第8話:冬越えの王国に潜む罠 ―鉄太の異変と、前世(エリート)の致命的な失策―
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
拠点(隠れ家)のインフラも整い、保存食の量産も軌道に乗ってきた。
五歳のコンサルタント・勘太にとって、宗谷の冬はもはや「管理可能なリスク」に過ぎない……はずでした。
しかし、組織が大きくなればなるほど、見落としていた「小さな穴」から綻びが生じます。
今回は、現代の知識と江戸の知恵が交差する、組織の「身体的リスク」をめぐるお話です。
宝暦十年(一七六〇年)(晩冬) 蝦夷地・宗谷
思いがけない『お宝』を見つけたあの日から、しばらくの時が流れた。
冬の宗谷は、一歩間違えれば死が隣り合わせの地獄だ。
だが、俺にとっては「不合理を正す」ための実験場に過ぎなかった。
母との約束――「事前に相談する」を盾に、俺は家の外での活動を本格化させた。
家では泥を塗って怒られたが、入り江の「隠れ家」は今や、
断熱・調湿・換気を備えた、この村で最も快適な「オフィス」へと魔改造されている。
「いいか、食う前は必ずこの水で手を洗え。喉もガラガラしろ。
汚ねぇやつ、臭ぇやつと一緒に飯を食うと味が落ちる。組織の規律は清潔からだ」
俺の衛生指導に、最初は戸惑っていた鉄太たちも、今では当然のように習慣化している。
不思議なことに、冬になると必ず数人は寝込むはずの子供たちが、今年は一人も欠けていない。
「勘太の言うことを聞けば、腹が減らないし、病気にもならない」
その信頼は、いつしか揺るぎない絆へと変わっていた。
日々の活動は分業化され、驚くほど効率的に進んだ。
俺がまず着手したのは「兵站」の改善だ。
俺たちは「薪の備蓄制度」を確立した。
定期的に補充することでいつでも安定して薪を持ち帰れるようにしたのだ。
これにより、俺たちは毎日の「家の手伝い」という
ノルマを爆速で終わらせることができるようになった。
浮いた時間は、すべて隠れ家での「事業」に充てられる。
隠れ家の倉庫には、着実に資産が蓄えられていった。
大きさ別に仕分けられた薪。
洗って陰干しした海藻類。
少しではあるが塩も蓄えられるようになってきた。
そして、試行錯誤の末に完成したのは、海の旨味をぎゅっと閉じ込めたカニの固形保存食だった。
カニを殻ごと焚き火でじっくりと燻し、粉末にした身に、海藻の煮汁を少量加えて再び燻す。
最後に押し固めて乾かせば、口に入れるとカリッとしつつほろりと崩れ、
磯の香りと甲殻類の甘みがじわりと広がる固形食になる。
軽く炙れば、寒い宗谷の冬でも、濃厚な旨味と栄養をいつでも摂取できる。
そのまま齧って噛み応えを楽しむことも、温めてスープにして体を温めることもできる、
漁村の知恵が凝縮された一品だった。
さらには、入り江の地形を利用した「魚用の罠」も作成した。
引き潮の際に魚が取り残されるよう、岩場に巧妙に石を積み上げただけの原始的なものだが、
これが驚くほど成果を上げた。
俺たちは、大人が時化で海に出られない日でも、
安定して高カロリーな食事を摂取し続けていた。
(よし……。人材育成、インフラ整備、食料貯蔵。すべてが計画以上に順調だ。)
血色が良くなり、少し肉付きの良くなった鉄太たちの成長を眺め、
俺は五歳の体で深い満足感を覚えていた。
かつてコンサルタントとして数々のプロジェクトを成功させてきたが、
何もない荒野から「システム」を作り上げるこの高揚感は何物にも代えがたい。
しかし、冬の厳しい寒さがわずかに和らぎ、春の足音が遠くに聞こえ始めたある日。
その「事件」は唐突に起こった。
「勘太…。すまねえ、なんか、俺、具合悪い。」
いつものように俺の家に顔を出した鉄太は、来るなり顔を青くして座り込んでいる。
鉄太を観察し、眉をひそめた。
症状は、異常な倦怠感、歯茎からの出血、そして足のむくみ。
この時代なら「得体の知れない病」として恐れられるだろうが、俺の知識はこの病名を知っている。
