第32話 疑うという責務
評価凍結の通達を出してから、港は異様な静けさに包まれた。
動きはある。荷は運ばれ、船は出入りする。
だが、誰もが“待っている”。
――基準がどうなるのかを。
「変更履歴、出ました」
実務室で、書記が震える声で言った。
結晶板に、算定式の更新記録が映し出される。
更新日時:昨夜第三刻
承認者:アリア=エル=レグニス
認証印:一致
「……内部からですね」
カイルが、低く言う。
「ええ」
私は目を細めた。
「外部侵入の痕跡は?」
「ありません。鍵も、結晶認証も、正常です」
つまり――
**内部権限で、正規に書き換えられた**。
「……疑わなければなりません」
私は、静かに言った。
「誰を」
「全員を」
室内の空気が、重く沈む。
書記も、監査役も、港の管理者も。
そして――
「……僕もですか」
カイルが、わずかに笑った。
「ええ」
私は、迷いなく答えた。
「私自身も含めて」
自分の署名が使われている。
それは、最も厄介な状況だ。
「昨夜、あなたはここを離れていません」
カイルが言う。
「ええ。ですが――」
私は結晶板を指でなぞる。
「署名は、私の筆跡です」
「偽造?」
「可能性は低い」
筆跡だけでなく、結晶認証も通っている。
物理的に近くにいなければ、使えない仕組みだ。
私は立ち上がった。
「全員、個別に確認します」
尋問ではない。
確認だ。
最初に呼んだのは、夜間当直の監査役。
「昨夜、第三刻に変わったことは?」
「ありません」
彼は汗を拭いながら答える。
「誰も入っていません。記録も正常です」
「あなたの認証は?」
「使っていません」
次に、書記。
そして、保管庫の管理者。
全員が、同じ答えを返す。
「何もしていない」
嘘をついている様子はない。
だが、誰かは確実にやっている。
「……内部犯、ですか」
カイルが、低く言う。
「まだ断定できません」
私は椅子に腰を下ろした。
「内部に“手を伸ばせる者”がいる、というだけです」
その時、扉が叩かれた。
「クロイツ連邦の使者です」
入ってきた使者の顔は、いつも以上に硬い。
「女王陛下より」
彼は、短い文を差し出した。
《信用を扱う者は、まず自分を疑え》
私は、わずかに口角を上げた。
「その通りです」
使者は、続ける。
「クロイツは、この状況を“敵対行為”とは見なしていない」
「……ほう」
「ただし」
彼の目が鋭くなる。
「次に同様の事態が起これば、港を通さない」
脅しではない。
合理的な判断だ。
「承知しました」
私は、淡々と答えた。
使者が去った後、カイルが呟く。
「……信用が揺らいでいますね」
「ええ」
私は頷いた。
「そして、揺らぎは人を疑わせる」
疑う。
それは、契約管理者にとって最も避けたい行為だ。
だが今は、必要だ。
私は、結晶板をもう一度見つめる。
署名。
認証。
算定式。
どこにも、不自然な痕跡はない。
「……外からではない」
私は、静かに言った。
「“中”から壊すつもりです」
「港の中、ですか」
「いいえ」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「基準の“中身”です」
算定式。
重み。
評価方法。
もしそれが、最初から“揺らぎやすい”構造なら?
疑うという責務は、
他人ではなく――
**自分の制度に向けるべきものだった。**




