幼きスパイは欺いた
「全員、運びこめ」
「「はっ」」
ポステムの短い命令に従って、護衛たちが倒れた男たちを肩に担ぎ上げ、一人また一人と屋敷の奥へ運んでいく。
「御当主様」
「あぁ」
護衛の一人が、ある方向を警戒するように見つめながら声をかける。ポステムも同じ方向に視線を向け、静かにうなずいた。
「帰るのかな、アルフレッドくん」
「はい。最後に挨拶を、と思いまして」
(嘘です。あなたの護衛に包囲されて、ここまで誘導されました)
ポステムの視線の先には、暗闇に紛れるように立っているアルフレッドがいた。その周囲を、護衛たちが円を描くように取り囲み、一挙手一投足を見逃さないという意志を全身で示している。
鋭い視線が、何本も槍のように突き刺さる。アルフレッドは、背筋を伸ばして立ちながらも、心のどこかで身がすくむのを感じた。
(老執事の目が、ありえないことになってる)
「クソガキがぁ」
老執事が一歩前に出かける。釣り上がった目には、怒りと殺意と、どうしようもない悔しさが混ざっていた。
「捕まえるのは後にしろ」
「……わかりました」
老執事の肩をポステムが制し、そのまま前に出る。
「まず、君は敵だったのかな?」
「情報を盗むために来たので、敵ですね」
「すごいね、全く違和感なかったよ。イレイナから興味を持たれたところなんて、偶然にしか見えなかった」
「プロですから」
(これも嘘だけど、だれも傷つかない嘘だからいいよね)
本当は、あの出会いは偶然の積み重ねでしかなかった。だが、今さらそれを説明する気はアルフレッドになかった。
「まぁ、敵なら捕まえてもいいよね」
ポステムが軽く言葉を投げた瞬間、護衛たちの円が一段と小さくなり、アルフレッドとの距離が詰まる。
「御当主様、勘弁してください」
(本当に捕まってしまいます)
アルフレッドは何とか平静を装って立っていたが、体の内側は悲鳴を上げていた。森での戦闘はすでに昼の出来事とはいえ、深く切り裂かれた首と、二度も切り落とされた腕は、回復したあとも鈍い痛みを残している。疲労も抜けきらず、もし今この場で全員を敵に回すなら、勝ち目はまったくない。
(本当は今すぐ寝たいのに、他のスパイが突撃するから)
じりじりと距離を詰めてくる護衛たちを見ながら、アルフレッドは懐に手を差し入れ、一束の紙を取り出した。
「もう一度言います、御当主様。勘弁してください」
「……おい、こいつはどこからやってきた」
紙束を目にした瞬間、ポステムの目が見開かれる。その束を一瞥しただけで、何が書かれているのか、ポステムには理解できた。
ポステムはそばにいた護衛へ問いかける。
「はっ、奥様の屋敷方向から発見されました」
「………………そうか」
長い沈黙のあとで、押し出すように出てきた言葉には、重く乾いた響きがあった。
「お前たち、下がれ」
「「はっ」」
護衛たちの円が、じわりと広がる。
「違う。各々元の警備位置に戻れということだ」
「そ、それではこの者は……?」
「気にするな。散れ」
「……はっ」
護衛は驚きを抑えきれない表情を浮かべながらも、すぐに命令を飲み込む。仲間に合図を出し、その場から一人、また一人と姿を消していく。
やがて残ったのは、ポステムと老執事、そしてアルフレッドだけになった。
「昼間のあれは、お前から教えたのか」
「はい」
「きぃさぁまぁ……」
老執事の髪が、怒りで逆立つかのように見えた。目尻には深い皺が刻まれ、こめかみには血管が浮き上がる。
鬼の形相をしている老執事だったが、アルフレッドの態度は冷ややかだった。
「確かに秘密を明かしてしまったのは申し訳なく思いますが、怒る権利があなたにあるのですか?」
「おいっ、何もわかってないガキが口をだすな!」
「だって、そうでしょう?」
アルフレッドは視線を屋敷の奥へ向けた。先ほどまで自分が歩き回っていた、当主夫人の屋敷の方角だ。
「死体を人形のようにもてあそぶなんて、尊厳を踏みにじる最低の行為だ」
『黙れ!』
老執事の怒号が夜を裂く。だが、その能力の声は、アルフレッドの口を閉ざさなかった。
「……いつから、知っていたんだ」
視線を落とし、前髪が目元を隠したポステムが、小さくつぶやく。