(……壊血病だ。まさか、この時代にこれを目の当たりにすることになるとは)
大航海時代の船乗りを絶望させた、ビタミンC不足による欠乏症。
俺はうかつだった。
高タンパク・高脂質な食事による「熱量」の確保ばかりに目を向け、
微量栄養素の管理を怠っていたのだ。
「鉄太、お前、俺が料理した野草や海藻……ちゃんと食ってたか?」
「……いや。だって、苦ぇし、なんか草食ってるみたいでさ。
勘太がよそ向いてる時に、三吉にあげちゃったんだ」
鉄太が弱々しく笑う。
こいつは組織の中でも一番の肉食派で、俺が「健康のために」と混ぜたハマボウフウや海藻の類を、
子供特有の好き嫌いで避けていたのだ。
(しまった。嗜好性の管理ミスだ。
この時期、この辺りにレモンなんてあるわけがない。
トマト、ほうれん草、大根、かぶ……。
現代ならスーパーで一瞬で揃う食材が、この冬の宗谷には一つもない)
「大根が食べたいのかい?」
背後から声をかけられ、俺は飛び上がった。
また独り言が漏れていたらしい。
振り返ると、母が縫物をしながら不思議そうに俺を見ていた。
「……あ、いや。
鉄太が具合悪そうだから、何か野菜を食べさせたら治るかなって思ってさ」
「ああ、鉄太かい。
最近、体つきが立派になってきたから、しっかり食べさせてるんだろうと思ってたけどねえ。
……冬場に葉物を食べないと、身体が腐って動けなくなる。昔からそう決まってるんだよ」
母は事もなげに言った。
医学的な知見や「ビタミン」という言葉を知らなくても、
この過酷な地で生きる人々は、経験則としてその重要性を熟知していたのだ。
「野菜なら、『貯蔵大根』が少し残ってるけど、
あれは春まで大事に食べなきゃならないからね。
……でもまあ、あんたがそこまで言うなら、少しだけ分けてあげようかね」
母の言葉に、俺は救われた思いだった。
それから数日。
母から分けてもらった貴重な貯蔵大根を、俺は隠れ家で調理し続けた。
大根の葉に近い部分はビタミンCが豊富だ。
(……貯蔵用だから葉はほとんど残っていない。
仕方ない、皮ごと刻むか。
皮の付近にも、今の鉄太に必要な成分が凝縮されている)
煮込みすぎると成分が壊れるため、あえて生に近い状態で細かく刻み、
カニの出汁と合わせて鉄太に流し込んだ。
「……苦ぇよ、勘太……」
「黙って食え。これはお前の給料からの天引きだぞ」
「てんびき……? よくわかんねぇけど、わかったよ」
そんなやり取りを続けながら、鉄太の容態を観察する。
数日後、歯茎からの出血が止まり、青白かった顔に赤みが戻ってきたのを見て、
俺はようやく胸を撫で下ろした。
(よし。危なかった……。
組織運営において、メンバーの身体的リスクを過小評価していた。
これは大きな反省点だ)
鉄太は十日も経つ頃には、ようやく足のむくみが引き、軽い薪運びができるまでになった。
俺はこの事件を教訓に、隠れ家のメニューを大幅に改定した。
海藻や野草をただ出すのではなく、カニの脂と混ぜて「食べやすく」加工する。
嗜好性と栄養価の両立。
それが、ホワイト経営を支える新たな指針となった。
(暖かくなったら木の実や野菜を使った保存食の研究も始めるか。
それまでは地道に研究開発と資材改修だな)
問題はあったものの依然として事業は順調。
が、順調であるが故の問題が浮上するのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「ホワイト経営」を目指しながら、一番の相棒である鉄太を病(壊血病)の危機に晒してしまった勘太。前世のエリート意識が、この過酷な地では「慢心」になり得ることを痛感する回となりました。
さて、第8話のラストで触れた「順調であるが故の問題」。
次回の第9話では、組織の拡大に欠かせない「人材獲得」の壁が立ちはだかります。
「勘太、頑張れ!」「この組織の行方が気になる」と思っていただけましたら、
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