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第20話:宗谷の掟と、六歳の誤算

一年。

五歳のコンサルタント・勘太が作った「仕組み」は、十数人の子供を養う立派な事業へと成長した。

現場の熱気と緻密な計算。

完璧に見える歯車の中で、ただ一人「番頭」の朔弥だけが、逃れられない破綻の予兆を感じ取っていた。

成功の絶頂で、九歳の少年が抱え込んだ絶望の正体とは。

 宝暦十年(一七六一年) (仲春) 蝦夷地・宗谷


  蝦夷地・宗谷の最果てに、冬の名残を惜しむような湿った風が吹き抜ける。

  雪解けの泥濘を蹴って走る、数十人の子供たちの足音。

  それはかつての飢えた足取りではなく、明日を食いつなぐための、確かな「労働」の響きだった。


 一年前、俺と鉄太、朔弥を含めたわずか七人で始まった「回収屋」は、

 今や宗谷の片隅で、煙突から細い煙を上げる小さな作業場へと姿を変えていた。


 かつての「隠れ家」の周りには、

 波打ち際から拾い集めた廃材を継ぎ足して作った簡素な調理場と、

 原料となるカニ殻や魚の残滓を囲うための防風壁が並んでいる。


 建屋からは、シラカバの樹液を煮詰める甘い匂いと、

 カニの殻を石で叩き潰す規則正しい音が、波音に混じって絶え間なく響いていた。


 裏手には、骨粉の効果を確かめるための小さな試験用の畑と、

 自分たちの食い扶持を補うためのささやかな菜園が、雪の下から黒い土を覗かせている。

 その土の黒さは、俺たちが一年かけて積み上げた成果そのものだった。


 俺――勘太は、今年で六歳になった。


 前世ではコンサルタントとして、数多の企業の興亡を見てきた。

 その経験をこの幼い体に詰め込み、

 泥を啜るような北の大地で生き残るための「仕組み」を作ってきた。


 この一年の間に、俺たちの事業は着実な、だが慎ましい広がりを見せている。

 徳蔵さんとの契約を通じて、「油」と「肥料」の生産量は少しずつ増えた。

 古くなった道具(小型の包丁やかご、縄など)と交換してもらうことで

 作業の効率化は進み、事業は確実に拡大している。


 村の大人たちの間でも、

「あそこのガキどもは、何やら小利口に食い扶持を稼いでいる」と、

 冷やかし混じりに、だが確実に一目置かれる存在になりつつあった。


 共に働く仲間たちの姿も変わった。

 手足となって動く十数人の子供たちが、自分たちの役割分担に従って、テキパキと手を動かしている。


 労働の対価として、俺が考案した「木簡の給付台帳」

 ――いわば作業場内限定の預金通帳のような仕組みを導入した。


 子供がバラで「通貨」を持てば、紛失や盗難、あるいは大人に巻き上げられるリスクがある。

 そのため、報酬はすべて木簡に刻印して本人に持たせると同時に、

 朔弥が管理する「大帳面」にも同じ額を記録し、常に二重で照合できる体制をとった。


 何かと交換する際は、本人の木簡と帳面の数字を突き合わせ、その場で削り消していく。

 管理の手間は膨大だが、利用者がまだ数十人程度の今なら、

 この「信用」を担保する仕組みこそが、彼らの労働意欲を支える背骨となっていた。


「……なあ、これ本当に飯と替えられるんだよな?」


 一人の痩せた少年が、不安げに木簡の表面を撫でる。  

 去年、飢え死にしかけていたところを鉄太に拾われた新入りだ。


「当たり前だろ。勘太がいってたろ?

 これが働いた証だって。


 働いた証の代わりに飯がもらえる。

 こいつがありゃ、飯が喰える。

 ……俺たちはもう、ただの野良犬じゃねえんだ」


 少し年上の少年が、誇らしげに自分の木簡を火にかざした。  

 その横では、別の少年が小さな手で、必死に「数字」の読み書きを練習している。


「朔弥の兄貴に言われたんだ。

 『字が書けねえ奴は、一生誰かに搾り取られるだけだ』って。

 ……俺、もっと働いて、いつかあの帳面を付けられるようになりたいんだ」


 子供たちの瞳には、この極寒の地には不釣り合いな「希望」が灯っていた。  

 彼らにとって、この作業場は単なる仕事場ではない。  

 明日が来ることを信じられる、唯一の聖域だった。


「おい! もっと細かく砕け! 粒が大ききゃ、徳蔵さんに突き返されるぞ!

