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第37話:封鎖された宗谷、燻る種火

伊勢屋九兵衛との独占契約という「黄金のチケット」を手にした勘太たち。

しかし、喜びも束の間。北の地・宗谷は情け容赦なく「真白き絶望」に塗りつぶされます。


三日三晩続く地吹雪。物理的に遮断された外界。

返状すら出せない極限状況下で、現代のコンサルタント・勘太が選んだのは「ただ耐えること」ではありませんでした。

 宝暦十一年(一七六一年) (初冬) 蝦夷地・宗谷


 北の最果て、宗谷の地を、真白き絶望が塗りつぶしていた。

 地吹雪は、三日三晩降り止まなかった。  


 丸太を粗く組んだ俺たちの隠れオフィスは、

 荒れ狂う風の咆哮にさらされ、まるで小舟のようにきしんでいる。

 板の隙間からは、絶えず微細な雪の粒が「ヒィィ」と不気味な鳴き声を上げて入り込み、

 焚き火が必死に守り抜いている熱を、貪欲に奪い去っていく。


「……無理だ。この雪じゃ、浜に出るどころか、隣の番屋へ行くのも命がけだぞ。

 下手に外に出りゃ、すぐに方向を失って、そのまま凍った土と同化する」  

 

 徳蔵さんが、凍りついた防寒戸に背を預けて重い溜息をついた。

 その吐息は白く、部屋の寒さを物語っている。


 本来なら松前へ向けて返状を携えた使者を出しているはずだった。

 だが、北の自然という圧倒的な暴力の前に、人間の策など粉々に打ち砕かれていた。


「返事が届かなければ、九兵衛さんは『無視された』と思うだろうな。

 大店の旦那のことだ、自分の面目を潰されたと取れば、春にはこの契約を白紙に戻すかもしれん……」  

 

 朔弥が、不安げに火を見つめながら呟く。  

 

 九兵衛との独占契約、銀三匁。


 その甘い果実を手にした直後に訪れた、物理的な通信の断絶。

 コンサルタント的な視点で見れば、これは最悪の「サイレント・リスク」だ。

 沈黙は、ビジネスにおいては拒絶や無能と同義に扱われる。


「……なら、放置はできない。返事ができないなら、その『空白の時間』を価値に変えるしかない」  


 俺は、弱りかけた火を見つめながら、断固とした声で言った。


「詫びの品、兼、次回の取引の『餌』を作る。

 春、九兵衛さんが怒る暇もないくらいの驚きを、この手で作って見せる。

 誠意を言葉で伝えられないなら、利益で黙らせるのが商売の鉄則だ」


 翌朝、あれほど荒れ狂っていた風が、ようやく止んだのだ。  

 雲の切れ間から、鋭く、それでいてどこか冷ややかな冬の陽光が差し込む。

 宗谷の冬には、嵐と嵐の合間に、ほんの数時間だけ訪れる「静寂の晴れ間」がある。


「今のうちに浜へ出るぞ! 冬に足元をすくわれないための、素材を拾いに行く!」  


 俺の号令で、子供たちが弾かれたように走り出した。


 入り江に辿り着いた俺たちの目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。

 数日の時化が、流木や縄、割れた樽、砕けた舟板といった「海の残滓」を、

 入り江の奥へ壁のように積み上げていたのだ。  

 

 だが、俺が注目したのはそれらではない。

 流木の巨大な隙間に、不気味なほど真っ黒な塊が、

 無数に挟まり、積み重なっているのを見つけた。


「……鉄太、あの黒い塊を一つ残らず運び出せ。ソリの限界まで積むんだ」


「え? 勘太、これただの泥じゃねぇか。重いだけで薪にもならねぇぞ」


「ただの泥じゃない。これは燃える泥だ」


 それは、上流の湿原地帯が崩れ、海流に乗って運ばれてきた泥炭ピーボだった。


 漁師たちは、これを「煙たいだけの石」として嫌うが、

 燃焼効率と持続性を知る現代人の俺から見れば、

 これは「冬の稼働率」を保証する戦略物資に他ならない。


(これだけあればあれを試すのに十分だな……)


 小屋に戻ると、俺はすぐに設計に取りかかった。

 

 「鉄太、朔弥。これからこの隠れ家を改造する。大仕事になるぞ」  


---

  