「最初に会ったときから違和感はありました。初めてガラス越しに会った夫人の近くには、従者が一人もいなかった。病気を移さないためだと言っていましたが、病人に従者が一人もいないなんてこと、あるでしょうか?」
(医療が発達していないこの世界だとなおさらだ)
ポステムは何も言わない。老執事も口をつぐみ、ただアルフレッドを睨みつけている。
「そして二つ目は、あなた方リオネット家の能力の謎です。声で人を操れると言っていましたが、本当にそれだけなのか? 誰しも奥義の一つや二つは隠しておくもの、大家となればなおさらです」
アルフレッドは一呼吸おき、以前の昼食会の光景を思い出しながら言葉を続ける。
「確信を持ったのは、昼食会です」
「……なぜあの時? 私は普通に言葉を出して会話していたが?」
「あの時すでに、私の耳は聞こえていませんでした」
(三半規管が慣れていなくてふらついた)
イレイナに強制的に抱きつかされたあの日の夜、アルフレッドは自分の鼓膜を壊した。あの能力を至近距離で、何度も使われる危険性を考えたからだ。
幸い、日常会話は読唇術である程度ごまかすことができた。
「にもかかわらず、私は体の制御を奪われた。初めてイレイナと会った日のように、感情によって漏れてしまったのでしょう。そこでわかったのです。言葉ではなく、思考のみで相手を操れることを」
アルフレッドはポステムを見据える。
「だから、奥様と初めて会ったときも、御当主様が思考で操っていたのだろうと」
「……」
「全部わかったのは今日になってからです。さっきの御当主様の芸当もそうですし、今日イレイナについていた護衛――なぜ気配を感じなかったのか。イレイナはどうして、あんなに強い香水をつけていたのか、とか」
(どうして死体を動かせるのか、どこまでの範囲で動かせるのか、謎はまだまだあるけどね)
一通り、自分の推論を告げ終えると、アルフレッドはまっすぐポステムを見た。
さきほどまで俯いていた顔は上がり、表情がはっきりと読み取れる。
「そうか。その情報は、すでに?」
「いいえ、まだ伝えていません。しかし私を無事に帰らなければ伝わる仕組みです」
「……」
「私を返してくれるなら、リオネット家の能力は隠しますよ」
「そんなバカなことがあるか!」
老執事が再び怒鳴り上げる。
「貴重な情報を隠す? 信じられるか!」
「……いいや、信じよう」
「当主様!?」
反射的に否定しようとした老執事の声を、ポステムの言葉が追い越した。
「ありがとうございます」
アルフレッドは素直に頭を下げる。
「……イレイナが今も屋敷で眠っている。その事実で、君を信じよう」
アルフレッドはもう一度深く一礼し、屋敷の外門へと歩き始めた。門のそばには、約束通りアゴヒゲの姿が見えた。
「イレイナに挨拶はしないのか?」
背後からポステムの声が飛んでくる。
アルフレッドは振り返らない。
ただ、聞こえるように、小さく言葉を落とした。
「意地悪を言わないでください」
「……確かに、そうだな」
その短いやりとりを最後に、アルフレッドは本当にリオネット家から離れた。
外門にたどり着いたとき、アゴヒゲがニヤついた顔で声をかける。
「調子はどうだ、アルフレッド?」
「……アルフレッドは、もういません」
「それはなにより」
幼いスパイは、手に持っていた紙束をアゴヒゲに渡す。
アゴヒゲはそれを受け取り、代わりに一枚の紙を差し出した。
「次の任務だ、フォルコスくん?」
「……フォルコス、了解」
少年の名は、そこでひとつ終わり、新しい名をつぶやいた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
これからの作品は今よりもっと面白くしますので、作者の他の作品もぜひ見に来てください。
本当にありがとうございました。
この作品の今後の構成です。
第二章 戦場の乙女編
第三章 弟子入り少女編
第四章 兵器なあの子編
第五章 吸血鬼な女王編
第二部
えっ! 俺が助けたあの子にその子! みんな揃って学園入学! 俺スパイだけど、目立ちまくってしょうがない!
「アルフレッド! 今度こそ逃がさないわよ!」
「フォルくん、一緒にお弁当食べよ」
「あの、レオ君……ちょっといいですか?」
「アル、ここに座って」
「楽しくなりそうじゃのう、グレン」
次回 『あなたの恋を欺かないで』
絶対見てくれよな!




