第9話 愛の代償
王宮の回廊は、昼間でも静かだった。
磨かれた床に靴音が響くたび、マリアは無意識に肩をすくめる。昨日まで、ここは祝福の場所だった。少なくとも、自分にとっては。
今は違う。
すれ違う貴族たちの視線が、言葉を持たずに突き刺さる。
直接的な侮蔑はない。むしろ礼儀正しい微笑みさえ浮かべている者もいる。それが余計に、彼女の胸を締めつけた。
「……私、場違いなんだ」
思わず漏れた独り言は、誰にも拾われない。
自室に戻ると、マリアは椅子に腰を落とした。
簡素な部屋だ。王宮の一角を与えられてはいるが、豪奢さはない。けれど、今はその質素さが救いだった。きらびやかなものを見る余裕がない。
扉がノックされる。
「マリア」
レオンハルト王太子の声だった。
「入ってもいいか?」
「……はい」
彼は、いつもより疲れた顔で入ってきた。
鎧は脱いでいるが、どこか気が張ったままの様子だ。
「体調はどうだ」
「大丈夫、です」
本当は、大丈夫ではない。
夜も、ほとんど眠れていない。
「……皆が、私を見る目が変わった気がします」
マリアは、勇気を出して言った。
「それは、気のせいだ」
王太子は即座に否定する。
「君は何も悪くない。愛を選んだだけだ。間違っていない」
その言葉は、優しい。
けれど、どこか軽かった。
「でも……」
マリアは、指先を握りしめる。
「穀物の値段が上がったって、聞きました。市場が混乱しているって……」
「一時的なものだ」
王太子は、強い口調で言う。
「もう手は打った。すぐに落ち着く」
彼自身が、その言葉を信じたいようだった。
マリアは、俯いたまま続ける。
「もし……もし私がいなければ、こんなことには……」
「違う!」
王太子は、彼女の肩を掴んだ。
「それ以上言うな。責任は、全部僕が取る」
その言葉に、マリアは顔を上げた。
そこには、縋るような期待があった。
「……本当に?」
「ああ」
王太子は、迷いなく頷く。
だが、その“責任”が何を意味するのか、二人とも理解していない。
責任とは、誰かを守ると宣言することではない。結果を引き受けることだ。
その夜、マリアは窓辺に立ち、王都の灯りを眺めていた。
人々の生活は続いている。市場も、通りも、完全に止まったわけではない。
それが、余計に怖かった。
本当に壊れているなら、もっと分かりやすいはずだ。
「……私、間違えたのかな」
問いかける相手はいない。
返ってくるのは、沈黙だけだ。
一方、別の部屋では、財務官が数字と睨み合っていた。
帳簿の上で、赤字の線が静かに伸びている。
「……これは、愛の代償としては高すぎる」
彼は、誰にともなく呟いた。
王宮は、まだ立っている。
人々も、まだ笑っている。
だが、愛が選ばれたその瞬間から――
代償は、確実に積み上がり始めていた。
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