子供ながらに
短い沈黙ののち、ポステムは指を三本立てた。
「君に望むのは三つ。ひとつ、娘に対して過度に近づかないこと。ふたつ、屋敷の規律を乱さないこと。みっつ、余計な詮索をしないこと。できるね」
「肝に銘じます」
「配属は執事長に任せる。今夜は休みなさい」
「畏まりました」
廊下に出ると、先の老執事が待っていた。礼は完璧で、目は厳しい。
「寝所へ連れて行く。以後、私の指示に従いなさい」
「承知しました」
老執事の後を追う。そこまで大きな屋敷でないためすぐに目的地に着いた。
用意された小部屋は簡素で清潔だった。水差しとタオル、薄い寝巻きが置いてあり、その部屋に入るのを見届けると老執事は去っていった。
靴紐を解き、深く息を吐く。膝に残る絨毯の感触がまだ生々しい。
(どうやって情報を見つけようかな)
計画と呼べない考えを広げながら寝巻きに入り眠りについた。
翌朝。アルフレッドは食堂で給仕の仕事を始め、イレイナの席へ料理を運んだ。老執事からは「まず何ができるのか見てから配属を決める」と言われたため、まずは給仕の仕事ぶりを見せる。
イレイナは寝ぼけ眼でフォークを持ち、家族と軽く言葉を交わしている。朝から食卓に並んだ品々は高級品であり、この家の裕福さが垣間見える。
「明日には帰ろうか。今日一日は休もう」
「わかったわ」
「聞きたいのだが、なぜイレイナは彼を気に入ったんだい?」
ポステムが問う。老執事も頷き、視線を寄せた。ずっときになっていたのだろう。昨夜は帰宅が遅く、ポステムとイレイナはほとんど話せていない。神殿の身元資料にも怪しい点はなく、逆に目立つ特徴もない。そんなアルフレッドの何が興味を引いたのか、雑談の体で娘の考えを探っていた。
イレイナは口の中のものを飲み込み、きっぱり言った。
「アルフレッドはバイカーの能力が使えるの」
「その年齢では珍しいね」
「しかも超優秀なの。パーティーでね——」
ある少年との試合について語りだした。語るほどに、彼女の声に熱が乗る。
「怪我なんてしてないし、服もすすけてなかったわ!」
「……それはすごいね」
ポステムはアルフレッドを観察し、老執事は露骨に訝しむ。
(潜入初日から怪しまれてる。理由……何か用意しないと)
この世界には二種の才能がある。自然現象の延長を操る“テイカー”。人の機能を極限まで拡張する“バイカー”。後者の才能を持った人間は、肺はより深く息を吸え、筋肉はより強く引き絞られ、関節はより安定し耐久性に優れている。各要素が組み合わさり超人的な身体を得る。だが、才能があっても扱うには訓練が要る。
「少し見てみたいな」
ポステムの一声で、手合わせが決まった。
数時間後。中庭にテーブルと日傘、紅茶とクッキー。アルフレッドが菓子にちらりと横目で眺めていると、ポステムがバケモノを連れてくる。
「こちら騎士のムロフー。君と同じバイカーだ。ムロフー、軽く手合わせしてあげて」
「ハイ」
(こいつ人間じゃないだろ、絶対)
二メートルを超える体躯、血走った目。白い鼻息に庭の草が揺れる。アルフレッドはその半分の背丈しかもたない。大人と子供の構図だった。
しかし、相手が誰だろうと手合わせをする必要がある。互いに離れて向き合う。
「はじめ!」
巨体が地を沈めて突進し、拳を振り下ろす。アルフレッドは小さな手のひらを重ね、暴力そのものである拳を外して受け流す。続いて振るわれた横薙ぎの蹴りは、背をそらして紙一重で避ける。以後は回避に徹した。
「攻めなさいよ!」
野次が飛ぶが、攻めることはしない。数分で腕が限界に近づく。最後は受け流し切れず、拳をもらって吹き飛んだ。背中から落ち、空気が漏れだす。荒い息をつきながら絞り出す。
「負け、ました」
「……負けちゃったけど、強いのよ!」
「そうだね。年齢を思えば十分だ」
「しかし、非凡の才は見られません」
老執事は冷ややかに言う。
「体力差を計算し守りに徹したのは賢明です。しかし、守りだけでは勝てない。攻めの兆しが皆無だった。試合は不合格。とはいえ、ルール無用の一対一なら隙を突いて逃げられる。だが相手が二人以上なら——」
「まず死ぬね」
老執事の酷評に同意した父を見てイレイナは肩を落とす。
「でも同年代なら負けなしだよ。いい子を見つけたね」
「……そうでしょ!」
アルフレッドは立ち上がり、ムロフーと握手を交わした。礼儀正しいバケモノだった。そこへ老執事が近づき、見下ろす。
「戦いの才は見えず、試合にも敗北。しかし技術はある。どこで学んだ?」
先ほどの懸念通りの質問が飛んできた。テイカーもバイカーも、独学では限界がある。対人の技は必ず指導者が必要となる。普通の街には対人戦闘の技能を持つ者などいない。
アルフレッドは今にも泣きそうな顔を作った。
「……私の父は、傭兵でした」
(嘘しか出さないからな、爺さん。涙腺絞って聞け)
続けて、涙を誘う小さな物語を紡いだ。アルフレッドは嘘が必要ならためらうことはない。しかし、最低限の噓にとどめるようにしていた。だが、この目の前の老執事には過剰な嘘で罪悪感を与えるつもりだった。
老執事はアルフレッドの戦闘を酷評したが、子供が大人に負けるなんて当たり前の話だった。例えバイカーという特殊な才能がある異世界であっても、子供と大人の力の差は歴然と開いている。そんな当然のことなのに老執事は子供であるアルフレッドの健闘を称えなかった。
身元調査で矛盾が出ない程度に整えながら、老執事にだけ刺さる言葉を選ぶ。
「……そうか、もういい。……お前の父は、勇敢だったなぁ」
「はい……」
(悪いけど、胸は痛まないな)
老執事は肩を叩き、数度頷いた。
「じゃあ今度は私の番ね!」
丁度老執事への嘘が終わった時に、近づいていたイレイナがすっと指を回す。
『三回回って、わん』
次の瞬間、アルフレッドの体は意思に反して回り、「わん」と鳴いた。
(本当に、凶悪だ)
イレイナの声を聞いた瞬間、彼は全身に能力を巡らせていた。殴られても傷を最小にする構えのまま、それでも言葉に従ってしまう。
「これが私の能力。“聞き惚れる声”って呼ばれてるの! かわいいでしょ!」
「……えぇ、確かに」
(その声に聞き惚れ、立ち止まる……いったいどこで?)
老執事は苦い顔でイレイナを見る。
(もし戦場で敵味方の識別ができるなら、『待て』の一言で立ち止まる。あとは煮るなり焼くなりか……)
アルフレッドは喉を鳴らし、静かに息を整えた。
(対策を見つけなければならない)
笑顔のイレイナを見つめながら、内心で固く誓った。
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