 俺が提案したのは、朝鮮半島の伝統的な暖房システム「オンドル」をモデルにした、

 簡易床暖房の実装だった。


 小屋の外側に、小さな火床を作る。

 石を積んで囲い、直接火が建物に触れないよう遮熱を徹底する。

 そこから地面を浅く掘り、小屋の床下へと熱気が通る「煙道」を這わせる。  


 建物自体の構造を支える地面を崩せば、小屋が傾くリスクがある。

 そのため、主要な柱のラインを避け、迷路のように細い溝を幾重にも巡らせた。


 その上に流木を並べて蓋をし、

 さらに隙間をカニ殻の粉と粘土を練り上げた「特製パテ」で執拗に埋めていく。

 仕上げに、いつもの熊笹を層のように厚く敷き詰めた。


「勘太、何してるんだ。土遊びか?」  


 徳蔵さんが、面白そうに腕を組んで覗き込んできた。


「床の下に火を通す。冬の作業効率を上げるための普請です。」


「正気か?床を焼けば火事になるか、煙に巻かれて死ぬのが落ちだぞ。」


 最初の火入れ。

 

「ボフッ!」  


 乾いた音と共に、床の至る所から黒い煙が噴き出した。

 

「ゲホッ! 目が、目が痛ぇ!」  


 三吉たちが涙目で外へ逃げ出す。

 案の定、気密性が足りなかった。


「ガハハ、火事だけは気をつけろよ。」


 徳蔵さんは豪快な笑い声を残し去っていった。


 だが、俺は動じない。

 失敗はデータの蓄積に過ぎない。  

 俺は煙の漏れる箇所を一つ一つ特定し、予備のパテで丁寧に塞いでいった。

 気流を計算し、空気を取り込む穴を広げる。  

 

 二度目の火入れ。  

 今度は、煙が漏れない。

 静かに、火床からの熱が地下へと吸い込まれていく。


 一刻ほど経った頃だろうか。  

 冷え切っていた地面が、ゆっくりと、確かなぬくもりを帯び始めた。

 熊笹の下から、春の陽だまりのような輻射熱がじわりと上がってくる。

 

「……あったけぇ。なんだこれ、足の裏から熱が伝わってくるぞ!」  


 鉄太が、信じられないものを見るような目で床を撫で回した。  

 

 外は零下。

 

 だが、小屋の中だけは、凍土の記憶を忘れたかのような柔らかい温もりに包まれていく。


「さらに、これだ」  


 俺は火床の真横、最も熱が集まる特等席に、古い酒樽を据え付けた。

 パテで漏れを塞ぎ、底が直接煙道に触れるように設置してある。

 

「雪を入れろ。ありったけだ」  


 子供たちが、遊びの延長のように笑いながら雪を運び込み、樽を満たしていく。

 やがて、床暖房の排熱を吸収した雪が溶け、白い湯気が立ち上り始めた。


「よし、湯だ。宗谷初の『五右衛門風呂』の完成だ」


(実際にはオンドル式の熱交換システムだが、鉄太たちにはこれで通じるだろう)


「うおお! 入る、俺が最初に入る!」  


 鉄太が興奮のあまり、その場で防寒着を脱ぎ捨てようとした。

 

「待て!」  


 俺の怒声が、狭い小屋に響いた。


「泥だらけのまま入るな! まず身体を洗え!」


 俺は、凍りついた手ぬぐいを鉄太の顔面に投げつけた。

 

「いいか、風呂っていうのは、身体を清めてから入るもんだ。

 お前が泥まみれで入れば、次に入る人間が不快だろう。

 

 それは組織の規律を乱す行為だ。

 手拭いを湯につけろ、それから、真っ赤になるまで垢をこすり落とせ!

 最後に湯で汚れを流したら入ってよし!」


 鉄太が「おうっ!」と威勢よく返事をし、湯の入った桶に手拭いをつける。

 俺の気迫に押され、手ぬぐいで必死に身体をこすり始めた。  

 汚れを落とし、清められた身体で、ようやく鉄太が湯に沈む。


 鉄太が入ると、俺は樽の上に流木の板を渡した。

 現代の風呂蓋だ。

 

「……あぁ……っ。極楽だ……。風呂って最高だな」  


 鉄太の表情から、冬の緊張が溶け出していく。


 極寒の宗谷。


 しかし、この三畳ほどの空間だけは、別の時代の、別の文明の温度を持っていた。  


「……なあ、勘太。この隣の物置、妙に煙臭くねぇか?

