第61話 常駐
クロイツの監査官が港に到着したのは、朝霧がまだ薄く残る時間だった。
濃紺の外套。
胸元に連邦の紋章。
無駄のない歩みで、港湾庁舎の石段を上がってくる。
「クロイツ連邦監査局、第一監査官ハインリヒ=ヴァルツ」
低く、通る声。
「本日より常駐する」
職員たちの視線が一斉に集まる。
歓迎の拍手はない。
ただ、静かな緊張。
「共同監査は暫定措置だ」
ハインリヒは続ける。
「港保証基金の安定回復が確認されるまで」
合理的だ。
書面通り。
だが、空気は重い。
私は前に出た。
「港へようこそ、監査官」
「歓迎されているとは思わないが」
「信用のためです」
「信用は、数字で測る」
彼の目は冷静だった。
会議室に移る。
基金残高。
保証履歴。
承認フロー。
すべてが、監査官の視線に晒される。
「承認権は三名制へ移行済みか」
「はい」
「即時支払いは維持」
「はい」
淡々と進む確認。
だがその間、職員たちの小声が耳に入る。
「ここはもう、港じゃない」
「国家の出先か?」
「中立はどこへ行った」
胸の奥がわずかに痛む。
午後。
ハインリヒが静かに告げる。
「承認前に、クロイツ監査官の副署名を義務化する」
室内がざわつく。
「それは、即時性を損ないます」
カイルが言う。
「二時間以内の副署名で足りる」
「二時間でも市場は動く」
「だが無監査では動揺する」
理屈は、正しい。
私は、数秒だけ考えた。
「……副署名を受け入れます」
職員の何人かが目を伏せる。
決定は合理的。
だが確実に、港の独立性は削られていく。
夕刻。
市場速報。
《港、クロイツ監査官常駐》
円環系列の論調は冷ややかだ。
《中立港、国家管理下へ》
誇張だ。
だが、完全な嘘ではない。
夜。
私は一人、執務室に残る。
窓の外、灯りはある。
だが以前より、静かだ。
扉が軽く叩かれた。
入ってきたのはセリーナだった。
「予想通りですね」
「何が」
「港が国家に近づく」
「生き延びるためです」
「恐怖は減りましたか?」
答えられない。
彼女は、机の上の条件書を見る。
「監査は、信用を守る」
「ええ」
「だが同時に、自由を削る」
静かな声。
「あなたは、どこまで削るつもりですか」
その問いは、鋭い。
「削らないために受け入れました」
「……逆です」
彼女は小さく首を振る。
「削られながら、守ろうとしている」
言葉が詰まる。
セリーナは去る前に、静かに言った。
「国家は、恐怖を嫌う」
「だが市場は、国家を嫌う」
扉が閉まる。
私は、深く息を吐いた。
港は生き延びた。
だが形は変わった。
信用を守るための監査。
だがその監査が、港を“国家寄り”に見せる。
私は初めてはっきりと感じる。
このままでは、
港は守られているのではない。
囲われている。




