第12話:先行投資と知略の味 ―期待値を上回る「報酬」の提示―
いつもご愛読ありがとうございます。
前話では、知略に長けた少年・朔弥が仲間に加わりました。
今回は、現代コンサルタントの知識を活かした「人心掌握術」と、寒村の未利用資源を「高級品」に変える魔法をお見せします。
そしてラスト、宗谷のパワーバランスを激変させる「巨大な転機」が訪れます。
ぜひ最後までお楽しみください。
宝暦十年(一七六〇年)(初春) 蝦夷地・宗谷
隠れ家の外では、まだ雪混じりの風が鳴っている。
この時期の宗谷は、春の足音よりも冬の執念の方が強い。
だが、断熱材により防寒対策されたこの空間だけは、熾火の熱と、
この村ではあり得ない「甘い香り」に包まれていた。
「……これが、特別な甘味か?」
三吉が、目の前に置かれた椀を舐め回すように見つめている。
椀には、琥珀色をしたドロリとした液体が、わずかにゆれていた。
「白樺の樹液を煮詰めたもんだ。……名付けて『宗谷蜜』だ。さあ、遠慮なくいってくれ」
俺が促すと、三吉は躊躇なく椀に口をつけた。
(あの椀にあの量だと見た目がしょぼいな……。
お猪口みたいな器がいる。
あの入り江の奥にいい感じの粘土質の泥があったし、工夫方の初仕事は焼き物を試してみるか?)
前世の製品開発の癖で、ついつい改善案を考え出す俺をよそに、
三吉は感動のあまりその場で小刻みに震え出した。
「あ、あめぇ……! なんだこれ、夢みてぇだ!」
その絶叫に近い歓喜の声に、背後で待機していた鉄太たちの我慢が限界を迎えそうになっている。
俺は「福利厚生」の公平性を保つため、壺の中の蜜を匙ですくい、
一人ひとりの口に入れて回った。
みんな、一様にだらしなく弛緩していく。
新入りの朔弥は、鉄太たちの過剰な反応を、冷ややかに見ていた。
だが、やがて彼は意を決したように、俺の前で口を開けた。
俺は、そのプライドの高そうな口の中に、最後の一匙を放り込む。
直後。
朔弥の眉が、わずかに跳ね上がった。
「……っ、これが、木の汁だというのか?」
「ああ。
旬の時期にしか採れない期間限定の味だ。
薪はかかるが、拾えばタダだ。
……どうだ、朔弥。
お前の言う『ガキのごっこ遊び』で、これほどの価値のあるものが作れると思うか?」
朔弥はすぐには答えなかった。
ただ、口内に残る後味を確かめるように、静かに舌を動かしている。
「……なかなかやるな。
だが、これだけじゃわからないな。
美味いことは認めるが、この量じゃ腹は膨らまないからな」
強気な言葉。
だが、その瞳には明らかに、先ほどまでの「侮り」とは違う色が混じり始めている。
俺は、ここで畳み掛ける。
「次はこれだ。歓迎会の主菜、カニの寄せ鍋だ」
囲炉裏にかけられた小さな土鍋が、コトコトと軽快な音を立てる。
中に入っているのは、試作段階で乾燥に失敗し、商品価値を失った「カニの備品」の端材だ。
それに少量の塩と昆布、春先の野草を放り込んだだけのもの。
だが、冬の間に熟成されたカニの旨味は、暴力的なまでの「黄金の出汁」となって溢れ出していた。
「……少ないな」
朔弥が、差し出された汁碗を見て呟く。
「当たり前だ。
これは『歓迎会』であって『炊き出し』じゃない。
蓄えを全部振る舞うほど、うちに余裕があるわけじゃないからな。
……だが、その一口にどれだけの『工夫』が詰まっているか、確かめてみろ」
朔弥は、慎重に汁を啜った。
……沈黙。
周囲のガキどもが「うめぇ、うめぇ」とはしゃぐ中で、朔弥だけがじっと碗の底を見つめている。
彼が驚いているのは、もはや単なる「味」ではない。
(……この味は、偶然じゃない。すべて、狙って作られている)
朔弥は、ゆっくりと碗を置いた。
村の大人たちの噂では、「勘太という変なガキが、ゴミ同然のカニを子供に食わせてる」程度の話だった。
だが、目の前にあるのはそんな生易しいものではない。
ただの木から「甘味」を抽出し、捨てられるカニから、
大店の食膳にも並ばないような「濃密な旨味」を引き出している。
それを、自分よりいくつも年下の、この五歳の幼児が「設計」している。
(遊びじゃない……。こいつは、本気で何かを企んでいる)
朔弥の背筋を、冬の風とは違う冷たい緊張感が走り抜けた。
同時に、彼の瞳に宿っていた「冷めた光」が、わずかに鋭さを増す。
「……勘太」
朔弥が、これまでで最も低い、だが確かな声で俺の名を呼んだ。
「ガキの遊びじゃなさそうなのは理解できたよ。
だけど、まだ様子を見させてもらうよ。
お前がその小さな頭で、次に何を企んでいるのかをな」
俺は、唇の端を吊り上げた。
全面降伏ではない。
だが、明確に「興味」を繋ぎ止めた。
知略を誇る男との、これが本当の契約の始まりだ。
「いいだろう。……なら、歓迎会はここまでだ。明日からは、寝る暇もないぞ……」
つい、前世のプロジェクト末期の癖が出そうになったが、慌てて言葉を飲み込む。
「……と言いたいところだが、お前らにも家での手伝いがあるだろう。
家の仕事の合間に、無理のない範囲で顔を出してくれればいい。
また明日な」
(危ねぇ。つい、昂って闇落ちしそうになった。ブラック、駄目、絶対!)
期待以上の反応を見せる部下を前に、搾取の鬼になりかける自分を、俺は心の内で必死に叱咤する。 組織を永続させるのは、恐怖による縛りではない。
「ここについていけば、面白いものが見られる」
という、圧倒的な期待値だ。
だが、その時だった。
遠く、入り江の向こうから、村の連中の狂乱した叫び声が届いた。
「おい、勘太! 大変だ!」
鉄太が血相を変えて飛び込んできた。
「浜だ! 浜に……『寄り鯨』が上がってやがる! 見たことねぇほど、馬鹿でけぇ奴だ!」
寄り鯨。
一頭で七浦を潤すと言われる、究極の「天からの配給」。
鉄太や三吉が興奮で顔を上気させ、朔弥がその莫大な利権の行方に表情を強張らせる中――。
俺だけは、暗闇の中で静かに口角を吊り上げた。
(……来たか。絶好のタイミングだ)
大人は肉と脂を奪い合えばいい。
俺たちが狙うのは、奴らが「ゴミ」として捨てる、真の黄金だ。
この鯨を使い切ったとき、俺たちの組織はただの子供の集まりではなく、
この宗谷で無視できない「勢力」へと変貌する。
「……今夜は寝るぞ。明日は、これまでにないほど汚れてもらうからな」
焚き火の赤光を瞳に宿し、五歳の幼児は不敵に笑った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
主人公の勘太、つい前世の癖で「ブラック上司」になりかけていましたね(笑)。
さて、物語はついに「寄り鯨」という巨大な利権を巡る新展開に突入します。
大人が肉を奪い合う影で、五歳のコンサルタントは何を「黄金」と見なして拾い上げるのか……。
もし今回の「宗谷蜜」や「カニの出汁」の描写に食欲をそそられたり、
ラストの鯨の登場にワクワクしていただけましたら、
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