目にしたものは
話し合いから一週間ほどたった朝だった。
「今日は、神殿に一緒に行こう」
朝食の席で、パンをちぎりながらポステムが何気ない調子でそう言った。
「仕事で行くんじゃないの?」
イレイナが不思議そうに顔を上げる。
リオネット家は、この街でも指折りの資産家だ。蓄えられた財産の大部分は、神殿との協力関係の中で築かれてきたものだと聞いている。だからポステムが神殿へ行くときは、たいてい仕事が目的だった。
「仕事もあるけど、一緒にお祭りの祈願に行こう」
「……わかったわ」
イレイナは素直にうなずいたが、一瞬だけ視線を落とした。何かを言い出すか迷っているように、唇が小さく動く。
「……ままは、お祭り行くの?」
小さな声だったが、食堂にいた全員の耳に入った。
「難しいね」
「……そうよね」
なんとなく分かったうえでの問いに対してポステムは当然の答えを返す。イレイナは、予想通りの答えを確認したがそれでも少し気落ちしていた。
「祈願に行く前に、ママに挨拶しようか」
「……うん」
久々に母親に会えてうれしいはず。だがイレイナの表情は、どこか曇ったままだった。
数時間後。
アルフレッドは、馬車の揺れを感じながら進んでいた。同じ馬車には、イレイナと老執事が乗っている。
窓の外では、街並みがゆっくりと後ろに流れていく。いつもと外出する際に通っている道だが、今は雰囲気が変わっている。
道端の店はいつもより早く店先を飾りつけ、人々が色とりどりの布や旗を抱えて走り回っている。
「アルフレッドは、お祭りについて知ってる?」
対面の席から、イレイナが問いかけてきた。朝の食卓のときより、いくらか表情に明るさが戻っている。
「いいえ、存じ上げません」
「この街の住人が協力して行う祭りなのよ。パレードとかもあって、楽しいのよ!」
「楽しそうですね。『街の住人が協力して行う』とは?」
「そのままの意味よ。うちの家も、神殿も、ほとんど手を貸さないの」
イレイナは、窓の外を指さしながら説明を続ける。
「お金も手も、基本的には一般の人たちが出してるわ。何をやるのかくらいは、ぱぱが知ってると思うけどね」
「なるほど」
アルフレッドは、視線を外の景色へ向けた。
通りには、笑いながら準備を進める人々の姿があった。若者が木枠を運び、子供たちが紙飾りをぶら下げ、店主らしき大人たちが段取りを指示している。
その中に、“一週間前の話し合い”で見かけた顔が混じっていた。
アルフレッドは真剣な表情で言う。
「にぎやかな祭りになりそうですね」
「当たり前でしょ! 祭りなんだから」
イレイナは胸を張る。
その後しばらく、他愛のない雑談が続いた。やがて馬車が徐々に速度を落とし、車輪が止まる。
「神殿に着きました」
老執事の声がして、ドアが開かれる。老執事が先に降り、地面に降り立つと、イレイナに手を差し出した。イレイナがその手を取って軽やかに降り、その後ろからアルフレッドも続く。
ドアが閉じられ、外の光景が視界いっぱいに広がった。
(ずいぶん大きいな)
目の前にそびえ立つのは、堂々たる石造りの建物だった。広い階段、高い柱、壁一面に刻まれた紋章や装飾。その規模は、リオネット家の屋敷に匹敵するように見える。
「ようこそおいでくださいました」
別の馬車から降りてきたポステムとイレイナが合流したタイミングで、正面扉から一人の男が姿を現した。
白く豪華な法衣に身を包み、胸元には教団の象徴らしき意匠が輝いている。柔和な笑みを浮かべたその男は、ポステムの前で恭しく頭を下げた。
「アーグ神官。わざわざ出迎えに来られなくても」
「いえいえ、ポステム様が来られるのなら、丁重なもてなしをしなければ」
神官――アーグ神官は、そう言ってポステムに笑いかけると、視線をイレイナへ移した。
「ご機嫌麗しゅう、イレイナ様。本日は神殿までご足労いただき、ありがとうございます」
「いえ、授才教の教えを受けている者として当然です」
「ご立派ですね」
褒め言葉とともに、イレイナへ柔らかな笑みを向ける。その視線が、ふとイレイナの後ろに控えているアルフレッドで止まった。
「おや、こちらの少年は……」
アルフレッドが頭を下げようと一歩前へ出た瞬間、顔に衝撃が走った。
「……っ」
両手で頬をがっちりと掴まれ、上を向かされる。アーグ神官の驚愕と歓喜に満ちた顔が、至近距離に迫っていた。
「まさか、祝福した子ですか! もう世に出られるまで成長していたとは――」
「違いますよ、アーグ神官」
ポステムが、落ち着いた声で神官の腕をつかんだ。ランランと目を輝かせていたアーグ神官は、はっとしたように瞬きをし、その表情が一転して落胆に変わる。
アルフレッドの顔からそっと手を離した。
「彼は単なる従者です。アルフレッドくん、挨拶を」
「お初にお目にかかります。イレイナ様の従者をしております、アルフレッドと申します」
「……あぁ、申し訳ない。勘違いだったよ。……まだ報告もされていなかったな」
最後の方は小声でつぶやき、アーグ神官は手を二度叩いた。
その合図に応じて、神殿の奥から数人の神官たちが現れ、一列に並んで一礼する。少し沈んだ声でアーグ神官が言葉を発する。
「おそらく、イレイナ様は祈願で来られたのでしょう? この者たちがご案内いたしますので、どうぞごゆるりと」
「イレイナ、行っておいで。私は少しアーグ神官と話をしていくよ」
「わかったわ。行くわよ、アルフレッド」
「はい」
アルフレッドはポステムとアーグ神官に一礼し、イレイナの後を追って神殿の中へ足を踏み入れた。
厚い石壁に囲まれた内部は、外よりもひんやりとしていた。石でできた床を踏むたびに足音が廊下に響き渡る。
「それにしても、びっくりしたわね。アーグ神官」
先頭を歩く神官たちの背中を追いながら、イレイナがぽつりと言う。
「アルフレッドの顔、思い切り掴んでいたわ」
「私も驚きました」
イレイナが口元に指をあてて思案する。
「『祝福した子』って、なぜ言い間違えたのかしら?」
「言い間違えですか?」
「そうよ。だって、テイカーやバイカーの才能を持った子供は『祝福された子』って呼ぶのよ。それが授才教の教えのはずだけどね」
イレイナは、不思議そうに首を傾げる。
アーグ神官の言ったのは「祝福した子」。
授才教の教えで使われるのは「祝福された子」。
似ているようで、意味はまるで違う。祝福を「受けた」側なのか、「与えた」側なのか。
単なる言い間違いで済ませていいのか、意図のある表現なのか。
「……不思議ですね」
アルフレッドは、ひとまずそう答えた。
話しているうちに、神官たちが足を止める。視線の先には、広い空間が開けていた。
神殿内の中央と思しきその場所に、巨大な石像が祭られている。天井近くまでそびえ立つ人型の像。両腕を前に突き出し、何かを与えるような仕草。足元には、祈りを捧げるための祭壇と、無数の蝋燭の跡、供え物を置くための台が並んでいた。
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