 肥料にならねえ石っころを売るつもりか!」


 現場に響き渡る怒号。


 鉄太だ。


 九歳になった彼は、潮風に焼かれた肌と逞しい体つきで、「現場の頭」としての風格を纏っていた。

 彼の放つ剥き出しの活気こそが、この小さな作業場の心臓であり、動力源だった。


 俺はその様子を眺めながら、ふと、薄暗い調理場の隅へ視線を向けた。

 そこには、積み上がった木簡と、数字が書き殴られた板を前に、炭を握る朔弥の姿があった。


 彼もまた九歳。


「中の番頭」として、仕入れと在庫、そして大人たちとの僅かな取引の全てを、

 その小さな頭脳で管理している。


 前世の知識を持つ俺が投げかける「複式簿記」の概念を、

 彼は驚くべき速度で吸収し、この未開の地で「経営」を成立させていた。


 だが、年が明けてから、朔弥の様子がおかしい。

 以前なら、帳尻が合うたびに不敵な笑みを浮かべ、


「勘太、今月はこれだけ浮いたぞ」


 と誇らしげに報告してきた彼が、最近では作業が終わるたび、深く、

 重苦しい溜息を漏らすようになっている。


「……朔弥。さっきから手が止まっているぞ。計算が合わないか?」


 俺が背後から声をかけると、朔弥は肩を大きく揺らし、慌てて帳面代わりの板を隠した。

 その仕草は、隠し事をしている子供のそれというより、

 致命的な欠陥を見つけ、それを独りで抱え込もうとする責任者の拒絶反応に見えた。


「……いや、計算は合っている。一文の狂いもない。在庫も、次の出荷分も完璧だ」


「なら、どうした。顔色が悪いぞ。体調でも悪いのか?」


「……なんでもない。少し疲れただけだ。順調過ぎて大忙しだからな。……贅沢な悩みだよ」


 誤魔化すように、彼は薄く笑った。

 だが、朔弥の眼には、九歳の子供とは思えないほどの、

 乾いた諦念が宿っていた。彼はすぐに視線を逸らしたが、俺は見逃さなかった。


 それは、肉体的な疲れによるものではない。

 コンサルタントとして、数多くの斜陽企業の経営者、

 あるいは急成長の果てに壁に突き当たったリーダーたちの顔を見てきた俺にはわかる。


 これは、順調なプロジェクトが「破綻」という終焉を迎える直前に、

 全貌を把握している責任者だけが感じ取る「閉塞感」だ。


 九歳の朔弥が見せるその暗い情熱は、まるで「畳むことが決まった工場の主」が、

 最後の火を落とすのを待っている時の表情に似ていた。


 何かが、致命的に狂い始めている。


「なあ、朔弥。……ここじゃあ騒がしい。

 少し二人きりで話したいことがあるんだが、いいか。

 鉄太には、少し遅くなると伝えておく」


 俺が低い声で切り出すと、朔弥は手に持っていた炭を、ぽとりと床に落とした。

 その音が、静かな調理場の隅に不自然に響く。


「……ああ、いいよ。

 実は俺も、お前には話しておかなきゃならないことがあると思ってたんだ」


 朔弥の表情には、いつもの飄々とした余裕の色はなかった。

 その声は震えていたが、同時に「ようやくこの重荷を下ろせる」という、

 悲劇的なまでの安堵が混じっていた。

お読みいただきありがとうございました。

順風満帆に見える組織に走る、一本の亀裂。

知略の朔弥だけが気づいてしまった「この時代の残酷な現実」が、ついに牙を剥きます。


「朔弥の告白が気になる!」「宗谷商会を応援したい!」と思ってくださった方は、

ぜひブックマークや【☆☆☆☆☆】の評価をお願いします!


次回、平穏な日々を打ち砕く衝撃の宣告。勘太たちの「城」に、最大の危機が訪れます。

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