第21話 もう一つの条件
港の喧騒は、いつも通りだった。
荷が運ばれ、人がぶつかり、声が飛び交う。秩序は弱く、だが流れは止まらない。私はこの騒がしさに、少しずつ慣れ始めていた。
「さっきの男……気になりますね」
倉庫街へ向かう途中、カイルが低く言った。
「ええ」
私は視線を前に向けたまま答える。
「でも、追ってきません。見せたかっただけでしょう」
「見せる?」
「ええ。『選択肢は一つではない』と」
港の裏手にある小さな酒場に入る。
昼間だが、客はまばらだ。情報屋が好む場所でもある。
奥の席に、例の男が座っていた。
外套を脱ぎ、肘を机につき、こちらを見ている。逃げる気はないらしい。
「話が早くて助かる」
男は、私が席に着く前に言った。
「君がアリア=エル=レグニスだな」
「そうです」
私は座る。
「あなたは?」
「名乗るほどでもない」
彼は肩をすくめた。
「ただの交渉人だ。国家にも、商会にも属さない」
それは、半分は嘘だ。
だが、半分は本当でもある。
「クロイツの話は、もう聞いたか?」
「ええ」
私は否定も肯定もしない。
「安全で、完璧で、息苦しい」
男は、楽しそうに笑った。
「さすがだ。じゃあ、こっちはどうだ」
彼は、机の上に一枚の紙を滑らせた。
契約書――ではない。提案書だ。
「君は、誰の専属にもならない」
私は、紙に目を落とす。
「代わりに?」
「俺たちが、君の“逃げ道”を用意する」
逃げ道。
クロイツが決して与えない言葉だ。
「複数の国家、複数の商会。短期契約を繋ぐ。君は常に席を移動できる」
「不安定ですね」
「そうだ」
男は、即答した。
「だから自由だ」
私は、紙から目を上げる。
「条件は?」
「一つだけ」
男は、指を一本立てた。
「曖昧さを、消さないこと」
その言葉に、カイルが眉をひそめる。
「消さない?」
「全部白黒にしたら、俺たちの仕事がなくなる」
男は、悪びれずに言った。
「グレーは、金になる。君はそれを分かっている」
確かに、私は今日も曖昧さを整理した。
だが、消したわけではない。白に寄せただけだ。
「あなたは……」
私は静かに言った。
「曖昧さを“利用する側”ですね」
「ご名答」
男は笑う。
「だから、君が必要だ。グレーを制御できる人間が」
クロイツの完全な白。
港の不安定な灰色。
そして、この男の――意図的な曖昧さ。
三つ目の席が、目の前に置かれた。
「考える時間は?」
私が尋ねると、男は首を振った。
「いらない。君はもう考えている」
私は、提案書を畳んだ。
「答えは、まだです」
「それでいい」
男は立ち上がる。
「俺は急がない。急ぐのは、いつも国家だ」
彼は、名刺代わりに一言だけ残した。
「クラウス=ヴァイン。覚えておけ」
扉が閉まる。
酒場に、元の静けさが戻った。
「……三つ目、ですね」
カイルが言った。
「ええ」
私は息を吐く。
「安全、自由、曖昧さ」
どれも、契約だ。
どれも、正しい。
だが、同時に――
どれも、私を縛る。
三日の猶予は、半分を過ぎた。
選択は、近づいている。
そして私は、気づき始めていた。
**条件を選ぶのではない。
条件を“作れる席”を、選ばなければならないのだと。**
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