第26話 反発は信用の裏返し
翌朝、港は少しだけ騒がしかった。
怒号が飛ぶほどではない。だが、普段より声が大きく、動きが早い。判断が一段階、前に出ている証拠だ。
「……来ましたね」
実務室の窓から港を見下ろし、カイルが言った。
「ええ」
私は机に手を置く。
「基準が機能し始めると、必ず反発が出ます。反発は、信用の裏返しです」
最初に来たのは、クロイツ連邦だった。
使者は昨日と同じ男だが、態度が違う。感情を抑えようとして、逆に硬くなっている。
「貴女の基準は、非効率だ」
彼は開口一番そう言った。
「軍需物資に“可能性”という曖昧さを残した」
「曖昧さではありません」
私は書類を指で叩く。
「“責任の所在が明確な余地”です」
「違いはない」
「あります」
私は目を上げた。
「違いが分からないなら、クロイツはこの席に向いていません」
一瞬、室内の空気が凍る。
カイルが息を止めたのが分かった。
だが、使者は反論しなかった。
代わりに、低く言う。
「……女王陛下は、貴女を高く評価している」
「光栄です」
「だが、管理者は管理者であるべきだ。権威を持ちすぎる」
「権威を与えているのは、私ではありません」
私は港を指差した。
「契約者自身です」
使者は、ゆっくりと息を吐いた。
「……報告する」
彼は、それ以上何も言わずに去った。
次に来たのは、ルメリアだった。
司祭長本人ではない。若い司祭が一人、静かに頭を下げる。
「司祭長より、お言葉です」
彼は、短い書状を差し出した。
《あなたは、裁く者になろうとしているのではありませんか》
私は、その一文を読み、紙を畳んだ。
「裁いてはいません」
私は司祭に向かって言う。
「選択肢を減らしているだけです」
司祭は困ったように微笑んだ。
「それは……裁きと、どう違うのでしょう」
「違いは、赦しです」
私は答えた。
「私は、赦しません。でも、祈りもしない」
司祭は、何も言えなくなった。
それでも、彼は礼をして去っていった。
最後に現れたのは、予想通りの人物だった。
「いやあ、忙しそうだね」
クラウス=ヴァイン。
今日は外套を脱ぎ、完全に“商人”の顔をしている。
「反発が出るのは、想定内だろ?」
「ええ」
私は椅子に座ったまま答える。
「だから、試験です」
「ふふ」
彼は肩をすくめる。
「白は不満、光は不安、灰色は期待。いいバランスだ」
「あなたは、どこに立つつもりですか」
「どこにも」
即答だった。
「立たない場所に立つ。それが俺の仕事だ」
彼は、机の端に腰掛ける。
「だが忠告しておく。次に来るのは――」
彼は、少しだけ声を落とした。
「“壊す側”だ」
「壊す?」
「契約そのものを、だ」
私は視線を上げる。
「条文を破るんじゃない。
履行を偽装する。
責任を飛ばす。
事故を“自然”に見せかける」
それは、制度では止めにくい。
「君の基準は強い。だから、試される」
クラウスは立ち上がった。
「次は、優しくも合理的でもない」
「分かっています」
私は、静かに答える。
「基準は、壊されてこそ本物になります」
彼は一瞬だけ、楽しそうに笑った。
「いいね。そうじゃなきゃ、つまらない」
扉が閉まる。
実務室に、静けさが戻った。
「……敵、ですね」
カイルが言った。
「ええ」
私は頷く。
「でも、まだ“名前のある敵”ではありません」
港の外で、荷が落ちる音がした。
小さな事故。よくあることだ。
だが――
その音は、これから来るものの前触れのように、やけに大きく響いた。
反発は、信用の裏返し。
そして、信用は――
壊されることで、次の段階に進む。




