話し合い
一人の男が、書類で埋もれた机の前に座っていた。机の上には紙束が山のように積まれ、その合間に空になったカップや皿が乱雑に置かれている。
男はその中から一枚をつまみ上げ、乱れた文字が並ぶ報告書に目を通した。
そこには、監視対象の「昨日の様子」が事細かに書かれていた。
何時に外出し、何を食べ、どこへ出かけ、誰と会話し、どんな顔で笑っていたか。そういったどうでもいい情報が、びっしり書かれていた。
「……また同じか」
何度目かわからないため息をつき、男は紙を机に戻した。
ここ最近の仕事は、この拙い報告書を読み、本国にそのまま伝えることだけだ。情報の選別も分析もいらない。ただ受け取って、整理して、送るだけ。諜報員としてこれ以上退屈な仕事はない、と男は心底うんざりしていた。
それに、部下たちも気に入らない。
もともとこの街に住みついていた兵士崩れ、諜報員崩れの男たち。リオネット家に反旗を翻すと息巻きながら、自分たちだけでは何もできず、男が仕える国に「協力」を求めてきた。
そうして男が派遣され、指示を出す立場になっている。
気概だけはいっちょ前なのに、実際には男の指示の下でしか動けない。口では「この街を変える」と言いながら、危険な役回りは押し付け合う。そんな連中の顔を毎日見ていると、嫌気もさす。
とはいえ、もうすぐ終わる。
机の端に置いてある別の封筒に視線を移す。本国から届いた返信の手紙。再三送っていた増援要請に対する、正式な認証の文面がそこにはあった。
作戦はようやく決定し実行に移される。この街での、つまらない生活からあと少しで解放される。
男はその事実を思い出し、わずかに気持ちを持ち直した。
「長!」
乱暴に扉が開かれ、怒鳴るような声が飛び込んできた。このアジトで、男は部下たちに自分を「長」と呼ばせている。本名を教えるなど論外だし、コードネームでさえ無駄な情報だと考えていた。部下の名前すら憶えていない。
長は舌打ちを一つし、背もたれに体を預ける。
「なんだ」
「それが……男と子供の二人組が、このアジトに乗り込んできました!」
「被害は」
「見張りが三人、気絶させられました。『代表者を出せ』と言っております」
「お前らは何してる」
「奴らが変な動きしないか監視しつつ、長の指示を待ってます!」
「……そうか」
もう一度舌打ちして長は立ち上がり、乱れた書類の山を一瞥してから部屋を出た。
彼の部屋は二階にあり、部屋からすぐ出ると一階のロビー全体を見渡せる。薄暗い照明に照らされた中央で、部下たちに囲まれながら二人組が立っているのが見えた。
一人は、後方に立つ顎髭を生やした男。外で気絶させられた見張り二人を、まるで荷物のように両脇でヘッドロックし、楽しそうに笑っている。
そして、その前にいる小柄な影。報告通り、子供だった。だが、その子供は片手で見張りの髪を握りしめ、そのままずるずると引きずっている。脚を引きずられる見張りはぐったりとしており、とても抵抗できる状態ではない。
「……おい」
長は後ろで固まっていた部下の一人に声をかけた。
「俺の部屋から、イレイナの従者についての報告書を持ってこい」
「は、はい!」
返事をした部下が、慌てて駆け出していく。長は階段を下りながら、中央の二人組に視線を戻した。
「何の用だ」
囲む部下たちの輪を割って前に出ると、子供が一歩前に出て頭を下げた。
「夜分遅くに申し訳ありません。話し合いしに来ました」
「見張りを殴り飛ばしてか」
「軽いノックのつもりでした。他の人たちはおりこうさんでしたので、少し肩透かしでしたけど」
まるで礼儀正しい挨拶の続きを話すような口調だった。長はじろりと子供を見下ろしながら、目の前まで来た部下から報告書をひったくる。
「……お前、名前は」
報告書に目を落とす。そこには、ここ最近新しく従者になった子供のことについて雑に書き込まれていた。
『イレイナの従者。黒髪黒目の子供。名前は――』
「アルフレッドと申します。イレイナお嬢様の従者をしています」
子供――アルフレッドが、報告書通りの名を名乗った。
「お前、単なる子供じゃなかったのか」
「本職は別にあります。あなたと同業です」
長は思わず、くつくつと喉の奥で笑った。リオネット家の節穴具合が可笑しかった。こんなものを屋敷の中に平然と出入りさせているのかと考えると、笑わずにはいられない。
「それで、話し合いとか言ってたな」
「はい。こちらはすでに内部に入り込んでいます。しかしあまり仲間を外に配置できません。そこで、中にいるが仲間がいない私たちと、仲間は多いが外にいるあなたたちで協力できないかと。あなたたちが外で何かしらの動きを見せて、こちらは内部で動く。連携した方が、双方のためではないかと思いました」
「だめだ」
長は即座に切り捨てた。
「なぜですか?」
「お前たちを信用できないからだ」
「私たちが敵なら、今頃兵士がここを制圧していますよ」
それはもっともな指摘だった。だが、長は鼻で笑う。
「拠点がここだけだと思うか? 背後関係も調べたいなら、すぐに制圧するのは愚策だ。泳がせて探るはずだ」
リオネット家は大きな家である。その家を相手に喧嘩を売ろうなんて考えを持つ者たちはこの世界でも少数しかいない。その少数の奴らをあぶりだすため、アルフレッドという従者が仲間のふりして敵の中に入り込み、その背後にいる者たちを炙り出す。そんな考えをもっているのではないかと話し、長はわざとらしく肩をすくめて見せた。
そこから先は、押し問答だった。アルフレッドが、理屈を積み上げて「連携の利」や信用してもらうよう説き、長が一つ一つに否定的な意見を返す。
口では拒絶しながらも、長の頭は別のところで忙しく働いていた。
アルフレッドが敵なのか味方なのかは、どうでもよかった。
長はすでに、情報奪取のための計画を立てている。それは、この場にいる部下たちが全員殺されようが、予定通り決行されるものだ。
目の前の少年が敵であろうと味方であろうと、作戦そのものに大きな影響はない。
敵なら、状況が少しややこしくなるだけ。
味方なら、手順が一つ二つ省略できる程度。
今こうして言葉をぶつけ合っているのは、考えを組み立てる時間稼ぎであり、相手の性質を見極めるためでもある。
向こうも同じことをしているだろう、と長は思っていた。
それでいて、わかりやすい「協力の理由」も用意しておきたい。部下たちは、筋道立った理由がなければ動けない連中だ。単純な理屈を与えてやれば、それだけで納得して働いてくれる。
「……手土産が欲しいな」
長は、ふいにそう口にした。
「手土産、ですか?」
「そうだな。何か重大な秘密でも教えてくれれば、信用してやらんこともない。こちらの作戦も、ある程度は伝えてやろう」
口ぶりこそ軽いが、これは半分以上、見せかけだ。信用するもしないも、長の中ではすでに決まっている。ただ、部下たちの前で「こういう理由で協力した」と言える材料が欲しいだけだ。
アルフレッドは顎に指を添え、数秒間黙り込んだ。
ロビーの空気がわずかに張り詰める。囲む男たちも、息を呑んだまま様子をうかがっている。
やがて、アルフレッドは顔を上げた。
「リオネット家当主夫人は、死んでいる」
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