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第17話:決裂の夜――五歳の背負う「失敗」

いつもご愛読ありがとうございます。


事業が拡大し、順風満帆に見えた「隠れオフィス」。

しかし、効率を追求する朔弥と、現場の誇りを守ろうとする鉄太の対立は、

ついに修復不可能な段階へと達してしまいます。


現代知識による「合理化」が、かつての仲間を追い詰めていく。

勘太が直面する、経営者としての最大の試練をぜひご覧ください。

 宝暦十年(一七六〇年) (仲春) 蝦夷地・宗谷


「やめろ、二人とも!」


 俺の怒声が、隠れオフィスの低い天井に跳ね返った。

 中心では、鉄太が朔弥の胸ぐらを掴み上げ、今にも拳を振り下ろさんとしている。


「効率だか何だか知らねえがな、朔弥!

 現場を回してきたのは俺の腕っぷしだ。

 後から来たてめぇに、俺の仕事を『無駄』なんて言わせねえぞ!」


 鉄太の怒号に、朔弥は微塵も揺るがず、冷徹な視線を投げ返す。


「離せ。俺を殴って済む話じゃない。

 俺が言っているのは、お前にはお前にしかできない役割があるだろうという話だ」


 俺が割って入り、鉄太の太い腕を押し下げる。


「鉄太、朔弥も落ち着け。……朔弥、今は引け。この話はまた後日だ」


 鉄太は忌々しげに手を離したが、その肩は荒い呼吸で激しく上下していた。


「……ちっ、面白くねぇ」


 その場は、俺の仲裁でかろうじて収まった。

 だが、それは解決ではなく、ただの先送りに過ぎなかった。


 数日が経過した。


 事業の膨張スピードに、組織の「心」が追いついていない。

 前世のコンサルタント時代、嫌というほど見てきた「創業メンバーの疎外感」という名の火種。

 それが今、宗谷の雪解け泥の中で最悪の形で発火した。


 その夜、俺が徳蔵さんのところから戻ると、

 隠れオフィスからは既に「平穏」という名の空気が霧散していた。


 入り口の戸を開けた瞬間、肺を突いたのは湿った土と、

 精製したばかりの樹液の甘い匂い――。 そして、剥き出しの殺気だった。


 床には完成したばかりの「骨粉」がぶちまけられ、丹精込めて煮詰めた琥珀色の樹液が、

 泥濘と混ざり合って無残な汚れへと変わっている。


 その中央で、鉄太が肩を大きく上下させ、拳から血を滴らせていた。


「……何があった」


 俺の声に、朔弥が口角の血を拭いながら応じた。

 その足元には、炭で細かく書き付けていた出納用の木簡もっかんが、

 無残に真っ二つに割れて転がっている。


「鉄太が、この木簡を焚き火に放り込もうとしたんだ。止めに入った俺を、いきなり殴り飛ばした」


 朔弥の瞳には、一切の揺らぎがない。

 冷徹な経営判断を下す者の目だ。


「こいつはもう組織の癌だ、勘太。

 お前が作った決まりだろう?

 これまでの積み上げを、ただの薪だと思ってやがる。

 みんなの働きを無にするような者に、ここに居る資格はない」


「薪だろ、こんなもん!」


 鉄太が吠えた。

 その声は、かつての快活さを失い、ひび割れた鐘のように響いた。


「てめぇが来るまで、俺たちは楽しくやってたんだ!

 なんだよその文字しるしは!

 なんだよ効率ってのは!

 俺たちの『城』を、ただの商売道具にしやがって……!」


 鉄太の叫びは、夜の静寂を切り裂く悲鳴だった。

 朔弥という「精密な歯車」が加わり、

 新参たち「多種多様な部品」が揃ったことで、

 ロマンあふれる城は無機質な工場へと塗り替えられた。


 鉄太が誰よりも重い薪を運び、一番に浜を駆ける。

 それが俺への忠誠であり、彼の誇りだった。


 だがその自負は、朔弥の「最短ルートの構築」や「内職による分業化」によって、

 単なる非効率な作業として切り捨てられた。

 彼の居場所は、一歩、また一歩と「合理性」に削り取られていったのだ。


「鉄太、落ち着け。

 その木簡に刻まれた数字がなきゃ、誰がどれだけ働いたか証明できなくなる。

 俺が全員を公平に守るための、これは命綱なんだ」


 俺が歩み寄ると、鉄太は絶望したように顔を歪めた。

 その瞳に宿っているのは、怒りではない。

 自分という人間が、数字に置き換えられて消えていくことへの、根源的な恐怖だ。


「公平、だぁ? ……結局、お前もあっち側なんだな、勘太」


 鉄太の瞳から、俺を「大将」と慕った熱が、一気に引いていくのが見えた。

 取り返しのつかない境界線。

 それを、俺自身の「」が、無意識のうちに引いてしまった。


「……確かに、お前の言うことは正しいのかもしれねえ」


 鉄太は、ぶちまけられた粉を見下ろし、それから俺を真っ直ぐに射抜いた。


「だが、俺はもう、お前の顔を見るのも、その賢そうな口ぶりを聞くのも御免だ」


「鉄太、待て」


「勝手にやってろ」


 鉄太は吐き捨てると、隠れ家を飛び出し、闇夜の宗谷へと走り去った。

 湿った地面を蹴る重い足音が、次第に遠のいていく。


 残されたのは、血の匂いと、土にまみれた成果物。


 俺は泥にまみれ、真っ二つに割れた木簡を拾い上げた。

 そこには鉄太が今日運んだはずの、歪な「正」の字が刻まれていた。

 胸の奥からせり上がる吐き気を、小さな喉で無理やり飲み込む。


「……三吉、慎也。

 片付けをしろ。

 散らばった粉は可能な限り回収しろ。木簡は朔弥……頼む」


 俺の指示は、自分でも驚くほど冷たく、震えていた。

 五歳の身体にはあまりに重い、決裂という名の沈黙がそこにあった。


「……鉄太は、俺が追う」


 俺は五歳の短い足で、冷たい春の闇へと踏み出した。


 背後で朔弥が何かを言いかけたが、それを聞く余裕はなかった。

 足元は雪解け水でぬかるみ、一歩進むごとに冷たい泥が草鞋わらじに染み込んでくる。

 視界を覆うのは、原始の暗闇。


 コンサルタントとして、俺は失敗した。

 組織図は埋まっても、そこに通うべき血液が止まってしまった。

 この深淵を埋められる言葉を、俺はまだ持っていない。


 それでも、俺は闇の奥へと、ただ一つの足跡を追って走り続けた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


ついに決定的な決裂が起きてしまいました……。

「お前もあっち側なんだな」という鉄太の言葉が、勘太の心に重くのしかかります。

どんなに正しい数字も、長年連れ添った仲間の「居場所」を奪う理由にはならない。

前世で百戦錬磨のコンサルだった勘太にとっても、これほど辛い現場はないかもしれません。


闇夜に消えた鉄太。五歳の体で後を追う勘太。

二人は再び、以前のような「大将」と「右腕」に戻れるのでしょうか。


「鉄太の気持ちが分かりすぎて辛い」「勘太、なんとかしてくれ!」

と感じた方は、ぜひ【☆☆☆☆☆】やブックマークで、勘太の背中を押してやってください。

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