺が歌っているのを嬉しそうに聴いてくれる。聞こえないけれど手拍子をしてくれる。それがちょっと嬉しかった。
俺はデンモクを持ってゆっくりと彼女の方へ近づき、隣に腰かけた。彼女はきょとんとした顔でこちらを見ている。
「なんか歌ってほしい曲ある?」
俺が訊くと、女の子は大きな目をさらに大きくした。それからニコニコと笑うと、デンモクの画面を指さした。『童謡』だった。女の子が指をさす通りに、俺はデンモクをいじる。
彼女がリクエストしたのは、「あわてんぼうのサンタクロース」だった。
外では蝉が鳴いているというのに、クリスマスソング。季節外れだなあと思いつつ、だけどそれは言わなかった。
「歌えるかな…」
と言いつつ、予約をする。イントロが流れ出した途端、彼女の目がキラキラと光った。
「あわてんぼーのーサンタクロースー、クリスマスまえーにーやーってきたー」
彼女は手を叩きながら、とてもうれしそうに、明らかに音痴なはずの俺の歌を聴いていた。
次の土曜日も、18番ルームに通された。そしてやはり、その女の子はいた。俺を見ると、女の子は嬉しそうに笑った。どうも、俺のことを覚えていたらしい。そして俺はまた、「あわてんぼうのサンタクロース」を歌った。
そのうち俺は、自ら18番ルームを指名するようになった。はたから見たら、男が一人で「あわてんぼうのサンタクロース」を歌ってるのは妙な光景だと思う。だけど気にしない。だって俺には、俺だけには、嬉しそうに聴いてくれている観客が見えているから。
俺のヒトカラは二人カラオケ、いうならばフタカラになった。彼女は、歌えないけど。
夏が過ぎて、大分涼しくなった頃。俺は夢を見た。
カラオケ店で仲良くなったあの子が出てきた。彼女は、病院のベッドの上にいた。病室から見えている木の枝には葉が一枚もついていない。どうやら、冬のようだった。
「あわてんぼうの、サンタクロース、クリスマスまえーに、やってきた」
ちょっと音程の外れているソプラノの歌声は、彼女のものだった。それを聞きながら、隣に座っていた女性が笑った。彼女のお母さんだ、となんでか理解できた。
「クリスマスになったら、おうちに帰ろうね。新しいおうちで、一緒にケーキを食べようね」
お母さんの優しい笑顔を見て、女の子は嬉しそうにうなずいた。
気付いたら、彼女は死んでいた。クリスマス前だった。
彼女は病院で目が覚めて、自分の姿が誰にも見えていないことに気付いた。声を出そうとしても、何故か話せない。自分は幽霊になってしまったのだと、女の子は直感的に理解した。
女の子は急いで、自分の家に帰った。だけどそこには、知らない人が住んでいた。
『新しいおうちで、一緒にケーキを食べようね』
女の子の家族は引っ越していたのだ。そしてその新しい家がどこにあるのか、彼女は知らなかった。
さみしい。さみしい。さみしい。
その時、楽しそうな歌声が聞こえてきた。カラオケ屋さんだった。病気になる前、彼女は何回かお母さんとカラオケに行ったことがあった。女の子はカラオケ店に入ると、適当な部屋にするりと入った。18番ルームと書かれた、その部屋に。
楽しそうな歌声が、あちこちから聞こえてくる。
ここならきっと、さみしくない。わたしのすがたがだれにも見えなくても、わたしのこえがだれにも聞こえなくても、きっとさみしくない。
さみしくなんて、ない。
そこで目が覚めた。俺は泣いていた。
目をこすりながらカレンダーを見る。今日は土曜日だった。
18番ルームに入って、俺は肩を落とした。
女の子の姿は、そこにはなかった。 成仏したのだと、何故だか確信していた。
聴いている人は誰もいないけれど、俺は「あわてんぼうのサンタクロース」を歌った。
相変わらず、酷い歌声だった。
歌い終わってから、向かいのソファーを見る。ニコニコしながら歌を聴いているはずの彼女は、やっぱりもう、そこにはいなかった。
夢の中の、彼女の母親の声を思い出す。
『新しいおうちで、一緒にケーキを食べようね、』
「…ちいちゃん」
俺は小さな声で彼女の名前を呟いてから、少しだけ、泣いた。