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第4話:北の雨と、俺たちの城。 ―五歳児が仕掛ける宗谷ワークライフバランス―

組織が動き出せば、必ず「リスク」が表面化します。


拠点を確保し、労働力を組織化した直後に訪れる、北地ならではの洗礼。

五歳のコンサルタントが、江戸時代の「コンプライアンス(主に母親)」と、

過酷な自然にどう向き合うのか。


宗谷における「ワークライフバランス」の真実をご覧ください。

 宝暦十年(一七六〇年)冬 蝦夷地・宗谷


 カニ汁で連中の胃袋を掌握した翌朝。


 俺が入り江の「オフィス予定地」に到着すると、そこにはすでに鉄太を筆頭にした連中が、寒さに鼻を赤くしながら所在なげに待機していた。


(期待通りのリピート率だ。だが、ここからが組織運営の本番だ)


 俺は集まった四人の面々を前に、まずは人差し指を口に当てて、厳かに宣言した。


「いいか、お前ら。まず一番大事な約束だ。ここで俺たちが『うめぇもん』を食ってることは、絶対に大人に喋るな。おっとうにも、おっかあにもだ」


「えっ、なんでだよ。こんなにうめぇのに」


 鉄太が不思議そうに首を傾げる。俺はあえて声を低くして、脅すように言った。


「いいか。大人がこれを知ってみろ。

『子供が贅沢するんじゃねぇ』って取り上げられて、鍋もカニも全部没収だ。

 そうなったら、お前らは二度とあの汁を飲めなくなる。……それでもいいのか?」


 子供たちは、一斉に顔を青くして首を横に振った。

 彼らにとって「カニ汁の消失」は、この世の終わりと同義だ。


「よし。なら口を噤め。これは俺たちだけの秘密だ。

 その代わり、俺は無理な働かせ方はさせねぇ。

 家の用事をおろそかにして親に怒られたら、それこそ元も子もねぇからな」


 仕事は、家の手伝いが終わってから、あるいは合間にやる。

 これが俺の掲げる「宗谷・ワークライフバランス」だ。


「さあ、今日の普請だ。あのボロ小屋を『最高の隠れ家』に改造するぞ」


 俺が指し示したのは、入り江の端、波打ち際から一段上がった高台に

 ポツンと取り残された「放棄された漁師小屋」だった。


 父に探りを入れたところ、


「あんなボロ小屋、好きにすればいい。

 寒いし、汚いし、すぐ帰ってくることになるだろうがな」

 と鼻で笑われたが、好都合だ。

 大人の無関心こそが、最高の隠れ蓑になる。


 大人にとっては『負動産』だろうが、俺たちがゼロから建てるよりはマシだ。


 俺は、連中を二手に分けた。

 一組には食材収集、カニや海藻などカニ汁を作るのに必要な材料を集めに行かせた。

 終わった後にご褒美があるせいか、普段の家の手伝いとは目つきが違う。


 もう一組――体力のある鉄太たちには、小屋の「清掃と修繕」を頼んだ。


「勘太、こんなボロ、お化けが出そうだぞ。新しいのを建てたほうが早いんじゃねぇか?」


「甘いな、鉄太。これを一から建てるのにどれだけの材木と人手が必要だと思ってる。

 いいか、重要なのは『基礎』があることだ。

 ここをしっかり直せば、立派な城になる。……俺たちの城だ。気合入れろよ」


「俺たちの城か……」


 鉄太の瞳に力強い光が宿る。

 ただの廃屋が「城」という言葉一つで資産価値を変える。


 数時間の突貫作業。

 まずは床に溜まった砂と腐った腐葉土を掻き出し、傾いた柱に流木を添え木して補強した。

 破れたボロボロの網でぐるぐる巻きにして固定する。

 泥と灰から作ったパテで壁の隙間をふさいでいく。


「おお……。なんかすっきりしたな。それに、さっきより、ずっと温かいぞ」


 鉄太が驚きの声を上げる。

 それまでは吹き抜けていた潮風が止まり、自分たちの吐く息が白く小屋の中に留まり始めた。

