第13話 王国の朝(再び)
王都の朝は、驚くほど静かだった。
通りには人が戻り、市場には声が満ちている。昨日までの緊張が、嘘のように薄れていた。
「落ち着いてきたな」
城内の回廊を歩きながら、国王陛下がそう呟いた。
隣を歩く宰相ベルトランは、慎重に言葉を選ぶ。
「表面上は、です」
市場の報告は悪くない。
臨時輸入した穀物が流通し、価格の急騰は止まった。徴兵制の強化も、今のところ混乱を生んではいない。王都の民は、まだ“耐えられる”と感じている。
「見ただろう」
少し遅れて歩くレオンハルト王太子が、明るい声で言った。
「民は落ち着いている。過剰に騒ぎすぎただけだったんだ」
彼の言葉に、周囲の官僚は即座に反論しなかった。
事実として、数字は一時的に改善している。事実は、時に誤解を強める。
国王陛下が、歩みを止めた。
「……本当に、乗り切れたのか?」
問いは宰相に向けられた。
宰相は、即答しない。代わりに、懐から一枚の紙を取り出した。
「こちらは、今朝届いた報告です」
国王陛下が目を通す。
そして、眉をひそめた。
「……借入?」
「はい。臨時輸入の代金の一部を、短期で」
王太子が肩をすくめる。
「必要な投資だろう。非常時なんだから」
「投資には、回収計画が必要です」
宰相の声は低い。
「今のところ、それは“次の税収”に依存しています」
国王陛下は黙り込んだ。
次の税収――つまり、未来の民から前借りしている。
「だが、時間は稼げた」
王太子が、少し誇らしげに言う。
「時間があれば、立て直せる。アリアがいなくても」
その名が出た瞬間、空気が微妙に変わった。
宰相は、何も言わない。言えない。
同じ頃、王都の市場では、別の会話が交わされていた。
「値段、戻ってきたな」
「昨日ほどじゃないが……」
「次は、いつ入るんだ?」
商人たちは声を落とす。
次、という言葉に、確信がないからだ。
倉庫の奥で、帳簿を見ていた一人の商人が、静かに首を振った。
「……数字が合わない」
表向きの価格は安定している。
だが、裏で積み上がる負債の線は、確実に伸びていた。
王宮に戻ると、マリアが中庭で立ち止まっていた。
花壇の手入れをする庭師たちの姿を、ぼんやりと眺めている。
「大丈夫そうですね」
王太子が声をかけると、彼女は小さく頷いた。
「はい……少し、安心しました」
その安心が、どれほど脆いかを、彼女は知らない。
知る術もない。
執務室に戻った宰相は、扉を閉めてから、深く息を吐いた。
机の上には、港湾都市から届いた簡潔な報告が置かれている。
《王国名義の取引:停止継続》
たった一行。
だが、その意味は重い。
「……信用は、戻っていない」
宰相は、誰にともなく呟いた。
王国の朝は、確かに穏やかだった。
だがそれは、嵐が過ぎたからではない。
ただ――
嵐が、まだ見えていないだけだ。




