表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄? ご自由に。条約違反の責任は国家でどうぞ ~婚約破棄された令嬢、契約で世界を制圧する〜  作者: 白石アリア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/24

第10話 最初の交渉

 港湾都市国家リオネルは、王都とはまるで空気が違った。

 潮の匂い、荷の軋む音、叫ぶような商人の声。すべてが騒がしく、そして正直だ。ここでは、感情より先に価格が動き、立場より先に契約が交わされる。


 私は、石造りの会議棟の一室に通されていた。

 向かいの席には、港湾評議会の代表――リオネル=カーヴェン。年齢不詳の男で、商人特有の油断のなさを目に宿している。


「改めて言おう」


 彼は、肘を机につきながら言った。


「あなたと話せて光栄だ、アリア=エル=レグニス嬢。昨夜から、あなたの名前は港中を駆け回っている」


「光栄です」


 私は形式通りに応じる。


「ですが、私は現在、どの国家の代理人でもありません。個人として、契約主体として、ここにいます」


「分かっている」


 リオネルは頷いた。


「だからこそ、だ。王国の看板が外れたあなたは――価値が読めない」


 率直な言葉だった。

 私は、机上に用意していた契約案を差し出す。


「こちらが、私の提案です」


 彼は受け取り、目を走らせる。

 穀物流通の再編、港湾税の調整、傭兵輸送の優先権。条件は明確で、数字も現実的だ。譲歩と利益の配分も、論理的に整理してある。


 沈黙。

 長い沈黙。


 私は、その時間を“検討”だと判断した。

 だが、それが最初の読み違いだった。


「……悪くない」


 リオネルは、ゆっくりと書類を置いた。


「むしろ、かなり良い。理屈だけなら、すぐにでも署名できる」


 私は頷く。


「では――」


「だが」


 彼は、人差し指で机を叩いた。


「我々は、あなたを信用していない」


 言葉は穏やかだが、はっきりしている。

 カイルが、わずかに身じろぎした。


「それは……」


 私は、言葉を選ぶ。


「契約内容をご確認いただければ、履行不能な条件は一つもありません」


「分かっている」


 リオネルは、私を見る。


「信用の話をしている。契約の話ではない」


 部屋の空気が、わずかに変わった。

 私は、ここで初めて気づく。これは“条件交渉”ではない。“人間の評価”だ。


「あなたは、王国の中枢にいた」


 彼は続ける。


「そして、その王国は、たった一晩で契約を破った。事情は理解している。だが、市場は事情を情けとして扱わない」


 私は、即座に反論できなかった。

 論理では否定できないからだ。


「私自身は、契約を破っていません」


「承知している」


 リオネルは、首を横に振る。


「だが外から見れば、あなたは“その構造の中にいた人間”だ。裏切られた側かどうかは、関係ない」


 カイルが、堪えきれず口を開く。


「それは、あまりに……!」


 私は、彼を手で制した。


 感情的な反論は、評価を下げる。

 だが、沈黙もまた、敗北に近い。


「……では」


 私は、ゆっくりと言った。


「信用を得るために、何を求めますか」


 リオネルの目が、わずかに細くなる。

 それは、初めて“対等に話す準備ができた”という合図だった。


「短期契約だ」


 彼は即答した。


「期間は三か月。解除条項は多め。違反が一つでもあれば、即終了」


 厳しい条件だ。

 実務的には、ほとんど綱渡りに近い。


「利益配分は?」


「こちらが六割」


 カイルが、思わず息を呑む。


 私は、条件を頭の中で整理する。

 損だ。明らかに。だが――拒否すれば、次はない。


「……分かりました」


 私がそう言うと、リオネルは少しだけ驚いた顔をした。


「即断だな」


「信用は、数字では測れない」


 私は答える。


「ならば、行動で示すしかありません」


 リオネルは、短く笑った。


「いいだろう。そういう人間は嫌いじゃない」


 彼は、契約書を取り出す。

 まだ、正式な署名ではない。だが、道は開いた。


 会議室を出た後、カイルが低い声で言った。


「……危険すぎます」


「ええ」


 私は頷いた。


「でも、これが“最初の席”です」


 王国の看板があれば、もっと楽だっただろう。

 だが、それはもうない。


 代わりにあるのは、名前だけ。

 そして、それをどう使うかは――私次第だ。


 港の外で、船の汽笛が鳴った。

 それは、新しい航路の始まりを告げる音のように聞こえた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