 視覚的な密閉感。これだけで体感温度は劇的に変わる。


「そうだ。ここが俺たちの『本営』になる」


 俺は、整えられた小屋を見渡しながら頷いた。

 ただのガキの遊び場じゃない。

 ここは、この寒冷な宗谷の地で俺が生き残り、そして「天下」を狙うための、最初の一歩だ。


「鉄太、よくやった。このボロ小屋が、今じゃ立派な『オフィス』の卵だ。最高の仕上がりだ」


 褒めちぎると、鉄太は照れくさそうに鼻の下を拳でこすった。


 ちょうどその頃、食材調達組が戻ってきた。

「勘太! 足が折れて売り物にならねぇカニ、漁師のおっちゃんからもらってきたぞ!」

「昆布も拾ってきた! 砂、ちゃんと落としたからな!」


 彼らの抱えるザルには、市場価値はないが味は一級品の「若カニ」や、しなびた昆布がどっさりと入っている。


「上出来だ。よし、ご褒美の準備だ!」


 俺の号令一過、子供たちが列をつくる。

 修繕したばかりの小屋の中に、即席の炉を組み、火を熾す。

 煙が小屋の隙間から漏れ出していくが、それがまた「秘密基地」の情緒をそそる。


 一人一杯ずつ、黄金色のカニ汁をよそっていく。


「うめぇ……。昨日より、なんか濃い気がする」


 鉄太が汁を啜り、感極まったような声を出す。

 労働の後の報酬というスパイスは、いつの時代も絶品だ。


「いいか、これはタダの飯じゃねぇ。お前らが今日、この小屋を直した『給金』だ。しっかり味わえ」


 俺はあえて、これを「仕事の対価」だと言い聞かせた。

 この感覚を幼いうちに叩き込んでおけば、こいつらは将来、俺の最強の社員になる。


 子どもたちが名残惜しげに椀をすする音が、風の音に混じって響く。

 だが、俺の視線はすでに、次の工程へと向いていた。


(清掃と補強は終わった。いったん拠点に関してはこんなもんだろう。

 あとは倉庫を増設したり、焼き物用の窯の作成を試してみたいところだが……。

 やりたいことが多すぎるな)


「なぁ、勘太。次はなにやるんだ?」


 口の周りをカニの出汁まみれにした鉄太が、期待に満ちた目で見てくる。

 俺はニヤリと笑って、入り江の奥を指差した。


「次は、薪置き場を作るぞ。

 毎日、歩き回って集めるのは骨だからな。

 ここに集めておけば、ここに取りに来ればいいだろう?

 減ってきたらまた集める。

 その方が効率的だ。」


「なるほど、そうだな。」


 しばらくは薪集めと食材調達を並行させよう。

 それから、もっとマシな補修材の開発だ。

 泥と灰を混ぜただけのパテじゃ、乾燥すればすぐにはがれてくる。

 ここで試作品を試して自宅に持ち込もう。


(……少しだけ改良版を家の壁に塗ってみるか。……母さんに見つからないようにしないとな)


 五歳のコンサルタントは、泥だらけになった手を見つめ、

 次なる「実家QOL向上計画」の算段を立て始めた。


「うめぇ……。勘太、これ毎日食えるのか?」


 鉄太が至福の表情で二杯目に手を伸ばした、その時だった。


「……あ?」


 囲炉裏の火を囲み、リフォームの成功を祝してカニを咀嚼していたみんなの動きが凍り付いた。

 パチパチと爆ぜる薪の音を、外側から塗りつぶすような「重い音」が響き始める。


 ――ザァッ。


 一瞬だった。 さっきまで「情緒」だと思っていた屋根の隙間が、一転して牙を剥く。


「……ひっ!?」


 誰かの短い悲鳴。

 頭上から叩きつけられたのは、雨というよりは「氷水の塊」だった。

 宗谷の冬の雨は、液体であることを忘れたかのように重く、冷酷だ。

 それが猛烈な横風に煽られ、修繕したばかりの壁の隙間から霧となって吹き込んでくる。


(しまっ……! 気密性を上げたのが裏目に出た!)


