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【閑話】匹夫の勇、城を動かす熱となる ――鉄太の独白

近代化を急ぐ組織の中で、置き去りにされた「現場の誇り」。

知略の朔弥が加わったことで、己の居場所を失い、自尊心を爆発させた鉄太。

そんな彼に勘太が差し出したのは、仲直りの言葉ではなく、魂を震わせる「黄金の一杯」だった。

 宝暦十年(一七六〇年) (仲春) 蝦夷地・宗谷


 鼻をつく、香ばしい匂いが隠れ家に充満していた。  

 カニの殻をじっくりと炙り、そこへ貴重な油と……なんだかよく分からねえ

 「勘太の秘策」を注ぎ込んだ、得体の知れない料理。  


 だが、その匂いを嗅いでいるだけで、喉の奥から唾液が溢れてくる。


「……できたぞ。さあ、食え。冷めないうちにな」


 勘太が、五歳の小さな手で木皿を差し出してきた。  

 皿の上には、丁寧に身をほぐされたカニの肉が盛りつけられ、

 その上から透き通った黄金色のたれが掛かっている。

 苦手な野草もそえられていたが気にならなかった。

   

 俺は、無言でそれを受け取った。


 箸を動かす。  

 口に入れた瞬間、脳を直接殴られたような衝撃が走った。  

 カニの旨味が、濃縮された油の熱さとともに爆発し、鼻から抜けていく。


「……うめぇ」


 思わず零れた声は、自分でも驚くほど震えていた。  

 さっきまでの、あの泥濘の中を這いずり回るような、

 暗くて冷たい気分が、この一口で強引に洗い流されていくようだった。


 正直に言えば、この数日は、ずっと死にたいような気分だった。  

 いや、死にたいというよりは、「消えてしまいたい」の方が近い。


 俺はこの隠れ家が、自分の「城」だと思っていた。  

 勘太が、この何もない宗谷の片隅で「何か」を始めると言ったとき、俺は震えるほど嬉しかったんだ。  

 

 俺には勘太のような賢い頭はない。

 文字も書けねえし、数字もさっぱりだ。  

 だけど、この太い腕と、山を駆け、海に潜る足腰だけは誰にも負けねえ。  

 勘太の「夢」を形にするのは、俺の役目だ。

 

 そう自惚れていた。


 だけど、あいつ――朔弥が来てから、全部が変わっちまった。


 あいつが砂の上に線を引き、「効率」だの「役割」だのと言い出すたびに、

 俺の居場所が少しずつ削り取られていくのが分かった。  

 

 これまで俺が、気合と根性で運んできた流木やカニが、

 あいつの帳面の上ではただの「数字」に置き換えられた。  

 

 俺の誇りだった汗も、仲間たちと交わした「あと一踏ん張りだ」という気勢も、

 あいつの前では「無駄な動き」でしかなかった。


(……俺、いらねぇんじゃねぇか?)


 夜、冷たい床に横たわっていると、そんな考えばかりが頭を巡った。  

 勘太が「俺たちは仲間だ」と言ってくれても、

 あいつの隣で小難しそうに木簡を叩く朔弥を見ていると、

 自分がただの「力だけのデク」になったようで、堪らなく惨めだった。  

 

 だから、ついに暴れた。

 

 ぶち壊してやりたかった。  

 

 あんな、人間を部品みたいに扱う「数字の板」なんて、焚き火にくべてしまえばいいと思った。


 だけど。  

 

 闇の中を追いかけてきた勘太は、俺を突き飛ばし、砂浜で泣きながら怒鳴った。  

 あの、いつも大人みたいに冷静な勘太が、鼻水まで垂らして「勝手なことを言うな!」と叫んだんだ。


 そしてさっき、勘太は砂の上に新しい図を描いた。

 

 「現場の頭」――。  

 

 俺にしかできない役目だ、と言い切った。


「……朔弥、殴って悪かったな。詫びのしるしだ」


 俺は、横で器用に箸を動かしている朔弥の皿に、自分の皿からカニの身を少し移した。  

 あいつは驚いたように目を見開いたが、

 すぐにまた「……意外と殊勝だな」と不敵に笑って口を動かした。


 癪だけど、認めなきゃならねえ。  

 この「カニの黄金かけ」を食えるのは、俺が集めてきたカニを、

 朔弥が厳しく管理して、勘太が仕上げたからだ。  

 俺一人の力じゃ、この黄金色の味には、一生かかっても辿り着けなかった。


「……勘太。俺、やるよ」


 俺は黄金色の汁を最後の一滴まで啜り上げ、皿を置いた。  


「現場の不満も、外からくる嫌がらせも、俺が全部飲み込んでやる。

 あいつらが泥まみれになっても笑ってられるのは、俺の仕事なんだろ?」


 勘太が、満足そうに頷いた。  

 その顔を見ていたら、不思議と腹の底が熱くなった。


 俺は「脳」にはなれねえ。  

 だけど、この隠れ家という城を動かすための「心臓」としてなら、いくらでも熱く脈打たせてやる。  

 朔弥が引いた冷たい線の上に、俺が「熱」を流し込んでやるんだ。


「……ご馳走様。明日からは、山ほど薪もカニも運んでくるからな。覚悟しとけよ、番頭さん」


 俺が朔弥をそう呼ぶと、あいつは鼻を鳴らした。  

 だが、その口元は、ほんの少しだけ緩んでいたように見えた。


 宗谷の春は、まだ寒い。  

 だけど、俺の中の火は、今までで一番熱く燃えていた。

鉄太という「心臓」が、朔弥という「脳」を認め、一つの組織として脈打ち始めた瞬間です。

冷徹な仕組みに熱い血が通り、真の「力」を手に入れました。


「鉄太、よく言った!」と思ってくださった方は、

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執筆の大きな活力になります。

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