第40話:三吉の拳 ――「仕組み」の先の「心」――
仲間の離脱という「不条理」に、勘太の完璧だったはずのロジックが崩壊します。
絶望し、動けなくなった勘太に対し、残された三吉が突きつける「答え」とは――。
宝暦十一年(一七六一年) (晩冬) 蝦夷地・宗谷
薄暗い隠れ家の中、竈で爆ぜる薪の音だけが、
やけに大きく、そして空虚に響いている。
かつては子供たちの笑い声と、未来を語る熱気で満たされていたこの場所は、
今や冷え切った石の檻のようだった。
俺は、冷たい床に膝を突き、動けずにいた。
「……勘太、そんなところに座り込んでると風邪を引くよ」
不意に、背後から掠れた声がした。
振り返ると、三吉が立っていた。
肩を小刻みに震わせ、その瞳には暗い影が落ちている。
「……三吉。悪いが、今は一人にしてくれ」
声を出すのさえ億劫だった。
今の俺には、誰かを慰める言葉も、現状を打破するロジックも残っていない。
「そうはいかないよ。鉄太兄ちゃんと朔弥がいなくなって……。
勘太にまで何かあったら、本当に全部なくなっちゃう」
三吉の声が震えている。
だが、その言葉は今の俺には、ただの呪詛のように聞こえた。
「いいから、ほっといてくれ……。
俺になにかあっても、ここは回る。
……俺が、そうしたんだからな」
自嘲気味な笑いが漏れる。
俺が心血を注いだ「仕組み」は、創造主である俺が消えても、
平然とカニ殻を加工し、帳簿を更新し続けるだろう。
皮肉なことに、それはコンサルタントとして「100点満点」の仕事だった。
「……勘太のせいじゃない。親たちがずるいんだ。
俺たちは、あんなに頑張ったのに。ちゃんと約束を守ったのに……」
三吉が、溢れそうになる涙を堪えるように声を絞り出す。
だが、俺はその言葉を遮った。
「違う。俺が間抜けだったんだ。
考えてみれば最初の条件からしておかしかったんだ。
畑と舟はともかく、
『誰が抜けても回るようにしろ』なんて、
あからさまな罠じゃないか……。
なんで気づかなかったんだ、馬鹿だよ、俺は……
いい気になって、
何でもできるような顔して、
全部だめにして。
もうおしまいだ。」
膝を抱え、顔を伏せる。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、三吉に見られたくなかった。
この瞬間の俺は、前世の記憶を持つ賢者でも何でもない。
ただの、無力で愚かな六歳の子供だった。
「ふざけんな!」
突如、雷鳴のような叫びが隠れ家に響いた。
衝撃。
三吉の手が、俺の胸ぐらを、引きちぎらんばかりの勢いで掴み上げた。
普段はおとなしく、引っ込み思案な三吉のどこに、これほどの力が眠っていたのか。
六歳の俺の体は、木の葉のように容易に浮き上がった。
「おしまいだと? 二人がいなくなったから、全部終わりかよ! 本気で言ってんのか、勘太!」
至近距離で睨みつける三吉の顔は、怒りと悲しみで赤く染まっている。
「……仕方ないじゃないか。親には逆らえない。俺には、もうどうすることもできないんだ」
乾いた声が出た。
自分でも驚くほど、絶望に塗りつぶされた、血の通わない言葉だった。
――ドゴッ。
鈍い衝撃が頬を走り、俺の視界は火花を散らした。
吹っ飛んだ俺の体は、冷たい石の床の上を転がった。
殴られた。
三吉に、殴られたのだ。
「……ふざけるな! なんのために、俺たちは文字を覚えたんだ!
なんのために、算術を叩き込まれたんだよ!」
三吉が、拳を握りしめたまま俺を見下ろしている。
その目からは、堰を切ったように大粒の涙が溢れ落ちていた。
「二人がいなくなるのは寂しい。死ぬほど寂しいよ!
でも、だからなんだってんだ!
お前にとって、あの二人以外は、俺たちはどうでもいい存在なのか?
俺たち、一緒に夢を見てたんじゃないのかよ!」
三吉の叫びが、隠れ家の高い天井に反響し、俺の胸の奥深くに突き刺さる。
「誰がいなくても回り続ける、俺たちの城。
それが俺たちの誇りだったんだろ! お前がそう教えたんだろ!」
「三吉……」
俺の脳内にこびりついていた、前世の冷徹なコンサルタントとしての回路が、
三吉の吐き出す熱量によって、音を立てて焼き切られていくのを感じた。
……そうだ。
俺は、いつの間にか「仕組み」ばかり見ていた。
だが目の前にいるのは、部品じゃない。
一緒に蟹の殻を剥き、文字を書き、未来を語った仲間だ。
自分自身よりも、俺が作った「仕組み」を信じ、
それを誇りに思ってくれている仲間が、目の前にいた。
これほどまでに、三吉に殴られるまで気づけないなんて。
「俺は……本当に、大馬鹿野郎だ」
泥にまみれた床の上で、俺は自分の愚かさを噛み締めた。
三吉の拳は、俺の頬だけでなく、
俺が自分を守るために被っていた「冷徹なコンサルタント」という名の仮面をも、
粉々に砕いてくれた。
「……頭を、冷やしてくる」
俺はふらつく足取りで立ち上がり、汚れも払わずに隠れ家を出た。
独り、隠れ家に残された三吉がつぶやく。
「勘太……。鉄太兄ちゃん……これでいいんだよね」
---
夜の宗谷の風は、肌を刺すほどに冷たい。
だが、今の俺にはその痛みが心地よかった。
頬の痛みも、風の冷たさも、俺が今、この過酷な蝦夷の地で、人間として生きていることを証明している。
実家へと続く暗い道を歩きながら、俺の胸の中には、新しい炎が宿っていた。
自分自身の愚かさへの悔恨。
そして、俺たちを「親の所有物」として扱い、引き裂いた親たちの理不尽さへの、激しい怒り。
(見ていろよ、大人たち)
俺はまだ六歳の子供だ。
力もなければ、権力もない。
だが、俺には「仕組み」がある。
そして今、三吉の拳によって、本当の意味での「心」を取り戻した。
ただの効率的なシステムじゃない。
誰にも、親にも壊せない、本当の「俺たちの城」を築き直してやる。
そのためなら、俺はなんだってやってやる。
晩冬の嵐が、宗谷の海から吹き付けてくる。
俺は、震える体を叱咤し、闇の中を力強く踏み出した。
最後までお読みいただきありがとうございます。
三吉の拳が、冷徹だった勘太の仮面を砕いた瞬間でした。
「三吉の拳に痺れた!」「勘太の再起が熱い!」と思っていただけたら、
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