 逃げ場を失った風が小屋の中で渦を巻き、炉の灰を巻き上げた。

 視界が真っ白に染まる。

「城」と呼んだはずの空間は、一瞬にして冷気と煙がのたうつ地獄絵図へと変わった。


 ジュウッ、ジュウウウ……ッ!


 嫌な音を立てて、命の綱である火が死んでいく。

 黄金色だったカニ汁の鍋には、泥混じりの雨水が無慈悲に注ぎ込まれ、見る影もなく薄まっていく。


「冷てぇ! 勘太、これ、どうすりゃいいんだよ!」

「寒い、痛いよぉ……!」


 みんな、ガタガタと震え、互いに身を寄せ合う。

 北国の雨は、数分で子供の体温を奪い、意識を刈り取る。

「俺たちの城」という幻想が、雨の音にかき消されていく。


 俺は、自分の見積もりの甘さに奥歯を噛みしめた。

 経営判断のミスだ。この寒冷地で「屋根」を軽視したのは、致命的な失策。


「――撤収だ!!」


 俺は喉がちぎれんばかりの声で叫んだ。


「全員、器を捨てろ! 命が一番だ! ここにいたら凍死するぞ、走れ!」


「嫌だ! せっかく直したのに、俺は、俺はまだ……!」


 鉄太が泥水にまみれた鍋を必死に抱え込む。

 その瞳には、恐怖よりも、作り上げた場所を失うことへの悔しさが滲んでいた。


「拠点は逃げねぇ! 明日、俺が必ず立て直してやる! だから今は生きろ! 行け!!」


 俺は鉄太の肩を突き飛ばすようにして、雨の中へ放り出した。

 蜘蛛の子を散らすように、仲間たちが走り去っていく。


 俺も、意識が遠のくほどの冷たさに耐えながら、最後に一度だけ小屋を振り返った。

 凍り付くような雨に打たれ、無残に濡れそぼる廃屋。

「天下」を夢見た五歳のプライドは、北の海の冷たい雨に、木っ端微塵に打ち砕かれていた。


(……クソ。……寒い、な……)


 家に着く頃には、自分の足の感覚すらなくなっていた。

 玄関を潜った瞬間、そこには仁王立ちで、恐ろしく冷ややかな視線を送ってくる母の姿と

 それ見たことかと笑う父がいた。


「……勘太。その格好、一体どこで何をしていたの?」


「えっと……これは、その……」


「いいから、全部脱いでこっちに来なさい。寒かろうに、風邪ひくじゃない」


 完璧な事業計画も、母さんの温かい「お叱り」という

 最強のコンプライアンスの前では無力だった。

 風邪をひいて一週間寝込んだ俺は、天井を見つめながら

 自らの見通しの甘さを心の底から反省する羽目になった。


(鉄太、あいつら……。

 せっかく直した場所があんなことになって、もう愛想を尽かしてなきゃいいんだが……)


 再起の目処が立たぬまま、俺の初めての「創業」は、最悪の形で暗転していた。

ご一読ありがとうございます。


どんなに完璧な事業計画も、たった一度の「想定外の豪雨」で瓦解する。

コンサルタントとして、これほど屈辱的な敗北はありません。

そして、母親という名の最強のコンプライアンス……。

五歳児の体では、熱を出して寝込むのが関の山でした。


果たして、主を失った「城」と、カニ汁で繋ぎ止めていただけのガキどもはどうなったのか。


本日21:00に、第5話「再起の秘密基地。鉄太の意地。」を更新します。


鉄太たちの「答え」を、ぜひ見届けてください。


面白い、あるいは続きが気になると思っていただけたら、

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著者のモチベーション(ストック執筆速度)が劇的に向上します。

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