 煙道の継ぎ目から少し漏れてるみたいだぜ」


「ん、ああ、そうだな。修繕が必要だな」


 俺は眉をひそめ、物置の戸を開けた。  

 そこには、秋に収穫した大根の干物が吊るされていた。


 泥炭特有の、重厚で野性味のあるスモーキーな香り。

 それが干し大根の甘い匂いと混ざり合い、えも言われぬ深い香りになっていた。


「……鉄太、この大根を一口食ってみろ」


「あ? 煙臭いだけだろ、こんなの……。……ん?」


 不承不承、鉄太が干し大根をちぎって口に放り込む。  

 次の瞬間、彼の目が限界まで見開かれた。


「なんだこれ……! 噛んだ瞬間、鼻に抜けるこの匂い……ただの干し大根じゃねぇぞ」


 噛んだ瞬間、煙の香りが舌の奥でほどけた。


「……燻製スモークだ」

 

 煙の香りが、口の奥でじわりと広がる。


 俺は思わず口端を吊り上げた。  

 現代では当たり前の手法だが、この時代の、それも最果ての宗谷において、

 これは「保存」の概念を塗り替える「嗜好品」への昇華だ。


「いいか、鉄太。俺たちは今まで、この煙を『捨てるもの』として考えていた。

 だが違う。この漏れ出る煙すらも、銭に変えるんだ


 今は大根だが、油煮のカニも燻せばもっと美味くなる。

 それこそ、江戸の食通が泣いて喜ぶ『燻製油煮』になる。

 

 この大根も同じだ。

 この煙の香りは、抗いがたい。

 強い酒を好む男なら、これだけで一升は空ける。」


 鉄太が風呂から上がり、ニヤリと笑った。


「面白くなってきたな。……ただ温まってるだけじゃ、性分に合わねぇと思ってたところだ」


 鉄太は、湯気の中に浮かぶ真っ赤な顔で、拳をぎゅっと握りしめた。

 風呂の多幸感と、新しい「商売」の予感。

 その二つが、この少年の野生的な生存本能を激しく焚きつけているようだった。


「春までに、この物置を『宝の山』に変えてやるぜ! 勘太、次は何を燻せばいい? カニか?

 それとも浜で拾った得体の知れねぇ魚か? 俺が全部やって――」


「ハ、ハックシュイッ!!」


 威勢のいい宣言を切り裂くように、豪快な、それでいてどこか間の抜けた破裂音が小屋に響き渡った。  

 あまりの勢いに、鉄太自身が自分の鼻を押さえてよろめく。

 風呂から上がったばかりの無防備な上半身には、まだ大粒の湯滴が滴り、

 冬の冷気にさらされて猛烈な勢いで湯気を上げていた。


「……鉄太。やる気があるのは認めるが、先に服を着たらどうだ」


 木簡に筆を走らせていた朔弥が、あきれ果てたという顔で顔を上げた。


「いくら風呂であったまったからって、今は冬だぞ。

 一歩下がれば零下の世界だ。

 そんな格好で鼻息を荒くしてたら、春を待つ前に風邪でくたばるのが落ちだ」


「な、なに言ってやがる!

 俺の体は今、火の玉みたいに熱いんだよ。

 風邪なんて――ハックシュッ! ハ、ハックシュイィ!」


 連続するくしゃみに、鉄太の肩が大きく跳ねる。  

 急激に体温を奪われ始めたのか、赤かった肌がみるみるうちに鳥肌に覆われていった。


「ほら見ろ。……三吉。

 この『火の玉』が消える前に、着物を渡してやれ。

 こいつに寝込まれたら、泥炭運びの労働力が一人分、丸ごと損失ロスになる」


 俺の言葉に、三吉がクスクス笑いながら着物を鉄太に放り投げた。


「わ、分かったよ! 着ればいいんだろ、着れば!」


 鉄太はぶつぶつ言いながらも、慌てて袖を通し始めた。  

 ようやく落ち着きを取り戻した鉄太の背中を見ながら、俺は再び「燻」の一文字に視線を戻した。


「……さて。体調管理も大切だ。

 全員、風呂で温まったらすぐに着ろ。

 温かい飯を食って、寝る。

 

 明日からは、この『燻製室』の本格稼働だ。

 ……九兵衛さんが腰を抜かす特等品、仕込み始めるぞ」


 温かな床の上で、俺たちは初めて「冬を克服した」という実感に包まれていた。  

 地吹雪の音は、もう脅威ではなく、最高の商品を熟成させるためのBGMに過ぎなかった。


---

 

 後日、床暖房と風呂と燻製小屋を見た徳蔵さんは、


「なんじゃ、こりゃあっ!」


 と村中に響く声をあげた。


 温かい床の上を、子供のように転げ回る。


 だが――


 風呂樽は小さすぎた。


 徳蔵さんは大きな体を無理やり縮めてみたが、どうにもならず、

 しょんぼりと家路についたのであった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


「極寒の地で床暖房に風呂……。勘太の生存戦略がチートすぎる!」

「ラストの徳蔵さん、身体が大きすぎて風呂に入れないのが切なすぎる……!」


と思っていただけたら、ぜひブックマークや、下の【☆☆☆☆☆】評価で応援をお願いします!

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砂浜で金塊をみつけた如き感動です 続きを、続きをお願いいたします~
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