第12話 条件付きの契約
署名が終わった瞬間、会議室の空気はわずかに軽くなった。
だが、それは安堵ではない。賭けが成立したあとの、静かな緊張だ。
リオネル=カーヴェンは、契約書の端を指で押さえながら言った。
「勘違いしないでほしい。これは信任じゃない。“猶予”だ」
「承知しています」
私は頷く。
「猶予で十分です。期限があるからこそ、評価も明確になります」
評議員の一人が、皮肉混じりに笑った。
「随分と割り切っている。普通は、条件の緩和を求めるものだが」
「条件が緩ければ、評価も曖昧になります」
私は淡々と返す。
「曖昧な評価は、次の契約を壊します」
その言葉に、数人が小さく頷いた。
商人は曖昧さを嫌う。特に、責任の所在が不明確な曖昧さを。
リオネルが、机を軽く叩いた。
「では、実務の話に移ろう。最初の課題は――物流の再設計だ」
地図が広げられる。
航路、倉庫、通関、護衛。王国を経由していた線が、赤く消され、新しい線が引かれていく。
「王国向けだった船を、東方へ回す。損失は?」
「短期では出ます」
私は即答した。
「ですが、中期で回収可能です。港湾使用料の調整と、保険契約の再編で」
評議員が、眉を上げる。
「保険まで触るか」
「事故は、起きるものです」
私は地図の一点を指す。
「起きた時に、誰が払うかを決めておけば、揉めません」
その合理性に、反対の声は出なかった。
だが、別の問題が持ち上がる。
「……責任の集中だ」
年嵩の評議員が言った。
「すべてをあなた個人に背負わせる形になる。倒れれば、全て止まる」
「止まります」
私は認めた。
「だからこそ、代替案を用意します」
私は、もう一枚の紙を差し出す。
「私が不履行になった場合、自動的に発動する暫定運用条項です。判断権は評議会に移ります」
室内が静まり返る。
それは、己の失敗を前提にした条項だった。
リオネルが、短く息を吐いた。
「……そこまでやるか」
「信用の不足を、条文で補うだけです」
私は言った。
「人は揺れます。契約は揺らがないようにするための道具です」
評議員たちは、互いに視線を交わす。
やがて、誰かが小さく笑った。
「なるほど。確かに、“王国の匂い”は薄くなった」
完全に消えたわけではない。
だが、薄れた。それだけで、今は十分だ。
会議は、予定より長引いた。
細部を詰め、例外を潰し、数字を揃える。感情の入る余地を、徹底的に削っていく。
すべてが終わった頃、窓の外は夕暮れに染まっていた。
「これで、正式だ」
リオネルが、契約書を閉じる。
「条件付きではあるが、あなたは我々の契約者だ」
「ありがとうございます」
私は礼をした。
勝利の感情はない。あるのは、始まりの重さだけだ。
会議棟を出ると、潮風が頬を打った。
カイルが、少し遅れて隣に並ぶ。
「……本当に、厳しい条件です」
「ええ」
私は空を見上げる。
「でも、これでいい。信用は、守られた結果としてしか残らない」
遠くで、船が一隻、出航していく。
その船が運ぶのは、貨物だけではない。
三か月分の期待と、不信と、責任。
それらすべてを載せて、契約は動き始めた。
私は歩き出す。
条件付きの椅子に、きちんと腰を下ろすために。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




